第九章 幸せ

 

 異母兄の怨霊に襲われながらも何とか千景は俺との男の子をこの世に産み落とした。それから七日後その赤ん坊は俺の名前を一字取って『惟隆』と名づけられた。その惟隆が生まれてから俺は新婚当時と変わらずの寵愛をしていたら、二ヶ月ぐらいして千景は再び俺の子を宿していたことが発覚し、俺も含め周囲の度肝を抜かせたのだった。そのおかげで、生まれたばかりの惟隆を見ようと訪れた父上にはからかわれる始末。しまいにはそれを聞きつけた義兄上までが冷やかしと譲位のことを手紙に綴ってよこしてきたりするのだった。それからというもの俺はできるだけ彼女の支えになろうと努力した。
 しかし、千景には物の怪が憑いているようで、妊娠が発覚してからというもの何度も吐き気に襲われていた。(※注意:つわりは当時の考えでは物の怪が憑いていると考えられていました。)験者達が必死に祈祷してもなかなか離れなく、逆に酷くなる一方だった。そのせいで噂好きの貴族達は口々に『女御には皐宮の物の怪が憑いている』と噂する始末。俺はその噂に腹を立てたが、どうにもならなかった。それは事実千景は出産のとき皐宮に襲われている。皐宮は諦めていない。次の子が宿ったときにも攻撃してくるはずだ。しかし、そんな中で彼女は物の怪と戦いながらも穏やかだった。そんな彼女の健気な姿を見て俺も頑張らねばと思ったのであった。
 惟隆が生まれ、吉良や愛子は一つ年をとったが、相変わらずの甘えん坊ぶりだった。しかし、最近では愛子が俺になつき、すぐ俺のところにやってくるのだ。その姿が千景には劣るものの可愛いのだ。
「ちちー」
 と俺が千景の部屋に訪れると、よちよちと不慣れながらも歩いて俺のもとに愛子がよってきた。俺はその愛子を抱き上げた。すると、愛子は声をあげて喜んだ。
「俺がいない間、いい子にしてたか?」
「あいっ!!」
 と元気に返事する愛子。俺は愛子の笑顔を見て苦笑した。そして、愛子を抱き上げつつ千景の元へ行くと、千景は俺を笑顔で迎え入れてくれるのである。彼女のところには吉良がべったりひっついている。俺は愛子を降ろし、千景の傍に座ると、吉良が怒って叫んだ。
「さわっちゃだめっ!!」
「おいおい、少しはいいだろ。俺の奥さんなんだから」
「ダメ!!」
 と頬を膨らます吉良。その行為に俺は少しムッとなったが、それはそれ、可愛いのだ。そんな吉良に千景は優しく言った。
「吉良、お父様を困らせちゃダメよ。公務でお疲れになってるんだからお母様のところで休ませてあげて」
「だめっ!!」
 とさらにむくれる吉良は俺の膝にぽかぽかと叩く。
「だめーっ!!さわっちゃだめーっ!!」
「痛い、痛い。そんなに強く叩くな」
 と俺が言っていると、愛子が割って入り、吉良をどんっと押して言った。
「ちちをいぢめちゃダメ!!はははちちの〜!!」
 おおっ。愛子、おまえ結構物分りがいいな。おまえの将来が楽しみだよ。
 と俺は結構親バカぶりを発揮していたりする。でも、事実愛子は物分りがいいし、まだ一つしか年を取っていないというのに愛子は物覚えが速く、書物に興味津々なのだ。だから、女房達が書物を開いていると、愛子が近づきその書物について教えろと言うらしいのだ。それに比べて吉良は全然興味を示すものがない。最近では俺が吹く横笛や千景が奏でる和琴に興味があるようだが、愛子ほどではない。
「ちち、あそんで」
 と愛子が急に俺の手を引き、駄々をこねた。俺は苦笑しつつ愛子の手を握って言った。
「ダメだよ。俺はお母様とお話があるんだ。いい子だから吉良と一緒に向こうで遊んでおいで」
「あいっ!!」
 と愛子は元気よく返事をすると、嫌がる吉良を連れて部屋の端に行って遊び始めた。俺はそれを見送ると、今日始めて彼女に甘えることができた。
「お勤めご苦労様」
 と俺の心境が分かるように千景が優しく言った。
「やっとおまえに甘えることができるよ」
「吉良たちは日を増すごとに元気にすくすく育ってるからね」
「嬉しい限りだよ。俺とおまえの血肉を分けた子がこんなにも元気に育ってくれるんだからな」
「そうね。で、大きな子供であるあなたは何がお望みかしら?」
 と可愛い仕草で千景は俺の顔を覗き込んだ。俺はしばし考え、彼女の膝に寝転がった。
「これが一番安心するな」
「まあ」
「ところで惟隆はどうした?見かけないけど?」
「今は向こうで寝ているわよ。寝顔がとっても常葉にそっくりなのよ」
 と俺を優しく撫でながら千景は嬉しそうに言った。
「やっぱり常葉の子だけあって、皆常葉の仕草がどことなく遺伝してるわ」
「そうか。でもおまえが産んだ子なんだから、おまえの仕草も遺伝しているはずだろ」
「ん〜っ。どちらかと言うと常葉の仕草ばかり生活の中で出ているのよ」
「そうなんだ」
 と俺は千景の言葉に対して妙に納得してしまった。
 そのとき、俺達がいる部屋のところに本来ならこないはずの内大臣がやってきた。その姿を見て、俺と千景に緊張が走る。
 おかしい。何故内大臣がこんなところに……。
 俺はそう思いつつ起き上がると、それに合わせて内大臣が口を開いた。
「東宮様にご報告が」
「報告?報告なら主上にするものだろ」
「いえ。今回のことに関しては東宮様に報告するものなのです」
 俺に報告するもの?一体なんだ?
