第伍章 恐怖

 

 念願の千景を自分の妻として迎えることができた。しかし、新婚生活は順調と言うわけにはいかなかった。俺の叔母である四の君の怨霊が千景を苦しめているのである。その姿を見たとき、俺は四の君の弱い心を憎んだ。愛妻を苦しめ、自分の為だけに生きようとしていることだ。俺は憎み憎んだ。そんな中でも千景は強い精神で対応した。といっても、何度も倒れたりしているが、俺のことを心底から信頼しているようだ。だからそれは俺も嬉しい。
 しかし、たまに無謀なことをすることもある。千景に襲い掛かった怨霊からの呪縛が解けたと思ったら、今度は千景から怨霊の本体と会いたいと言い出した。誰もが反対したが、千景は譲ろうとしなかった。そこのとこだけはたまに傷というかんじだが、そういうところも俺は好きだった。そして、吉日が陰陽師によって選ばれ、その日に四の君と千景の対面することになった。俺は同伴すると言ったのだが、本人は反対した。
 俺が言う中で彼女はこう言った。
「常葉が出てきてしまったら、対面は失敗する。だからあなたは別の部屋で待機していて」
 俺はその言葉に納得できなかった。自分を傷つけた者に対して彼女は無防備状態で挑むのだから。俺は前日まで粘りに粘ったが、彼女は譲ろうとはしなかった。そこ部分は父親似と言ったほうがいいかもしれない。
 そして次の日。俺はあまりにも眠くて日が昇ってもずっと寝ていた。しかしその日は、いつも隣りにいて、俺が寝過ごしても起きると、笑顔で迎えてくれる千景の姿がなかった。俺はしばらく自覚できず、彼女の姿を求めたが、やはり千景の姿はいなかった。俺は慌てて飛び起き、女房達を呼んだ。
「おいっ!!誰かいるか?!」
 俺が叫ぶと、千景の腹心の女房、八重と利重が慌てて俺の部屋に来た。
「どうなさいましたか?」
「千景はどこへ行った?」
「え……?!あ、女御様なら藤壺のお部屋に……」
「何を言うか。いつも俺が起きているまで待っているぞ。それに今日は四の君との対面じゃないか。本当のことを申せ」
『……………………』
 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせた。どうやら何か隠しているらしい。
「隠し事か。それならおまえ達に暇を与えようか?」
『?!』
 脅しのつもりだったが、本人達はえらいビビってぺらぺらと喋りだした。
「にょ…女御様は只今四の君様とご対談中でございます」
「対談中?!今何時だ?!」
「もう辰の刻でございます」
 げっ!!つまり俺は寝過ごしたってことになるじゃないか。ヤバイ!!彼女を一人にさせていたら四の君は千景を迷わず攻撃する!!それだけは何とかやめさせなければ!!
「服を用意しろ!!今からその席へ行く!!」
「ええっ?!今からですか?!おやめください!!四の君様の火に油を注ぐことになってしまいます!!」
「いいから用意しろ!!千景を一人にするなんて危険すぎる!!」
 そう。危険すぎる。四の君は気に入らないものに対して容赦なく攻撃してくる。千景だって四の君からしてみれば邪魔な存在。必ず攻撃するはずだ。それから何としてでも俺が千景を守らなければ……。
 俺が命令すると、八重達は慌てて服を用意し、着替えさせていく。そして、着替え終わるなり、俺は走って彼女がいる部屋に向かった。
 しかし、その向かう途中ぱんっと何かを叩く音が俺のほうまで聞こえてきた。その音を聞いて、俺は不安に駆られた。
 もしかして、千景が攻撃されたのか?!
