第十一章 罪人

 

 月日が経ち、俺の正妻である千景は五人目の子供を身篭り、出産のため左大臣邸に里帰りした。愛すべき人がいなくなり、俺は淋しい思いをしたが、それは四ヵ月後になって寂しさから嬉しさに一転したのであった。

 千景が無事に俺の子を産んだのである。生まれてきた子は待望の女の子であった。それを聞いて俺より喜んだのは紅一点の愛子であった。俺に似て部屋中飛び跳ねて喜んでいた。そのおかげで、俺は喜びが表に出せなかった。
 その生まれてきた子は如月宮・響子と名づけられ、生後50日後、母親である千景と共に内裏に参内したのである。千景は俺がいる清涼殿に着くと、俺に生まれてきた子を俺に手渡した。
「この子が響子です」
 と嬉しそうに言うのだ。俺は響子の顔を覗くと、響子はくりくりとした無垢な瞳で俺をじっと見つめていた。そして、俺の人差し指をしっかりと握ったのである。
「凄いな。俺の指を強く持っているよ」
「父だと分かっているからよ」
「あ〜〜〜」
 っと響子は声をあげて喜んだ。そこに愛子がちょろちょろと俺達の周りを走り回る。ようは早く自分にも抱かせろと言うのだ。
「お父様ぁ。愛子も!愛子もぉ!!」
 と駄々をこねる。逆に男性陣は母親である千景に甘えたがっていた。
「愛子。もう少し我慢なさい。この子はお父様との子なんだから、お父様だって思う存分お抱きになりたいはずだからね」
 と千景は愛子に厳しくも優しく言った。すると、愛子は少々むくれながらも黙って頷いたのである。その代わり、愛子はすすすすっと千景に近づき抱きついた。
「じゃあ、しばらくお母様で我慢するぅ」
「あ〜!!愛子ずるい!!僕だって我慢してたのに!」
 と男性陣は騒ぎ始めた。
 ったく、母親を奪い合ってどうするんだか……。
 俺は仕方がなく愛子に響子を抱かせてあげることにした。
「愛子。ほら、待望の妹だぞ」
 と俺は愛子に響子を渡すと、愛子は待ってましたと言わんばかりに響子を抱き上げあやそうとした。しかし―――
「う〜〜〜…」
 べちっ
 と響子はいきなり愛子の顔に手を当てたのである。予想外の行動に愛子の目は点である。そして、千景はその光景を微笑して見つめていた。
「あらあら。愛子。響子はおねんねしたいんですって」
「え〜〜?!愛子まだあやしてないよぉ〜?」
 と愛子は頬を膨らませたのである。
「響子もまだ眠くないよね?」
「愛子。赤ちゃんはね、いっぱい寝てすくすく大きくなっていくのよ。愛子が赤ちゃんだったときもそうだったんだから」
 そう千景が言っているうちに、響子は愛子の腕の中ですやすやと眠っていた。
「あ〜〜っ!響子、寝ちゃった。可愛いねぇ」
 とさっきまでのむくれていたのがどこへ行ったのやら。自分の腕の中で眠る響子に愛子は表情を緩ませた。
 そして、今日は久々に帰ってきたので、俺は千景を自分の部屋には戻らせずに清涼殿にいるよう言い渡し、子供達は女房達に任せた。
「常葉……!!」
 誰もいなくなり、千景は俺に思いっきり抱きついた。俺もまた千景を窒息させそうなぐらい強く抱いた。
「大仕事ご苦労様。おまえのおかげでこんなにも可愛い子が産まれたよ。これで俺も一安心だよ」
「よかった………」
 と千景も安堵の溜め息を洩らしたのである。そして、千景は俺に接吻をしてきたのである。
「好き……」
「ああ。俺も好きだよ……」
 そう言って、それから俺達は夜の世界に誘ったのである。

