夢を見た。

紅い、赤いアカイ夢。

それは咲き誇る薔薇のようでもあり

丸く熟れたトマトのようでもあって

そうそれは水溜りのようでもあった


俺は。

ソレが何かを知っている


ガァン!!!


7年前のあの日から――








「どんな夢だ」

 暗い天井を見上げて。誰だ夢が深層願望とかいったやつはそうだとしたら俺はまさに人類失格にも程がある。終わり<死>を悲しめない人間失格。ならば人殺しを望む人類失格、戯言では違ったなぁ、とか微妙に無意味な現実逃避。
 というかなんだ最後の銃声は。俺にはまったく覚えがないし、別に誰かが銃で誰かを殺しただの自殺しただのなんて事もない。剣で自殺未遂はしたが。

 最近、夢はまともだったというのに。

 はぁ、とひとつため息を吐いて。そしてようやく背中が痛いのに気がついた。
 フローリングの硬い地面。冷たい。っていうか寒。思わず俺の上にかかる布団を掴んでぐるりと回って蓑虫完成。
 春も中ごろだというのに、ここは相変わらずの寒さでついでに道端の雪も一向に溶ける気配無く。

 どうも、ベットを転がり落ちて、それで目が覚めたらしい。夢のことを思い出すと――やばい吐きそうだ。ということで下らないというか精神衛生上危険な夢は即デスクトップからゴミ箱へそしてゴミ箱からも削除して完全削除。
 なんて便利なことが出来ないのが人間という生物で。

「あー…気持ち悪ぅ」

 ただでさえ赤は苦手な色だというのに、と思い返したら更なる吐き気。

 一回全部吐き出したほうが楽っぽいな…

 思いながら、立ち上がろうとして、うげ、これはあれかそう骨折、そして治療中なのに包帯あれど添え木ない、みたいなっ。要するに立てない気持ち悪くて。というか丸まったから余計出難い主にこの布団のぬくぬくの魅力に負けそうで。  とか馬鹿言ってる場合じゃない、まさかここで吐き出すわけにも行かないし、さてどうしたものか。

魔法でもあれば。テレポートなり癒しの術なりで即時解決できるのに。


 まぁ、そんなことはできるはずもない、つまりは無意味な思考だけれど、魔法でもあったなー、と。昔から思っていた。

 魔法。あまりに万能なその言葉。魔法というものは少なくとも俺の知る世間では幻想。夢物語に出てくるものでしかなく。
 故に多くの人々がそれに憧れてきた。憧れてきたからこそ、その様は幾千幾万無限の如き多様性を見せあらゆる奇跡を見せる。



あくまで――夢として。





 それでも幼き日の恥ずかしい記憶を漁れば、夜、ベットの中で呪文を呟いてみたりとかしていたりする。
 それが果たして魔法として体現したかどうかはまぁわからないにせよ、それでも俺は本でマンガでテレビで紡がれる詠唱を記憶し祈りを捧げるようにして毎晩ぶつぶつと呟いてみて何も起こらないことに毎度のようにため息を吐いてそして就寝する、という一歩間違えば電波君な時期もあったりしてこれはもう俺の一生ものの秘密。

 所詮俺は極普通の高校生でしかなく魔法など使えなかった、願った事、そう例えば広げた手のひらに炎を顕現、灼熱の業火を以って全てを――自分を含めて全てを、焼き尽くして欲しいと願ったところでそれが叶うことはなかった

 魔法で眠りにつこうとして、それすら叶わず、一時期は睡眠薬を使ってようやく眠れる、という始末。自分の力で眠るということすら、俺には出来なかった。眠ってしまえば――あの光景が、いやでも蘇るから。






それでも、幼き日の俺は魔法があったらいいなと思い、あって欲しいと願い、毎晩毎晩多種多様の呪文を唱えていた。

その想い、願い。今も変わってはいない。

そうすれば、そう例えば7年前にあゆをあんな目に合わせなくて済んだだろうし、

舞をひとりぼっちにしなくても良かっただろうし、

栞と香里をあそこまで苦しめずに済んだだろうし、

真琴も人間として産まれさせることができたんじゃないだろうか。

一弥くんを死なせづに済んだ。

秋子さんの事故を防げた。


 過ぎたる願いと知りながら。それがたとえ人知を超えた魔神の力であったとしても、それでも。






 ふと、思い出したのは――あれはそう舞と佐祐理さんの卒業記念に酒を飲んでこんなこっぱずかしい夢を語っちゃった事を思い出す。そもそもそれは幻想の遊戯のようなもので、今の状況そんなちょっとだけ昔の話など思い出している場合じゃぁない。ともすれば収縮そして胃の中のものを逆流させようとする胃をというか凡そ胃の辺りと排出口たる口を押さえてのろのろと。
 まぁ、なんとか、立ち上がれるくらいまでは回復、ごろんと転がり蓑虫解除。起き上がろうとして――ふと。





反転した視界。


ベランダに続く窓、すこしだけ開いた、カーテンの隙間。


ただ、朧に差し込むだけのソレは


何故か、きらきらと輝いているような気すらする。


そんな、蒼い、蒼い――月明かり。







 閉めたはずの窓が、ガラリと開く。
 ひゅぉぅ、と。カーテンを靡かせて、冷たい風が室内へ。
 冷たい風に乗るのは硝煙。
 そして、彼女は満面の笑みでそこにいた。

 ――って、ちょっと待て硝煙って何だ。そんで彼女が左手に持ってる黒光りするそれは、そして深海のような、深い藍が基調、はためきふんわり風に膨らむふりふりスカート、白いエプロンと純白フリルのカチューシャは。
 もしかして、もしかしなくても。




