『氷』
それは何だろう。水が固体状になったものか。
用途はたくさん。
それで人を殴れば、殺せる。
人一人を凍らせることができる。
永久に保存もできるかもしれない。
粉々に砕けば、それでその者の世界は終わろう。
これから語るは、氷の物語。冷たく痛く氷る凍る物語。
時間という概念を止める、凍らせる氷。
街を丸ごと呑み込む――――氷。
さあ、一つに閉じ込められた、二つの世界が、物語を紡ごう。
――――1.氷の世界――――
「もうすぐで雪月花だな」
一人の青年、相沢祐一の言葉。呟くと共に白い息が舞う。
髪は肩に掛かるまでの長髪で、藍色。瞳は蒼。外見はかなりの美形。
第一大陸・北国の首都『雪月花』は、一年のうち、半年も雪が降っている極寒の地で、寒いのが苦手な青年にとっては望んでくるところではないのだが。
「ここにも一応図書館があるからな」
ということだ。
彼は、一つの器に収められてしまった精神を別々の器に切り放す魔術を研究している。
各国を渡り歩き資料を探しているが……未だにこれといった成果はあがってない。
それでも、彼は諦めずに渡り歩く。
それが、彼と彼女の望みなのだから。
ざくざくと30センチほど積もっている雪の上を歩いていると、馬鹿でかい城門が見えてきた。
だが、おかしい。
城門は、雪月花を護るための城壁にある唯一の扉。それが、開け放たれている。
どなたでもご自由にどうぞ精神をしていたら国は潰れてしまう。
「……何か、あったか?」
嫌な予感。それも超ド級、だ。大抵、その予感は当たってしまう。
ようこそ、雪月花へ!と言ってくれる門番兵士は氷のオブジェと化していた。
「まさか、な……」
嫌な予感が、当たる。
城門を潜り抜けた世界は。
何もかもが凍りついた氷の世界。
人も、建物も、空気も、時間も。
止まっている。凍っている。
雪月花とはいえど、街が凍りついてしまうほどの寒さはない。しかも、時間を凍らせる?そんな馬鹿な季節はない。
即ち――――魔術。それも、かなりの大型。
時間の概念すら凍らせる魔術、だ。
「俺がこない間に何があったんてんだ……」
/////
「見事にカチンコチンじゃねぇか……」
まさにその通り。見渡す限り氷の鏡。
道という道。家という家。人という人。時間という時間。
何もかも、文句のつけようも無いほどに凍っている。ああ、本気で刀で斬りつけたとしてもこちらがいかれてしまうほどに。
物体を凍らせ、時を凍らせる。この氷を壊すには、時をも壊す必要がある。
魔力源を絶たねば、街を戻す事は出来ない。
「……うぉう!?」
ごつ――――!
こけた。受身もせずに見事に後頭部から突っ込んだ。嫌な重低音が響く。
「いてて……道も凍ってるって、マジ危ないな」
悪態をつきながら、頭を擦って立ち上がる。
氷をガン!と殴る。当然、ヒビすら入らないし、ピクリとも動かない。
分析、開始。
氷――――しかし、普通の氷では、ない。
何度も言っているが、時を凍らせているのだ。単純明確明瞭。
「大型の魔術か」
そう、その通りだ。
しかも、これほどの大型魔術は、祐一でも簡単にできることではない。相当な年月と、莫大な魔力を使用する。
相沢祐一が最後に雪月花を訪れたのは、10年前だったか。
この10年で何があった。
少なくとも数年はかけなければならないと思われる魔術。
しかし、これだけの巨大なものを一個人の魔力だけではできない。たとえそれが人外だとしても。
「どーしたもんか――――は、アレか」
なんとなく、空を見上げたら、其処には巨大な空間魔術円陣。十中八九、この氷の世界を作り上げている魔術陣。
しかし、確かにあのサイズならば街を凍らせてしまうことは可能だ。
問題は、魔術陣を書くために膨大な時間を費やすこと。更に、あの魔術円陣を以ってしても、かなりの魔力を要する。
明らかに。
「魔族だよなぁ……」
魔族――――人外を、総えてこう呼ばれている。全て纏められていることに怒りを覚えている魔族もいるけども。
まぁ、今は語るべきことじゃないか。
しばらく歩くと、水瀬の表札を発見する。
10年前と変わりない、水瀬家。懐かしいという哀愁が湧き上がる。だが、今はそんなことをしてる暇じゃぁない。
「名雪……秋子さん……絶対戻すから」
ぐ、と握りこぶしを作る。
しかし、水瀬秋子といえば、魔術協会ランク:SSS+級の人、それに加え、水・氷遣い。『明鏡止水』とまで呼ばれている。そんな彼女に気付かれずにあの巨大空間魔術円陣を描いたのか?