 それから一週間して俺はよりにもよって物忌みに引っかかってしまった。俺は完全に清涼殿に箱詰め状態にされ、愛しの千景の元にも子供達の元にも行けなくなってしまった。しかも、その物忌みの期間は約三ヶ月ときた(物忌みは長いときもあるし、短いときもあります)。俺は淋しい思いをしまくったが、そんなとき千景が女童を遣わせて文を送ってきたのである。それだけで俺の淋しい心は少しだけ和んだ。しかし、あと一週間で物忌みが終るというところで突然千景から文がぴたっと来なくなってしまったのである。突然の出来事に俺は少々不安を感じた。それが現実になるとは思いもよらなかった……。
 物忌みが終わり、俺は朝の行事を済ませると、すぐさま千景のいる部屋に向かった。
「千景!!」
 俺は勢いよく入ると、そこは物々しい雰囲気が漂っていた。そして、奥には脇息に寄りかかり、俺を見ようとしない千景がいた。
「………千景?」
 俺は千景にゆっくり近づき肩にそっと触れた。すると、千景ははっと俺の方を見るが、すぐに涙目に変わり、伏せて泣き始めてしまったのである。
「千景……。どうした?何があった?」
 俺は千景の体を自分の元に引き寄せ、優しく抱いたが、千景は俺の体を振り払い、脇息に伏せて泣き続けた。
「……ごめんなさい」
 と千景は急に謝りだした。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。あたし……もうあなたを愛す資格は…ない…の……」
 は?
「どういうことだよ?!」
 俺は千景の言葉に納得がいかず、千景に責めた。
「……ごめんなさい。何百回言っても謝りきれない……。でも……」
「でもじゃない。どうして俺に謝る?おまえは俺に何か悪いことをしたのか?」
「お願い……そこは聞かないで……」
 と懇願する千景。俺は益々納得がいかなくなった。
「千景……本当のことを言ってくれ。俺は怒りはしないから」
「怒りはしなくてあなたの心は圧し潰れてしまうわ……。お願い。何も聞かず今日からあたしを愛さないで……」
 俺はその言葉に大きなショックを受けた。自分の愛すべき人からまさかそんな言葉をふっかけられるとは思いもよらなかった。
「千景。そんなことを言わないでくれ。俺はおまえがどんなことをしようがずっと愛しつづけるよ。だから本当のことを言って…。黙っていられた方がよっぽど辛いから…」
 俺はそう言って千景を抱きしめた。
 すると、千景は涙を流しながら、意を決したように俺から離れ、俺の手をしっかりと握り、俯いたまま言った。
「……あたし。あなたが物忌みの間……帥の宮様と契ったの……」
 その言葉に俺はさっきより大きなショックを受けた。
 俺が物忌みの間、信頼している二人が不倫して契ったというのか……。
「何故……?」
「そこのところは私がご説明致します」
 と千景の代わりに傍に控えていた恵式部が言った。
「申し訳ございません。私が帥の宮様をお通したばっかりに……。帥の宮様が突然密会皇后様と密会させて欲しいと申されまして……。あまりにも熱心に仰ってきたので私どもの心は揺れまして、せめて一目ならいいと思いまして物忌みが終る前に夜、そっとお見せさせたのでございます。
 そしたら、急に帥の宮様は私どもを振り払って皇后様のご寝所に入っていきましてそのまま……」
「つまり、帥の宮は自分の欲望を制御できないまま千景を襲い、契ったというわけだな。いつ契った?」
「今から二ヵ月半前でございます」
「それなのにおまえ達がついていながらなんてことを……」
「申し訳ございません。何度もお止めしたのですが、私たちでは帥の宮様をお止めきれず、このような失態になってしまいました。お暇を頂く覚悟はできています。
 ですから、皇后様をお責めなさるのはなにとぞ……」
「よい。千景は悪くないのは分かっている。あんなに俺のことを愛してくれた千景が突然理由を言わず俺を突き飛ばすわけがない。それなりに理由があったのだろう。
 おまえ達にも暇は与えん。千景の信頼している者達だ。このことは他の者には言ってはならんぞ」
『………はい』
「ではさがれ。二人だけでいたい」
 そう言うと、女房達は無言で一礼をし、さがっていった。
「……常葉。どうして?あたしはあなたを裏切ったのよ。あなたが物忌みで清涼殿で缶詰状態のときあたしは……」
「帥の宮と契ってもおまえは俺のことを好いてくれているんだろう」
「好きよ……。でもあたしは裏切ったの。これ以上あなたを愛す資格なんて……」
「資格なんてどうでもいい。愛してくれれば……」
 そう言って俺は千景を抱きしめた。そのとき千景の両手首の痣に気がついた。
「これは…帥の宮にやられたものか?」
「一応抵抗したんだけど……。男の人は力が強くて……そのまま」
「それだけで十分だよ。もう謝らなくていいから…」
 と俺がそう言ったそのとき、千景は急に吐き気に襲われた。
「けほ…けほけほ……」
 ま…まさか……千景の腹には……。
「大丈夫か?」
 俺は戸惑いながら千景の背中を擦りながら尋ねた。千景の方は幸い気分だけのようだ」
「千景…。もしかして……おまえの腹には子が宿っているのか?」
「…分からない。でも、この気分はつわりに似てるわ」
「……そうか」
 と微妙な雰囲気になってしまった。それからすぐに薬師に頼み、診察させた。そして、それと同時に陰陽師に頼み、帥の宮の子供はどうなのか星占いさせたのである。それから一週間して千景は子を宿していることが発覚した。公達は喜んだが、俺と千景、千景付きの女房は素直に喜べなかった。それから帥の宮の星占いの結果は高位の女性から男と女が同じ日に生まれる以外生まれないそうだ。つまり、その高位の女性というのは千景を指しているということだ。しかも、よりにもよって双子とは……。
 俺は清涼殿に帥の宮を呼び出し、他の公達は全てさがらせた。
「兄上……」
 と帥の宮は困惑しながらも俺に視線を合わせようとはしなかった。
「帥の宮……。おまえ俺に言うことがあるんじゃないのか?そう…。例えば皇后と契ったということとかな……」
 と俺が意味ありげに言うと、帥の宮ははっとなり、俺を凝視した。
「な…何故それを……」
「ということは、本当なんだな。つまり今回の父は……」
「……はい。私です」
 とついに帥の宮は観念したのである。
「何故俺の妻に手を出した?
 人妻だとそれに自分は見守るだけだと言ったじゃないか」
「僕も最初は手を出さないつもりでずっと見守りつづけようと思いました!
 でも…この間の物忌みのときの物寂しそうな表情が僕の理性を吹き飛ばしてしまって…。それで……」
「無我夢中で皇后を襲ったというわけか……」
「………はい」
「分かった…。今回の件は俺達だけで隠しておこう。だが、おまえの子は俺の子として育てる。いいな」
 そう言うと、帥の宮は少々納得いかなそうに頷いたのだった。