 俺は更にスピードを増して、彼女がいる部屋に向かった。慌てて部屋に行くと、そこには怒っている四の君と、平然としている千景が火花を散らしていた。
 四の君はなんて醜い姿だ。怒りを露にし、服が乱れていることにも気づかず、千景を睨みつけている。あれと血が繋がっているなんて気味が悪すぎる。それに比べて千景はどうだ。背筋を伸ばし、凛として構えているではないか。あれこそまさに正妻が見せる姿だ。
 俺は凛として構える千景のその姿にしばし、見とれていた。そして、四の君が罵声を飛ばしたとき、俺が割って入ると、千景は驚き、四の君は今までの表情をコロッと変えて、媚びるような態度になった。俺はわざと四の君を誉めるような口調で言った。
「久しぶりだね、四の君。前にあったときより少し綺麗になったかな?」
 その言葉に案の定四の君はぶりっこの如く、顔を赤くして言った。
「いやん、東宮様ったら。このような場所で本当のことを仰らなくても……」
「けど、千景の美しさに比べたらまだまだだね」
 とぶりっこする四の君に俺は容赦なく言った。その言葉にモロにショックを受ける四の君。
 けっ。ざまあみやがれ!!ん?
 俺は勝ち誇っていると、千景の左頬が赤くなっていることに気がついた。
 まさか……!!あの叩く音は四の君が千景の頬を叩いた音か!!
 俺はそう思いながら千景の頬にそっと触れた。
 なんて痛々しい頬の赤さだ。よほど四の君が力を入れて叩いたんだろう。それを避けずに必死に我慢するなんてまさに女の鏡だな。だが、四の君を許すことはできない。こーゆーことに対して、やったらやり返すのが妥当だよな。
 俺は四の君を見ないまま、尋ねた。
「四の君…おまえ……千景の頬を叩いたのか?」
「は?」
 とその言葉に四の君は驚きの声をあげた。それを聞いて俺はその言葉を強調するように再度言った。
「…………叩きましたわ」
「何故?」
「私の東宮様を取り上げたことに腹の虫が納まらなかったからです」
 ぷちっ
 その言葉に俺の堪忍袋の緒が切れ、俺の心の中は四の君に対しての怒りしかなかった。
 こいつは人を自分の物だと未だに思っている。なんて卑しい女だ。
 俺は立ち上がり、無言のまま四の君近づき、近づくなり手を振り上げて思い切り四の君の頬を引っ叩いた。その行動に四の君は驚愕するが、俺はそんなこと無視して静かに言った。
「痛いだろ。千景はこの痛みを堪えたんだ。
 おまえがどんなに綺麗な格好をしても、どんなに俺を振り向かせようと努力しても、俺はおまえを妻に迎え入れるつもりはない。俺の妻は千景だけだ。それだけは分かって欲しい。
 もうこれ以上俺に愛着するのはやめろ。おまえは………」
(ユルサナイ)
『?!』
 俺が言い終わる前に、どこからともなく四の君と同じ声をした曲霊の声が部屋中に響き渡る。
 ついに、来たか!!
 俺は千景のところへ行き、千景を自分から離れないように自分の傍に寄せると、俺達の目の前に曲霊が現れた。その姿に案の定四の君は驚いた。それと同時に俺は舌打ちをした。
 曲霊が現れた。あれは霊的存在だって千景が言っていた。となると、こちらは出方によってはいくら祈祷僧が沢山いても不利な状況になる。それだけは避けなくては……。
 俺はそう思いながら大声で冬輝に抜刀の許可をおろした。その声に合わせて、冬輝がタイミングよく現れ、曲霊を切りつけたが、曲霊は諦めてはいなかった。ついには本体を襲いかけたが、そのとき千景が動き、予想外のことに冬輝の刀を奪い取り、曲霊の胸目掛けて貫いたのだ。その行動に対して、その場にいた者誰もが驚いた。しかし、千景は女。男が使う刀の重さに耐え切れず、すぐに刀の柄から手を離した。それと同時に曲霊もまた刀と一緒に床に叩きつけられた。そして、悔しそうに消えていったのである。
 消えた。だが、完全に消えたわけじゃない。いずれ力をつけて再び俺達に襲い掛かってくるはずだ。
 そう思ったとき、傍にいるわけでもない四の君が俺に近づき、わざとらしく俺のところに倒れた。その瞬間、背筋に虫唾が走った。
 ひぃ…っ!!絶対わざとだ!!絶対に!!