「佐祐理さん?」
「祐一さん、こんばんはーっ」




「――拳銃?そして、何故メイド服!?」
「気にしたらダメですよーっ」




 蘇る夢の記憶。ガァン、とかいう場違い銃声。頭がズキズキしてきた。
 だから、深く考えるのはやめて

「おやすみなさい永遠に。安らぎを求めてつかの間の眠りを貪りますのでどうか目覚めたら佐祐理さんは笑顔の素敵な普通の女子高生でいてください」
「ふぇ?佐祐理はもう大学生ですよ?」

 いいの気にしないで。あぁ、おやすみマム、いい夢見たいな。ベットに這い上がり枕に顔を埋めて。
 くだらない日常万歳。
 でも佐祐理さんのメイド服姿が見られてちょっぴり幸せ。



























「朝ー朝だよー。朝ごはん食べて学校行くよー」

 眠。目覚ましの定義から外れている気がしないでもない目覚ましでぼんやりと意識が覚醒。いや覚醒というか起動。
 どこからか吹く風は温いベットのありがたみを教えてくれる。このまま夜が来て、ずっと夜だったらいいのに。なんてふざけていても何も始まらず

「朝ー朝だよー以下略だよー」

 略かよ。略すのかよ。ともあれ睡魔の如き名雪の声を発する目覚しもとい睡眠機の停止ボタンを――

ふにゅ。

 ふにゅ?いつからスイッチ柔らかくなりましたか。ついでになんかさわり心地というか■み心地がいい。おぉ、目覚しお前いつのまにレベルアップを。ちゃららっちゃら〜。目覚しは快適(触り心地)目覚しへ進化した!

 んな馬鹿な。自己進化する目覚しって何だ。そんなのむしろこぇぇ。怖ぇよ。ってそうでもなくて。

ふにゅふにゅふにゅふにゅ
「ぁ、んっ――」

 しかし好奇心で止まらない俺の手には困ったもんだ。ところでこの悩ましげな声はどこかで聞いたことがあるような気がしたりとかなんだか酷くいい匂いするなとかそろそろ覚醒しよう俺の頭。さぁ、怖いけどばっちりぱっちり目を開けて。

「ゆ、ゆぅいちさん――」

 ばっちりぱっちり目を開けたら真っ赤な顔の佐祐理さん。何故俺のベットにいますか貴方。向かい合ってこれからどうすればいいかなど分かろうはずも無くとりあえず硬直。
 恥ずかしげに、佐祐理さんがもじもじと。いやそうされたってどうしろとこの状況で。
 潤んだ瞳に警報寸前言い訳無用の超至近距離で見つめられて、動けない動けますか動けるわけがありません!てな感じの三段活用!幻想壊すぜ!でも幻想<夢>ならむしろ覚めないで!

「いぃ、ですよ――?」

 心臓が止まったと思う。
 ふわ、と佐祐理さんの匂いが。なんで女の子って、こんないい匂いなんだろな、とかぼんやり思いつつ、潤んだ、こちらをまっすぐに見つめる瞳から、俺の視線を無理やり引っぺがす。

「ぇーっと。あの。その」

 ふらふらゆらゆら視線を移して意味の無いことを呟きながら。
 やばいやばいやばいやばいやばいやばい。主に理性と情欲が!いいって何がとか聞くと俺多分もう止まれないノンストップの暴走機関車。

――って、ちょっと待て。
 漂う視線のたどり着いた先何故か胸元。なんといいますか。貴女の素敵なその服装的に。まさかまさかの、

「夢じゃなかったぁ……」
「ふぇ?」

 二人一緒のベットの中で不思議そうに首をかしげる佐祐理さんは可愛かった。でも腰のホルスターの拳銃は見たくなかった。
 落ち着こう。まずは何よりもそれからだ。あぁ、そう。まず第一の疑問。

「――なんで、突然、佐祐理さんが、俺の部屋に、来たの?」
「――それは」



「朝ー朝だよー。モーニングコーヒーはちょっと速いよ年齢的にー」



 名雪後で覚悟しとけよ?
 あはははは、とか無意味に笑って目覚し止めると。
 す、と佐祐理さんは俺の胸に右手を這わせて。

「今日から祐一さんの身の回りのお世話をしたいんです」

 素敵な夢をありがとう。

 って本音を漏らしてる場合ではなくとりあえず、そうとりあえず秋子さんに相談しよう。あの完璧に尤も近い秋子さんならきっと!きっとでもちょっとどうにかしてほしくないっていうかむしろ身の回りのお世話をしてもらいたいお年頃。いや戯言だけど。










 トントントントン、と包丁の音はリズム良く。台所から聞こえてくるなんだか和やかな美女二人の会話をBGMに机に座ってそわそわと。
 そうだそうだそうだった。そもそもあの秋子さんだ。家の前を通りがかったそれだけのあゆを家へと招くあの秋子さんだ。一秒笑顔の即決了承ありがとう、って、そうでなく。
 はぁ、とため息を吐いてテーブルに置かれた珈琲を啜る。
 美味い、というか俺好み。豆はブラジル、フレンチローストと見た、なんて適当に推測してみる。いや、苦味のある俺好みの珈琲なのは確かだが。
 はぁ、とまたため息吐いて背もたれに背中を預けて。さっきの問答思い出す。いくら秋子さんといえど、いや秋子さんだからか、佐祐理さんにいくつかの質問をした。




何故。俺の身の回りの世話をするなどと言い出したのか。穏やかに微笑み、秋子さんが問う。
「祐一さんに喜んでもらうためですよーっ」

笑顔で彼女はそういった

何故。メイド?俺が聞くと、
「身の回りの世話をするのに尤も最適な服だからですよ?」

不思議そうに首をかしげて彼女は言った

何故。拳銃?続いての俺の質問に、
「さすがの佐祐理もピッキングなんてできませんからーっ」

無邪気に笑ってそう言って

では、本当は?貴女は何のために祐一さんを喜ばせようとするんですか?
「――」

秋子さんのその質問に、彼女は無言でうつむいた。







 考えたって、始まらない、か。俺の前にこんがり焼かれたトーストを置く佐祐理さん。ありがとうございます、言うと、やっぱり彼女はいつものように微笑んだ。
 まぁ、そんな感じで。奇妙な同居生活が始まった。




