第七章 兄弟論争

 

「義兄上が来ただと?!」
 俺は恵式部の言葉に驚愕して思わず立ち上がった。すると、恵式部は土下座し更に続けて言った。
「主上だけではございませぬ。院までおいでになさいました」
 な…なにぃっ?!二人いっぺんにきただと?!
「すぐ部屋に通せ!!」
「は、はいっ!!」
 恵式部は一礼をし、俺たちがいる部屋から出て行った。俺はそれと同時にぺたんとその場に座り込んだ。
「どうしてこんなときに院や主上がここにくるんでしょうね……」
「大方、俺たちの子供を見に来たんだろ。まさかこんなに早く来るとは思ってもみなかったよ」
「そうかもしれないけど、いずれお二人のもとに参内することになるんだし、こんな風に訪れてくれることはラッキーだと思ったほうがまだ気が紛れるんじゃない?」
 と俺の手に優しく触れながら笑顔で言う千景。俺は彼女を見て更に彼女に対して愛しく感じた。
 そう思っていると、本来なら別の部屋に行くはずの義兄上や父上が女房達の静止にも耳を貸さず、俺たちのいる部屋にやってきた。
「久しいな、惟守」
 と50代前半ばかりの老け顔の男性・父上が笑顔で言い、俺の前に座ろうとすると、咄嗟に八重が畳を用意してくれた。
「孫が生まれてからいてもたってもいられなくなってつい主上と共に来てしまったよ」
「来ることは構いませんが、来るときは一言言ってから来てくださいよ」
「すまん、すまん。嬉しさのあまりすっかり忘れておったわ。
 んで、おまえの隣りにいるのがおまえの愛妻か」
「はい。千景と申します」
 と父上に対し、ゆっくりお辞儀をして挨拶する千景。それを見て父上は千景に対して好感を感じたようだ。千景の行動を見るなり、嬉しそうな表情になった。一方義兄上は千景を見ておやっと言う表情になった。
「女御よ。おまえの母はなんと言う?」
「はい。白夜と申します」
 とお辞儀をしたまま千景が言うと、急に義兄上は嬉しそうに千景の手を取った。それを見て俺は義兄上に対して物凄い嫉妬にかられ、千景はきょとんっとなった。
「そうか。あの白夜の娘か!!どことなく彼女に似ていると思ったらやはりそうであったか!!」
「あの、母と主上とは一体どういうご関係で?」
 義兄上に手を取られながら小首を傾げて義兄上に尋ねる千景。その表情を見て義兄上はちょっと自慢げに言った。
「そちの母と朕(僕)は昔恋仲だったのよ」
「ええっ?!」
 と当然ながら義兄上の言葉に驚く千景。
「しかしな、朕がそちの母の姉を妻になっていると知るといなや、まるで手の平を返したようにそちの母は朕に対して冷たく接するようになった。そしてそれだけでは飽き足らず、そちの父と結婚をしてしまったのよ」
「…………………」
 と残念そうに言う義兄上にさっきまでの表情とはうって変わって暗くなる千景。
 そりゃ、そうだよな。自分の両親に対して自分の前で悪口を言われたらいい気がしないよな。
「しかし、そちが惟守ではなく、朕の元へ嫁げばそんなことは忘れてしまうわ」
『なっ?!』
 と嬉しそうに言う義兄上に俺と千景、そして父上は驚愕の声をあげた。
「義兄上!!何故そのように繋がるんですか?!」
「そうじゃ!!女御は惟守の可愛い嫁だぞ!!」
「だって、女御の母に対して未練が残ってるんですからしょうがないじゃないですか……」
「だからって、そんなこと軽々しく言わないでください。それにあたしの腹にはもう東宮との三人目の子が宿っているんです」
 と手を握られたまま千景は呆れて言うと、義兄上はぎょっとしながら言った。
「何?もう惟守との間に三人目ができているのか?!」
「はい」
「惟守よ。おまえ…………」
 と何か言いたそうな義兄上。しばし口ごもり、意を決したように言った。
「おまえ…………顔に似合わずむちゃくちゃ手が早いな」
 すってぇ〜んっ!!
