ERIC REED /IMPRESSIVE AND ROMANTIC

ERIC REED-p RON CARTER-b AL FOSTER-ds
Dec 22.2003 M& I
1.OUT OF THE PAST 2.I LET A SONG GO OUT OF MY HEAT 3.I WANT TO BE HAPPY 4.CAN'T HELP SINGING 5.MILES AHEAD 6.JHONNY GUITAR 7.LOOSE BLOOSE 8.SON IN LOVE 9.BLUES IN THE NIGHT 10.BLAH,BLAH,BLAH 11.IT'S EASY TO REMEMBER

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 猛暑の夏も終わりかけているようだ。一夏の思い出など血の気の失せかかっている僕のような年代の者にあるわけないのだが、日常振り返ってそうそう刺激や感動が転がっているものではないのだから、当たり前と言えば当たり前のことだろう。
 刺激も感動もそんなに欲しいとは思わなくなって、淡々と何かを積み重ねて一日を終えまた明日、またあしたと過ごしている。
 それでも有り難いことに、自分の時間が持てれば好きなことに時間を費やして一満足できるから文句はない。下手に娯楽に刺激を求めても、安手の感動に後味悪い思いをするだけだからと引っ込み思案になっているようだ。

 最近みた映画は、荒戸源治郎監督の『赤目四十八瀧心中未遂』で、その前となるとビデオで借りたオーソン・ウエルズが出演した『第三の男』だったかも知れない。両方とも先に原作を読んでいて、地元の自主上映の会が興業した形で『赤目・・・』は観る機会を得た。シネ・コンでは得られない「本物」を観たと思た。
 『第三の男』は、1952年の作品で原作はグレアム・グリーンである。グリーンの原作は映画を想定して書かれたものだけに、細かな心理描写などはあまりなくあっけないと言うほど淡々とストーリーの展開を記している。
 映画自体も今の仕掛けの凝った映画に比べようもないが、謎解きをしていくストーリーを場面化していく駒運びはこれぞ映画という基本中の基本を観たじわっと伝わる感動があった。

 さて今回のE.リードの新譜に話を転じると、ジャズの基本中の基本の味がじわっと伝わるまさに先の映画『第三の男』のようなものだと思う。
 「ジャズはピアノにはじまりピアノに終わる」と良く言われる。勿論それが全てではないということが、言外にはあるわけだ。同じように僕が更に付け足すなら「ピアノはバップにはじまりバップに終わる」としておこう。そしてその間には様々な紆余曲折を経験することなしに、終わりの境地には達しないというつもりである。
 
 今日の映画は観衆の刺激を求める欲求に応えるように加速的にどんどん意匠を凝らしてアッと言わせるようとするかわりに、何か映画というものの基本中の基本を置き去りにしてはいないかという気がする。
 「愛と感動」もスリルも吃驚して観ているうちに、見終わってから安手のものにすり替わっていることに気付いて、結局刹那のジェットコースター的な空虚感に襲われるのだ。

 このリードのアルバムは、副題にグレート・コンポーザーに捧ぐとあるように、素材も演奏も特段アッといわせるような類のものではない。だから、物足りなさを感じる人があっても不思議ではないとは思う。
 しかし、ジャズの始まりと終わりの境地である基本中の基本を貫いたじわっと伝わる「本物」の味があって、それだけに刹那に消える空しさとは縁遠い「実のあるもの」だと感じる。

 僕はリードのファンでもあるし、ドラムのA.フォスターの「いつものあれ」であるここぞという時の打擲に惚れている。R.カーターも今回ばかりは、いい仕事をしてるなと見直した。

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