「ゆ、ゆーいちゆーいち!あれ何!?メイド!?なんで倉田先輩がメイド服でここにいるの!?せっかく虫除けに目覚し録音したのに!?」
 名雪、気にしたら終わりさ。それと後でちょっと裏庭行こうか。



























 まぁそんな感じの同居生活だが実際彼女が来て、俺含め水瀬家は大変に助かっている。
 彼女は大学生なので朝早く起きる必要は無いのだが、居候なのでせめて、と朝食とお弁当を受け持つようになった
 これにより朝早く起きるとリビングで机に突っ伏す寝ぼけた秋子さんなど大変貴重な物を目撃することが出来たりする。さすが親子というべきか。秋子さんも実は朝が弱い方だったらしい
そして貴重な物その2。メイド服の美少女がお辞儀で出迎えてくれる。照れるが俺も男だ萌え、いや、気分がいい。

 それはともかくお昼時。弁当を前に俺が腕を組んで悩んでいるのは他でもないこの弁当箱の中身のことだった。
 ついでに。何故俺はキョン口調でしゃべってなどいたのだろうか。うぅむ。謎だ。

「相沢、どうした?」

 食堂の椅子に腰掛けて。窓の外を見てみる。吹雪。吹雪だ。この春のうららかな陽気など一瞬でぶっとばす吹雪。どこが春だ。
 などとやっている内に、マイフレンド北川がランチを片手に帰ってきた。隣には香里。そして、俺の席の前には、やたらと嬉しそうに弁当箱を開封中の名雪。

「いや――なんでもない。あぁ、なんでもないさ」
「祐一、早く食べようよー」

 名雪が語尾に♪まーくでもつけたくなるほどふやけた笑顔で言う。お前は恥ずかしくないのか。
 そう、弁当箱作り手が同じなのだから、当然中身も。そうつまり。名雪と弁当の中身が“同じ”になってくる。
 さて人間とは過去を比較して生きていく生物だ。秋子さんが弁当を作らないことを知っている、それ即ちこの弁当を誰が作ったのか、という話になってくるわけで。

 当然佐祐理さんが同居中など口が裂けてもいえないし

「速く食べないと冷めるわよ?」
「あぁ、そうだな」

 まぁ。今までは踊り場で一人寂しく食べていて真実も虚偽も隠してきたわけだがさすがに一枚きりのドアの向こう、吹雪が吹き荒れる中たったひとりで弁当つつくほど我慢強くなどは無い。人間、諦めが肝心だ

 佐祐理さんが同居中と。もう白状してしまおう。んで、彼氏ってことになってやる。いいんだ。きっと吹雪がやみ次第裏庭あたりに呼び出されるだろうがそこはそれもういっそ舞あたりを召集して危機を脱すれば――
 パカ、と名雪が弁当箱を開いた。

 色とりどりの、可愛らしい中身。そしてしっかりと苺も完備。ふりかけやらで、ご飯の上にねこの絵が―――うん?

 パカ、と俺も弁当の中身を開いてみる。目の前では名雪が大きく口を開き何か宣言しようとしているのだがちょっと待てな?待たんと殴るぞこのイチゴ娘が

 そして開かれた弁当箱の中身は。ゴハン。から揚げ。キャベツ。ハンバーグ。そしてサラダという。なんていうか、肉メイン。ここ最近いつもどおりの、男向け、とでもいうのか、そんな弁当。もちろん佐祐理さんお手製だけあり栄養バランスばっちり、ついでにメニューやレシピが毎度違って飽きが来ない、うぅむさすがだ。

「―――ぇ?」

 名雪が呆けた声を上げる。あぁ恐らく名雪はお揃いの弁当と思っていたんだろう、佐祐理さん、やっぱりさすがだ。
 ひょい、と香里が俺の肩越しに弁当箱を覗き込む。髪が頬に触れて一瞬ドキリとしたのは秘密

「あ、やっぱり」
「やっぱり?」

 北川が疑問符と共に首をかしげる。俺も内心で首をかしげる

「最近お昼時相沢君が逃げ出してたから――突然名雪が弁当になったでしょ?そこから導き出される答え、それは」
「それは?」

 ごくり、と北川が喉を鳴らす。というかあれだこれだけ弁当の中身が違うのにこの学年主席は何故この弁当を――



「花嫁花婿修行の一環として、秋子さんにお弁当を作るように言われたんだわ!」



ざっぱーんと学年主席の背後に荒波が。



「――は、花婿修行?」
「そうよ!今は男だって料理を作れなきゃダメ、ダメなのよ魅力0!」

 そ。



「そーなんだよな、ばれちゃったか、あー、男が料理作れるのってさ、なんか妙に恥ずかしくて、しかも弁当だぜ?。お手製弁当さらに誰かのためじゃなく自分のため、ってもう空しっそして恥ずかしーっ。いやマジでさ、あーあー、さすが香里だよな、うん。まぁちょっと違うところがあるとすれば、これ秋子さんに言われたわけじゃなくて自主的だったりするんだけどな。ほら、秋子さんって仕事もしてるだろ?それなのに、毎晩お風呂沸かしたり洗濯掃除家事全般全部受け持ってくれてる、これって凄いだろ?だから何か手伝いたい、って思ってさ。家事を一気に受け持つのは無理だと思う。だけど、せめて弁当くらい作ってあげたいなーって思ったわけで。だけどほら、俺の弁当なんてなんか味気ないって言うか彩りかけてるだろ?だから秋子さんの弁当と自分の分を作ってもらうために名雪も起こしてるんだけど、やっぱ大変なんだよな、朝早く名雪を起こすの。でもさ、名雪も秋子さんのためだからってがんばってて、俺もせめて自分の分は作るようにしたんだよ。毎日のお昼代って実は結構金かかるだろ? 今までは親から送られてくる小遣いを親からの食費代、って渡してたんだけどな、秋子さんは受け取るのだいぶ渋ってたし、いらないって言ったんですけれど、とか言ってたけどやっぱりさ、それくらいしてあげたいって思ってさ。勿論も今でも渡してるんだけどな。まぁ、そんなわけで俺が朝早く名雪を起こすのに力尽きるまで弁当が続くけど、あれだ、やっぱ恥ずかしいしさ、変に騒いだりしないでくれな?」



