家人のいない時、そっと出して聴く禁断の音

 10日ほど前節煙しようと思いたった。一日平均2箱というペースで来てたが、このペースでやってると、一ヶ月の煙草代も馬鹿にならない。酒もギャンブルもしないんだからせめてこれくらいはと思うが、山盛りになった吸い殻の山を見るたびに、これじゃあ体に良いわけがないと思う。あまり体のことを考える質じゃなが、節約という観点からも減らそうと決めた。
 で、せめてパソコンの前でキーボードを打ちながらの喫煙は止めようと。チェーン・スモークのチェーンを切るというわけである。
 

THE FABULOUS SLIDE HAMPTON

SLIDE HAMPTON-tb
JOACHIM KUHN-p
NEILS HENNING ORSTED PEDERSEN-b
PHILLY JOE JONES-ds
1969.1.6
PATHE

 

1.IN CASE OF EMERGENCY 2.LAST MINUTE BLUES 3.CHOP SUEY 4.LAMENT 5.IMPOSSIBLE WALTZ
JOHNNY SMITH 
 MY DEAR LITTLE SWEETHEART

  大体、どこで吸ってるかと言えば書斎のパソコンの前が絶対多い。しかも、キーボードを打ちながら休むことなく吸っているっていうのが、一番宜しくない。 場所を決めてそこでしか吸わないという線も考えた。それは、第二策目ということにして、当面ささやかながらそんな無駄な抵抗をしようと決めたのだった。

 チェーン・スモークで思い出したのだが、沢木耕太郎に『チェーン・スモーキング』というエッセイ集があるのを思い出して、読み出したらこれが結構面白くて一遍だけ読んでしまった。
「鳥でもなく魚でもなく」というところだが、生まれ変わりをテーマにした話で、チェーン・スモークのように繋がっていく話の最後に、夢で空を飛ぶ夢をみるのか、それとも魚のように海を泳いでいる夢を多くみるのかで、その人が鳥型人間か魚型人間かに分類されるという説が出てくる。
 人類発生の起源に由来する面白い説なのだが・・・。

 僕は、やっぱり空を飛ぶ夢が断然多いなと思うが、沢木氏自身はどちらでもなくて、塀から塀へ、屋根から屋根へ、ビルからビルへと移るような夢が多いということで、その説を語った友人が、「おまえは、猿が祖先だ」といったオチになる。

 鳥や魚でもなく、ただの猿の生まれ変わりだったという話だ。

 僕が煙草を吸い始めたのは今はもう時効だから言うが、高校生の終わり頃だった。
 受験の為に深夜ラジオを聴きながら、一応机には向かっているがラジオから聞こえるお喋りに気を散らせて、開いたテキストなど斑にしか記憶に残ってこない。
 で、一息いれるとなると禁断の一服をするわけである。
 当時松任谷由実がまだ荒井由美だった頃であり、中島みゆきも若かった。
ローカルなラジオ番組のパーソナリティがセブンスターの話をし出したのを聞いて、よし明日からセブンスターでいこうなどと思ったりもした。まだ、決まった銘柄もなく、あれこれ悪戯していた頃のことだ。

 そんな具合だから受験もスムーズには通らず、浪人生活を送ることにもなったが、それとて真面目に精進するはずもなく予備校の帰りに安い珈琲の飲める場末の喫茶店で時間を潰していることが多かった。
 当時珈琲一杯150円くらいが相場だったろうか。それが50〜60円で飲めて何時間粘ってもいいという店があった。
 流石に座る座席のシートは端がすり切れているし、照明は煙草のヤニで曇っているし、ウエイトレスは清掃会社の従業員みたいな制服で、殆どやる気を感じない事務的な対応だが、貧乏学生にはそんなことはあまり関係がなかった。
 そんな場末の喫茶店のBGMには、先日買ったJ.スミスのアルバムみたいのが鳴っていた。所謂イージー・リスニング。
 
 喫茶店をあちこち梯子して一日を虚ろに過ごしていたあの頃。ジャズ喫茶に行くともなれば少し気合いが違う。全く次元の違う異空間。運ばれた珈琲の香りも苦みも特段な感じがした。懐具合を確かめてでないと入れない一杯の値段。一食抜いて珈琲代に当ててねばれるだけ粘って元を取らねばと思って時間を過ごしていた。空腹に濃い珈琲と煙草が滲みるし、粘る時間分更に腹にこたえる。意識は朦朧としてくる。

 そんなまでして聴いたのは、こんな感じのものだった。
スライド・ハンプトンのTHE FABULOUS SLIDE HAMPTON。

 久々に骨のある演奏を聴いたという気がした。70年代のジャズ喫茶では、こういうのを聴いた、というより聴かされた。勿論このアルバムは僕には初めてだが、こんな感じの音の怒号のなかで目が魚になって泳ぎ、周りの反応を気にしたものだった。みんなどんな顔して聴いてるんだろうって。大抵、平気な顔して目を瞑って聴いていたようだったが、内心はどうだったのか。
 無垢だった当時の僕はこういう凶暴な音に「犯された」ような気がしたものだった。無法な音の渦とはこういうものだろう。
 P.Jジョーンズの遮二無二に叩き出すドラム。J.キューンの敵討ちのような暴れ様。調和などまるで無視した鍵盤の引っ掻き。N.H.ペデルセンの弾けんばかりのどでかいベースの弦の音。そのなかで飄々と吹くS.ハンプトンのトロンボーン。
 メロディ楽器であるトロンボーンとピアノは、違う次元で勝手に鳴っていて、交差しあう全体の音のエネルギーだけが辺りの空気を圧倒し突き刺さってくる。
 山盛りになった灰皿の吸い殻のように、フィルターの先がてんでバラバラにあっちこっちを向いて突き刺さっている按配ににている。
 音の堆い塵だ。
J.J.ジョンソンのLAMENTで漸く一息つくけれど、これだってかなり異種な趣だ。
 家人のいないときに、大音量で聴きたい1枚。 「喧しい!」の一言で一喝されること間違いなしだがら。
 でも、好きだな、こういうの。

 ところでこれを書きながら、やっぱり煙草は離せなかった。所詮、僕には無理な約束事だったようだ。

  


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