第四章 助け舟

 

 俺は式部卿宮の屋敷において俺の重い人である千景にある約束をした。それは毎日彼女宛に文と贈り物を贈ることだ。最初は絶対やりきれると思っていたが、実際はかなり難しく無謀なことであった。俺は後になって大後悔したのである。しかし、約束は約束。彼女がOKを出すまで俺は彼女宛に文を書き続ける。
 俺は千景の兄である冬輝と薫に頼み、千景の毎日の様子を報告するように頼んだ。よそから見ればストーカーのように見えるが、これはれっきとした参考である。彼女の生活を知ることで彼女が好きなもの、嫌いなものが分かり、文もスムーズに贈ることができるのだ。冬輝達にはそのことを口に出すなと強く言ったのだが、どーゆーわけか千景にバレてしまい、彼女から「ストーカー行為をする奴なんて最低な奴がすることよ。もしこれでも続けるというのであれば私はあなたとは結婚しない」と書かれた文が冬輝の手によって届けられたときにはショックのあまり寝込みそうになった。しかし、それでも俺は毎日彼女宛に文を書き続けた。薫や冬輝の話だとほんの少しずつだが、彼女が俺に対して恋心を抱き始めたと言うのだ。俺が贈った文を本人はちょっと心待ちにしているらしい。
 俺はそのことを聞いて更に創作意欲が湧いた。そして、せっせと彼女宛に文を書きつづけたのだ。そんなある日のこと。義兄である帝から参内するようにと託を預かり、俺は内裏に足を運ばせた。
 通された部屋は清涼殿ではなく何故か帝の正妻が生活をしている麗景殿に通された。
 その部屋には帝のほかに正妻である中宮と何十人もの女房がいたのであった。俺は三十路ばかり超えた主上の前に座り、深々とお辞儀をして言った。
「お久しぶりです。主上」
「久しいな。しばらく見ないうちに男らしくなったな」
 と優しい目で言う主上。
「風の噂で聞いたのだが、東宮は最近とある姫に恋心を抱き、毎日その相手にせっせと文を書いているそうではないか」
 げっ。なんで主上がそのことを知っている?!俺は内密にって冬輝達に念を押して言っといたはずだぞ!!
「東宮、どうなのだ?」
 と迫る主上。俺はしばし冷や汗をかきながら答えた。
「その通りでございます」
「そうか。やはりそうであったか。で、相手は誰なのだ?
 朕(僕)とおまえとは血は半分しか繋がってはいないが、血肉を分けた兄弟ではないか。朕にそっと教えてたもれ」
 たもれって普通そこまで訊くかよ。もし答えたら千景に被害が及ぶかもしれないのに!!
「さあ!言うんだ!!」
 と迫る主上。
 そこまでして俺が恋心を抱く相手を知りたいのか。
「答えよ。でなくば廃太子にするぞ」
 げっ。そこまでいくか!!仕方がない。言うっきゃないか。
「……分かりました。ですが、彼女に被害が及ばないように配慮して頂きたい。彼女に被害に遭っては元も子もありません」
「分かった。約束しよう。今から話すことはここだけの話。聞いたらすぐさま忘れるのだ、いいな」
 と主上は承諾し、周りにいる女房達にも約束させた。
 俺は一間置き、一回深呼吸をして答えた。
「俺が思い慕い、毎日文を贈っている相手は左大臣の御娘・千景姫でございます」
「まあっ!!」
 と俺の答えに感嘆の声をあげたのは主上ではなく主上と同い年あたりの女性・中宮だった。
「東宮がお慕いしている相手は千姫だったのですね。奇遇ですこと」
 奇遇?一体何のことだ?
「あの。奇遇と言いますと?」
「ああ。失礼しましたわ。実は千姫は私の姪っ子になりますのよ」
 え?!千景は中宮の姪?!