 戯言遣いと呼んでくれ。
 んなにはともあれ、その手があったーーーーーーーーーーーーっ!
 ぽむ、と香里が俺の肩に手を置いて。

「えらい、偉いわ相沢君っ」

 抱きしめられた。かおりん、結構胸あるな。なんていうかラッキー。凄い幸せかも俺。ちょっと罪悪感はあるけれど

「ち、違うよっ、これは私が祐一に作ってあげた弁当だよ!」

 その手もあった!?固まる俺。だがしかし、香里は俺の身体に回した腕をゆっくりと解き、くるりと優雅に踵を返して名雪を見、冷笑とも取れる、ただぞくりとするほどの色気を備えた微笑を浮かべて

「名雪、それはありえないのよ。だって――」

だって?
一同の視線が香里に集中。その中で。圧倒的な自信を以って、彼女は口を開く。

「だって――相沢君のお弁当には!苺も猫もないんだから!」

 ピシャァァ、と雷。いや真面目に窓の向こうで雷が。そして、ブツン、と停電。きゃぁぁ、と女子の悲鳴が上がる。なんか周囲の女子が一斉に俺に抱きついてきたのは何故だろう。嬉しいけど。その雷が鳴り続く暗闇の中。名雪が倒れ、香里が勝利の笑みを。そして元の吹雪に戻る窓の外。どうなってるんだ。

 電気が点り、食堂が光に満たされる。

「――ってみんなどさくさにまみれて相沢君に抱きつくのは止めなさいっ!」

 かおりん激怒。開けてびっくり玉手箱。抱きつく女子は数十名。すげぇ。なんだこれハーレムか。
 心なししょんぼりしながら離れていく女子達にちょっと名残惜しさを感じつつ。北川含む男子の視線が痛いのは気のせいってことで

花婿修行、ね

 まぁうんなんていうか。帰ったら佐祐理さんに料理を教えてもらおう。



























 トントントントン、と。包丁の音はリズム良く、なんてことはありえなかった。トン、トン、トン、トン、とまぁそんなスローペースで。
 ブレザーとセーターを脱いで、ワイシャツの上にエプロン姿。正直恥ずいが何事も形からですよ、とそう笑顔で言われたら反抗の仕様が無い。だって彼女は俺よりももっと「形から」入り込んでいるわけで。

 何はともあれ、にんじんジャガイモ玉ねぎさん。ざっくりざくざく斬っちゃって、お鍋の中でー、あちっちー。ってことで今宵の夕食はシンプルにカレー。最初から難しい物を作ったところで出来るはず無い、と確信していたので、もう誰でも作れそうなカレーで基礎練習。当然、材料は失敗してもいいように多めに帰宅途中に買ってきた。嘘は真実を織り交ぜるからこそ真実味を帯びる、食費を小遣いから出していたのは実は本当の話だったり。まぁどうでもいい話だけれど


 しかし。


 人に見られながら、というのはどうにもやっぱり恥ずかしい。口に出したりはしないが。こちらは料理を教えてもらっている身なのだし。

「多少は料理の経験があるんですか?」
「ん?いやまぁ、手伝い程度だけどな」

 お上手ですよ、と微笑みかけてくる相変わらずメイド服姿の佐祐理さんにちょっと赤面。あれだ。例えば髪から漂うシャンプーの香りとか。触れ合うほど近い佐祐理さんとの距離とかで、平凡な男子生徒たる俺はドギマギしてしまう。
 これがあゆやら真琴やら名雪あたりだとまったくなんとも思わないだろうが、そこはそれ、昔の馴染みとでも言うか、ガキのおも――自己判断により略。

 まぁそんなこんなで調理実習。佐祐理さんは一人分あるかないかというぐらいの材料で作り、佐祐理さんの指示を受けながらそれを真似る。
 じゃがいもの芽を取り皮むき一口サイズの大きさに。アドバイスを受けながら野菜をいためてお肉を入れて火を通し。

 で、問題となる味付け

 これはもう経験しかないし作り手の好みにも左右される難関。慣れれば適当でできるらしいが手伝いレベルしか出来ない俺がそんな素敵料理スキルを持っているはずなど無く、今回は大人しく佐祐理さんにやってもらって――

 ぐつぐつコトコト。カレールーをかき混ぜている俺がいる。じっくりコトコト煮込むほど、カレーはおいしくなるとの事でさっきから頃合を見てぐるぐると。若干、ではなくカレーの量が多いのはまぁご愛嬌。

 何の変哲も無いカレー。だが手伝ってもらったとはいえ自分で作ったもの、なんとなく愛着というか。むしろこのいい香りをかぎながら思いのまま食べまくっ―――ちゃ、ダメだけど。
 まぁ、しばしの我慢。もうすぐ夕飯、それまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせながら味見。い、いや、まだ1回目だぞ?
 だからまぁなんていうか視線ちょっと愛しげに愛込めて。おたまで小皿にルーを移して、一口。