 俺は義兄上の言葉にその場ですっこけた。
 な…なんだったんだ今の間は………。
「仕方がありませんか。できてしまったものはできちゃったんですから」
「別に文句はないが、まさかおまえロリータ好きとは知らなかったぞ」
「余計なお世話です!!」
 俺は義兄上の言葉に思わず叫んだ。すると、その間に嬉しそうな表情で父上が割って入ってきた。
「私は嬉しいぞい。もう三人目の孫ができたんだからな。私もついにおじいちゃんと呼ばれる日が来たのだなぁ〜。
 そうじゃ。おぬしらの可愛い孫達はどうした」
「吉良と愛子ですか?」
「そうじゃ。私はあの子達を抱きたいがためにこうして足を運ばせてきたのじゃ。今すぐ二人を抱かせておくれ」
 父上がそう言うので、俺は扇をぱちんっと鳴らし、その場に控えていた少納言と命婦の二人に合図を送ると、二人は一礼してその場から下がり、しばらくして吉良と愛子を二人の前に連れてきた。
「おおっ。はよう抱かせておくれ」
 父上はそう言いながら命婦に抱かれた子供を自分の元に寄せて抱くと、嬉しそうな声をあげた。
「おおっ。なんと玉のような可愛い子じゃ。どことなく二人に似ているな。双子は忌み嫌われておるが、この子達は別格じゃ。こんな子であれば何人双子がおっても構わんぞ」
「ありがたき幸せに存じます」
 と千景は父上に深々と礼を言った。
「で、私が抱いているのはどっちだ?」
 っておい。今まで分からなかったのかよ……。まぁ人のこと言えないけどさ……。
 俺がそう思っていると、千景は笑顔で答えた。
「はい。院がお抱きになっているのは女の愛子です」
「そうか。おぬしの名は愛子と申すのか。良い名を貰ったなぁ、愛子や」
「あう〜」
 と父上の言葉が分かるかのように笑みを浮かべて声を出す愛子。
「おおっ。こやつ私の言葉が分かるようじゃ。将来は頭脳明快な学者になるのかのぉ」
「父上、恐れながらその子は女です」
「分かっておるわ。ただ言ってみただけじゃ」
 と愛子をあやしながらむっとなる父上。
「女御よ。これからもこのような玉の子を宿し、私に見せておくれ。何でも星占いでは七人も子を産むそうではないか」
「な?!なんでそのことを知っているんですか?!」
 俺は身を乗り出して驚くと、父上は笑いながら言った。
「おまえに関しては私に知らないことなどないのだよ。次はどちらが生まれるのか楽しみじゃ。ま、私としてはどちらでも構わないがな。女御よ。早く三人目を産むのじゃよ」
「そんなことすぐに決行できるわけないでしょ!!」
 と俺は思わず叫んだ。
 そのときだった。
「ふぎゃぁ〜〜〜っ!!」
 いきなり父上に抱かれた愛子が大泣きし初めてその場にいたものがぎょっとなった。
「お〜よちよち。どうした?お父さんの声に驚いたか」
 と一生懸命あやして泣き止まそうとする父上だったが、その行為は虚しく愛子はさらに大声で泣き出した。しかも泣き声につられて義兄上に抱かれていた吉良までも大泣きし始めたもんだからさらにその場は騒然とした。
「おおっ。泣くでない。泣くでないぞ。別に私は怖くないんだから」
 とすっかり困り果てている父上と義兄上。それを見かねて千景がそっと父上に抱かれていた愛子を自分の元に寄せてあやし始めると、不思議なことに愛子はぴたっと泣き止み、しかも笑顔になった。それに伴って吉良もまたすぐに泣き止んだ。
「お〜泣き止んだか。さすが母親じゃな。あやしかたも手馴れたもんじゃ」
「恐れ入ります」
「赤子の泣き声を聞くと主上や惟守のときを思い出すなぁ」
 と昔を思い出し始める父上。
「女御。知っておるか?惟守は小さい頃むちゃくちゃ泣き虫だったんじゃよ」
「ち…父上?!」
 と突然の父上の言葉に俺は顔を真っ赤にさせながら叫ぶと、父上はにこにこしながら言った。
「いいではないか。本当のことなんだし……」
「そうよ。あたしも愛しの旦那様の過去を知っておきたいわ」
 と父上に荷担する千景。それを聞いて父上はさらに自信をつけ
「ほぉ〜れみぃ。女御もこう言っているんだからいいではないか」
「よくないです!!そう言っておいて父上むちゃくちゃ恥ずかしいこと言うじゃないですか!!」
「本当のことを言って何が悪い。のぉ、女御」
「はい。あたしも東宮に色々なことを打ち明けたので、今度は東宮のことをもっと知りたいので院に是非教えて頂きたいです」
「ほぉ。もうそんな仲にまでいっておるのか。いやはや、仲睦まじい夫婦になって安心したわい」
 と俺を無視してすっかり仲良くなり、二人で話し込む父上と千景。そして、いつの間にか俺と義兄上を置いてどこかに消えてしまったのである。
 俺は不安になって傍に控えていた二条に尋ねた。
「女御はどうした?」
「はい。院と共に別のお部屋でお話をなさるということで先程皇子様たちを連れて出て行きましたけど」
「では、おまえたちも女御の傍にいてやっておくれ」
 と本来俺が言うセリフを義兄上が取ってしまった。二条は義兄上の言葉に従い、下がっていった。
「さてと。これで邪魔者はいなくなったから快くおまえに相談ができる」
「相談?」
 俺は義兄上の言葉に眉をひそめた。
 相談なんて今更一体義兄上は何を考えているんだ?