「それは本当ですか?!」
 俺は嬉しさのあまり身を乗り出して中宮に尋ねると、中宮は笑顔で言った。
「ええ。私が一度里内裏したときにはまだ裳着を済ませておらずお転婆ぶりで、妹にあたる左大臣の北の方は大層記にっておいででしたもの」
「中宮。是非とも千景姫の話を詳しく教えてください」
「構いませんわ。千姫が入内することであれば、伯母である私も嬉しい限りですもの」
 と笑顔で言う中宮。それから中宮は千景について全て教えてくださったのであった。俺はそれを参考の元に文を書き続けた。
 しばらくして中宮が俺に文使いの申し出をしてきた。何でも久々に左大臣邸に里内裏するらしい。
 中宮は今は亡き太政大臣の長女。太政大臣が亡くなってから妹にあたり、今は左大臣の北の方である白姫を頼り、香春院(かわらのいん)と呼ばれるかの『源氏物語』と左大臣源融の邸である河原院をモデルにして作ったという屋敷の一部・夏の御苑を里内裏として使っているらしい。そして千景は秋を好み、秋の御苑にて生活をしているそうだ。
 俺は中宮に俺が書いた文を託した。そして2、3日が経ち、中宮は再び内裏に参内したのである。普通なら1週間ぐらい向こうにいるのだが、中宮は早く俺に知らせたいことがあると言って普段より早く帰り、その帰り道俺がいる東宮御所に訪れたのである。
「東宮、お喜びなさい。千姫はあなたに対して完全に恋心を抱いていますよ。それは日に日に増しているそうです。本人はまだ自覚してないですけどね」
 と中宮は御簾越しで顔を綻ばせて言った。
「こうと分かれば、入内もとんとん拍子で進むでしょうね。あ、でももう入内をする日は決まっているのでしたね。ああ。早く姫が入内する日を心待ちしてますわ」
 と俺ではなく中宮が喜んでいる様である。
「そうですわ。100日目を東宮ご本人が届けてはいかがかしら?」
「はい?」
 俺は突然の中宮の提案に目が点になった。一方中宮はすっかりその気で話を進めていく。
「そうですわ。そうしましょう!!100日目東宮ご自身が届けに行けば姫は自分の感情を自覚するはずですわ。
 ね。良い考えでしょう?!これをすれば間違えなく姫は東宮の物になるはずですわ!!」
 とすっかりやる気満々の中宮に俺は嫌とは言えなくなってしまった。しかし、その一方でこれを機に彼女の本心を知れるかもしれないと思った。
 俺は内密に左大臣と北の方に念入りに相談し、100日目にいっせいに彼女の部屋に近づかないようにすることにした。

 それから100日目。いよいよ計画実行の日である。その日は俺が望んだ通り雨になった。俺は左大臣邸のすぐ傍まで牛車で移動し、そこから先は本当にずぶ濡れになりながら案内された門から屋敷に入っていった。屋敷に入ってしばし草木を掻き分けて奥に進んでいくと、高欄に寄りかかり、寂しそうに外を眺めている袿姿の千景がいた。千景はしばし外を眺めていたが、俺の存在に気づくと驚愕して俺を凝視した。
「おはよう」
 と俺はわざと荒い息で挨拶をした。
「ほ…本物なの……?」
 と千景は自分の目を疑っているが、慌てて俺の手を引き、自分の部屋に引き入れ、
「どうしてこんな雨の日に、お供ナシ、傘もナシで来たの?!」
 千景は俺を自分の部屋に引き入れるなり、俺に向かって質問を投げた。しかし、俺は、わざと答える間もなくその場に倒れこんだ。すると、千景は短い悲鳴をあげ、自分が着ている袿の上着を脱ぎ、俺の体にかけ、俺の手をしっかり握り締めた。
 千景の手、すごく暖かい。
 俺はそう思いながら荒い息をあげ、目を開いて言った。
「………今日は………文を送り始めて……100日目だから………自分で………伝えようと……思ってね……」
「そんなことされたって……!!そんなことされたって……!!ちっとも嬉しくないわよ!!」
 と今にも泣きそうな顔で言う千景に俺は握られている手を千景の頬にそっと触れると、その瞬間千景の目から涙が溢れ出てきた。千景は泣きながら自分の頬に触れている俺の手を再び握った。
「どうして……泣くの……?」
「あんたが…あんたがながせてるんでしょ……」
「………千景………俺……やっぱ……おまえのこと………好きだ……」
「あたしも……あたしもあんたのこと好き……好きなの……。だからずっとあたしの傍に………いて」
 と泣きながら千景は言った。
「常葉……ずっと……ずっと傍にいて……あたしだけを見て……」
「…………………」