――――。

 いや、まぢで?
 もう一回味見をしたい衝動に駆られつつ、果たして本当にこれ俺が作った物だろうか。いや、味付けは佐祐理さんだから佐祐理さんが作った、んだろう
 それにしても――ありえないくらい美味しかった。なんていうか秋子さんレベル。なんだなんだ二人は実は世界の料理コンテストで同着一位でも取っていませんか?ってそんなレベルに。まぁ、甘めのカレーなので、俺の好みとは、ちょっと違うけど、それにしても。

「美味しいですか?」
「っていうか、美味すぎ」

 あははーっと笑う彼女の声は何故か背後から。
 あれ?さっきまで隣にいなかったっけ、とか思う間に、ぎゅっと
 背後から、抱きしめられた

―――はぁ?ちょっとまって状況が理解できないって言うか唐突過ぎて



「祐一さんは、魔法使いですよ」



――それでも、俺は魔法があったらいいなと思う――




 ま、まだ覚えてましたかそんなことっ!?
 というか背中に当たる柔らかな二つのふくらみがっがっ。

「だって。あれだけの奇跡が起きている――祐一さんが魔法使いでなければ、天使様ですか?神様、ですか――?」

 それは。
 冗談です、とそう言って。佐祐理さんはいつもの笑顔で俺から離れた。


 あれだけの奇跡、ね。


 けれどなぁ、佐祐理さん。俺は、魔法使いなんかじゃないさ。

 もしもソレに相応しい人がいるとするならば。

 それは、俺じゃないよ



























 いっただきまーす、と元気良く。あゆと真琴、名雪と舞とが笑顔で言った。おい待て貴様等いつ此処に来た。
 まぁ、それでも。心底おいしそうに食べているこいつらを見れば、まぁいっか、と思えるけれど。

「美味いか?」
「うんっ」

 異口同音。満面の笑みで頷いた。
 カレーってやっぱこういうものだ。たくさん作って、みんなで食べる。良き哉良き哉。


祐一さんは、魔法使いですよ



 だって言うのに、彼女の声が、頭から離れない。カレーを一口、食べてみても、それはさっきほどの味がしなくて、というよりも――このカレー、味がするんだろうか。それすら良く分からない。
 だけど、俺は。

「美味いさすが俺の手作りカレーッ!俺天才!?」

 嘘つきだから。嘘を吐く。

 びし、と名雪とあゆとが固まった。そして直後二人がダッシュトイレのほうへ。お前らさっき美味いとかいっただろ。
 で、疑問なのは目の前のお二方。視線を向けると、意味を察したか、真琴が行儀悪く肘を立て、スプーンをふりふり振って

「だって、あたしは一度食べてるからね」

 ふふん、と笑って自慢げに。お行儀が悪いですよ、真琴ちゃん、と秋子さんに言われあぅと呻いて肘を引っ込めた。
 あぁ、そうか、と思い出すのはいつかの夜食。そういえば焼きそば作ってやったことがあったような、無かったような。
 舞は?と視線を移すと黙々と食べていたスプーンをとめて。

「味付けが、佐祐理。でも野菜とお肉の切り方が大雑把、それと煮込みがもう少し足りないから多分佐祐理が味付け担当、その他が祐一担当」

 まいまい、胸を張っての、断言。外れてないのがむしろ怖い。さすが親友、とかいうレベルじゃないような気が?

「でも――美味しい。だからおかわり」

 ほんのりと頬を朱に染めて。米粒一つないお皿を俺に渡す舞。あ、真琴もーっ!、とそう元気良く、真琴が米粒が所々残ったお皿を突き出してくる。
 そんな二人に苦笑しながら、立ち上がる。

「では、佐祐理も一緒に」

 そして、食事中終止笑顔で――いただきます、それ以外には何も話さなかった彼女が言った。
 一瞬笑顔が崩れそうになり、けれど持ち直す。

「あらあら、佐祐理ちゃん、いいんですよ」

 そう言って、頬に手を当てるいつものポーズを取り、私もおかわり、したいですしね、そう微笑んで、秋子さんが立ち上がる。
 立ち上がりかけた佐祐理さんに、おかわりはいりますか?そう笑顔で問いかけながら。しぶしぶ、といった感じで佐祐理さんは首を振る。そうですか、食べすぎもよくないですしね、と秋子さんはそう言って。

「さぁ、いきましょうか、祐一さん」

 穏やかに、柔らかく微笑んだ。










 佐祐理さんが作った分は、やっぱり一人分ぎりぎりしかなく、小さなお鍋は空っぽで、俺の鍋と比るとさらに量の多さが際立つというか。
 なにはともあれ、やっぱりもう一度見てみても作りすぎちゃった感のあるカレーを、ほかほかと湯気を立てるご飯の上にかけていく。
 唯それだけの単調な作業。手渡される皿、カレーをかける、それを返して、次の皿を受け取って。
 会話はなく。いやただ多分。秋子さんは俺が言い出すのを待っているのだろう

「秋子さん」

 そ知らぬふりをすることも出来る。秋子さんはあらゆる意味で大人の女性だ、そうすれば何も聞かずにそっとしておいてくれるだろう。
 自惚れではなく、絶対の、信頼を寄せてくれているから。
 でもなければ、そもそも眠る娘の部屋に男が入るということを許さないだろう。彼女は母親で、多少ならず、名雪に甘い。甘いだけでは、勿論ないが。

 そして、それだけ信頼してくれているんだ。何があったか話さないのは、裏切りにも近しい。

「魔法使いって、いると思いますか?」
「――えぇ、いますよ」

 にっこりと。彼女は柔らかに微笑みそういった。
 魔法使いがいるかなんていう、馬鹿馬鹿しい質問に、戸惑いも疑問も不信も嘲りもなく、まっすぐに俺を見据え、いる、と答えた
 どうして、そう思うんですか?その人はどこですか?何故そんな自信があるんですか?魔法使いとはどんなものですか?何を聞こうとしたかは分からない。ただ俺が開いた口は、

