HABANERA / SIMPLE ACOUSTIC TRIO
MARCIN WASILEWSKI:p SLAWONIR KURKIEWICZ;b MICHAL MISKIEWICZ:ds

September 6,7 1999
NOT TWO
1.HABANERA EXCENTRICA
2.WITHOUT THEM
3.TAMARA
4.GREEN SKY
5.FURIOZI
6.STRAVINSKY
7.SIMPLE SONG
SIMPLE JUNGLE


 


  いてもたっても

  何度言葉を重ねてもこのとてつもなく深い淵のような音の情景を描ききることは僕にはできないだろうと、ふと思った。
あのガウディのサグラダ・ファミリア大聖堂が幾世紀かかっても完成するということがないだろうと思うのと同様に、また、多くの画家が自分の本当に描きたかったものをついに生涯という時間をかけても尚描けなかったことがあったように、僕は、このHABANERAを聴き返す度にこの奥深さとエネルギーに驚き、何度でも今までの言葉の上から新たな言葉を見つけて塗り込めたいという衝動を抑えられない。これが、それほどの価値があるかどうかはわからないが、少なくとも僕にはただただ良いと思って聴くことの挙げ句が何か言葉を連ねたいという抑えがたい衝動を生むのだから仕様がない。
 僕には聴くということの究極は、ついに己自身が衝動的にであれ、能動的にまさに自ら何かをせずにはいられないということだろうと思えるのだ。感動のあまりにピアノの前に座って鍵盤の上に指を叩きつけるか、あるいはこうしてキーを打ち文字を打ち込むということでしか、自分を鎮めることが出来ない、そういうことであって、しかし尚かつこれは永遠に同じ激震が僕を襲って、再び同じことをさせるアルバムのひとつだと確信する。
 些か大仰な興奮しすぎた言い方をしてしまったが、少し落ち着いて書くと、今非常に気に入っているラーシュ・ヤンソンのSIMILER=同系統のものを探していて、ふと思い出したのがSIMPLE ACOUSTIC TRIOであったということだったのだが、最初は何気なく何度か聴いているうちに色んなことが頭の中を駆けめぐって来たのだ。しかし、それを書くと説明調になって今感じている感動が急激に萎んでしまいそうで、それが厭なのだ。だから、それは書かない。
 HABANERAの何が良かったのか、そのことだけを書くつもりでいる。
  ジャズのもつエネルギーが、単なる鑑賞に終わらず、人を動かすという証明のひとつであることは、確かだと思わせるアルバム・・・と言うことだけは今言っても良いのだろう。

 表現するということのなかにこうした矢も楯もたまらず衝動的に人を衝き動かすということがあるのを、自分自身だけでなく多くの表現者や鑑賞者のなかに認めるのだ。しかし一方でこうした衝動が拙速であると思うことも屡々で、衝動が拙速になるか時宜を逸するかは微妙な判断に左右されるのだが、表現において衝動性ほどやっかいでしかし重要なモチベーションを著すものはないのかも知れないと思った。
 洲之内徹の『絵のなかの散歩』に彼自身が衝動に衝き動かされて無鉄砲をやっている記述がいくつもあるのだが、多くの優れた作品に出逢った彼が、観た感動からついにはそれを所有したいという衝動を起こし、得ようとする彼を抑えられない事実は、表現の究極を思わせる。
 一例を挙げると、「海老原喜之助『ポアソニエール』」のなかに、その絵を所有者から得るために日参し、大雨のなかを我慢しきれず「裸足になって玄関の土間へ降り、ズボンの裾を捲り上げ、靴を片方ずつ上着のポケットに突っ込んだ。それから絵の包みの上をもう一度レインコートでくるんで、胸に抱えた。
 雨合羽にゴム長姿の原さんが、勝手口からまわってきて、そんな恰好の私に私の傘をさしかけ、片手に懐中電灯を持って足許を照らしながら、土砂降りの雨で水が川のように流されている山道を、バス停までついてきてくれたのだった。」
 これではあまりその絵のことやその記述に至る経緯がわからないと思うが、彼の矢も楯もたまらない行動の事実はわかって貰えるだろう。
 僕が素晴らしい音楽を聴いた結果、ついに自ら何かをせずにはいられなくなるというのは、衝動的な性癖だからということもあろうが、「表現」とはそこまでいかなくては本物ではなかろうと思うのだ。そうでなければ、発展性もないのだろう。
   
    


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