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漫画読むバカ、読まぬバカ

 
僕は残念ながら漫画に関しては読まぬバカに部類するのだけれど、先日札幌に行く途中のJRの列車の中で、コミック本を大事そうに胸に抱いてスヤスヤと幸せそうに寝ているネクタイをした多分ビジネスマンの青年をみて、おー何と羨ましいと思った。身体全体から人生に対する余裕が感じられたんだ。その点僕などは、ギスギスとしていて活字の詰まった文庫本をあっち読みこっち読みしていていっこうに一冊を読み切ることが出来ないでいる。で、JRの車中ともなると、普段読めない週刊誌のコラムなどを、それこそギスギスと読む。なんて僕は余裕がないのかと、つくづく思ってしまう。
 漫画というのは、基本的に絵が主体で、そういうビジュアル化された情報を通して、すっすっと目に入ってくるわけだ。だから結構厚めのものでも時間をかけずに読めてしまう。
我が息子などは、これを飽きることなく何度も繰り返し読んでは、大体同じツボで笑い、時に目を凝らしてため息などをつく様だ。
 いったいそんなに何度も読む魅力がどこに隠されているのかと、少々気にはなるけど手にとってみることが出来ない。
 僕はこういう漫画を読む人達とは違う世界に生きているとさえ思うことがある。彼らは大抵、小、中、高、大学、そして社会人になってからも読み続けているのだろう。実にこの年月の長さといったら大したものじゃないかとまた感心してしまう。
僕だってクレヨンしんちゃんなどは大好きで、テレビでやるあの30分間が非常に愉しみなのだけれど、それが僕の漫画に接する唯一の時間なのだろう。
 あれなどをみると漫画とは、人間の機微を絶妙に圧縮し、ピックアップしたものを、視覚情報という人間が最も入力されやすいところから入ってくるものなんだなと思っている。だから小さな子どもでも容易に理解出来る代物なわけだ。
 で、漫画本となると、この漫画にあのモヤモヤとした雲のような余白に文字が書かれていている。あれが少ない字数なら良いのだけれど、少し多くなると僕には些かもどかしいわけだ。せっかく視覚から入りやすくしているものに文字がびっしり書いてあって、更に人生とはなんぞやみたいなことを書いていると、これは絵か文字かどっちかに出来ないものかと思わないこともない。しかし、漫画読みの達人ともなると、こんなものでもたやすく読んでしまうのだろうから、またしても感心してしまうのだ。
 これは文句なく敬服に値する。僕の踏み込むことの出来ない領域であると思うのだ。
 
 話が飛ぶようだけれど、「偏愛」という言葉がある。つまり特殊で個別化したものをこよなく愛するということだろうけど、僕のジャズ好きも一種の偏愛だと言って良いだろう。
漫画を読む人の偏愛と僕のジャズ好きの偏愛とは、どこが違うのかと言えばどこも違わないなと思うようになった。だからといって、僕が将来漫画好きになるのかと言えば、それは全く予測さえ出来ない違う世界のことで何とも言えない。
 恋愛というのもある種の偏愛だと思う。世界中で一番この人が好きという思いは、些か不思議なことではあるなと思う。で、結婚生活を何年もやっていれば、ああ、只の勘違いだったと気づくわけだ。つまりは思い込みに過ぎなかったと。
 でも、僕はこの偏愛ということを経験しないと、それこそ普遍化した「人間って何」みたいなことにも到底たどり着けないと思っている。
 一般論や所謂「正しいこと」しか言えない人間の底の浅さは、「お役人」をみていれば一目瞭然なわけ。で、お役人でもないのに「お役人」みたいなことをいうバカにかかったら目を覆うばかりだ。(卑近な例で言えば、例の著作権の件のような)
 で、恋愛というのもいつかは人類愛にたどり着くと、結婚生活を長く続けているとつくづく思う。いや、そう思わなくちゃやっていけないって気もする。
 つまり、好きも嫌いもない愛情ってやつなだ。好き嫌いでもの言っていたら、どっちの転んだって長続きしないのは、この男と女の世界であるし、人間関係全てがそうであると思っている。
 でも、第一歩の「好き」や嫌いがなければ、人類愛もへったくれもないのだ。そりゃあ、マザー・テレサみたいな人もいるけれど、あれは特殊だね。でも彼女だってそういう経験があったに違いないと知らないけれどそう思うな。
 で、今日は何を言いたかったのか、自分でもわからなくなってきた。
でも漫画読むバカも読まないバカもいつかは、どっこいどっこいになるとしたら、別にどっちだっていいやってことかな。

Jazz徒然
Leon Parkerの鉦太鼓が麗しい!
David Kikosiki
inner trust
Criss Cross
December 19.1997
David Kikoski:p
Ed Howard:b
Leon Parker:ds

1.Some other blues
2.Softly as in a morning sunrise
3.Mirical
4.Inner trust
5.You don't know what love is
6.Two lonly people
7.Once upon a summer time
8.Wee see
9.Old Folks
10.Winni's garden
この盤は僕としては結構何度も聞き返したものだけれど、決まってSome other bluesの5分目ぐらいからのLeon Parkerのシンバルやら太鼓の音にしびれてしまって、昇天する。オーディオの調子も良くなったこともあって益々良い。もうここさえ聴ければ殆ど満足度は50%得られた気分だけれど、Parkerの太鼓はその後もゾクゾクするくらいいい音で僕を待ちかまえているわけ。彼の乾いた太鼓の音やら残響の短いシンバル音には何か秘密があるらしい。だから、一聴して彼の音だとわかってしまうし、叩き方にも特徴がある。で、そんなことを思って聴いてるとKikoskiのピアノがそっちのけになっていく羽目になる。でも、これは致し方ない。それだけ魅力的なタイコなんだ。彼はJackie Terassonと何枚かアルバムを出していてそこでもこの麗しい太鼓や鉦のシャワーを浴びることが出来る。でもParkerのことばかり書いても片手落ちだからアルバム全体の印象を言おうとするとはたと困ったことになる。いったい僕は何を聴いていたのか。これと言ってトピックなものがあったのかあまり印象にないってなってことになるわけ。どうやらその原因はKikoskiのピアノにあるようなんだ。どうも捉えようのない漠たる旋律ばかりが気になる。Kikoskiの真価がわかるのにはもう少し時間が欲しいなって感じだ。況やEd Hawradのベースとなるとまるで印象が薄い。
割とKikoskiのオリジナルよりはスタンダードものを料理したものが心に留まる。旋律が馴染み深いのもあるけれど、料理加減が適度でそれに被さるParkerの鉦太鼓が美味しいわけ。うーんどうもそこらだな。そう思って注目して聴いていると、ホホーと思うKikoskiのグッドな打鍵のタイム感覚が耳に入ってくる。だから、どうも手強いなってのがこの盤の全体的な印象となるな。まあ、Parkerの太鼓やシンバルだけ聴いてりゃ愉しめるけどね。
わりかしホーと思うのの1つにEvansのTwo Lonly Peopleなんてものを選んでくるあたりだ。
それからMonkのWee Seeあたりもグルービーな感じで結構良い。でもこれもParkerなしにはあり得ないグルーブ感だ。
なんてどうも僕もすれっからしなジャズ聴きに成り下がったのかなって自戒しちゃうな。
最後のKikoskiのオリジナルWinnie's Gardenあたりまで来てやっとKikosikiの良さが少しわかって来た感じ。結構ハードさがあってモヤモヤ感がないところがいいな。
Leon ParkerのストレートさとKikosikiのわけわかんなさがない交ぜになってやっぱり難物だ。