「申してみよ」
「は。惟隆様がご誕生になる前に決定していたことなのですが、何分こちら側も忙しくて報告が遅れてしまいました。実は再来月私の次女が東宮様の元へ入内することが決定したのでございます」
『な゛っ?!』
 その言葉に俺も千景も驚愕の声をあげた。
 俺のもとに内大臣の娘が入内するだと?!なんでそんなことが勝手に?!俺は千景しか認めてないんだぞ。
「どうしてそのことを早く言わない?!」
「申し訳ありません」
 と俺の怒りに対して内大臣は深々と言ったが、それだけで俺の怒りが収まるわけではなかった。
「申し訳にへちゃくれもあるか!!俺は認めないぞ!!俺の妻は藤壺の女御だけだ!!」
「しかし、もう既に決定してしまったことでございます。それに私の娘が入内した二ヵ月後には大納言の娘、その一週間後には中納言の娘も入内することになっておりまして……」
 なっ?!俺がいないところでそこまで決まっているのか?!なんて無礼な奴らだ!!
「ふざけるな!!俺は認めないからな!!たとえおまえらの娘がこの御所へ来ようとも俺は妻とは認めない!」
「そこをなんとか……」
「嫌だね。俺は最初から藤壺の女御のみしか妻として迎え入れるつもりはなかったんだから。それを知っているくせにおまえらは無視して勝手に決めたんだろ」
「それはそうですが、この世の慣わしでは東宮も帝も妻は大勢いなくてはならないのですぞ」
「慣わしがなんだ。別にいないくていい。藤壺の女御だけで十分だ」
 俺がそう言い切ると、内大臣ははぁっと大きく溜め息をついた。
「東宮様、もう子供ではないのですから世間の常識を弁えてもらいたいものですぞ」
「弁えていないのはおまえのほうだ。おまえは一人の女性を心底愛したことがないからそんなことを平気で言えるのだ。左大臣を見てみろ。あいつは大きい地位にいながら一人の女性しか愛していないのだぞ」
「それは別格でございますぞ。次の帝になる者妻は多くいなくてはなりません。そこのところを弁えてくだされ。では、私はこれで失礼します」
 と内大臣はそう言いきり、納得しきっていない俺達を残して部屋から去って行った。それと同時に傍にいた千景がぽろぽろと泣き出したのである。
「……酷い。幸せな時間にあんな辛いことを言うなんて」
「ああ。本当に酷い男だ。君を悲しめることしかできない愚か者だよ。でも安心して。たとえあいつの娘が入内してもおまえの元にしか通わないよ」
 俺は泣いている彼女を自分の元に引き寄せ、涙を接吻で拭い、髪を優しく撫でながら言うが、千景は泣き続けた。それを見て、部屋の隅で遊んでいた吉良と愛子が驚いて俺達の元に駆け寄ってきた。
「どうちたの?!ははどうちたの?!」
「いぢめられた?!」
「大丈夫だよ。お母様はちょっと悲しいんだよ」
「かなちい?おいでになったひとがいけないの?」
 と今にも泣きそうな表情で小首を傾げる愛子。俺は千景を撫でながら言った。
「そうだよ。あの人はね、お父様やお母様をいぢめる悪い人なんだよ。だから愛子たちもあの人の言うことを聞いちゃいけないよ」
「あいっ!!」
「ははを守るにょ!!」
 と元気よく返事をする愛子たち。その声を聞いて、千景は涙を拭い、無理に笑った。
「……ありがとう。お母様嬉しいわ」
「だってさ。二人ともお父様がいない間、お母様のことをしっかり守るんだよ」
『あいっ!!』
 と再び元気よく返事すると、二人は再び俺達の前で遊び始めた。しかし、そのとき千景は吐き気が伴った。
「うう……」
「大丈夫か?!」
「……大丈夫。ちょっと吐き気がするだけだから」
「また、物の怪がおまえに襲い掛かってきたのか?」
「分からない。でも吐き気と言っても気分だけだから大丈夫よ」
 と吐き気と戦いながらも俺に対してとびきりの笑顔を向けたのである。その行動に俺は胸を締め付けられた。