「私の、目の前に」

 秋子さんのその言葉に、開かれ、言葉を奪われた

「魔法使い、あぁ、なるほど。魔法使いだから姿も消せる、はは、さすが魔法使い!ってことですか?」
「いいえ、魔法使いは姿を消したり出来ません」

 両腕を広げて、冗談を言えど、秋子さんはまっすぐに俺を見据えて

「魔法使いに出来るのは、ただ願いをかなえることだけですから」

 魔法使いというよりも、天使か神様みたいですね、と秋子さんは微笑んだ。
 よしてください、と力なく言って。苦笑したつもりではあったけれど、はたして苦笑になっていたか。
 次のお皿を受け取って、白いご飯の上にルーをかける。

「何も、あんな“奇跡”が続いたから、とそれだけの話ではないんですよ」

 じゃあ、どうして?視線を向けると、秋子さんはやっぱりいつものポーズで、いつもの微笑で


「その人が誰より優しかったから。その人を誰より信じて誰より頼り、その人を。――名雪たちが、誰より愛していたから」


ふ、と秋子さんは微笑んで


「否定することは簡単です、けれど――信じなければ、魔法使いだって魔法をつかえはしませんよ」


 参った。はぁ、とがっくり脱力する。理由はわからないにせよ、秋子さん――多分さっきのこと知っている。
 はい、と笑顔でお皿を手渡す秋子さんは、やっぱりいつもの笑顔。俺としてはもう、苦笑するしか他に無く。本当にもう、敵わない。

 最後の皿にルーをかけ、コンロ横に置かれた皿を取ってリビングに――行こうとして。

「あ、そうだ祐一さん」

 呼び止められる、何ですか?と振り返ると。
 左頬に手を添えて。悪戯っぽく微笑む秋子さんの右手に―――天使の人形が。
 ぴた、と。一瞬で、全身が凍りつく。

「久々にゲームセンターに行ってみたら、取れちゃいまして」

 はい、と秋子さんが俺の胸ポケットに人形を滑り込ませる。両手にお皿を持った俺には抗いようが無く、ただ――はぁ、とため息が漏れた

「あゆじゃあるまいし、さすがに俺はこんな人形<マスコット>をつけたりしませんよ?」
「それでもいいんですよ、ちょっとした、おまじないですから」
「御呪い、ですか」
「おまじない、です」

 さぁ、行きましょう?そう微笑んで秋子さんは先を行く。その背中に、声をかける。

「ひとつ、聞いていいですか?」
「はい?」

 くるり、と彼女はこちらを振り返る。穏やかな笑顔で。子を見守る母のような笑顔で。

「秋子さん、何者ですか?」

 冗談めかして、そう問いかけた。彼女は――それすら予想できていたかのように、

「企業秘密なんですけど――」

 悪戯っぽく微笑んで、

「実は、禁則事項です」

 年齢不詳の一児の母はにっこりと。見るもの全てを恋に落とす笑顔でそう言った。

 やっぱり、謎の多い人だった。ちょっと高鳴っちゃった胸は秘密。



























 うぐぅうぐぅ、と鳴くうぐぅを玄関まで送り

「うぐぅじゃないよっ!うぐぅ、でも、祐一君に負けたなんて――」

 どんよりオーラ全開のあゆ。襟首をずりずりと引っ張るのは真琴で、可笑しそうな笑いを抑え切れてない。ようするに。現在リビングの片隅で一人座り込んでいる名雪とあゆが面白いので製作は全て俺ということになっていた。
 提案者はかなり意外にも秋子さんと佐祐理さんで悪戯好きの真琴と俺が乗らないはずはなく舞いは唯、

「―――馬鹿ばっか」

 顔を真っ赤に肩を震わせてそう言った。どうやらツボにはまったらしい。

「んじゃま、気をつけて帰れよ?」
「うん、わかった」

 一同、玄関に集まって。あゆと真琴、舞を見送る。若干一名眠っているがいつものことだ。ついでにそれが誰かも言わずもがな
 靴を履いて、立ち上がったあゆはくるりとこちらを振り返り、にっこり微笑んで――ふゎ、と小さく欠伸した。

「あゆあゆは餓鬼ねぇ」
「子供じゃないよっ」

 けらけらと真琴が笑う。あゆが反論しようとするが、その瞳はやっぱりどこか眠そうで――大丈夫か?
 肩越しに、斜め後ろの秋子さんと目を合わせると、こくりと小さく頷いて電話の方へと向かって、

「あ、佐祐理が送りますので大丈夫ですよーっ」

 そう言って。佐祐理さんは玄関のドアを開ける。夜は更け、闇を玄関の明かりが照らし出し――門前に。黒い車が。

「お待ちしておりました、どうぞ」
「では、行ってきますねーっ」

――Allright、オーケー、落ち着け俺。だって佐祐理さんお嬢様だもんな、いつしたか分からない電話で黒塗りのベンツ、運転手つきでよんだって別にそうおかしくはないさ。

 バタン、と玄関の扉が閉じて、名雪が寝たまま階段を登っていく。

 って、そんなことはどうでもいい、さぁだから勇気を出せ俺隣むしろ廊下の隅でしょんぼり廊下の床にのの字を書いてる秋子さんを慰めるんだ。庶民!いいよね庶民お母さんの味!俺好きですよ秋子さんの料理!ベンツに乗ってみたいなんて思ってませんよ庶民は庶民らしく徒歩で!雪国ですよあんな動かしにくいただ無駄に高い車より自転車の方が速いですし!