そんな馬鹿な。気付かないはずが、ない。なら、一対一で敗れた?まさか。しかし、そう考えるのが妥当か。
そうなると、かなり厄介な相手で間違いない。
負けることは、ない。が、苦戦するかもしれない。
水瀬秋子ほどの氷遣いがいる雪月花を凍らせる――――相手も、間違いなく氷遣い。もしかしたら、彼女以上の、だ。
――――周りは、全て凍っている。つまりは、此処は既に相手の世界へと、胃袋の中へと侵入しているのだ。何時、消化されてしまうかわからない。
だが、接触が何もない。気付かれていないのか。気付いても取るに足らない相手だと思っているのか。わからないが、祐一にとっては好都合。
気付かれる前にこちらから接触し、終わらせる。
「"揺ら揺らと意識は彷徨う――――探索"」
自分の眼を空気に疾らせる上級探索魔術『意識疾走探索』起動。
普通はもっと詠唱が長いのだが、簡易詠唱で即起動させる。
自分の見ている景色が、眼を閉じていた暗闇から、周りの景色に代わる。
ソレを疾らせる。街の至る所全てに。
入ることができる場所、全てに。
街の奥にある、丘に一つの気配。人間以上の魔力の光。――――すなわち、魔族。
こちらの探索魔術によって切り放した俺の眼と、敵の眼が合い――――ニヤリとソイツは笑った。
そこで魔術を切る。
眼をゆっくりと開く。
氷の世界の奥にある大きな丘を見据え。
「ふん――――待ってろ。今行ってやる」
呼んでいるんなら行かないわけにはいかない。
上等。首を洗って待っていろ。
/////
少し歩いた所で、殺気を感じる。
「…………まぁ、そら気付かれたわな……」
これだけの魔術を展開している魔族。気付かないわけがない、か。もう少し慎重に探索すれば良かったな、と後悔をする。
「今更、か。さあて、行くか。涼風」
とある知り合いの鍛冶屋に製造させた特注品の刀『涼風』。刀身は透き通るかのよう。
カシン、と抜き、構える。
「"疾る射抜く雷の如く――――雷神即位"」
上級身体能力向上魔術『雷神即位』起動。
雷が身体の筋肉を刺激し、身体能力を大きく向上させる。もちろん簡易詠唱だ。
パシっと、身体全身に雷が駆け巡る。
ぐぐん、と身体能力が強化される。
100メートルほど先の家の屋根が一瞬キラリと光る。
風を切って何かが祐一を撃ち抜かんと飛来してくる――――!
「ちっ!矢かよ!」
舌打ちと同時に超スピードで右に移動。
瞬間、紙一重の差で左頬を矢が通過する。
ガガ!!
氷を抉って着弾。
「冗談じゃない……!あんなの当たったら即死じゃねぇか!」
文句を言いながらも、警戒態勢。狙撃者の場所は今の一撃で確認完了。
「"雷神即位"が起動している今なら……3秒……いや、2秒であそこまで行けるか?」
グっと、足腰に力を入れて。
「――――っ!?」
別の屋根三つほどから、キラリと何かが光る!