 それから月日が経ち、俺達の元に内大臣、大納言、中納言の娘が相次いで入内してきたが、俺はそんなもの知らん振りで相手にしなかった。俺は千景しか妻に認めない。つまりあいつらは形だけの側室なのだ。今日もそうだ。今日も俺は千景と千景が産み落とした子供達に会う為、千景達がいる藤壺に向かったが、俺は入内してきた奴らに対して嫌味のつもりでわざと奴らがいる部屋の前を通って行く事にした。
 まずは手始めにムカツク大納言の娘がいる梨壺と中納言に行くことにした。俺はそのことを千景の女房に言っておいた。そしてそのまま実行に移ったのである。俺は梨壺に行くと、女房達が声をあげ、中にいる姫は居住まいを正して俺が入ってくるの待ち構えているが、俺はその前を素通りするだけだった。
 あ。そうだ。ここにある梨の花を千景に持っていってあげよう。あいつは花が好きだからな。ちょうど梨の花も咲き頃だしな。
 俺はそう思い梨壺にUターンし、中にいる女房の一人を呼んで言った。
「あとでそこにある梨の木に咲く花を枝ごと切って藤壺に持ってきてくれ。もし命令に違反した場合、暇を与えるからな」
 と俺は脅しを交えて言うと、その女房は困り果てながらも返事をした。そしてその横にいた女房が口を開いて言った。
「東宮様。折角梨壺においでになったのですから、是非梨壺の女御様のお顔を拝見してくださいまし」
「悪いが、藤壺の女御以外の女御など見るつもりはない。俺は藤壺の女御以外の奴は妻として認めていないからな。今度からそこのところを弁えて発言せよ」
「……は…はい」
 とまるで幻滅したような返事をする女房。そのあと同じことを他の二人にもやって、それから愛しの藤壺に向かったのだった。藤壺の部屋に入ると、そこには裁縫をせっせとしている千景がいた。そして俺の存在に気づくと、裁縫を止めて俺に言った。
「いらっしゃい。今日はやけに遅かったわね」
「ああ。ちょっと手間がかかってな、時間がかかってしまったよ。ところで今縫っている服は俺の?」
「ええ。そろそろ衣替えの時期だから次の季節に合った服を常葉に渡そうと思って」
「ふぅん。これ凄く綺麗に染まっているけど、もしかして千景が染めたの?」
「うん。ちょっと張り切ってやってみたの」
「ダメじゃないか。おまえは俺の子を妊娠しているんだぞ。もしそんなことをして具合が悪くなったらどうするんだ」
 と俺は千景の両肩を掴み、きつめに言うと、千景は申し訳なさそうに言った。
「だって…常葉が喜ぶ顔見たかったんだもん」
「俺はおまえがこうして裁縫してくれるだけで十分だから、染物は八重とかに任せ、おまえは腹の中にいる子を守ってやるんだ」
「そうかな?」
「そうだよ。ちょうどこの時期が流産しやすいだろ。物の怪がおまえを狙っているんだから」
「あ。そっか。そうだよね。あたしが最初に身篭ったときもこの時期にやられたんだものね。
 ごめんなさい。今度からは気をつけてやらないようにするわ」
「そうしてくれ。そして俺に元気な子を見せてくれ」
「ええ」
 ととびきりの笑顔で返事をする千景。そのとき、俺の脳裏にある疑問が飛び込んできた。
 そーいえば、俺の立会いがあったときの子が生まれたとき物の怪に襲われた。だけど、初産のときは物の怪など襲われずすんなり生まれたって言っていた。でも、物の怪は俺の子供が生まれることを阻止しようとしているのになんで初産の時には阻止しようとしなかったんだ?
 ひょっとして千景が産み落とした双子は本当は俺の子ではないってことになるのか?いいや。それはないはずだ。千景にとって俺が最初の男になるわけだし、千景は俺しか愛さないって断言している。だから千景は密会しているわけでもない。会うとしても帥の宮と千景の兄だけだ。それ以外の男は俺が会わせないようにしているからあり得ない。それにそもそも俺が毎日訪れて四六時中傍にいるんだ。そんなことできるわけがない。でも何故初産の時には襲ってこなかったんだ?もしかしたら左大臣が何か隠しているのか?
