神魔戦記 番々外

                   「享楽極楽甘いもの道中記」

 

 

 

 

 

 祐一に討伐命令を下された山賊を一人で軽く叩き潰して、神耶は城に帰ってきた。

 祐一がカノンの王になってすぐの頃は、情勢の混乱に乗じた山賊や盗賊などが後を絶たなかったが、それも徐々に収まりつつある。

 そろそろ祐一が王になってから二ヶ月。

 国は安定の兆しを見せていた。

 良いことだ、と神耶は思う。

 未だいざこざや『しこり』のようなものは残っているが、こうして多種族が共存できる国がしっかりと機能している。

 そしてそれを成すために、自分にもできることがあるというのなら、それはとても素晴らしいことなのではないだろうか、とも。

 ……いままで敵を殺すことでしか見出せなかった道を、神耶は新しく見つけたような、そんな気分に最近はなっていた。

「あれ? 神耶ちゃん?」

「?」

 こちらを呼ぶ声に視線を上げれば、正面からは二人の少女がこちらに向かって歩いてきていた。

 あまり人のことに関心を抱かない神耶ではあるが、その彼女でさえその組み合わせは少々意外なものだった。

「おかえり。いま帰ってきたところなの?」

 黒い翼を生やし、にこやかに聞いてくる名雪。そしてその隣にいるのは屋内であるというのに傘を持ち歩く茜の二人だ。

「うん。山賊退治してきた」

「こんな短時間で? うわー、やっぱり神耶ちゃんはすごいねぇ」

 にこにこと。そう言われれば神耶とて悪い気はせず、小さく頷いた。

「……名雪たちは?」

「あ、うん。わたしたちはこれから城下に降りようと――あ、そうだ。せっかくだし神耶ちゃんも良かったら一緒にどう?」

「……私も?」

「うん! 茜はどう?」

「私は別に誰が一緒でも構いませんよ」

「良かった。ね、どう?」

 特に断る理由もないので、神耶は頷くことにした。

 すると名雪はさらに笑みを濃くして、

「ん、それじゃあ早速三人で食べ歩きに行こうよ」

「……食べ歩き?」

「そ。ね? 茜」

「はい」

 頷き合う二人に小首を傾げつつも、神耶は二人の後に着いて行った。

 

 

 

 城下は今日も平和である。

 一時期は殺伐としたものだったが、祐一やシオンによる減税や各種施設の再建といった政のおかげで随分と活気を取り戻していた。いや、むしろ以前のカノンより活気付いているくらいだろう。