 俺はそう思いつつ、声をかける。
「よ…四の君……だ…大丈夫か?」
 そう言いつつ、俺は必死に四の君から離れようとした。しかし、四の君はいっこうに離れようとしない。それどころか、彼女が起き上がり、俺の頬を愛しそうに触り、ついにはそのまま俺に…俺に接吻をしてきたのである。その行為に俺は一気に血の気が引き、体が震え、声にならない悲鳴をあげた。
 最悪だ!!よりにもよってこいつに…しかも愛妻の前でこんなことされるなんて拷問以上に酷い仕打ちだ!!早く離れてほしい!!離れてすぐさま千景の唇に触れたい!!気持ち悪い〜!!
 俺は俺の唇を堪能する四の君を引き剥がし、慌てて千景の元へ行き、彼女の唇を触れようとするが、千景は所々怒りマークをつけて怒っていて、俺を拒んだ。怒って拒むだけならまだいい。彼女はどーゆーわけか、四の君に対して余計なことをしてくれたのである。その言葉に四の君は目をらんらんに輝かせ、嫌がる俺を引きずって千景に言われた梨壺に行くなり、
「さあ、東宮様!!邪魔者もいなくなったことですし、逢瀬を重ねましょうぞ!!」
「だっれがするか!!俺が逢瀬を重ねるのは千景だけだっつーの!!」
「その女御からもちゃんと承諾があったではありませんか!!ですからしても構わないのですわ!!」
 と四の君はそう言いながら、じりじりと俺に迫ってくる。俺は後ろに下がるのままチャンスを狙って必死に逃げようとする。
「おまえがよくても俺は絶対に嫌だ!!子を宿すのは千景だけだと何度も言っただろ!!」
「んもぉ〜東宮様ったら恥ずかしがりやさんなんだからv大丈夫ですわ!!私がちゃんと痛くないようにしてさしあげますから!!」
「おまえ、人が嫌がってるのと、恥ずかしがっているのと区別がつかないのか?!」
「どっちも同じですわ」
「同じじゃない!!」
 俺はそうツッコミを入れつつ、その場からダッシュで立ち去ったが、四の君は長袴をたくし上げ、追っかけてくるのである。俺は夢中で逃げまくった。しかし、四の君はついてくる。
 うっだーっ!!千景の奴、いくら怒っているからってこんな余計なことしなくてもいいじゃないかよ!!
「お待ちになってぇ〜っ!!私の東宮様ぁぁぁ〜〜!!」
「誰が、おまえの物になったよ!!」
 俺はそう叫びつつ、とある部屋に飛び込み、閂で戸を閉めた。それも一つだけではない。何個も戸があるので、全ての戸を閂で閉めたのである。
 ふはぁ〜っ。これで一安心。しかし、千景が怒る理由分からないわけでもないな。愛しい人が自分の目の前でライバルに奪われるんだモンな〜。もし俺がさっきの千景のように千景の唇を別の男に目の前で奪われたら怒るだけじゃ済まないよ。そいつを除籍して、あまつさえ反逆者として刑を与えるだろう。
「東宮様ぁ〜!!お開けになってぇ〜〜!!」
 げっ!!もう追いついたのか!!マズイ!!どうする?!
 そう思ったそのとき、木でできた戸から細い腕が一本貫いて出てきた。
 うそ?!四の君ってこんなに力があったっけ?!
