現代型ハードバップ
ERIC REED / E-BOP



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 ジャズ・ミュージシャンが、どんなスタイルを採用するかというのもひとつの表現力なのだなという気がした。敢えていえば、どんなスタイルであろうと自己表現という意味では、自由さにおいて好き勝手であって、スタイルの如何などは全く恣意的なのだということだろう。問題は、表現=エモーションの一言に尽きる。あまり、スタイルの奇抜さに寄りかかり過ぎると、自己表現の核を見失うことになりかねない。何故、そんなことを言い出したのかといえば、何のことはない。デカイ音で聴くには少し時間が早いので、昔読んだ、ヨアヒム・E・ベーレントの『ジャズ』という大著をちょっと紐解いていたら、第三章「ジャズの要素」というのが眼にとまったのだ。一節「サウンドとフレーズ」二節「インプロヴィゼーション」三節「編曲」四節「ブルース」・・・で、最後に「ジャズの定義」というのが出てくる。引用すると、
「ジャズが、ヨーロッパ音楽と異なるのは、次の三点である。
(1)スイングといわれる拍子(タイム)の特殊な関係
(2)インプロヴィゼーションによる自発性(スポンタニティ)とヴァイタリティ
(3)演奏者の個性を反映するサウンドとフーレージング
この三つの特徴が、新しい緊張を生む。どこが新しいかと言うと、ヨーロッパ音楽のように大弧をつくあげてゆく(ここが意味不明)緊張とはちがって、波のように、絶えず盛り上がっては崩れさる緊張を作り出すところに重点があることだ。19世紀末から今日まで、ジャズが経験した、スタイルの変遷と発展過程には、この三つの要素が、その時々で重要さをかえ、関連する度合いを変えて現れている点に、大きな特徴がみられる。」と。
「はー、左様ですか」という具合だが、おっと思った言葉がひとつだけあった。
「ジャズには、ベル・カントもなければ古くさいヴァイオリンの音もない。あるのはただ訴え、泣き叫び、あえぎ悩む、人間くさい声だけである。表現力と爆発力をもつ楽器には、どんな支配力も及ばない」
「ジャズの美は、美学的というよりは倫理的なのだ」
なるほど、言ってしまえば、ジャズは「私小説」なんだと感じいった。自分の中に潜む「美」とは言い難い、「業」のようなドロドロしたものを吐き出し、白日の下にさらけ出すという作業であって、厳しい自己批判がなければ表現できないというあの「私小説」の「音」ヴァージョンなんだと思い当たって、気絶しかけた。もうこうなると、あれはどうなんだ、これはどうなんだと、頭の中を駆けめぐっていくものがあって朦朧としてしまい、いい加減、このアルバムのコメントを書くエネルギーが無くなってしまいそうだ。
しかし、ご心配なさるな。きっと書くから。

ERIC REED:p
MURCUS PRINTUP:tp
WALTER BLANDING Jr.:ts
RODNY WHITTAKER:b
RODNEY GREEN:ds
Oct 15,16.2000
SAVANT
1.AINT'T NOTHING WRONG WITH THAT
2.BOUCING WITH BOO BOO
3.E-BOP
4.LITTLE GIRLS
5.GREW-VY
6.ORANATE
7.LA BERTHE
8.PERIGIAN RAIN
9.ROLLER COASTER
10.EVIDENCE / THINK OF ONE