兵士長室は四階にある。小隊の部屋が二階と三階にあり、大隊の部屋が四階にある。その中心にあるのが兵士長室
だ。その上の階は王室になっているが、一介の兵士はまずそんな場所へは行く機会が無い。一応小隊長であるフェイも 同様にだ。 「兵士長…いるかな〜」
コンコン…フェイは部屋をノックする。兵士長室だというのに、兵士長室と書かれているだけで他に何の装飾もない、
至って普通のドアだ。それで支障があると言うわけではないが、威厳はあまり感じられない。 「どうぞ…」
部屋の中から声が帰ってくる。いかにもお堅そうな声だ。
「兵士長、こんにちはー」
返す返事は気の抜けた、フェイの声だ。もちろん最初からこういう態度ではなかったが。
「おっ、そんななれなれしい奴は…、やっぱりフェイ、お前か…」
ドアからフェイが顔をのぞかせると、いくらか緊張がほぐれたような声で言った。
きっちりと制服を着た中年くらいの男が深くかぶった帽子の下から目をのぞかせている。入るときと違い、すでに声は
もうお堅い感じではなく、ただのおじさんと言った感じだ。フェイの姿を認めて、張った緊張の糸を緩ると言うのはいつも のことだった。 「また誰か連れてきたんだろ…?お前も飽きないやつだな…」
顔は長く、ひげも手入れされていて小奇麗だ。エリートといった感じで、仕事は出来そうだがおそらく剣の腕や体力は
それほどでもないだろう。典型的といえばそんな感じだ。 「情報早いですね…。また諜報部隊の奴らですか?」
「いや、さっき窓からな…。背負っていただろ?それに、奴らは俺の管轄外だ…」
「ははは…見られちゃいましたか」
そう言うものの、ばつの悪そうな顔は一切せず、フェイはにこやかに笑っている。兵士長もだ。別にこれが初めてという
わけでもない。 「どうせ許可取りに来たのだろう?表向きは」
「何でもお見通しですね…感心しますよ」
兵士長、名前はウィリアム・プレイン。年は四十。ロメオと仲がよく、昔は同じ小隊にいたこともあったらしい。ロメオは
とりあえず前線に出ることはなくなった。それはウィリアムも同じだが、こちらは指令側にまわった、というわけだ。ロメオ も上に上がれるチャンスが幾度かあったようだが、それをすることは無かったという。挙句の果ては「掃き溜め」だ。 ウィリアムは一番奥にある大きな席を立ち上がり、机に手をついて歩き出した。
「茶でも飲むか?」
「そのために来たんですよ」
フェイは間もいれずににこやかに答えた。一応はドアの前で直立してはいるものの、その態度と口からついて出る言
葉、表情はまったくもってそれにそぐわない。 「いやらしい奴め…」
そう言いながらもウィリアムは広い兵士長室の中でもかなりの面積を取っているソファに親指を向けて振った。
それを見たフェイは横に置いてあるソファにどっかりと座った。きちんと無作法ととられないように、親しみを忘れずに
気を配って、だ。上の人間と触れ合いなれているフェイだからこそ出来る余裕というものがある。 「座り心地いいですねぇ…。小隊作戦室の冷たい木の椅子とはちがいますねぇ」
座りながらフェイは首を横に向けて言った。右手は革のソファに添えられている。
「わざわざ嫌みを言いに来たのか…ほら」
「どうもすいません」
フェイが受け取ったティーカップには紅茶がいれられている。言うまでもないが、ここの紅茶も小隊作戦室にある物とは
格が違う。値段が一桁は違うだろう。ちなみに、私物だ。 「で、許可はいただけるのでしょうか?」
「ああ。お前の目が正しいことは俺が一番良く知ってるよ」
フェイはびしっと立ち上がり、そして深々と頭を下げる。
「ありがとうございます」
お辞儀の姿勢のまま顔だけを上げてにこりと笑うと、姿勢を戻して元の席についた。この間、約三秒。…慣れたもの
だ。 「ったく…、そう言うところだけはしっかりとしてやがるなお前は…」