 俺は頭の中に千景が産んだ子に対しての疑問がぐるぐると回っていた。そこで俺は千景がいる中八重に「明日東宮御所に参内しろ」と左大臣に言うように命じた。

 次の日。俺の伝言どおりに左大臣が俺の元に参内してきた。
「今日はどういうご用件でお呼びしたのでしょう?」
「左大臣にちと訊きたい事がある」
「と言いますと、内大臣達の娘の入内の件でしょうか?」
「いいや。千景の初産のことだ」
 俺がきっぱりと言うと、左大臣は驚愕した。
「何故今頃になって?」
「惟隆が生まれるとき千景は物の怪に襲われた。その物の怪は俺の子がこの世に生まれてくることを阻止しようとしていた。でも、初産の時には襲われなかったとおまえが言っていただろう。だから答えてくれ。本当に千景は初産のとき物の怪に襲われなかったのか?」
「何をおっしゃいますか。女御は物の怪に襲われておりませんぞ」
 と冷や汗をかきながら左大臣は言った。このとき俺は左大臣が何か隠していることを悟った。
「……そうか。なら千景は俺の子でない子を産み落としたわけだな」
「?!
 そんなわけないでしょう!!女御にとってあなたが最初の異性なのですぞ。だから女御はあなたの子を産んだのです!!」
「だったら物の怪に襲われているはずだ。襲われいなければ俺の子ではなく密会をした男の子だと考えてもおかしくない。
 だから本当のことを言ってくれ。本当に千景は物の怪に襲われていないのか?俺だって千景が産んだ子が俺の子だと信じたい。でも、こうなっては疑うざるを得ないんだ。答えてくれ、左大臣!!」
 俺が必死に言うと、左大臣は顔を少しそむけ、辛そうな表情で黙り込んだ。そしてしばらくして意を決したように重い口を開いた。
「……確かに東宮様の仰るとおり、女御の初産のとき物の怪は女御に襲いかかってまいりました。私達はそれを聞いてはお二人とも辛いと考えて隠しておりました。ですが、こうなっては本当のことを申し上げなければあなたも私もいい気がしないでしょう。
 ですから本当のことを申します。女御の初産時、物の怪が数体女御に襲ってきました。その物の怪たちは『東宮の子を産ませてはならぬ』と口々に言い出し、何度となく女御や傍にいた女房の体に憑依したりして阻止しようとしていました。そして何とか女御が頑張り、吉良様が生まれ、そのあとにもすんなり愛子様がお生まれになりました。それを見た物の怪達はいっせいに泣き崩れて消えてしまったのでございます」
 じゃあ、初産のときも千景は義母兄の物の怪に襲われたことになるのか。つまり、千景は俺の子を産み落としたことになるわけだ。やはり千景は俺を裏切ってはいないのだ。
「そうか。真実を言ってくれて感謝する。言ってくれなかったら俺は愛する千景を疑うところだった。
 ところでその物の怪は皐宮と名乗らなかったか?」
「そこまではたぶん言っては無かったと思います。何分こちらも必死でしたから……」
 と言葉を濁す左大臣。その左大臣に対して俺はこう言った。
「実はな、惟隆が産まれるときに皐宮の物の怪が襲ってきたのよ」
「ええ?!あの入水自殺をして亡くなった皐宮様のですか?!」
「そうだ。だから今回の出産のときも必ず襲い掛かってくるはずだ。今でも何度となく物の怪に襲われている。だから今からでも祈祷僧をここに配置してくれ」
「分かりました。直ちに配置させるように命じましょう。まさか皐宮の霊がこの世にまだ残っているとは……。しかし今回は皐宮様だけではないと思いますぞ」
「それは一体どういうことだ?」
「今回相次いで内大臣、大納言、中納言の娘が入内したでしょう。ということは向こう側からしても今回の女御の皇子様の出産は成功して欲しくなく、自分の娘に身篭ってて欲しいはずです。皐宮様と同様に何かしら仕掛けてくると思いますぞ」
 そうか。そんなことちっとも頭の中にはかった。確かにあいつらは何かしら仕掛けてくるはずだ。ということは今回も大変な出産だと覚悟しなければならないな。
 俺はそう思い、次の日あたりに冬輝や薫、そして左大臣を呼び、念入りに計画を立てたのだった。その計画は千景が産気づくまで考えられた。そして本来ならやってはいけない東宮御所出産という形を取ることにした。
 そして千景は産気づき、用意された部屋に入るやいなや、俺たちが考えたとおり皐宮の怨霊と別の怨霊数体が千景に襲い掛かってきて、大難産になった。その出産は丸一日費やしても生まれず、一度は絶望と考えられたが、無事に元気な男の子供を産み落としたのだった。それから七日後その子は『彬』と名づけられた。そしてその儀式があった次の日には主上から譲位すると言われ、千景にも「そろそろ祝い事ついで譲位を承認したら」ということなので俺は主上の譲位の件を承諾したのだった。