 俺は無言のまま再び目を閉じると、それと同時にあたしの頬に触れていた手がずるりと崩れ落ち、動かなくなった。
「と……き……わ……?」
 と千景は呆然としたまま、ただ夢中で俺の体を揺すった。
「ねぇ……起きてよ……起きてってば……あのときみたくあたしのこと好きだと言って……言ってあたしを強く抱きしめてよ………」
 しかし俺は目を開けるつもりはなかった。だが、内心では凄く喜んでいて今にも飛び起きそうな勢いだった。
 今…俺のこと好きだって言ったよな。確かに千景の口から言ったよな。
 そう思っている一方で、千景は俺の胸の上に泣き崩れる。その声に俺は我慢できなくなって―――…
「………い」
 と声を漏らしてしまった。それがスイッチになり、
「いやった――――――っ!!」
 とガッツポーズで飛び起きてしまったのである。一方千景は驚きのあまり泣き止み、目が点になっている。それにも関わらず、俺は喜びまくった。
 そしてしばらくして我に返り千景に近づき、彼女を力強く抱き、片手でぱちんっと指を鳴らすと、俺達がいる部屋の奥の襖から控えされていた家族や女房達が現れた。
「な…ななななななな……?!」
 千景は驚きのあまり言葉にならない声をあげた。
「いや〜ここまで演出するの大変だったんだから〜!!」
 俺が面白がりながら言うと、千景はしばし黙り込んだ。すると、女房や家族達は千景の表情を見るなり、申し訳なさそうに蜘蛛の子に散っていった。どうやら彼女は相当怒っているらしい。
「―――――怒ってる?」
 俺はおずおずと尋ねると千景は俺のほうを向かないままむすっとした声で答えた。
「怒ってるわよ」
 あー怒っているのか。こりゃマズイやり方でやったかな?
 俺はそう思いつつ彼女に謝った。
「ごめん…。でも本当の君の気持ちが知れて嬉しいよ」
「……常葉」
 と突然千景は俺のの胸に寄りかかり、千景を抱いている俺の手を自分の頬に摺り寄せた。
「……好きよ。これからなにがあろうと、あなたしか愛さないことをここで誓うわ。だから常葉もあたししか愛さないで」
 その言葉に俺は嬉しくて今にも倒れそうになった。
「千景の口からそんな言葉が出てくるなんて……俺は嬉しさのあまり今にも倒れそうだ」
「そんなに意外だった?」
 と小首を傾げる千景。俺は必死になって答えようとしたが、嬉しさのあまり言葉が思いつかなかった。
「意外とかそういうのじゃなくて……あ―――ダメだ!!嬉しくて言葉に表せない―――っ!!」
「じゃあ、行動で現せてばいいんじゃない?」
「それだったお安いもんだ」
 と俺は言って、千景の唇に自分の唇を重ねた。式部卿宮邸で二回目(本人からしてみればファーストキス)ではかなり抵抗されたが、今回、千景は抵抗してこなかった。

 それから俺は用意された服に着替えると、すぐさま千景がいる部屋に戻り、一日中千景が愛用する香が焚きこめる千景の部屋で俺達は愛し合った。何度も何度も接吻をし、抱き合いお互いを確かめ合ったのである。千景もまた予想外なことに積極的に俺に接吻してきた。俺はそれが嬉しくて彼女を押し倒し、彼女が着ている服の紐を緩ませ、露になった胸元に接吻しまくった。
「…常葉、ダメ。それ以上しないで」
 と俺に胸元を接吻されられている千景は甘い声で言った。
「好きなんだ。もっとさせてくれよ。おまえを感じたい」
「それでもダメ。好きだけど、これ以上はやめて。入内したら好きなだけやっていいから」
 と甘い声で懇願するのである。俺は止めざるを得なかった。
「じゃあせめてこれだけはさせてくれ」
 俺はそう言うと、千景の首筋に熱い接吻をした。
 俺が離れると、千景はちょいちょいっと服の乱れを直し、俺を差し出す手に自分の手を重ねながら言った。
「早くあなたの元に入内したい」
「俺も早く嫁いで来て欲しい。おまえが早く御所に来ることを心待ちにしている」
 俺はそう言いながら名残惜しそうに彼女から離れると、ちょうど手元に持っていた俺が愛用している香が入った袋を千景に手渡した。
「これを俺だと思って持っていてくれ」
「じゃあ」
 と彼女はそう言うと、立ち上がり、二階厨子(二段の棚みたいなもの)の上に置かれていた鏡箱の蓋を開け、そこに入っている櫛を俺に手渡した。
「これをあたしだと思って持っていて」
「ああ」
 俺はそう言い、何度も彼女のほうに振り返りながら左大臣邸から去っていったのであった。