ウィリアムは紅茶をすする。そして一息ついてから神妙な面もちでフェイの方へ向いた。フェイもそれの答えて真面目
な表情に切り替える。 「フェイ…、お前、まだあの隊でいいのか?」
「…」
フェイは何も言わずに紅茶をすすって話を聞いている。これを言われたのもこれが初めてではない。
「子守隊とも、はきだめ隊とも呼ばれている隊でお前のその…」
答えはいつもと同じ。
「俺はあの隊で自由気ままに、やってます」
うっすらと穏やかに笑いながら、フェイは言った。いつもの通り包み隠さず本心を述べた。
「フェイ…」
「あの隊にいれば新人の発掘も容易なんですよ〜!…暇ですからね」
「本当、変わった奴だよお前は…、出世は望まん、か?能力は人並み以上だっていうのに…」
フェイは残った紅茶を一気に飲み干し、テーブルの上に置いた。
「俺の出世の分は…、あなたに譲りますよ。それに、俺にそんな器量はありません」
ウィリアムとフェイは立ち上がって笑い合った。それは互いを深く信頼し合っている、と言うことなのだろう。長年付き合
い続けた友達のようにも見える。 「お前の出世の分なんて大したものじゃないだろ…まあ、上のことは任せてもらうさ…」
「言いますね」
フェイは首をかしげてもう一度にこりと笑った。本当に説得力のある笑みだ。
「フッ。わかったよ。せいぜいクビにならんようにな」
「ははは…、厳しいですね。では、俺は行きますね。失礼しました」
フェイは後ろ手で軽く手を挙げた。
「本当に紅茶飲んだだけで行きやがった…」
ガチャ…フェイは作戦室のドアを開く。中にはさっきと比べると人数は減っているようだが、あまり変わらないようだ。レ
イチェルの姿も見える。 「レイ…、今より正式にこの隊への入隊を要請するよ」
レイチェルはすでに他の隊員ともうち解けていて(相変わらずうち解けるのは早いなとフェイは思った)何人か残ってい
る隊員達とにこやかにおしゃべりをしていた。しかし、フェイの入室に気付くとこちらの方を見た。 「良かったじゃない!兵士長に認めてもらったんだね?これで私も本腰入れて教育にあたれるわ!」
エリザもいつの間にか戻ってきているようだ。それにしてもわざわざ彼女が二十六番小隊まで魔法の研究とはいえ一
体何をしているかはわかっていない。回復魔法がどうとかいっていたような記憶もあるが、本人に確認したわけではない ので定かではない。 「わかりました!頑張ります!」
レイチェルは立ち上がってぐっとガッツポーズをした。後ろで炎がめらめらと燃えているように見えるくらいの気迫を感
じる。意外とノリのいい性格なのかもしれない。 「その調子だよ!」
フェイは部屋を見回してみる。よく見ると何人か足りない。大概がらんとしているためにあまり気がつかなかった。
「ロメオさんはどうしたの?見回りか?クリューガーもいないじゃないか」
いないのが別に問題というわけではないが、隊長として一応居場所は聞いておくべきかとフェイは判断してそう言っ
た。ちなみに他の隊員は門番やら他の街へ行っていたりという理由でほとんどがいない。 その質問にはロックが答える。
「ロメオさんは見回りって言ってましたよ?クリューガーさんは多分練習場じゃないかと思います」
「また行ったのか…。二人とも飽きないね…。よし!じゃあ俺も行って来るよ」
フェイは部屋の中を歩いてロックの前を通り過ぎ、壁のある一点に向かって歩く。
「どちらへ?」
通り過ぎるフェイの姿を眼と首で追いながらロックは聞いた。
「見回りさ…ちょっと剣の調子も悪くなってきたし、ついでに見てもらうことにするよ」
フェイの目の前の壁からいくつかの帯が垂れ下がっている。うまく結ぶと剣とか槍とか武器もろもろが壁に掛けられる
というものなのだが、今は弓と、一対の剣と、後はフェイのいつも使っている剣と…後は少し小ぶりな剣だけのようだ。本 来はもうちょっとあるのだが、おそらくクリューガーとロメオが持っていってしまったのだろう。 特にクリューガーは「槍だけじゃ広く戦えねえ!」とかなんとか言って人の剣を勝手に持って行ったりするので、そのせ
