テナーやアルトほど奏者の吹き方や音色に違いが多い楽器はないのだが、考えてみれば、ヴォーカルがそうであるが声質の違い、歌い方の違いはヴォーカリストによって様々だ。ピアノやベースというのも、違いが無いわけではないけれど、サックスほどの差異が生まれにくい。これはひとえに此の世で最も精巧に作られた楽器である人間の声と、それには及ばないが組み合わせによってバリエーションの多いサックスという楽器だけに与えられたものだからだろう。
サックスは、楽器の本体とマウスピースとリードからなっているけれど、楽器が一種類でもマウスピースとリードの隙間の開き具合、リードの厚さ、それから奏者のくわえ方で随分と音色が違ってくる。あと、ビブラートのかけ方なども特徴のひとつになる。それらを奏者が選ぶ選択肢は多い。音色からして様々なのだから、フレーズの取り方、スタイルまでいれたら、バリエーションが無数にあるんじゃないかなと思うが、そうでもないところが、摩訶不思議とも言える。
やっぱり名をはせた先達に及びたいというのが、類似を生むのだろう。
それはともかく、自然とサックスがリーダーのアルバムは、この吹き方、音色に注意がいく。演奏のスタイルやフレーズ以前にこれがファースト・インプレッションになる。それだけ重要だから、好き嫌いもそこで大半が決まってしまうだろう。
C.マクファーソンというアルティストは、全く始めてなのだが、このアルバムで聴いたアルトの音色、吹き方は、まるで喉と楽器が直結したような印象がまずあった。喩えて言えば、胃カメラを飲まされている状態で、声を出しているような具合かなと思う。僕は30歳代には、胃潰瘍で随分と悩まされたから、胃カメラのことは結構うるさい。
どこの病院のカメラが上手くて、どこが下手だとか、麻酔のかけ方、カメラの挿入時間とか、入れたり出したりの加減の違い・・・云々。まるで、アルトやテナーの音色にように様々だ。でもつい最近、ピロリ菌を除去してからは、全くこのカメラの世話になることがなくなって幸せである。
涙なくして語れない話をしてしまったが、マクファーソンのアルトの吹き方や音色は、全く始めてだけれどどこかで聴いたというのが、気になって仕様がなかった。誰かに似ていたからと言って、それを知ったところで結局大した問題ではないのだが、色々思い出しても浮かんでこなからもどかしくて、尚更気になる。
ノン・ビブラートの吹き方で乾いた感じ・・・というところであたりをつけたら、まずリー・コニッツが浮かんだが、どういう加減か、そんなはずはないと思ってしまっていた。もうひとり浮かんだのが、ウオーン・マーシュであるが、彼はテナーだ。
で、果たせるかなコニッツのDUETSというのを聴いて、まさにとは言えないまでもこれに近いんじゃないかということになった。音色、吹き方、そして丹念なフレーズの積み重ね。コニッツと言えば、トリスターノ派と言わるどこか頭でっかちな印象のある人達で、食わず嫌いかあまり近づきたくない一派だが、マクファーソンとは経歴が違う。ライナー・ノーツで初めて知ったが彼は、C.パーカー系のビ・バップを神髄としたアルティストだから、不思議な一致だなと思っていた。
でも、このアルバムから受ける印象は、パーカー派だのビ・バップを信条とした人であるなどなどという事柄とは遠いものだ。まあ、早計な判断かも知れないが、スタイル、派閥の出所は別でもいつのまにやら一緒になってしまう・・・それも自然な成り行きじゃないかと。
出だしがBE MY LOVEなのである。だからどうしたと言われるだろうが、僕はこの曲が好きを通り越して・・・大好きなのだ。(あまり違わないが)最初にこの曲を聴いたのが、フィル・ウッズのWOODLOREだと言いたいところだが、お恥ずかしながら山下達郎なのだ。鼻にかかったあの達郎の歌だった。そのことは、あまり公言しないで欲しいが、ホントのことだから仕様がない。
この曲が入っているジャズで(!)有名なのは、エリック・アレクサンダーのSTRAIGHT
UPとキース・ジャレットのソロ・アルバムTHE MELODY AT NIGHT ,WITH YOUというところだろう。
あと言い残してならないのが、ピアノのS.キューンである。彼はヴィーナス・レーベルにこれぞというのを残している。LOVE
WALKED INだ。このマクファーソンのアルバムを期に聴き直してみてこれは凄いと舌を巻いた。バスター・ウィリアムズとビル・スチュワートとの組み合わせだが、ここでの凄みほどはないが、滋味溢れるキューンは、今の僕好みだ。
大体言いたいことは言ったと思うので、後は僕を独りにしてこのアルバムを愉しませて貰おう。
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