近 の 画 像

平成19年1月17日

NHK大河ドラマ「風林火山」は稀代の軍師・山本勘助の夢と野望に満ちた生涯の物語

武田家軍師 山本勘助 誕生の地     富士宮市山本165  吉野家 

吉野家門の南側にある、山本勘助 誕生地の石碑


山本勘助の本家 吉野邸は現在19代目が家督
を継ぎ尋ね来る大勢の見学者に善意で対応して
くれる。

富士宮市教育委員会
勘助誕生地の説明文 

取材協力したNHKから、いろいろな資料が送られて来るそうです。 

吉野家 門

門越しの富士山

付近にあった
ロウバイの花

1月14日放送の終わりに、山本勘助の生家とされる吉野家の紹介がありました。
早速、歴史探訪しましたが毎日大勢の見学者があるようです。ー吉野家の入口門ー 

(石碑裏に刻まれた文書より)
山本勘助晴幸は冨士郡大宮町山本なる吉野家に生る父を吉野貞幸と云い母は大橋氏、其の先吉野冠者
源重季に出ツ重季の子孫世世南朝に仕えて臣節を致し八世貞倫山本村に移り多由八幡宮を創建して其
の祠戦となる男貞久専を軍学を修めて男子を挙げ長を貞宗といい次を貞幸という貞宗子なく貞幸の一
子を養て祠となす貞幸亦文武を励み諸国を巡遊して参州牛窪に住し山本氏を稱し同地の人大橋入道の
女を娶り後山本に住して一子を源助と名づく源助年12出て牛窪の人大林助左衛門の養子となり名を勘
助と改め年二十大林氏を去り山本氏を冐し京都に出て専ら文武の両道を学び河内に入り楠公の遺蹟を
探り軍学の応用築城の利害を研鑚して其奥義を極め牛窪に住して軍学兵法を講し其名四境に聞えしか
は武田晴信幼時に主従の約を定む。天文13年晴幸甲府に入り公の帷幄い参し同15年3月奇計を以って
村上義清を破り殊勲人を驚かし名聲内外に云々。永禄4年9月10日川中島戦役に従い奮闘数字其身遂に
是役に斃る行年六十三法諡鉄巖道一禅定門子息某嗣き亦長篠に戦死し跡絶つ今や静岡県補助の下に、
摂政宮殿下の御成婚を記念すべく大宮青年山本分團等建碑の企あり吉野宗家の主賓文を予に乞う予乃
て事歴の梗概を叙し堅石に刻して其の産地に建つ。 大正十三年建立


石碑の裏側には詳細に
説明文が刻まれている


富士宮市観光協会は戦国時代の武田家の軍師山本勘助の展示コーナーをJR富士宮駅の観光案内所に設けてあり、勘助は現在の富士宮市山本に出生したと伝えられている。同観光協会は勘助を主人公とするNHK大河ドラマ「風林火山」(井上靖原作)の放映に合わせて「勘助誕生の地」を多くの人に知ってもらおうと紹介している。
問い合わせ先は、富士宮市観光協会[電0544(27)5240]。

2007年、NHK大河ドラマの登場人物。


勘助ゆかりの地 案内図

まりしてん

武士の守護神
摩利支天