 この二ヶ月で魔族といっても無害な者もいる、ということを理解してくれた国民も多い。

 こうして名雪も翼を生やしたまま歩けるし、獣耳の神耶が歩いていても特に嫌悪感が集まることはなかった。……注目はされているようだが。

 とはいえ、そんなことを気にするような三人組ではない。

「〜♪」

 鼻歌なんかしつつスキップ気味に先頭を名雪が進み、その後ろを茜と神耶がついていく形。

 茜も神耶もあまり表情が表に出るタイプではないのだが、今日に限っては茜の表情は穏やかなものだった。

「それで名雪。そのお店とは?」

「うん。もう少しだよ〜」

「そうですか。いえ、別に急かしているわけではないんですよ。念のために言っておきますが」

「楽しみにしてくれるとわたしも嬉しいよ〜」

 思いのほか茜の歩調が早い気がするのはどうも気のせいではないようだ。

 で、しばらく歩いて。

「ここだよ〜」

 と名雪が万歳するように指し示したのは小洒落た感じの可愛いらしいお店だった。

 ほほう、と茜は頷き看板、外装、そして窓から中を見て、

「いかにも、という感じのお店ですね」

 喫茶店、というには少々ファンシー過ぎる点もあるが、だからこそ茜の期待も膨らむ。

「うん! 女性向け、って感じだからね。ここのケーキは絶品だよ〜。あと、ここの通りはこういうお店が密集してるからわたしのお気に入りなの」

「なるほど。では早速いただくことにしましょう。もちろん他の店も制覇するつもりで」

「わぁ、茜気合入ってるね?」

「何事も全力で取り組むのが私のモットーですから」

 真面目な顔で店に突入する茜。そんな茜を面白そうに眺めた後、名雪は後ろでボーっと看板を見上げていた神耶の手を取った。

「?」

「ほら、神耶ちゃんも入ろうよ、ね?」

 というわけで店に入る。

 窓越しよりも更にファンシーな内装がお出迎えしてくれた。

 あちこちに置かれた人形に、飾られた花々。昼にも関わらず中はやや暗いが、淡い光を浮かべるキャンドルがなかなかシックな感じだ。

 で、神耶はあっちにキョロキョロ。こっちにキョロキョロ。こういう類の店に入ったことはないのだろう、どことなく怯えすら見える。

 そんな様子に名雪と茜は思わず笑みが浮かべた。

「大丈夫だよ神耶ちゃん。わたしたちも一緒なんだから心配ないよ?」

「そうです。別に新手のダンジョンというわけでもないのですから、棺にかけた手は離しても良いと思います」

「……そうなの?」

「そうなの」

『だ、そうですよ神耶。ここは素直に水瀬さん方にエスコートしていただきましょう』

 にこやかに言う名雪とルヴァウルの言葉に渋々、といった感じで棺から手を放す神耶。

「それじゃあ、あそこに座ろうか」

 名雪が指し示したのは入り口近くにあるテーブル。三席なのでちょうど良いだろう。

 というわけで三人はそれぞれ座る。名雪と茜は早速メニューと睨めっこ。これは? と訊ねる茜にそれはね、と返す名雪。

 で、そもそもここに何をしに来て二人が何をしているかわからない神耶はそのままジーッと二人を見ているだけである。

「ご注文はお決まりになりましたか?」

 ウェイトレスがやって来た。名雪の翼や神耶の獣の耳やどでかい棺に驚く様子もない。名雪もよく来るようだし、これが慣れ、というものなのだろう。

 良い環境だ、と茜は外交官らしい考えも浮かぶがそこまで。そこで意識は切り替わりメニューに視線を移し、

「ではこれとこれ」

「はい」

「――の間にあるケーキを全部お願いします」

「はい――って、え、全部ですか!?」

 驚きの声を上げるウェイトレスに対し「なにか?」とでも言いたげな茜の表情。

 三人での注文、ということにしたって尋常な量ではない。えーと、とウェイトレスは割かし常連である名雪に確認の意の視線を送る。もちろん名雪は笑顔で頷くのみ。

「で、では少々お待ちください」

 やや口元を引きつらせてウェイトレスは下がっていった。その背中を見送り、茜は小首を傾げて、

「私、何か変なことを言ったでしょうか?」

「うーん。まぁそれなりにすごいことは言ったと思うよ?」

 思わず名雪も苦笑い。茜は本当に自覚がないんだろう、終始不思議そうな表情だった。

 そんなこんなでしばらく談笑をしていると、目的の物がやって来た。

「どうぞ」

「わぁ〜」

「ほほう」

「?」

 テーブルの上に並べられた色取り取りのケーキ。それらを見下ろし茜は二度、三度と頷いて、

「なるほど。鮮やかかつ精巧。匠の業ですね」

「味も最高なんだよ〜。ほら、食べよ食べよ?」

「ええ。では早速」

 というわけで茜が一番手前にあったケーキにフォークを差し込む。小さく掬い上げ、それを口に含み、

「!」

 一瞬目が見開いた。次いで、ワナワナと肩が震えだす。

「え、え? どうしたの茜? ……も、もしかして口に合わなかった、かな……?」

 さすがの名雪もその反応は少し怖いらしく、やや椅子を引いている。何かあったらいつでも逃げられるような姿勢だ。

 ダン! とテーブルを打つ茜の手に、ビクゥ! と身体を震わす名雪の前で茜は口を開き、

「……美味い」

「……へ?」

「なんですかこの美味さは!? ワンにあったケーキの専門店より遥かに美味しいではないですか!? 喫茶店でこの味とは……カノン恐るべし!」

「あ、あの〜……茜?」

「こ、こっちも!? 甘さがやや足りない気もしますが、それを補って余りあるこの口の中で広がる絶妙なハーモニー! ハッ!? これもですか!」

「あ、茜……?」

 もはや名雪の言葉なんて届いていない。カルチャーショックを受けたような勢いであちこちのケーキに手を出していく茜。行儀悪いよ、なんて言える雰囲気でもないので名雪は仕方なく黙認した。