いも考えられる。 「じゃあ、僕も一緒に…」
ロックは壁に掛けられている剣を取りに行こうとしたが、フェイはそれを手で止め、さらに言葉を続けた。
「今日は俺一人で行くよ。あ、でも剣見てもらいたいなら俺が行っておいてやるけど…」
「あ、じゃあお願いしていいですか?でも、僕も一緒に行きたかったな…」
ロックは一度止めた足をまた進め、フェイの横に立って壁に掛かっている剣を取った。
ロックは剣を抜いて中を見る。
「どうだ?俺にも見せてみな」
ロックは剣を一度さやに収めてからフェイに手渡した。フェイの剣に比べればそれほど重くはないが、やはりずっしりと
した重さがある。やはり、真剣であるからだ。 「刃こぼれとか…いろいろあるみたいだけど…」
(相当練習してるみたいだな…)見ただけでわかる。
フェイは剣をさやに収めて腰へ差した。
「フェイ隊長!レイチェル隊員に城を案内してあげたいのですが!」
エリザがそう声を張り上げて言ったので、剣に手をかけながらフェイは後ろを振り向いた。レイチェルはフェイのことを
じっと見つめている。こちらの雰囲気などまったく気にかけていない様子だ。 「わかりま…」
チラリ。エリザはフェイにそう言った視線を送る。とっさに察知したフェイは舌に言葉を乗せる前にぎりぎりでそれを止
めた。 (危ない危ない…、敬語はタブーだったっけ…)
「…わかった。許可します。では、エリザさん、今からレイチェル隊員に城の案内をすること!」
フェイは多少威厳をこめて言ったつもりだったが、うまくは決まらなかった。
「りょーかい☆じゃあ行きましょうか?レイちゃん」
「はぁい」
(もうちゃんづけで?いや、でも仲良くなれて良かったね…しかもあのエリザさんと…)
「じゃーいってきまーす!」
「フェイさん、行って来ますね?」
二人はなにやら盛り上がりながら背を向けた。
「エリザさん、レイを頼みますね…あっ」
しまった。
「やだなぁ隊長〜敬語はいいんですってばぁ!」
(よかった…機嫌はいいみたいだな)
二人はそれで部屋を出ていった。にこにこ笑っていて、軍服を着ていなければ同じ年頃の普通の女の子とあまり変わ
らない。普通に笑っていればかわいい顔なんだけどなぁ、とエリザを見ていてフェイはそう思った。あんまり普段ではあん な表情を見せないから、珍しいといえば珍しい。 レイチェルを連れてきたのも悪くはなかったということだ。
フェイは気を取り直してロックの方へ向き直る。バイパーも残っていたので、そちらのほうにも言った。
「じゃあ、行って来るよ。誰もいなくなるのは一応まずいからちゃんといてね。あ、それと、レイのことは他の隊員が帰って
きたらちゃんと伝えること!ま、有り得ないけど……」 「了解!」
「了解です」
ロックはフェイに向かって敬礼をした。
「ん〜今日も特に異常なしか〜」
フェイは城下の街をぶらぶらしながら歩いていた。朝よりかは人も少なくなり、歩いている人の年齢層もずいぶん変わ
ってきている。フェイのような若造がこんな時間に出歩いているのは不自然だが、もう見慣れてしまって老いる城下の 人々にとってはそうでもなく、むしろフェイに声をかけてくる人間もいるくらいだ。 フェイはどんな時でもそれに優しい柔らかな笑顔で対応するため、実はひそかに城下の人たちには受けがいい。フェ
イの定めた隊訓『人と接する時は決して威圧的にならない事』というのを自らが行動で示せているため、あのクリューガ ーですらこの隊訓になかなか従順で、もはや第二十七番小隊の顔は城下に知れ渡っている。 …ロメオに言わせれば「いつもヘラヘラしやがって…」らしい。
(そういえば、ロメオさんは…バーか?結構この街も多いからなー…どこいったんだろ?)
