EE MORGAN / INTRODUCING

 MICHEL SARDABY / IN NEW YORK
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MICHEL SARDABY:p
RICHARD DAVIS:b
BILLY COBHAM:ds
RAY BARRETTO:cog
Aug 03 1972
SOUND HILLS
1THE PANTHER OF ANTIGNY
2.WALTZ FOR MY FATHER
3.LOVE LOVE AND DREAM
4.MARTINCA
5.SOMEONE CAME INTO MY LIFE
6.COULIE'S DANCE

  
 前回ブラッド・メルドーを特徴づけるとしたら”記憶”という言葉が僕には相応しいと書いてけれど、ミッシェル・サダビーならどんな言葉が適当なんだろうと考えてみると、それは”色”なんじゃないかなという気がした。
 それは”哀愁”というイメージも含んでいるから、さしずめ”青”かなとも思うが、それだけではない。枯葉のイメージの茶とか紅葉の赤、黄色、・・・色々思いつくけど、どれもぴったりこない。少なくとも極彩色の派手な色合いではなくて、移ろう花の色のような、もの侘びしさを湛えたそんな色なのかも知れない。それは、僕が一番最初に彼のアルバムとして聴いたBLUE SUNSETの印象が根強く刻印されて、サダビーらしさと云ってしまうものなのだが。
 それはこのアルバムでは5曲目SOMEONE CAME INTO MY LIFEで感じられる。僕がずっと抱き続けてきたサダビーなのだ。しっかり刻み込んでくる音には哀感が滲み出ていている。

 音楽を聴いて色をイメージするというのは”共感覚”というものが働いているのだそうだ。そんなことができる人は、どんな音楽を聴いても色が浮かぶらしいけど、僕にはそんな感覚は備わっていないようである。とはいえ、体調の悪い時には、何を聴いても無機質な”灰色”に思えるけど。
 
  サダビーの旋律から醸し出されてくるものは、季節の移ろいのある土壌に生活する者のもつ色彩感があるから、僕たち日本人の共感をよぶのだろう。
 雪解けの地面にみつけた蕗のとうに春を感じるような丁度今の時期、WALTZ FOR MY FATHERの春風のようなものに心弾むだろう。まだ雪残る川のせせらぎもある。

 ところがこのアルバムは、70年代のジャズ不遇の時代と良く言われる頃のもので、フュージョンなんてけた糞悪いものに逃げた尻軽ジャズ・マンとはおよそ縁がないという腰の据わった気概が感じらるし、力の籠もった無骨とも言える音づくりが一種反骨精神を思わせる。だから、このアルバムはやはり力強く、熱く、無骨だという印象のほうが強い。
 無骨と感じるのはサダビーの打ち据えるような打鍵にもあるけれど、大部分はリチャード・ディビスのベースとビリー・コブハムのドラムにある。デイビスの刻み込み、軋ませ、呻らせるといった彼の弾き方。血の滲むような力の籠もったものだ。加えてコブハムのドラムは荒く、繊細さを敢えて避けているかのようだ。
 
 そんななかでMARTINCAは断然熱い演奏だ。ビリー・コブハムの刻むビートに乗ってサダビー、ディビスが血を滾らせる。
 それとラストのCOULI'S DANCEだ。コブハムのドラム、レイ・バレットのコンガとディビスのベースの呻りからなる序章からビートが変わってサダビーが入ってくるや、俄然熱くなる。サダビーがサダビーでなくなる瞬間・・・フェイド・アウト。これはもっと続けて聴きたいという渇望感を残すけれど、聴けなくて良かったのかも知れないな。
 
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