KENNY BARRON / SCRATCH
KENNY BARRON:p DAVE HOLLAND:b DANIEL HUMAIR:ds 1985 ENJA
1.SCRATCH 2.QUIET TIMES 3.WATER LILY 4.SONG FOR ABDULLA 5.THE THIRD EYE 6.JACOB'S LADDER 7.AND THEN AGAIN
北海道は富良野を舞台にしたドラマ『北の国から』が昨年「2002遺言」をもって終焉した。 長年続いたこのドラマは、父と兄妹が北の大地に半ば自給自足の生活をしながら、強い絆で結ばれ艱難辛苦を凌いで人間として成長していく人間模様が描かれた作品だったと思う。 このドラマの主役は父・黒板五郎と息子・純、そして娘・蛍なのだが、この3人が時に主役、時に脇に回って回を重ねたドラマだと云って良いのだろう。 古い話だが、田中邦衛は加山雄三を主役とした「若大将シリーズ」の名脇役として、まだ若く人気だけが先行したヘボな主役をもり立てて笑いを観客に提供してし続けていた。加山の若大将に対して彼は青大将と呼ばれていて風貌は冴えないが味のある演技の田中が居てこそ、加山が華を持つことが出来たと思う。 こうした名脇役がいてこそ、主役は華を持てるというのは、どの世界でも同じだろう。あの『北の国から』では、純や蛍が主役の時には、五郎が上手く脇に回ってこそ味のあるドラマとなっていた。勿論、五郎の存在は名子役の演技があって渋い演技が更に濃いものとなっていることは確かだ。 この社会で主役となる道を選ぶか、脇となって主役をもり立てることに存在価値を得るかという選択もあろう。しかし、自分自身の人生の主役は自分以外にはない筈である。 ところが、卑近な例で云えば若者のファッションだが、あれはファッションではなくファッショだと云った人があるがまさにそうだと僕も思う。まるで主体性がなく皆がやっているから自分もという感覚から抜け出せない。「総クローン化」しているのである。流行を追うのはまあ許せるが、似合いもしないのに人まねをするのは、「猿真似」でしかない。もともと日本人の特性にはこういう性質があったのだろうが、将来を支える若者のファッションにそんな特性が如実にみられるというのは悲しい現実である。 今年は申年だが、猿真似でなく自分らしいやり方をみつける節目にすべきではないか。猿知恵から生まれた猿真似では、お恥ずかしい限りである。 さて、このケニー・バロンのSCRATCHというアルバム。力強くて、繊細で、滋味溢れるアルバムである。ケニー・バロンが万能サイドマンとしての評価から一気に才覚を現し実力のほどをみせつけた一枚だろう。強力なサイドマン、ディブ・ホランドとダニエル・ユメールを得てぐっと頭角を現した。歌心のあるホランドのベース、繊細にして大胆なドラムを聴かせる燻し銀のユメールとの実力本位のアルバムだなと思った。 バロンに匹敵する現在若手と云えば、僕ならエリック・リードあたりを挙げたい。どんなスタイルでもこなせて、それでいて器用貧乏にならない実力派。名脇役が主役になると怖い。新星だなんだかだと煽てられたひ弱な主役とは、わけが違うのだ・・・なんて云ってるけど、本当のところバロンのものは、そんなに聴いているわけじゃない。ただ、これを聴いた限り説得力のあるアルバムになっていることは確かと言える。クオリティは高いんだけど、乙に済まして纏まりが良すぎて面白みに欠けるのものとは、比較にならない。エネルギーをぶつけてくる各演奏のどこにも凡庸さはないし、かといって奇を衒った危うさもない。やはり職人肌なんだなと思う。 ジャズの名盤は、誰もが聴くから「名盤」であってはつまらないと思っている。ジャズの匂いを大事にしながら、独自性をもってこそ「名盤」たる資格がある。 自分自身の「名盤」探しをしようじゃないか。時に主役を食ってしまう脇役が活躍する「名盤」もあろう。ジャズの世界では良くあることだと思っている。
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