さすがに国の中心だけあって、この街は入り組んでいて込み合っているし、様々な店や飲み屋もある。この街をまわり
きるには一日かけても難しい。それでもフェイは短時間でまわりきってしまう。近道裏道、異常のありそうなところをまわ るためにそれほど時間がかからないのだ。と言っても一人で見回っているわけでもないのだが。 「えっと…この辺にいつも…」
メインの通りから少し離れた寂れた道がある。大きい街にはこういう場所も多くあるものである。フェイはそこへ今日は
足を運んだ。一応警戒ポイントにも入っている場所で、一応毎日足を運んでいる。だが目当ての人物はそうはいない。 見渡しても建物が多少あるだけで、道も狭く整備されていない。日の光もあまり当たらずに薄暗く、人の影もそれほど
ない。 「おい、フェイ…」
野太い声がフェイの足を止める。その声の主は今まさに探していたそれであった。…そろそろいる時期だと思っていた
が、どうやらフェイの予想が当たったようだ。 「おっ、ここにいたのかムッさん!」
この野太い声の小汚い服装をしている見た目五十程度の男がまさにフェイの探していた剣の具合を見てくれる人物
だ。気配を消しているわけでもないのにあまり気配を察知できない。 「ムッさん、剣見てもらえますかね?今日は二本なんですけど…部下のがありますから」
「おめぇみてえなわけぇやつが部下なんていいやがって…まあいいか。いつも世話になってるから、二本目はサービスっ
てことにしとくぜ」 「あはは…世話なんて。でも、それはありがとうございます。…これなんですけどね」
フェイは背中にある自分の剣と腰に差したロックの剣を同時に差し出した。
このムッさんと呼ばれている男、元刀鍛冶で、本名はム…何とかという名前らしい。詳しい話はあっちから話すと言うこ
ともないし、フェイの方から聞くこともない。だが腕は確かで、フェイのお気に入りである。この男の存在を知っているの はよほどの通とロックとフェイくらいのものであろう。最初に出会ったのはまったくの偶然というほか無い。 まずこの男はロックの方の剣を取って眺める。ちょっとだけ肉の乗った太めの顔に控えめについている両目から放た
れるその目つきは職人のそれであった。鋭い視線が剣の歯を嘗め回す。 「ずいぶんと酷使されてるな…。しかし、これは人を切ったわけではないようだ」
そう独り言をつぶやく。やっぱりな…フェイはそう思った。
「まだ使えそうですか?」
「ああ、俺が磨けばな」
そう言ってムッさんは砥石を後ろから出した。かなり大きい。何キロくらいの重さがあるのだろう。それでも、ムッさんは
それを軽々と片手で持ち運んでいる。…剣を研ぐのにも相当力を入れるのか、結構筋骨隆々な肉体をしているその男 を見るとフェイはいつも自分がいかに細っこいかを実感する。 「最近あっちの国へ行きました?」
ムッさんは剣を研ぎながらフェイの質問に答える。ちなみにあっちの国、というのはバイン王国ともう一つある大国…セ
ルガのことだ。 「ああ。だがもう剣を磨く必要も、それほど無いだろうさ」
意味ありげな返答に、フェイは少し面食らうが、すぐに取り直してまた言葉を継ぎ足した。
「どうしてです?いくら魔法に力を入れているとはいえ…今は戦時中で引っ張りだこでは?」
ムッさんは研ぐ姿勢を崩さずに、一呼吸おいて返答する。
「あの国は…、魔法の研究に国を挙げて乗り出したんだよ…確かにそれは元からだったかもしれんが、今度はもっとさ。
今では剣士と魔法使い…半々ってとこか」 「はぁ…それで我が国の誇る大隊が苦戦を強いられてるわけか…」
フェイは困った顔など全然していない。知ってはいたから、そこまで露骨に困ることもないし、どちらにしろ戦争にあまり
好感を持たないフェイにとってはどちらでもいい。 「…出来たぞ。ほら」
きちんと最期に汚れを拭き取ってまずは一本目を終えたムッさんはフェイに剣を返す。剣は元の輝きを取り戻し、生き
生きとしているようにも見えた。 「さすが…もう一本ね」
「老人をこき使うなよ…」
「ふっくらした肉で何を言うんですか。まぁま、そう言わずに…」
フェイは今受け取った剣を腰に差した。ムッさんは先ほど渡した二本目の剣…今度はフェイの剣を手にとって中を抜い
た。 「なんだよ…ずいぶんつまんねーもん斬ってんなーあいかわらず…」
「まぁ、戦争に行っているわけでも無しに、そんなにいっぱい斬る物もなくってですね…」
フェイは微笑んでそう答える。ムッさんは先ほどと同じく剣を研ぐ姿勢に入った。
「フン、下手な言い訳だな…まあ、どんなものを斬ろうとこの名剣を磨くのは…楽だからいいんだけどよ…」
「あはは…、そんな名剣なんて…使ってる人間の器量って…やつじゃないですか?」
「俺がいつも磨いてるからだよ…」
さっきのよりは幾分か時間がかからずに作業は終わった。ロックの物と同じく、フェイの剣もまた、生き返ったように躍
動感に満ちていた。 「んじゃ、ありがとうございました」
フェイは代金を差し出し、その場を後にする。すると後ろでムッさんは言った。
「フェイ、今は国の中にいても戦争で乱れてる。気を付けろよ…」
「大丈夫ですって。俺には優秀な部下がいるんですから…また」
後ろを見ずにフェイはそのまま立ち去った。日はすでに傾き、赤い光を放っていた。
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