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聞く力-その1

「聞く」ということは、臨床心理学の世界ではカウンセリング手法の重要なキーワードだけれど、大事なポイントは相手の心を開かせるために、最大限聞き手は、自分というものを捨てて、心を開くということだ。

僕自身の経験から言うと、一時期こういう専門家のお世話になっていたことがある。彼は医師なのだけれど、様々な依存症(アルコール、薬物、等)に陥った者達を相手にしてきた方で、その道ではエキスパートと言ってよい。僕は、何度も書いてきたけれど、アルコールの方でお世話になった。最初にその医師に話を聞いてもらった時に、かみさんと一緒だったのだけれど、色々僕がどれだけアルコールに寄りかかって生活しているかを聞いて貰っていたけれど、かみさんの方にも僕の話した内容を確認する意味で色々耳を傾けてくれた。で、どういう話の展開だったかは忘れたけれど、僕たち夫婦のあり方について、実に的を得た言葉で評価してくれたのだ。

「あなた方夫婦は、心配する方と、心配される方という関係が固定化している」というようなことを言われた。

これは、後々心に残っていたのだが、後で、わかったことだけれど、依存症なのは僕の方だけじゃないってことなのだ。

つまり、かみさんも何らかの依存症であるということだ。つまりいつもまわりにふりまわされている人という意味で「共依存症」という依存症の一種なんだ。これは、アルコールだとか、薬物の依存症の家族にありがちなことで、このことについて、メロディ・ビーティという人が、実体験をもとに”共依存症 いつも他人に振りまわされて人たち”という本を書いている。

話を戻すと、そういった「結論」に至るまでに、医師はひたすら僕たちの言葉に耳を傾け、殆ど聞き取るための呼び水的な質問はするものの、「そりゃ、○○ですよ」なんて即断してしまうような言葉は、いっさい聞かれなかった。相談に来た人の考え方も含めたその人の言葉で思った通りに話をさせ、聞く。ひたすら耳を傾けて聞く。いちいち、相談者の言葉にコメントを加えるようなことは、いっさいしない。

 これは、普段僕たちの会話の仕方とは、一線を画すあり方だと思う。聞いている医師の頭には、いったいどんな自分なりの考えが巡っているのだろうと、聞いて貰っている本人の僕たちの方が、あれ?っと思うような、何か間違ったことでも言わなかったかなとか、自分で言ったくせに自分の言葉に自信がなくなって来るほどなのだ。

 たぶん、その医師の頭の中では、僕が話した言葉の中から矛盾点、食い違い、未整理な考えなどを、整理し直しているのだろうと気づきだした。それは彼が時々質問する言葉に、僕がはっとして今までの話の脈絡がおかしいのではと気づくことが何度かあったからだ。

 この一貫して「聞く」という姿勢には、ひとつに相手のこころを開かせることを目標にしていることと、一緒に考えを整理するということがあるのだろう。そして、彼が下す結論や感想は、最後の最後まで出さない。いや、断じてだしてはならないという鍛錬された技法なのだ。その日一日で判断が下せることができるだけの材料がそろわなければ、あるいは相談者に今結論めいたことを言うことが適さないと判断したときには、敢えて、何も語らず、次の相談日の日程を告げるにとどめるということが、あるのだろう。

 この「聞く」力の弱さが、僕を含めて反省しなければならない時なのではと思った。(続く)

Jazz徒然
スタンダード集の聴き方
Joe Chindamo
The Joy of Standards vol.2
Joe Chindamo:p
Matt Clohesy:b
David Bec:ds
Recorded March 11,12.2002
sawano(Atelier)
1.Tricotism
2.My Favorite things
3.Mr Bpjangles
4.Little Niles
5.Paris in April
6.Zingaro
7.Sleep days
8.April in Paris
9.It was a very of a secret
10.There views of a secret
11.Monk Business
12.Balld of the sad young men
Chindamoのスタンダード集第2弾。久しぶりに先日、第1弾を聴いたけれど、懐かしかった。澤野盤の中では人気盤だった。その余勢を張ってだが、ある意味スタンダード集というのは勇気がいる。いや、これは買い手側として。当たれば良いが、何の特徴もなければいつか聴かずに忘れられる運命にある。しかし、何か自分の今気に入っているものとドッキングしてインプットしておけば、何とかそれはまぬがれるだろう。例えば、気に入っていて、これさえ聴けばイチコロという曲。僕は、Mr Bojanglesが生涯忘れられないのではと思うのだが、フランク・シナトラ、サミー・ディビスJr.それからあのキャバレーで一躍有名になった彼女。名前が出てこない。ほら、オズの魔法使いの主役になった彼女の娘。もうこれだから、年は取りたくない。いや、とりあえず今は彼女の名前はいいのだ。サミー・ディビスJrがこれを日本公演の時に歌ったのが忘れられない。
 それに注目して聴くと、なかなか凝った演奏になっている。テーマ自体がぐっと来る。やはり思い出とセットで聴くとなかなかいいものだ。哀愁があって悲しい物語だったような気がする。字幕の歌詞をじっと目を凝らして読んでいたものだ。でも、忘れたが・・・。で、一旦注意が集中すると、その後も良くきこえるから不思議だ。で、頭に戻ってみると、抜群にスウィングするTricotsmが心地よく聞こえてしまう。こういう工夫をしないとなかなか印象に残ってこないものだ。で、しかも書き残さないと。
 飛ばし飛ばして、8曲目タンゴ調でやってみたり色々工夫しているApril in Parisで再び緊張感が出る。自分でテンションを高めるようにして聴かないと、とにかく冗漫になってしまう。
リリカルタッチな次のIt was a very good yearなんてのも良い。
 ピアノ・トリオってのは、ドラムとベースがあってのテンションだと思うが、そのバランスの上に”羊の皮を被った狼”というライナーのコメントが成り立つなと思った。Chindamo一人ではありえない。それが見事に感じさせるのがMonk Businessだ。四方八方にテンションが飛び散る。
 折角の良い演奏を気持ちよく聴くには、こつがいる。決して漫然と頭から最後まで聴かないこと。これだね。そうやって聴くと最後のバラードが、ご苦労様じゃなく聴ける。