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聞く(聴く)力-その4*

 演奏から発せられる音の実体を別の形でイメージ化するという作業は、どこまでも拡散されても良いのかという疑問が、次に起こる。Milesの音はMilesでなくてはならない。Chet BakerでもなくLee Morganでもない。そこの差異をどうイメージ化するか。同じ楽器から出る音やフレーズの差異だけなく、彼らの音楽性(これがくせ者だが)の理解がなければ、意味をなさない。そのことを根底としながらも、僕というフィルターを通したものであってこそ、僕が「聴き」そして「書く」という意義がある。これは、自ずとそうなるという、幾分楽観が僕にはある。

 しかしながら、音楽性の理解などということがそうたやすいことではないのは言うまでもない。青山二郎は「眼の筍生活」のなかでこう言っている。

「物の『在り方』は美の鑑賞なぞといううっとりとした眼に、最初の印象を許すものではありません。ひとめ見て惚れたといひますが、文字通りそれは好き好きというもので、それとこれとは別の問題であります。(中略)併しもしもこの好き好きというものが、物の『在り方』と端的に一致するようになれば、先ず骨董屋より玄人といへませう。」

ここで振り返りたいのが、「聞く」ひいては「聴く」ということだが、まずは実体としてのMilesの演奏するものの、簡単に言えば、Milesが演奏したそのものを、あくまで自分の主観を出来るだけ避けて感じ取ること、(主観なくして感じることは出来ないという矛盾も含んでいるが)、つまりMilesの意図を出来うる限り理解しようと心がけることが出発点なのだということになる。また、青山になるが、

「併し乍ら、物の在り方というものは(中略)独自の一つ一つの形態がそこに在って、それが他と違わなければならぬ大事なところで、他と違ってゐなければならない筈です。(中略)これを見落とすことは出来ません。さうすると、骨董屋某の眼は何を見てゐた事になるのでせう。『美術品というものは存在しない。あるものは美だけだ』という所謂、美の精髄だけを鑑賞してゐればたりたのではないでせうか。この問題の心理的な、或いは生理的な誤差は暫く措くとして、知らず識らずにかうして頭の助けを借り過ぎてゐる我々の眼が、物の『在り方』ともいうべきその形態を、先ず以て失念して異としない点を私は注意して見たいのです。」

これは、たとえばKeith JarrettのStandardsでAutumn Leavesを何度も繰り返し演奏したけれど、またかよと思ってしまうのではなくて、その差異に注目しなれば聴く意味がないということであろう。Standardsという同じ組み合わせのピアノ・トリオが同じ曲をほぼ同じスタイルでやる。そんなの何度聴いても本質はかわりない。分かり切ったことじゃないか、と言ってしまえばそれまでなのだ。それは別段別の曲をこのトリオでやったとしても「本質的」には何の差異もなくなることになってしまう。Standardsの演奏スタイルとは、これこれである、で終わってしまう。ジャズとは一回性の音楽と言うが、一回きりなのは、何もジャズに限ったことではないかもしれないが、意図的に全く同じ演奏をするというのでなければ、これほど差異のはっきりした音楽はないと言ってもよいだろう。テーマの解釈にしろ、続くアドリブや構成する楽器同士のやりとりなどは、その場限りのものでありどう展開していくかなど、やっている本人にもわからない。こうきたから、ああでるという具合で丁々発止のスリルといったらこのうえない。演奏者の調子の善し悪しも左右されてくる。全く予測不可能なのであり、これを「本質的にはかわりない」といってしまうとしたら、どういう聴き方をしてるのかということである。
しかし、そんなことには、多分ならない。普段僕たちが聴いている聴き方で問題ないのだ。
「凄い」とか「素晴らしい」の一言に込められる様々な直感的な感動、これこそが全てを物語っているという気がする。つまり頭であれこれ考える前に気持ちが反応してしまっていて、その実色んな演奏の側面を瞬時にとらえている。まさにこのことが、「聴く」の本領であろう。
 考えてみれば、ジャズの初心者はかえってあれこれ頭をひねってしまう。頭で理解しようと必死になる。そのことが、逆に「在り方」を感じとる妨げになっていると思う。勿論、最初から何のイメージも先入観念もなくすっと直感で反応出来るかと言えば、これまた出来ない相談だろう。(続く)

JAZZ徒然

うたがきこえてくる!

AVANTI !


GIOVANNI MIRABASSI:p
Novenber 2000
Sawano
:

1.EL PUEBLO UNIDO JAMES SERA VENCIDO
2.LE CHANT DES PARTISANS
3.AH ! CA IRA
4.LE TEMPS DES CERISES
5.HASTA SIEMPRE
6.JE CHANTE POUR PASSER LE TEMPS
7.SCIUR PADRUN
8.EL PASO DEL EBRO
9.A SI M'BONANGA
10.LA BUTTE ROUGE
11.ADDIO LUGANO BELLA
12.JOHNNY I HARDLY KNEW YE
13.BELLA CIAO
14.IMAGINE
15.MY REVOLITION
16.PLAINE,MA PLAINE

 人の話は心が素直にならないとちゃんと聞こえない。語りかける言葉が邪魔なく入ってこれるように心を開いておこう。美しすぎるものに嫌気がさすことがある。心があれていたり、奢っていたり。正直言うと、最初聴いた時には、美しすぎる旋律に嫌気を感じた。いったいどんな心持ちだったのか。
一緒についてきたブックレットの写真と一緒に聴き入るとMIRABASSIのピアノが語りかけてくる、その言葉がわかる気がする。哀しかったり、恐ろしかったり、嬉しかったり・・・。
短い語りの中に籠められた胸中が伝わってくる。
1.繰り返し頭のここだけ聴くと、嗚咽したくなるほど、胸がキュンとなる。男泣き?いや、子供にかえってしまうのかも知れない。デジャブのようにこんな気持ちがあったと古い記憶が蘇る。一丈の詩が鍵盤から紡ぎ出される。
2.解放された自由?いや、ひとときの休暇。日差しが柔らかい。大河のように洋々とメロディが流れ歓喜がおこる。
3.何だろう。不思議な感じ。ちょっと不安。幼い子供のように少しおどおどして、眼をしっかりあけて周りを見渡し・・・へんな予感。
4.子供が遊んでいる?子供の情景?
5.突然の哀しみ。暗澹たる想い。どうしようもなさ。
6.アラゴンの詩。傷ついたものを思う詩だろうか。悲しみを武器として立ち上がれ・・かな。静かな語りが不屈の闘志にかわる。
etc....。