 と、視線を移すと珍しいものでも見るようにケーキをじーっと見下ろしている神耶が視界に映った。

「神耶ちゃん、ケーキ食べないの?」

「……けーき?」

「あ、もしかしてケーキ知らないのかな?」

『ええ、そうですね。神耶が子供の頃からずーっと一緒にいますが、そのような名の食べ物は私も食べたことがありません』

「そうなんだ。じゃあ、今日が初めてになるんだね。それじゃあ、ほら、食べてみて? 甘くて美味しいよ?」

「甘い?」

「うん」

 再び視線を下に。そして手近なケーキを手で掴み上げ、そして恐る恐るというように口に含む。

「……どう?」

 ややドキドキしつつ訊ねる名雪。すると神耶は目をまん丸に見開き、

「……柔らかくて、良い匂い。それに――」

「それに?」

「――とっても、美味しい」

 小さく微笑んだ。

「「――」」

 これには名雪、そして茜まで手を止め見惚れてしまう。

 それまでに神耶の笑みは澄んでいて、そして見る者を魅了させる可愛さに包まれていた。

「……? 二人ともどうしたの?」

 どこかポーッと神耶を見つめていた二人はその言葉で我に返る。あはは、とわけのわからない苦笑をしつつ互いを見やり、

「これは……なかなかに凄まじい破壊力ですね」

「うん。なんだろう……猫さんや犬さんみたいな可愛さというかなんというか」

「言い得て妙ですね。小動物的な和みを感じられます」

 笑い合う。そうして名雪と茜は神耶に向き直り、

「それじゃあ、神耶ちゃん。こっちなんてどう?」

「好きなだけ食べて良いんですよ?」

 二人して神耶にケーキを勧めまくるのであった。

 神耶もケーキの美味しさに気付いたのだろう。無言で頷き勧められるがままにケーキを食べていく。そして例の笑顔を見せる。

「……あは、茜、わたしまずいかも〜」

「……奇遇ですね名雪。私も同じことを考えていたようです」

 嵌まった。……いろんな意味で。

『良いですねぇ、神耶は。私も食べてみたいですよ』

「ルヴァウルも食べれば良い」

『そうしたいのは山々なんですが、いくら魔族に慣れてきた国とは言え私の腕なんか見たら仰天間違いなしですよ』

「……じゃあ私が棺の中に入れてあげるから、食べれば良い」

『おや、神耶は優しいですねぇ』

 当の本人は二人の心境など知る由もない。新たな味との出会いによる感激を相棒にも味合わせてやろうとケーキを棺の中に入れている。

 そんな神耶を一瞥し、んー、と茜と名雪は視線を交わして、

「どうしましょうか」

「……まぁ、楽しみが一つ増えた、ってことでどうかな?」

「なるほど。それは良い考えです。美味しい甘い物も食べられて――」

「そして神耶ちゃんの可愛い姿も見れる。一石二鳥、と」

 頷き合い、

「これは……」

「これからの食べ歩きが楽しみだね〜♪」

「ええ。しかしまずはこの店のケーキを網羅してからでないと先には進めませ――」

「……? どうしたの茜、固まっちゃったりし――て?」

 不意に固まった茜の視線を追い、思わず名雪も動きを止めた。

 ない。

 そう、ないのだ。

 茜と名雪の楽しみにしていたもの。そう、つまり……ケーキが。

 目が点になっている二人の向かいでは神耶が空になった皿を山積みにしていたり。

「全部……食べたんですか?」

「この短時間で? あの量を……?」

「美味しかった」

 事も無げに言う神耶に、ビキィ! と茜のこめかみの辺りからそんな音が聞こえた気がした。

「……なるほど。どうやら神耶さんは天使の顔をした悪魔であったようですね」

「まぁそれはさすがに言い過ぎかもしれないけど……強力なライバル、ってところは間違いなさそうだね」

「そうですね。……ウェイトレスさん」

「あ、はい!」

「メニューに載ってるケーキ全部お願いします」

