NIGHT LIGHTS/
GERRY MULLIGAN
GERRY MULLIGAN-bs ART FARMAER -tp,fh BOB BROOKMEYER-tb BOB BROOKMEYER--tb JIM HALL-g BILL CROW-b DAVW BAILY-ds
1963
PHILIPS
1.NIGHT LIGHTS 2.MORNING OF THE CARNIVAL 3.IN THE MEE SMALL HOURS OF THE MORNING 4PRELUDE IN E MINOUR 5.FESTIVAL MINOR 6.TELL ME WHWN 7.NIGHT LIGHTS


 


  呟き

 「JAZZのすすめ」というコラムがある。寺島靖国氏や岩浪洋三氏等の短文が掲載されている。
 物理学者で随筆家、漱石の門下である寺田寅彦の『柿の種』という一節が数分で読めてしまう短文が寄せ集めて一冊になっている本だが、そこにこんな話が載っていた。
 路上に風呂敷を拡げて、がま口をいくつか並べ商いをやっている男がいた。しかし誰ひとりこの商人を見向きもしないのだが、それでもあたかも自分の前に5,6人の顧客が控えてでもいるような意気込みでしゃべっているというのである。それをみて寅彦はめったに人の評価してくれない、あるいはみてもくれないものを喧伝するのも、この道路商人と同じようなものだ、という素朴な感慨を綴っている。

 「〜のすすめ」とは良くある宣伝文句だが、たとえば「文学のすすめ」といっても、なかなかおいそれと本を手にとって読む習慣のない者には、胡散臭くにしか聞こえてこない。書物にばかり浸って世間のことに疎い者を「紙魚(しみ」という。僕も紙魚の類だが、もうそういう習慣が付いてしまえば揶揄する声も届かない。釈迦に説法、・・・とそれほど偉くはないがいったん何かにアドークティッドな関わり方をし始めると始終そのことばかりとなって、時には蘊蓄を他人に聞いて貰いたくもなる。多分そう思い立って止むにやまれぬ思いで、「〜のすすめ」をしたくなるのだろう。
 しかし全く興味のない他人には、それこそ馬の耳に念仏、五月蠅いだけで、さっさと素通りしてしまう。先ほどの商人と同じである。

 三年間ジャズの店をやった。立地条件も災いしたが、その上ジャズを看板にしていたことが、人を立ち寄らせなかったひとつの理由でもあると思っている。一度は来てみたかったが、なかなか入れなかったという人も多く、そういう気後れを起こさせる看板が寄せ付けなかったという気もしている。
 反対に、えっこんな所にジャズ喫茶?と言って喜んで来店してくれた人も少なくはなかった。しかし商売とは人気不人気の差が経営を左右し、そのバランスの差で立ちゆきならなくなる期間も長短様々である。
 この土地で3年続いたんだから大したものだと褒めてくれる常連もいた。無愛想な僕につき合ってくれた客には感謝するばかりだ。
 特段ジャズを広めるメッセンジャーのつもりはなかった。店をやっている自分が心地よいと思う空間にいたかっただけだし、客も一緒にくつろげたらと思うばかりだった。

 ところで「JAZZのすすめ」となるとどういう了見であろうか。「日本文学のすすめ」ならまだ入り口も広い。小説に限って言っても明治・大正・昭和そして平成と僕の感想で言えば先細りの感は否めないが、どこら辺を好みとするか毀誉褒貶様々であろう。
 これはジャズにも言えて、叢生の時代と最も苛烈なハードバップの時代、紆余曲折を経て2000年以降のピアノ・トリオ全盛に落ち着く落下点の有りようがどううけとめられのか。こういう感想自体最早「JAZZのすすめ」の入り口に入っている者の言う事柄であるから、手前の人間には何のことやらである。
 今現在ジャズのシェアは極偏狭な域を出ない。綾戸智絵が大阪のおばちゃんパワーで人気があるのを憎々しげに思う一方、同じ大阪の下駄屋(失礼!澤野工房)が別のジャズファンのシェアを獲得しているのを誇りに思う。
 しかし、全ての音楽ジャンルを向こうに張って「ジャズのすすめ」と大看板を出せるのだろうか・・・と思う。
 せめて「呟き」程度が妥当ではないかとも思う。
 つぶやきといえば、twitterというのが注目されているが、あれは僕には理解できない。どんどん一言一言が短縮してしまっている現状を反映しているからであろうか。
 間口を拡げる工夫がそういうところに落ち着くのであろう。

 俳句は日本人が考え出した最短の詩である。が、その描き出す宇宙は草花小道具の小宇宙にもなり三千大千世界(みちあふち)にも広がる広大さにもなり、次元を越えて言葉が跳躍し跋扈する。それとこれとはまるで比較にならない。
 ジャズについて呟く文字空間にせめてもの雅致があれば救われる。
 本場アメリカから伝来したジャズに雅致などとは些か目論見違いと言われそうだが、本来僕らは日本人の感性を捨てきれないというのが僕の持論だ。
 卵がけご飯を食べる一方ジャズを聴く・・・これである。

 長くなったが、今日の一枚を選ぼう。
 僕が本格的にジャズを聴きだした頃に、これは参ったという一枚だった。それ以来ジェリー・マリガンをひたすら追い続けた。奥ゆかしさの本来の深みを滲ませている。取り合わせの旨さもある。テーマのNIGHT LIGHTSの後に黒いオルフェが来る。そのムードをそのまま引き継いでIN THE WEE SAMALL HOURS OF THE MORNING、そしてショパンのPRELUDE IN MINORを採用して続く。ムード・ミュージックとも捉えかねない一歩手前でジャズの哀感を湛えている。
 マリガンの双頭を務めるアート・ファーマーはチェット・ベイカーさながらであり、代役ともとらえかねないが、マリガンの狙った所を的中させているのは流石である。
 しかしこんな統一感のある首尾一貫したアルバムが今日あるだろうか。百貨店のようにこれもあるあれもあると店開きするのは楽しいには違いないが、いったい何を味わって欲しいのか、賛辞を寄せる言葉に四苦八苦するものばかりだ。アナログ時代に出たアルバムだからこそ味わえる一枚だろう。
  
    


HOME

2001-2004 (C)Cafe JAMALi, All right reserved.