EE MORGAN / INTRODUCING

 BRAD MEHLDAU / ANYTHIG GOES
     
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BRAD MEHLDAU:p
LARRY GRENADIER:b
JORGE ROSSEY:ds
Oct 8,9 2002
WARNER BRT
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1.GET HAPPY
2.DREAMSVILLE
3.ANYTHING GOES
4.TRES PALABARAS
5.SKIPPY
6.NEARNESS OF YOU

7.STILL CRAZY AFTER ALL THESE YEARS
8.EVERYTHING IN ITS RIGHT PLACE
9.SMILE
10.I'VE GROWN ACCUSTOMES TO
HER FACE

 新しい本やCDを買ってきて書斎で愉しもうと思うときはいつも、普段飲んでいる珈琲メーカーの珈琲じゃなくて、エスプレッソを作る。牛乳が泡だったところにギューッと絞った濃い液が落ちて、丁度パンダの目のようになるのをみると、なんだか嬉しくなる。格別な気分を自分で演出して、さて読もうかな、聴こうかなという瞬間がささやかな幸せである。デロンギというエスプレッソの機械を勤続20年のお祝いに貰った。年をとると何が違うのかなと思うことがあるのだが、どうも物忘れも多くなったし、腰やらなにやら痛くなるし、小さい字は読みづらくなってくるし、あまりよいことが浮かんでこないのだが、「年の功」という言葉があるのだからきっとそういう部分で若い時にはなかったものが身に付いてきているのかなと思って自分を慰めてはみるものの、やっぱりあまりパッと気が晴れてこない。だから、ついつい溜息ばかりがでるという按配だ。
 
 ピアノ・トリオが百花繚乱している今、僕の好きなブラッド・メルドーを、メルドーでしかとか、メルドーだからこそという格別なものと思える部分をみつけるのが難しくなってきているなと感じている。前作にLARGOというのが出て、ちょっと趣向が変わったものを出してきて、おっと思ったものだが評判は色々で、こういうのを毀誉褒貶相半ばというのだろうが、目先を変えて人を驚かそうなんて魂胆には思えなかった。実に率直に彼の音楽的バックボーンを彼らしく表現してくれたと僕は思っている。
 今回のはそういう経緯を経て、やはりアート・オブ・ザ・トリオが少し変化しているのを感じる。その一方でメロドーだからこそという部分はしっかり維持している。
 彼の独創は意図してできあがったものじゃなくて、音楽的なものも含めた彼の経てきた日常からのものだと僕は感じている。丁度エスプレッソみたいに、フワッと泡立った牛乳に滴る濃縮した珈琲豆のエキスできたパンダの目みたいに、まったく自然な成り行きでできてしまったものなんだという気がしている。
 
 数学に「情緒」を見いだそうとした岡潔という数学者のことを最近知った。彼の言葉にこんなのがある。
「私は数学をやってきて、独創というものがつねに「知」と「未知」の“あいだ”にだけおこることを知ってきた。この“あいだ”に行くには、第1には「知」をもっと動ける状態にすることと、第2には「未知」を何かで感じられるようにしておくという、この二つのことが必要になる。」と。

 直感がこれほどものをいう音楽は他にない。でも、直感がうまく働く為には無数の潜在した引出し持っていることが必要になる。それは単に音楽だけの「知識」のことでだけはないが、ジャズというジャンルで活動しているものが、ジャズ以外のものにも当然興味があるだろうし、あったであろうことは想像に難くない。
 メルドーがポップスやロックなども良く聴くという習慣が、少なからず彼の直感に作用していることは、このアルバムでもそうだし、前作”ラルゴ”では更に直截に感じ取れたのだ。でもどうもそんなことだけではなく、彼のそうした習慣を含むグローバルな「日常性」が音律として刻み込まれているという感じがした。彼という存在感が聴いているこちら側の記憶にストレートに刻み込まれてくる。
 彼の独創は、彼の中に蓄積されたものと、それらが潜在的に働いて、それこそ直感的に新たに生み出されるものが、意図を感じさせず自然体なものとして僕たちの前に提示されて、それは「格別な記憶」として刻み込まれてくるのだなと思った。
 「記憶」・・・、と表現するのが僕にとっては最も相応しい彼らしさなのだ。
 
 さて、そんなことを思いつつ、いや、そんなことはかえって忘れて、いつものように少々面倒だがエスプレッソを作ってこのアルバムを愉しもう。

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