横に転がり、向こうから見えないように家の陰に隠れる。
そして、さっきまで居た場所に、三本の飛来物が着弾。爆音をたて氷の地面を抉っていた。
「4人……ち、手数が多いじゃねぇかよ」
状況分析。
四軒の家の屋根に一人ずつ狙撃者がいる。
全員、同じ攻撃力。一撃でも当たると致命傷だ。
全てを正面から避けて行くのは難しい。
「……最短ルートで、気付かれないような道を、探す。これしか、ないか」
眼を閉じ、先ほど使った探索魔術を起動。
「"揺ら揺らと意識は彷徨う――――探索"」
意識を、身体以外の場所へ飛ばすイコール自分の身体は無防備。
故に、一瞬で探し終えなければ危ない。
Aルート――――危険。
Bルート――――危険。
Cルート――――危険。
Dルート――――安全。
Eルート――――即死。
「――――仕方がない。Dルートが、怪我をする確立が低い。さて、走るぜ!」
キュン、とその場から消える。――――いや、高速移動する。
裏路地を雷の如く疾走。
矢が飛んでこないが、油断はできない。
一人の狙撃者を視界に入れた――――!
「なっ!」
狙撃者――――綺麗な顔立ちをしている女性、そして、尖がった耳が特徴的なエルフ――――が、こちらに気付く。
このクソ寒い中にエルフ――――雪月花付近に生息しているスノーエルフか。だが、温厚な性格のハズの彼女らが何故……。
キュン――――!
思考停止。無駄なことを考えている暇は、ない。
今度は避けない。
涼風を構える。
魔力を篭める。うっすらと、刀は輝く。
「――――りゃぁ!!」
ガ――――ドンッ!
トンデモ威力を誇る矢を、叩き落した。
余波で周りの氷が砕け散る。
「無茶をする子ね!」
砕け散る氷に混じり、急接近。峰で腹を叩く!
「か、はっ……やるわね、坊や……」
ドサっと、スノーエルフの女性は倒れた。まずは、一人。
さっきの音で気付いた残り三人もこちらに照準を合わせる。
しかし此処までこればこっちのもんだ。
身体に魔力を篭め、パリッと"雷神即位"が反応し。
神速とも呼べる速度で、近くの一人に峰打ち。
「かふっ……」
残り、二人。
見れば既に矢を構えている。しかし、近距離でそれは自殺行為だ。
目線と、矢の傾きを見て何処に飛んでくるか予測分析。
放った瞬間の隙を、狙う。
キュンっ!ヒュン!
二人の矢が同時に祐一が居る場所に放たれる。
二人とも同じ場所に放つなんて、意味がないことをする。
仲間二人が倒されて冷静さを失っているのか。
一人の後ろへ行き、首に手刀。
「あうっ……」
この子は随分小さい。まだ少女といえる年齢だ。
あと、一人。
もう一人は慌てて矢を装填しているが、遅い。
祐一は何の躊躇もなく――――涼風を投げた。
「なっ!」
驚愕する敵の脳天に鍔の部分がストライク!
「ぶ、武器を投げるなんて……」
「勝てばいいのさ。近距離で矢なんて、隙ができて危ないからオススメしないぜ?」
祐一はニっと笑う。
相手はポカーンとした顔をして、くすくすと笑った。
「でも……あの人には勝てないわ」
勝ち誇っている顔。
既に勝ったつもりか。ふん、上等だ。
「あーそうかい。じゃ、お前らのリーダーが負けるところをその眼に焼き付けてやるよ」
その言葉を聞いたのか、聞き逃したのか――――最後の一人はガクリと崩れ落ちた。
これで丘への道を阻む者はいないハズ。
商店街を横切って丘を目指す。
買い物の途中なのだろうか。
たくさんの人々が、荷物を持って、氷のオブジェと化していた。
そして、その中に、いた。
「名雪……?」
買う物が書いてあるメモ用紙を右手に持って。
鞄を左手に持って。
凍っていた。
「名雪……久しぶりだな」
語りかけても、何も反応しない。
凍っているんだから、当たり前なんだけども。
メモを持っている右手を、握った。
冷たい。マジで凍っている。何年ほどこうしているのか……。
「名雪……すぐに戻してやるからな」
再び、丘へを目指して歩み始める。
今のうちに首を洗っておけ。
すぐに行ってぶっ倒してやるよ。
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