木田敦子史〜出生から大学院修了まで〜

 北海道、網走市。師走28日。早朝から毎年恒例の餅つきが行われる。
午後になり、軒のつららも解ける頃、つきたてのお餅が産院に届けられた。
妊婦はそれを食すやいなや女児を出産。敦子と名付ける。

 父母共に仕事を持つ為、敦子は生後間もなくから、母の実家で朝から夕方までを過ごすことになる。眠ってばかりで手のかからない子であった。
そこでは、母親の妹が箏の先生をしていた。

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<0〜3歳期>
歩けるようになる前の記憶が異常に多い。てゆうか、歩くのが遅かった。
音の出る物には人並みに反応を示し、箏をいたずらに鳴らすようになる。
祖母の勧めにより、3歳の誕生日からお稽古事として箏を習い始める。

<4〜5歳期>
家から道路一つ隔てた幼稚園に毎日遅刻。入園式から大泣き。しかし、イベントで主役を張るのは大好きだったらしい。「赤ずきんちゃん」の冒頭のセリフと動きは今でも覚えている。「チューリップ(振り付き)」も得意技のひとつだった。後に、この幼稚園で「寄贈 木田○○(父の名前)」と書かれた備品を見た時には、先生方に随分ご迷惑をおかけしたのだなぁ、と実感したものである。

<小学生期>
お稽古事が大好きで、毎日何かしら習いに。子供のくせに多忙だった。

2年生からピアノを習い始める。初めての発表会は「エリーゼのために」。途中でリピート回数がわからなくなり、ステージで「あがる」という状態を初体験。驚いた!

3年生、宮城会コンクールに初出場。「まりつき」を演奏。楽屋の雰囲気に呑まれる。上野動物園楽しかったから、まいっか!

4年生、懲りずにコンクール出場。「千鳥の曲」演奏。文字通り「水を打った静けさ」の緊張感溢れる会場から、なぜか笑い声がもれる一瞬もあり。きっと歌が面白すぎた。後楽園遊園地楽しかったし、まいっか!

5年生、北海道三曲コンクール出場。そこそこ場慣れしている。楽屋でバリバリ練習していると、他の人たち驚いて遠巻きに見ている。こちらも驚く。(だって、コンクールでしょ?)「水滴」演奏。第1位受賞。テレビ初出演。

6年生、右手中指切るやら親指折るやら。完治して良かった。

<中学生期>
1年生、宮城会コンクール、ようやく「手鞠」で第2位受賞。

家にある楽譜を手当たり次第に練習するようになる。
体が小さいので、「子供にしては上手」といつも褒められるのがとても気に入っていた。人前で弾くことが、至上の喜びであることにうすうす気付き始める。

<高校生期>
ずっと苦手だと思っていたスポーツが、実は得意かもしれないと今さら気付く。運動神経を無駄にしていたことを悔いるも遅かりし。しかしバレーボールで右足骨折など、相変わらず骨弱し。
そろそろ具体的に進路を決めなければ。箏で進学を決意、東京芸術大学邦楽科受験の為のレッスン開始。でも手遅れかも〜。2年生冬休みのこと。

3年生2〜3月、約1ヶ月間ホテルにこもり、大学受験。東京芸大の入試は、1、2、3次試験、面接、最終発表まで約2週間。この勝ち抜き戦に耐えるだけでも結構な精神力を要する。けど、この最中に大好きな女優さんのエッセイ発売記念サイン会に行って、初の女性誌掲載(やや自慢)。
家族の多大なる協力と本人の努力の甲斐あって、無事合格。

<大学生期>
一度だってひとりで外泊したこともない。周りは面倒をみてくれる大人ばかりだったのだから、誰もが一人暮らしなど不可能と確信していた。ところが、やってみると楽しくて楽しくて!まさに第二の人生の幕開けである。
世間では、深夜番組の影響もあり、女子大生がもてはやされていた。そんな中、暗譜に追われる日々。毎週毎週、厳しいレッスンが巡り来る。練習最優先の生活だが、遊びにも行きたい。最小限の睡眠時間で生きる術を修得。

卒業時、宮内庁主催の「音楽大学卒業生による演奏会」で御前演奏。

卒業と同時に、山田流家元・伊藤松超氏率いる「邦楽グループたまゆら」結成。親子劇場を中心に全国各地で演奏活動を展開。現在に至る。 

秋、大学院受験、合格。

<大学院期>
大学院生ともなると、学生間では天上の人のような扱いである。社会に出たら、地下の人からやり直しになることもまだ知らずに、幅をきかせていた時期。

院1年生、芸大の学生オケとコンチェルトを共演。「越天楽変奏曲」(宮城道雄作曲、近衛直麿・秀麿編曲)

院2年生、大町陽一郎氏の指揮で、ドイツのビュルツブルクにて、現地オーケストラと「越天楽変奏曲」共演。ウィーンにも出向き、市庁舎などで箏を披露。
初めての海外演奏。ウィーンでは4日間ひとりきり。ドイツ語はせいぜい2、3語、英語さえおぼつかないのに、、、。一人で美術館巡り。当時大好きだったクリムトを見歩く。「前世では、彼のモデルをしていたに違いないわ」と思い込む。オペラを観て感動!!オペラハウスでは「きっと私が椿姫だったのだわ」と思い込む。
ドイツのケルン大聖堂裏で飲んだビールは、世界一美味しい!今だにそれを越えるものに出会っていない。どこにいても音楽が聴こえていた記憶がある。あの乾燥した空気の中で飲んで以来、カンパリソーダが大好きになったのである。

恩師、故上木康江氏の全作曲による「上木康江作品集」で初のレコーディング。