ジャマイカな夜

 5月連休の二日目、札幌に戻って街に出て中古レコード店やジャズ喫茶を梯子してきた。
 老舗ジャマイカに辿り着いたのは、中古レコード屋に寄った帰りだった。夕方4時過ぎだったろうか。
 マスターの樋口さんと他の客が一人。外の天気も上々だったお陰で大通り公園のベンチで小一時間過ごした後だったのも手伝って良い気分でジャマイカのドアを開けた。

BLUE TRAIN/JOHN COLTRANE


JOHN COLTRANE:ts
LEE MORGAN:tp
CURTIS FULLER:tb
KENNY DREW;p
PAUL CHAMBERS:b
PHILLY JOE JONES:ds
Sep 15 1957
BLUE NOTE 1577
SIDE 1
1.BLUE TRAIN
2.MOMENT'S NOTICE

SIDE 2
3.LOCOMOTION
4.I'M OLD FASHIONED
5.LAZY BIRD


 久方ぶりの訪問だったが、カウンターの前に座るとやっぱり落ち着く。
 「何か良いものありましたか」と樋口さんに声をかけて貰い、さっき買ったばかりのルー・ドナルドソンのBLUE NOTE10インチ盤をみせた。
 「ト(10)インチは、かけるとき気をつけないと針が吹っ飛ぶんですよ・・・」
 と教えてくれた。
 妙にその「ト・インチ」という響きに歴史の重みを感じて有り難く思えた。

 それから実は高校時代東映地下の頃に良く通ったんですよと言う話から談笑が続いていった。


 あの時代やっぱりコルトレーンだったですよね、と話すと
「コルトレーンの命日には、朝から仕事休んで人が来る」そうだ。
 それまでかけてくれてたルー・ドナルドソンから一転してBLUE TRAINとなった。

 それまでLP盤で通してたのにCDでかけてくれる。ひょっとしたら噸でもないオリジナル盤が出てくるかと思いきやである。
 針を落とせないくらいこれは鳴ったのだろうなと思いながら、CDジャケットをボヤッとみていた。

 夕暮れが始まってBLUE TRAINが鳴る。滲みる。これから家でもこの時間くらいから聴こうと思った。
 コルトレーンを聴くと軽く頷き続けている自分に気付く。
 「これだ、これだ」
 何が「これ」だか定かじゃないが、「これ」なのである。
 
 コルトレーンの上下するフレージングに同調して頷くノリになるのは確かだが、そればかりじゃない。
 僕にとってはBLUE TRAINはBLUE TRAINであって、BLUE NOTEだったというのは後で着いてくる。
 マイルスのKIND OF BLUEなんかもそうだろう。CBSだろうがPRESTIGEだろうがどうでもいいのだ。
 多分そういう意味でも「これだ」と頷くノリになるんだろう。

 7時過ぎ頃から他の客も入りだし、ボトルがカウンターに並びだした。目の前に樋口さんの次女?
 長女の方は存じていたが、前に立っている女の子はみたことがない。
 「え、娘さん?」と躊躇する前に声が出ていた。
 いや、アルバイトであって北大のジャズ研でベースを弾いているという。
 ジャマイカは名門だ。いいとこでバイト出来たね、なんて偉そうに言ってしまう。

 それから左の初老の方、右の僕と同年配の方と次々話しかける。ひとりおいて右向こうの端に青年が水割りを飲んでいた。
 僕があれこれ調子に乗って講釈し出すと、それを聞いてかこんなのあるぞと彼が黙ってリクエストする。依然黙りの伏し目がちでひたすら呑み続けている。
 いやダベっている僕らより真剣に聴いてるってことだ。
 ニールス・ヘニング・Ø・ペデルセンが亡くなったので、一くだりそれを言うと、セシル・マクビー入りのがドーンとかかる。
 ああ、マクビーだ。そうそう・・・。

 で、カウンターのなかにいる春水ちゃん(名前を教えて頂いた。お返しに僕のサイトもちゃかり宣伝したが)がベースをやるんだって話から、何か楽器やるんですかという話で、色々やったけどドラムだけは駄目だったと話す。彼はギターをやっててドラマーが欠員だったので簡単なのを叩けるようになったと話す。
 そんな楽器談義の時に、ピアノトリオはドラムで選ぶなんてまた訳知り顔になって少し話が萎む。

 その後、ラジオの深夜放送を聴いて育った話になって、そういや高田 渡が亡くなったんですよ。僕の町でと。
 これにはガバッと食らいついてきた。右隣の話してした彼が。
 そのことは先回書いたから省くが、それには流石に黙り青年も出す手がなかったようだ。

 せっかくジャマイカ訪れていい音で聴かせてもらってるのに、話ばかりで帰ってきたが愉しかったジャマイカな夜だった。
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ジャズの入門盤というのは、聴きやすさもあるのかも知れないが、それを聴いてもう金輪際聴かないと思うことなく、聴き続けるなにか引き金のようなものを持っていると言うようなインパクトが必要なのだろう。そしてこれぞジャズなんだと思わせるある種の香りを持ち合わせていなければならない。そういう意味ではこの盤などは、インパクトの面でも、これぞジャズという香りを持っているものであるということにおいても多分誰も異論はないのではないかと思う。
 ブルーノートデビュー作にしてこれ1枚きりしかリーダーアルバムを残さなかったというのだから、コルトレーンにしてみれば「金輪際」だったわけだが、これほど充実したアルバムに仕上がったのは、リハーサルを2日行うというブルーノートならではだろう。
 他の楽器もそうだが、コルトレーンのテナーの音の「張り」、これが強烈に印象に残る。ルディ・ヴァン・ゲルダーの優れた録音技術おかげだけではなかろう。彼はいつの時にも全力投球だったと思うが、ハードバップのスタイルの中でひたむきに吹くことで自然と音となる「張り」なのだと感じる。彼のテナーに特徴的な「粘り」にもクセになるものがある。これに惹かれるとやめられなくなる。音はどちらかと言えば、テナーらしからぬとも言えるだろうが、これがまさに彼のテナーなのだから、好き嫌いはあろうが確固とした存在感を保持している。
 フロント3管編成の中で、際だっているのは、リー・モーガンとコルトレーンのソロだろう。モーガンは、かなりコルトレーンに互して劣らないところをアピールしようという意気込みがあるように聴ける。フラーはこの二人に比べれば一歩引いた感じではあるが、饒舌な二人と程良いバランスをとっているのだ。しかし、3曲目のLOCOMOTIONなどは、かなり頑張って早いフレーズを披露している。ドリューのシングル・トーンの響き具合が良い彩りを添えてことも加えておこう。
 ミディアム、あるいは急速調なものが大方を占めている中で、I'M OLD FASHIONEDので聴かせるコルトレーンのバラードは、インパルスのBALLADSにはない「張り」を感じる点では、淡泊な感じのするインパルス盤とは対照を見せている。ここでもモーガンのソロには早熟さが如実に感じられて驚く。彼はまだ10代の青年だったのだから。
 

 

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