未知への憧れと畏れ
BRAD MEHLDAU / ELEGIAC CYCLE



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 草木も眠る丑三つ時・・・。先回下手物(げてもの)嫌いの話をしたが、夜中にトイレに行くのが怖かったのは、ご多分に漏れず僕もそうだった。家中寝静まっている最中、トイレにたつというのは不気味である。物音ひとつしないから、逆に何か聞こえてはきはしないかとビクビクするし、便器に座った背後に誰かいるのではと首筋から背中にかけて神経を集中させて気配を気にしている。振り向いたり俯いた頭を上げたりした瞬間に、みてはいけないものを見やしないかと思ってしまう。音・・・これは、子どもにとっては「怖れ」の要素としては、結構インパクトのあるものだ。いや、大の大人だって。
 で、ブラッド・メルドーのソロアルバムである。美しさの中に、子どものように怖いと感じてしまう「情念」が籠められている。ひたむきに弾くピアノの音に不用心に引き込まれると、だんだん怖くなる。
 ショパンの夜想曲か何かを聴いても、美しさと裏腹の「畏れ」がついて回る。ああ、阿修羅だ、これは。
 人間の心の奥底に潜み、表に出てくることのない「情念」。表面上美しくても、懐に隠し持っている刃がいつ出てくるとも知れないのである。
 今、昼時のドラマで山本有三の「真実一路」をやっている。哀切極まりないストーリー・・・らしいが、読んだこともないし、テレビの方も予告しか見ていないのだが。世間的にはふしだらと思われても、一途に生きる女の性の「強(こわ)さ」。そんなイメージとも重なってきたりもする。
 メルドーのピアノはひたむきな一途さがあって、それは自己陶酔とも違う真摯な表現であるところが、畏れ入るのだ。自分の世界に自信も衒いも感じさせない、ただひたむきであることによってのみ表出される「音」。ナルシズム的なソロ・ピアノというのもあるが、これは違う。心に深く沈んでいるものを、納得のいく最善を尽くして表にだしていくという作業。それを感じる。それは、聴くものに時に美しく、時に畏れを抱かさせ没頭を自ずと強いる。夢中になって引き込まれるように読み耽る「小説」のように。
 これと同類系のものに、ジョバンニ・ミラバシュのAVANTI !を挙げて良いだろう。
 子どもの心の畏れは、原始の人間の畏れに近いのだろう。未知のものに対する純真無垢な畏敬。
 このアルバムには、そんな人の心を無垢にして聴かせるという要素もあってか、時に怖くなるのが懐に抱かれた赤子が感じるような安らぎもある。
 美しく、優しく、未知への憧れや畏れに似たものをも感じさせる。

BRAD MEHLDAU:p
Jun 8.1999
1.BARD
2.RESIGNATION
3.MEMORY'S TRICKS
4.ELGY FOR WILLIAM BURROUGHS AND ALLEN
5.LAMENT FOR LINUS
6.TRAILER PARK GHOST
7.GOODBYE STORYTELLER
8.RUVHBLICK
9.THE BARD RETURNS