ユセフ・ラティフ
  

EASTERN SOUNDS
YUSEF LATEEF

YUSEF LATEEF-ts,oboe,fl
BARRY HARRIS-p
ERNIE FARROW-b,rabat
LEX HUMPHRIES-ds
Sep 5, 1961
PRESTIGE

SIDE 1
1.THE PLUM BLOSSOM 2.BLUES FOR THE ORIENT 3.CHINQ MIAU 4.DON'T BLAME ME
SIDE 2
5.LOVE THEME FROM SPARTACUS 6.SNAFU 7.PURPLE FLOWER 8.LOVE THEME FROM THE ROBE 9.THE THREE FACES OF BALAL

 

 ユセフ・ラティーフのリーダーアルバムを初めて手にして、サイドマンとしての彼がみせた片鱗を遙かに超えた全容とまでは到底言えないが、アイデアの一端に驚きと感動を持って聴くことが出来た。
 サイドマンとして聴く限り、フルートの音を自分の声と一緒に出して吹くというような奇抜さや壊れたように全体の調和に「破綻」をもたらす刺激剤という意味を含めて、「面白いやっちゃ」風な興味の抱き方だったが、これはそれを良い意味で裏切らせた。

 自己の音楽を広げるために様々な楽器を習得していく、と言うより寧ろ新たな楽器の習得によって広げられた音楽性といった方が良いのだろうか。ともかくそういった相乗効果を果たしていったタイプに、エリック・ドルフィーやサヒブ・シハブ、更にオーネット・コールマン等が思い浮かぶ。
 楽器のバリエーションは、表現されるものによって使い分けられ、溢れ出す表現意欲の手段として働いている。そこには有機的な関連性があり、恣意的な気まぐれではないところが彼らの特徴だと思う。
 ドルフィーがバスクラリネットによって上下激しくうねる演奏の片方でフルートを手にしたときは全く空気の違う清廉されたものとなったように、シハブやコールマンも同様、多元的な音楽を表現するという必然性がある。
 ローランド・カークを敢えて挙げなかったのは、そこら辺の感覚がやや彼らと違うのではという気がしているからだ。
 
 ともかくもう少しラティーフのアルバムを聴いてからとも思ったが、あまりに充実したこのアルバムの出来に躊躇出来なかった。
 彼のディスコグラフィーをざっとみると、SAVOY時代から始まって、PRESTIGE,RIVERSIDE,IMPULSE,ATLANTIC、そして自己レーベルYALと主たるレーベルを通過し実に多産家であることがわかったが、とても今すぐにはラティーフの外観を掴むことなど出来ない。しかし、偶然アタリが良かったらしい・・・と思いたい。彼の相貌を垣間見られた気で居る。

 フルート、オーボエ、テナーと曲調に応じて吹き替え、東洋を意識した曲調を交え、ある部分では民族音楽と捉えられるようなサウンドを創り出していく。更にコルトレーンのimpulse時代を思わせるものとなり、スピリチュアルなテナーを聴かせたり、バラードを吹く。
 オーボエでの「スパルタカスのテーマ」やフルートでの「ROBEのテーマ」のような正調?な吹きぶりからはサイドマンとして(例えばキャノンボール・アダレーの)の彼の傍若無人ぶりは嘘のようにさえ思え、アルバムに籠めた真摯さに驚き、完成度の高さに敬服する思いだった。
 
 しかし、「壊れたラティーフ」もラティーフには違いなく、興味尽きない。

 

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