「実はな、おまえの子が産まれたのを気におまえに譲位しようと思うのだ」
「な?!まだ即位して10年しか経っていないんですよ?!なんで譲位なんか……」
「何を言うか。帝に即位して10年経ってしまっている。朕は公務と周囲の存在に疲れ、帝としてはなく、一人の男として生きたいのだよ」
「困ります!!俺はまだ未熟です。未熟な者に政治を任せては世が乱れてしまいますぞ!!」
「そちはもう未熟ではない。おまえは女御との子を立派に守り抜いてるではないか」
「それは愛しい者だからそうできるだけであって……」
「その力さえあれば公務をこなすことなど容易いことだ」
「それでも俺は嫌です。俺は……」
「女御を守るために譲位を受け入れられないとでも言いたいのか?」
「?!」
 俺は義兄上の図星の言葉に驚いた。俺の表情を見て義兄上はにっと笑った。
「朕はおまえの兄だぞ。見抜けないと思ったか?
 おまえは本当に女御のことを愛しているのだな。愛しいが故に譲位を受け入れず、女御との時間を大事にしたいのだな」
「はい」
「女御はそんなにおまえにとって大きな存在か?」
「俺にとって掛け替えのない存在です。彼女のためならたとえ火の中、水の中入っていきますよ。彼女がいたからこそ今の俺が存在するんです。だから彼女が愛しい故彼女との時間を大事にしたい。今帝に位に就いたら彼女との時間がなくなってしまう」
「………そうか。残念だな」
 と物寂しそうに言う義兄上。
 それからしばらくして父上と義兄上は退出していったが、俺は妙に嫌な予感がしてたまらなかった。
 俺が一人で考え込んでいると、千景がひょこんと顔を出し、俺のそばにやってきた。俺は彼女の手を引き、自分の元に引き寄せると、彼女は心配そうに言った。
「常葉。大丈夫?主上と何かお話してから変よ」
「そうか?」
「そうよ。もうっ。隠し事なしだって言ったくせにあなたが隠すなんて…。あたしがすごく惨めになるわ。
 あたしもあなたの悩み事を一緒に考えるから話してちょうだい。あなたが辛い表情を見せるとあたしも辛いわ」
 と悲しそうに言う千景に俺は義兄上とのやり取りを全て話すと千景はちょっと悔しそうに言った。
「主上ったら酷い方ね。まだ結婚して一年しか経っていないのに急に譲位をしたいだなんて!!あなたも聞いててさぞかし辛かったでしょう」
「うん。聞いたときはすごくショックだったよ」
 俺はそう言いながら千景の肩におでこを乗せると、千景は何も言わずに俺を優しく包み込んでくれた。そして、優しく俺の耳元で囁いた。
「もう大丈夫よ。あたしがついてるから、あなたを守ってあげるから安心して」
 その言葉に俺は無償に嬉しくて彼女の肩の上で泣いた。それでも千景は俺を優しく抱きしめてくれるのだった。それが更に俺の涙に拍車がかかり、俺は千景の肩の上で泣き続けるのであった。

 次の日、冬輝が東宮御所にやってきて義兄上の手紙を俺に手渡した。俺は千景が見守る中、その手紙を開くと、そこにはおまえに早く譲位したいというせつぜつとした内容だった。それを見て俺は絶句し、しばし固まった。その様子に千景は不安そうに俺の顔を覗き込み、ついでに手紙の内容を見ると、すっかり呆れてしまっていた。
「んまぁ!!主上ったら昨日の今日にこんなことをお書きになるなんて!!主上には人情というものがないのかしら?!」
「女御。恐れ多くも主上に対してなんてことを言うんだ」
「だってそうでしょう!!常葉はまだ帝位に就きたくないって昨日ちゃんと言って断ったのよ。それなのに次の日になってまた同じことを言うなんて酷すぎるのも程があるわ!!」
 と注意する冬輝に対して千景は俺を庇うように言った。
「冬兄からも言ってあげてよ。もう少し時間を与えてくれって」
「そんなこと言われてもそんなこと告げ口したら主上は何て言うか……」
「冬兄のいくじなし!!そんなこと言うのはひ弱な奴が言い逃れするために言うのと同じよ!!」
「……分かったよ。言うだけ言ってやるよ」
 と千景の押しに折れる冬輝。

 それからしばらくして冬輝の告げ口のおかげでその手紙はこなくなったが、義兄上がそう易々と諦める筈がないと思うおれだった。