クキッと、枝分かれ・・・

 いくつになっても今まで知らなかったことがあって、それらに出逢えたことは殊の外嬉しいものだ。
 
 最近、草木のなまえを知りたいと思い始めた。その方面には余りにも疎かったが、今年読んだ著書のなかにも、聞いたことも見たこともない草花や木のことが出てくる。今までは知らないまま読み飛ばしていたのだが、どうもそれでは情景や登場人物や著者の心象と重なっている場合もあろうから、やはり知っておきたいと言う気になった。
  

ORNETTE COLMAN
AT THE "GOLDEN CICLE"STOCKHOLM VOL.1

ORNETTE COLMAN-as
DAVID IZENZON-b
CHARLES MOFFETT-ds
BLUE NOTE 4224

 

1.FACES AND PLACES
2.EUROPIAN ECHOES
3.DEE DEE
4.DAWN

THE SHAPE OF JAZZ TO COME
ATLANTIC

  そんなわけで、いつも行く本屋の近くにある公園を犬を連れて散歩しながらこの木はなんだろうと注意してみるようになった。有り難いことに、丁寧に何科の何と書かれた札がついている。
 季節ももう花の時期はとうに終わっているから、節くれ立った木が枝を寒々と広げているばかりだが。
来年の春にはどんな花がつくのだろう、楽しみだ。

 毎年出逢う一冊の本、一枚のアルバム、一本の映画・・・のなかでも、それまで僕の経験のなかで考えもしなかった世界をみせてくれるものに出逢えると、木の枝がクキッと音をたてて僅かに曲がるようで、その節から新たな芽が出て枝分かれをしていく予感を覚える。
 それはひとつの些細な言葉であるかも知れないし、ひとつの独特の表現であるかも知れない。それらは新しく生まれたものであるより、既に過去の歴史に刻まれたもので、僕が未だ触れずにきたものであることの方が多いかも知れない。
 人類の知恵や遺産となって残っているものは実に膨大な枝分かれの繰り返しをして、巨大な古木となって僕らの背後にあるのだが、それらの一節一節が何故曲がったり、枝を分けたり、または異形な形態をしてその一部を形成したりするのかに気づいた時、僕のなかでもひとつの枝分かれをするのだろう。耳には聞こえないクキッという音を立てて・・・。

 オーネット・コールマン。
AT THE "GOLDEN CIRCLE"STOCKHOLM。
 今年出逢ったアルバムも数々あるが、コールマンのこの一枚は僕のなかで、間違いなく音を立てた。クキッと。

 フリージャズの闘志・・・というレッテルだけが何の根拠もなく僕の中にあったのだが、誤解していたと言うほかない。
 今年、彼のTHE SHAPE OF JAZZ TO COMEを聴いた時にも、あれっという意外さを味わった。オーネット・コールマンってこんな?
 フリージャズじゃない。それはブッカー・リトルとエリック・ドルフィーのFIVE SOPTのライブ盤を思わせる世界があったからだ。
 
 ところがこのGOLDEN CIRCLEは、THE SHAPEより増して何かに躓いて足首を挫いたような気分だった。
 それはフリージャズという語彙の僕の思いこみを完全に覆した、実にスリリングなピアノレス・トリオの演奏があった。ピアノレスに共通する鋭いインプロバイズと三者の音のぶつかり合いが広がっている。コールマンの織りなすフレーズは、寧ろオーソドックスであり、叫び、悲鳴、怒号などのフリーキーな音などは殆ど聴かれない。
 ドラムのチャールズ・モフェットが挑みかかるような破天荒なドラミングを繰り広げ、更に倍加するスリル。

 素僕なテーマを持つEUROPIAN ECHOS。鼻歌を歌うかのようなコールマンのアルトと絶えず一定のリズムで鳴り続けるモフェットのシンバルとの按配の珍妙さ。ユーモアと言おうか、道化というか、そんな音楽世界がある。

 僕はこれを聴いて時にベニー・ウォレスの80年代のピアノレスのアルバム群を思った。
 コールマン・トリオの自由でスリリングな音世界は、今では普通のこととしてやられているのだが、多分当時にあってはギャっと言うほどの驚きを持って聴衆に受け止められたのかも知れない。
 
 いや、僕が描いていたコールマンとは余りにかけ離れているある意味オーソドックスさに逆に僕にはギャと言わないまでも、やはり足を挫いたような按配だった。

 バラードを崩したようなDAWNにも面白みをそそられる。
 
 そうか、コールマンとはこうであったのかと、初めて知り、何かが音を立てて曲がり、僕のなかで枝をわかれをはじめるような気がした。

   


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