「待っててくださいねぇ〜!!」
 と四の君がそういうと、右側からもう一本の腕が戸から出てきたのである。そして、俺の腰に腕を回して
「つっかまえたぁ〜!!」
 と戸越で喜ぶ四の君。それと同時に俺には恐怖が襲い掛かってきた。
 そのあと俺はもう少しで貞操を奪われそうになったが、断末魔の悲鳴をあげつつも、逃げ通し、最終的には千景がいる部屋に逃げ込んだのである。しかし、千景はまだ怒りが冷めていないらしく、俺に対して冷たかった。そのとき俺はこう思った。千景は俺を裏切ったと。
 そのあと何とか四の君は俺を諦めてくれたが、俺は千景の行為に対して許せなかった。だいぶ時間が経って、千景は俺のことを自然に許していったが、俺はむしろ千景に対して怒りを覚えた。千景はその怒りを何とか宥めようとした。だから俺はそれを機に彼女に対してうんと甘え、彼女の体を求めまくった。千景は最初は何も抵抗せずに俺に体を預けていったが、やっていくうちに最近では次第に抵抗するようになった。それでも俺は彼女の体が欲しかった。本人が嫌だと思ってもいい。だけど、俺は彼女の愛しい体から離れたくはなかった。常に彼女を抱きつづけ、手放さなかったのである。
「常葉のバカ!!いくらあたしの行為が許せないからって我がまま行為をこんな真っ昼間からしなくてもいいじゃないの!!」
 と俺の寝所で裸体を曝しながら千景は怒って言った。俺は彼女の言葉に耳を傾けるつもりはなく、嫌がる彼女に上に覆い被さり、彼女の体を堪能した。
 実のところ言うと、俺はもう彼女に対して怒っていない。だけど、それを口実にすることで、いつもなら真っ昼間にできない行為をいつでもすることができるのだ。
「常葉、もうやめて。こんなことをして何になるの?そんなにあたしとの子供が早く欲しいの?」
 と泣きそうな顔で言う千景に対して俺は無理やり彼女の口を封じた。
 可愛いな。だけど、彼女は嫌がっているみたいだ。
 そのとき、俺達がいる寝所に服の擦る音が聞こえ、それと同時に御簾越しで男の声がした。
「東宮様。只今吏珀がこちらに参内いたしました」
 ちっ。こんないい時に限って邪魔が入るんだから。
 俺はそう思いつつ、千景から唇を離して起き上がり、頭を少しかきながら言った。
「分かった。別室に通してくれ。あと俺はまだ服を着ていないからな服の用意もしてくれ」
「……となりますと、女御様の分もご必要ですね。かしこまりました」
 男はそう言うと、一礼をして下がっていった。
「……千景」
 俺は千景の頭を撫でながら声をかけるが、千景は反応しなかった。
 やっぱり千景の言葉を無視してやってたからかな。でも、それだけおまえのこと愛しているんだ。
「…………ごめん。今日のはやりすぎた。でも、おまえが心底好きで愛しているんなんだ。それだけは分かって欲しい。好きでなきゃこんなことしないよ」
 俺がそう言うと、千景は俺を見ようとせず、ただぼそりと
「……バカ」
 と呟いたのである。その言葉に俺は何も言わず、ただ千景の頬に接吻をし、部屋を後にした。

「というわけで、東宮様のご要望どおり、唐から取り寄せた和琴でございます」
 と服を着なおし、髪を整えてから吏珀の部屋に訪れると、俺と同い年ぐらいで美僧の吏珀はお辞儀したまま俺の目の前に布に包まれた和琴を差し出した。俺はその和琴を手にとり、その音を聞いてみると、その音は千景が奏でる音に劣らぬ音色だった。
「俺の要望に叶えてくれて感謝するぞ」
「しかし、東宮様が和琴を奏でるとは知りませんでした。てっきり私は横笛しか奏でないのかと……」
「違うよ。これは女御に渡すプレゼントだ。もうすぐ年が明けて年を取るだろ。そのときに渡そうと思ってね」
「女御様…ですか?あの東宮様が大層ご寵愛してらっしゃる左大臣の姫のことですね」
「そうだ。あいつは愛しい女さ。あんな女性は今まで見たことがない。だから愛しくてしょうがないんだ」
「ほう。東宮様のお口からそのような言葉が出てくるとは…。それほどまで美しく愛しい姫なのですね。
 今までそのような嬉しそうなご表情は見たことないですもの。私も一度お会いしとおございます」
「おまえも会ったらあいつに一目惚れするぞ。心身ともに綺麗な女などこの貴族の中では滅多にいないからな。一発でこいの奴隷と化すだろうよ」
 俺は挑発的に言うと、吏珀は笑顔でするりと避けて言った。
「そんなこと会ってみないと分かりはせぬ。それにその姫は東宮様の物でしょう」
「そうだな」
 と俺はそう言い、大事そうにその和琴を閉まった。
 しかし、このあとこの吏珀が俺の敵に回り、千景に対して恋心を抱いてしまうとはこのあと思いもしなかった。