「本当ですか?」

 どんよりいつかの名雪みたいなくらーいオーラの秋子さんを見るとやっぱ親子だ似てるなぁ、とか。
 いつもの癖でよしよし、とばかり頭をなでればひし、と抱きついてくる秋子さんは子供みたいで可愛かった。というかこの叔母は本当に年齢不詳。
 ぐずつく秋子さんの頭をなでながら、ふと見た玄関

 ちょこん、と置き忘れられたリュックがひとつ。

 茶色い、天使の羽がついたそのバックには、遠目に見づらいが――未だにあの人形がくっついていたりして。
 明日あたり、取りに来るだろう。なんとなく微笑ましくなり――ふと。秋子さんが眠っているのに気がついた。

―――そういえば。

 あゆじゃないけれど――と思った直後、ふぁぁ、と欠伸が。
 しょうがない、秋子さんをベットに寝かせて、今日は、速めに眠るとしよう

 秋子さんを抱きかかえて。幸いにも、ここは一階廊下。即ち秋子さんの部屋のすぐ近く。ドアを開け、秋子さんをベットに寝かしつける。
 途中、何度かふらついたが――秋子さんは泥のように眠るばかり。
 ともあれ秋子さんをベットに寝かせたんだ、あとは、自分だけ、だが、


異様、だった。



 廊下の壁に手をつきながら、階段を登る。登っているはずなのに、降りているような、まっすぐなはずなのに、ぐにゃぐにゃと捻じ曲がる階段を。

 なんだ、これ

 膝が震える。ともすれば、意識を闇の中へと手放してしまいそう。

 なんか、やば、病気、かな。俺

 昔――これと似たようなことがあった気がする、けれど思考が回らない、思い出すことが、できない。
 或いは、あの奇跡達。それらが実は知らず俺が起こした魔法で。その代償が来ている、とか?
 そんなはずがあるわけは無い。けれどそうだとしたら、俺は、きっと、死すらも受け入れ――――



























 気づけば天井を見上げていた。
 暗い天井。あれ?いつから夜になったんだ―――?
 いや、元々夜だったはずだ、何で、何でだっけ、あれ、ちょっとまて、俺は夕飯、うん、食べた、つまり、夜は、夜に――?

 記憶が、酷く曖昧だった。
 起き上がろうとすると――眩暈がする。耐え切れず、ベットに倒れこんだところで――ガチャリ、と部屋のドアが開いた。

「真琴か?悪いけど今は悪戯に付き合ってやれる余裕が――」

――あれ?真琴は、美汐の家に引き取られた、はず。あぁ、だから泊まりに――いや、そんなはずはない、思い出してきた、あゆを舞を真琴を俺は見送って、佐祐理さんが送り届けた、そして――

「ふぇ、祐一さん起きてるんですか?おかしいですね――」

 何が、おかしい――?
 あぁ、そして思い出す。これ、思い出した。睡眠薬を、飲みすぎた時の症状―――。

「睡眠薬に耐性でもあるんですか?」

 聞かれても、答えることが出来ない。せいぜいが胡乱な思考を組むくらいで、身体は睡魔に捕らわれたまま。佐祐理さんが俺のベットに近づいてくるのをただ見ていた。
 何を、する気だ?視線で問いかけてみようと試みるも、彼女は唯々微笑むばかり。

 欠片として。感情の無い微笑を浮かべるばかり

「ねぇ、祐一さん――?」

 彼女はベットに腰掛けて――す、と俺の首へと指を這わせる。
 柔らかな、指。けれどそれを地を這う蛇のように感じる。撫でるようにして、10の指が俺の首を這い、

「どうして、佐祐理だけ救ってくれなかったんですか――?」

 ぐ、と。10の蛇が俺の首を締め上げる。

「舞だけだったら、よかったのに。素直に喜ぶことが出来たのに―――」

 ぐぐぐぐ、と。蛇が、俺の、首を。
 舌が、喉に詰まりそうになる。犬のように哀れに舌を出し、必死に、呼吸を――!

「あゆちゃんを、栞ちゃんを、真琴ちゃんを、秋子さんを、どうしてそんな大勢の人を助けたんですか――?」

 胃の中の物が逆流しかけたところで――首から指が離れた。
 ハッ、ハッ、ハ、と。荒い息。そして、首にぴりっとした痛みが走り――爪が刺さっていたことに気がつく。

「貴方の望むことを叶えてきました。貴方が望むなら全てを捧げましょう。人を殺せといわれたら殺しましょう、犠牲になれといわれたらなりましょう、金を貸せといわれたら捧げます、情欲を感じたのなら全霊を持って佐祐理の身体で癒しましょう、貴方の望みを全てかなえます、叶えてきたでしょう――?」

 彼女が、水瀬家に居候して。
 そして彼女は確かに、俺の望みを拒んだことは一度として無かった。
 それは例えば、朝目覚めて彼女が目の前にいたとき。ご飯の作り方を教えてもらおうとしたとき、主に言えばそれだけだが、思い出してみれば。それは多く些細なことであったけれど、彼女は一切拒まず、一切を俺に譲り、従ってきた。

「それなのになんで――佐祐理の願いをかなえてくれないんですか?」

 ぐい、と。再び首が絞められる。
 本気だ、と。気がついた。逃れようとして、ようやく。体が拘束されているのに気づく。両手足に、手錠。多分、だけど。その両手足の手錠もまた長めの鎖で繋がれている。

「俺、は――魔法使いじゃ―――」

 ない、そう言おうとして。

「いいえ、貴方は確かに魔法使いですよ、祐一さん」

 首を絞めながら、彼女は嗤う。

「この世界。三年前に一度生まれ変わったって知っていますか?」

 はぁ?

