ロングタイム・コンパニオン(Longtime Companion)
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1990年 アメリカ映画
監督:Norman René
主演:Campbell Scott,Stephen Caffrey,
Mary-Louise Parker,Bruce Davison |
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この映画は、あるゲイの友人グループの一年のうちの一日に起きたことを描いていきます。
1981年7月3日
新種の癌がゲイの間ではやっていることを報じる新聞。原因は不明。それでもゲイの間ではそんなに深刻にはとらえられていなく、自分たちには関係ない病であると思っている。幸せで陽気なゲイの生活。
1982年4月30日
友人の一人が重い肺炎にかかり病院にいる。その友人を心配して病院に駆けつけた友人たちの不安。もしかしたらエイズかもしれない。自分たちに関係のないものだと思っていたものが、急に自分たちの人生に侵入してくる。
1983年6月17日
エイズはますます拡大を続けるが、感染した人間はセックスと麻薬に溺れたせいだと思っている人。そうではなく、病気の原因はウイルスであるという人。もはや人ごとではなくなってきた人々の漠然とした不安。
1984年9月7日
エイズは拡大を続け、また一人友人グループの中から感染者が出てくる。その友人から感染するのではないかと不安を抱える友人もいる。
1985年3月22日
感染した友人の生活。この頃から、薬によって病状をある程度までコントロールできるようになってきている。しかし、脳に障害が現れている。別の感染者は、エイズを理由に仕事を解雇され、それに対して何の文句も言えない。ゲイ達は自分がエイズにかかっているのか、いつ発症するのか不安の中に生活している。
1986年1月4日
感染した友人の死。死亡記事を載せるにも最後の日々を恋人に支えられたとは書けない。ここで、ゲイであるということを暗に指し示す言葉が、ロングタイム・コンパニオンという言葉である。(このシーンでわかるのは、エイスの患者は死んでなお差別を受け、葬儀屋にも断られたという事実である)
1987年5月16日
感染した友人を看病した恋人もエイズに倒れ、友人達は彼のために追悼式を営む。
1988年9月10日
残された友人達は、ボランティア活動に身を投じ、エイズを抱えた人々は病気とだけではなく、差別や偏見と闘っている。
1989年7月19日
この部分は、決意表明であり、エイズと闘い死んでいった人たちへの賞賛と、哀悼である。
この映画が制作されたのが1990年。今では延命方法が確立され、エイズで死亡する人は減ってきているけれど、今見ても胸が痛くなる。自分の友人がばたばたと死んでいく。しかも病気と闘うだけでなく、差別や偏見とも闘わなくてはいけない。自分も感染しているかもしれないという不安。いつ発症するのかという不安。その中で連帯し、エイズ患者を支え、差別や偏見と闘ったアメリカのゲイ。その姿を見るだけでもこの映画の価値はあると思う。この映画で描かれているエイズ患者には友人がいて、恋人がいて。でも、中には、そんな人たちも周りにいなくて孤独のうちに死んでいった人たちもいる(それは昔新聞で読んだことがあります)。そんなすべてのエイズで死んでいった人たちへの、想いがこの映画には溢れています。特にラストシーンに。
きっと痛みを知っている人は、他の人に優しくなれるんでしょうね。この映画は、誰かのことを非難しようとはしていない。ただ淡々とこのようなことが起きた、と言っているだけ。人間の弱さをそのまま弱さとして肯定している。差別や偏見を持つ人たちも登場しますが、その人を非難したりはしない。ただ、自分たちが生き残るためには、声を上げて理解を求めなければいけないと。権利を勝ち取ることが、生き残るために必要だった、ただそれだけ。ただ一つ、『ロングタイム・コンパニオン』というタイトルだけが、世間の無理解への怒りなのかもしれない。前にも書いたように、この当時新聞は、ゲイという言葉を使うことすらいやがったそうです。エイズで死んだ人の死亡記事に、エイズ患者を最後まで支えた恋人を「恋人」ではなく「ロングタイム・コンパニオン」と表現しなければいけなかった。差別や偏見が、何の解決にもつながらないことを教えてくれます。
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