「ぜっ……!? まだ食べるんですか!?」

「なにか文句でも?」

「い、いいぃぃぃえぇぇぇ!? べ、べべ、別に文句なんてございませんすぐに持ってきますぅぅぅっ!」

「う、わぁ……いまの子、多分本気で泣いてたよ〜? 茜、いくらなんでも凄みすぎ」

「ふ……ふふ……甘い物の恨みは怖いんですよ」

「でもあの子に恨みをぶつけるのは筋違いというかなんというか……っていうか茜、キャラ変わってない?」

「そういう名雪はいつも以上にまともなキャラに見えますが」

「それって遠まわしに貶されてる気がするよっ!?」

 とか二人が言い合っているうちに怯えきったウェイトレスが盆をガタガタ震わせながらケーキを持ってきた。

 それをテーブルに置き……しかしそれに一番最初に手を出したのは神耶だった。

「もぐもぐ」

「なぁ!?」

「あらら。神耶ちゃん気に入っちゃった?」

「……(こくん)」

 言うのも面倒だ、とばかりに頬張る神耶。口の周りはクリームやら何やらでべたべたになっており、それを見せられた名雪は怒る気にすらならず、

「……神耶さん。まだ食べるのですか……?」

 だが茜は違ったらしい。口調も表情もいつも通りだが、なんというかこう、背中が燃えていた。

 しかし神耶がそんな機微に気付くはずもなく、ケーキを飲み下して言う。

「……さっき茜が好きなだけ食べて良いって言った」

「なるほど。つまりこれは私に対する挑戦状ですね。――良いでしょう、受けて立ちます」

「挑戦というより自業自得な気がするよ……」

「そんなことを言っているうちにあなたの大好きな苺系のケーキも軒並み神耶さんに食べられていっていますが?」

「うわああぁぁぁ、か、神耶ちゃんそれだけは駄目〜!」

「では私もこの苺のムースを。……ふむ。やはり美味しいですね」

「わ、わ、茜まで〜!」

「名雪。この世は所詮弱肉強食なんですよ。ねぇ、神耶さん?」

「早い者勝ち?」

「そういうことです」

「……なら負けない」

「よく言いました。が、甘い物が絡んだ私は一味違いますよ?」

「う〜! もうわたしだって怒ったよー!」

「あ、こら名雪! それは私が大切に取っておいたものですよ!?」

「弱肉強食だも〜ん。って、あぁ!? 神耶ちゃん、それはこの店でも数量限定の苺ケーキ!? 」

「弱肉強食弱肉強食。もぐもぐ」

『ははは、神耶も随分と口が上手くなったものですね。あー……ところで神耶? もう私にはくれないのですか?』

「うん」

『え、えー……』

「も、もー! わたしも本気出しちゃうよ〜!」

「望むところです」

 ギャーギャーと騒がしい三人組+α。女三人寄れば姦しいというが、はてさて。

 この三人が戦場となれば容赦なく敵を屠る戦士たちだと誰が気付けようか。いや、無理だろう。ただの度を越えた甘い物好きにしか見えない。

「この店では決着を着けられませんね。次に行きますよ名雪。案内を」

「うん、任せてよ! 神耶ちゃん、次行くよ〜っ!」

「楽しみ」

 口調では怒っていても、しかし三人の表情は笑みの形。

 その店のケーキを食いつくし、それでも飽き足らぬというように次の店へ赴く三人であった。

 

 

 

 で、しばらくの後、甘い物を根絶やしにするが如く食い歩く三人の女帝の噂が流れたとか何とか。

 

 

 

 あとがき

 はい、というわけでどうも神無月でございます。

 さて、ようやくというかなんというか。番々外の第五弾となりました(途中ちょっと予想になかったものが一つ挟まったのでw)。

 いやぁ、なんというか……書いていたら予想以上に茜が壊れてしまいましたよ?w

 まぁ番々外ということで大目に見てくださいな。ちなみにこれはまだキー大陸編が始まる前、という設定ですので。

 ではまた〜。