「そして“七年前にも一度生まれ変わり、そしてつい最近再び生まれ変わったということを”」

 めちゃくちゃだった。世界が生まれ変わるって、それじゃまるで、

「そう、小説や御伽噺みたいな。魔法使いのような、それを望んだのは――祐一さん、貴方でしょう?」

ぐぐぐ、と。首を絞める力が更に強まる。

「そんなことが出来るのに――ねぇ、どうして祐一さんは、一弥を生き返らしてくれないんですか―――?」

 ああ―――。

 逃れようとしていた、全身の力が抜ける。

 意識が遠のいていく。



 けれど、それもいいかと、思ってしまった



 ぽろぽろと。涙が。
 首を絞めていた手が、弱まる。彼女は。冷笑して。

「そんなに死ぬのが怖いですか?祐一さん」
「違う」




「じゃぁ、なんで――泣いているんですか?」




 ぽろぽろと。涙が――止まらなかった。

「大好きな人を、他の誰よりも俺が愛してる人を。その人を、救えないから」
「――ふ、ぇ?」

 いつだってそうだった。
 俺はいくつも願い事をしてきたのに。
 結局のところ、一番の願いが叶ったことなんて無かった。

「殺してくれよ――それで佐祐理さんの気が少しでも晴れるなら。最悪の男だよ。魔法使いになんてなれねぇよ!それは俺じゃなくて!七年間眠り続けたあゆへのご褒美で!俺の力じゃないんだよ!あゆは佐祐理さんの弟のことを知らなかった、あぁだから一弥君だけ助からなかったんだろうよ!」

 俺は。誰より貴方に救われて欲しかったのに

「そんなはずはないですよ――だって、“波動”は確かに貴方から発せられたんですから」

 イタチごっこだった。
 そもそも、偶然じゃないのか?
 魔法だったらいい、でも、それを信じきることなんてできるはずもなく。
 俺は、そう。俺があゆにしてやったことなんて――

「あ」

 不思議そうに、佐祐理さんは首をかしげて。
 ははははは、と。俺は笑っていた。

「“波動”が俺から?じゃぁ、佐祐理さん。それは七年前も俺から発せられたのか?」
「――」

 彼女は何も言わなかった。少なくとも、俺からではないということか。  胸ポケットに手を伸ばそうとして――鎖に阻まれ、取りだせない。
 膝をたたみ、どうにか胸ポケットからそれを取り出して

「じゃぁ、やっぱり俺は魔法使いなんかじゃない」

 手錠をされた両手を突き出して。ぶらぶらと揺れるそれを彼女の眼前に

「この、天使の人形だよ。3つ限定で、なんでも願いをかなえてくれる――この、人形さ」

 呆けた顔で彼女は人形を凝視する。
 なんの変哲も無い、小さな天使のマスコット。
 あー、ぁ。やっぱり俺は、魔法使いじゃなかったかぁ――

「気休めで結構。誰が魔法使いなんてわからないけど、これに願いを込めてみてくれ。あゆはそうして奇跡を起こした。俺が言った――3つだけ。なんでも願いを叶えるって、それを信じて」

「今まで――色々ありがとう、佐祐理さん。だから、これはそのご褒美で――“一つだけ、どんな願いもかなえてやるよ”」

 彼女は、無言だった。無言で、天使の人形を受け取って。

「みっつじゃないんですか?」

 表情は、見えなかった。俯き加減で、髪がそれを隠していたから。
 ふ、と。意識が遠ざかるのを感じながら。
 それでも、この言葉だけ

「ひとつだけ。ただし、絶対かなえる。それがどんな願いでも――相沢祐一っていう。「魔法使い」が」

 くすり、と彼女が微笑んだのを遠ざかる意識の中で、見ていた



























「朝ー、朝だよー、朝ごはん食べて学校行くよー」

 バン、と目覚しを叩いて起床。いい加減この目覚し他のに変えようかと本気で思い始めた今日この頃。
 んーっと大きく伸びをして、俺のベットに、勿論佐祐理さんはいなかった。
 ちゃちゃっと着替えを済ませて、部屋を出る。名雪を起こすのは―――後回しで良いか。

 トン、トン、トン、トン、と階段を下りる。
 ひんやりとした廊下を進み、リビングに出ると、机に突っ伏す秋子さんを発見。糸目で可愛かった。
 っと、そんなことをしている場合ではなく――

 キッチンにたって、エプロンをして。

「さってと。弁当と朝ごはん。さくっとちゃちゃっと作っちゃいますか!」







―――眼が覚めたら彼女はいなかった。お世話になりました、と綺麗な文字でリビングに書き置き一つを残して。





「だぁーっ!名雪!お前そろそろ一人で起きろ!というかお前最近目覚めが悪くなっていか!?」
「む、無理、だよっ!そして気のせいだよっ!」

 だったらどうして俺たちは全力疾走してるんだ!?と聞く余裕もありゃしない。
 今なら100mを5秒で走れる気さえしながら走って走って走って走って!

 そして、彼女達とすれ違った。残念ながら立ち止まって挨拶する余裕も無いけど、

「いってらっしゃい、嘘つきくん」
「いってきますそしていってらっしゃい、人間不信」

 すれ違いざまのハイタッチ。
 意味なんて無いけれど。
 じゃ、と振り向き軽く手を振り、佐祐理さんと舞とが明るく微笑み手を振り返す。

 世界は何も変わらずに。
 俺達が、ほんのちょっぴり変化した。

















どうも、スランプ中のIceですこんにちは。

 なんか随分更新無いな?とか思ってた皆さん。ごめんなさい、わたしこんなのを書いてました。
 30kb以上!という雲雀さんの要求に従い……あれです。Iceはどうも長い文章は書くのが苦手みたいです(ぇ
 そんなわけでだいぶ遅くなりましたが。完成です。珍しく見直しだってしたつもりです。

 ぇ、ネタ多すぎ?気にしちゃだめです。だってわたしのSSほとんどネタだらk(ry

 ハルヒとクロスしてるようでクロスしていないようなでもやっぱりクロスしているSSでした。えー。では皆様。寝て良いデスカ←徹夜中。

 でぁでぁ、お粗末さまでした。雲雀さん、これからもどうぞよろしくです。