「どうだロック?緊張はほぐれてきたか?」
街の中を出口に向かって歩きながら、フェイは隣でまだ固まっているロックに話しかけた。ギクシャクした動きがまだ収
まっていないところを見ると相当緊張していたようである。 確かに、アレほどつややかな視線の上司はかなり怖いとフェイも思う。…ウィリアムはもちろんその論からは除外され
るわけであるが。 「あ、あの人…、怖い人じゃないと思うんですけど…。緊張しますね」
ロックの声はまだ震えているようにも感じられたが、それはさすがに多分気のせいだろう。フェイはロックの頭に手を置
いてまだ幼さの残る青い、さらさらした髪を二、三度撫ぜた。 「だいたい当たりだな。けど、いい経験だったろう?」
「確かに…そうですね」
そう言ってもまだ笑顔は顔には戻らない。そこまで緊張するなんて、まるで昔の俺みたいだな、とフェイも思った。
(俺の時も…こうだったかな…)
このフェイも最初にここに来たときはまだ十そこそこの時だったと記憶している。その時もあの鋭い視線に射抜かれ
て、たじたじになったものだった。いまだにあの視線は衰える所を知らず、さらに輝きが増しているようにも思える。もち ろん、それはルクセント自身の器量の向上によるものだろう。…が。 ロックにしてみれば運が悪かったとしか言いようがないのも事実だ。
しかし、考えてみるとあの人は未だにあの時から隊長をやっているということは、一体何歳なんだろう。…と、ふと思っ
た。フェイから見てみるとまだ若く見えるが…、それでもやはり三十代後半と言ったあたりなのだろうか。 「…フェイ隊長?どうかしました?」
気が付くと、フェイは足が止まって道の真ん中で立ち止まっていた。少し先でロックがフェイを呼んでいるのが見える。
「ああ、わか…」
きゃあっ!!
返事をしようとしたとき、すぐ近くで小さな悲鳴が聞こえた。かなり近い。
「!…ロック!」
わかってます、と言いたげな顔でロックはコクンとうなずく。フェイはその声の元と思われる場所を目で確認すると、ロッ
クを促してそこを目指して走った。城下の警備をしているフェイのプライドにぽっ、と小さな火がついていた。 そこは、小さな酒場だった。中にはその狭い酒場とは裏腹に、結構な人数の人がいて、その中には女性の姿も見て取
れる。おそらくその中の一人が悲鳴を上げたのだろう。 そこでは、盛大な喧嘩が繰り広げられていた。中心の男二人がやっていて、周りなどお構いなしだ。狭い酒場なのにも
かかわらずにこれほどの人数が集まっているのはこういう理由があったからだろう。 つまりは、半分以上が野次馬だったりする。
その中からは絶えず「やっちまえ!」「殺せ!」…などと無責任極まりない罵声が飛んできているし、多少の出血も見ら
れる。…おそらく先ほどの女性はこの光景を目の当たりにして、悲鳴を上げたに違いない。 こういった喧嘩は酔った勢いによるもの(酒場だから)が大半でたいてい理由などこれっぽっちもない。それに実際のと
ころ、こういった喧嘩は当事者達だけでなく周りの野次馬達にとってもストレス解消になるので、あまり完全に悪とするの も良いとは言い切れない。 しかし、さすがに目の前でやられては兵士として止めに入らないわけにもいかないし、実際に女性が悲鳴まで上げた
訳である。第一、ばきばきと音立てて壊されているのは酒場の椅子や机たち、後は安いものから高価なものまでさまざ まなお酒のビンだ。声が酒場にとってプラスかマイナスかは誰の眼から見ても明らかというものである。 そういう理由もあって(ほとんどはフェイの正義感からだが)フェイは止めに入ることにしたのだった。
「そこまで!…喧嘩はよしてもらいましょうか?」
その場の雰囲気に怖じ気づくことなくフェイは周りのギャラリーをかき分けて中心へ歩き、そして男達に向かって言っ
た。その一言で周囲の空気はさらに張りつめたものになる。いつの間にか周りからの野次は消えて、今度は新しく入っ てきた若造が次にどんな行動をするかに注目が集まっていた。 「誰だ、テメェは?」
「邪魔するんじゃねえよ!すっこんでなガキ!」
ものすごい剣幕だ、と後ろから来たロックは思った。しかし、フェイは顔色一つ変えずに視線を返している。余裕さえ見
て取れる表情だ。…というより、まったく緊張感がない。 「王国軍です。判ったらとっととやめたほうがいいですよ?」
(制服着てるんだから見ればわかるでしょうに…わざわざ聞かなくても)
喧嘩にはそぐわないほど間抜けな声でフェイは言う。諭すような声でもない。かといって本人は馬鹿にしているつもりも
ない。 「テメェ!王国の…!」
「だが関係ないね。怪我する前に帰んな」
「ははっ…、怪我をするのはどっちでしょうね?」
その言葉でその男達はさらに激昂する。フェイは不敵に微笑んだ。
「なんだと?」
男の一人が一歩前に出てフェイに対し、激しい視線を投げる。やはりフェイは顔色一つ変えずにその視線を受けた。
「このガキ…どうあっても怪我してえようだな…」
フェイは笑いながら右手の親指を突き立てて後ろを指す。
「外へ出てもらいましょうか。ここでは酒場の人に迷惑がかかります。俺がまとめて相手…」
と言いかけて、フェイはロックの方をちらっと向いて言い直した。
「いや、それはきついからあそこの部下にも手伝ってもらおうかな…」
「ぼっ、僕…ですか?」
今度は一気に周囲の視線はロックに注がれる。視線が痛い、とはまさにこのことだとロックは余裕も無いのにそう思っ
た。 「時間稼ぎは美徳とはいわねえぜ、小僧」
男達はフェイに促されて外へ出る。ロックも一緒だ。
外には少なからず人が集まっていた。騒ぎを聞きつけて集まった人たちがあちらこちらでこっちの様子をうかがってい
る。人数は結構な数になっていた。 元々人が集まらなくはない土地なのだ…このくらいの数は当然といえば当然なのだろうが、ロックにとっては新たな緊
張の種でしかなかった。 「大口たたきやがって…すぐに静かにしてやるぜ…」
言い終わるのが先か、男はフェイに向かって突進してくる。喧嘩っ早い奴なんだな、とフェイは思った。
そのまま男はその勢いで右手のパンチを繰り出す。フェイは横に一歩動いてかわし、そして体勢を立て直す。フェイは
軽く息を吐いた。 「ヘッ!少しはやるな!」
それから男はさらに左でフックを繰り出す。ノーモーションで打ったために、反応までの時間が短い。つまりはかわせな
い…、はずだった。男の頭の中では。 しかし、フェイの姿はすでにそこにはなく、男はフェイの姿を完全に見失ってしまっていた。
「ど、どこへいきやがった?」
そうしてきょろきょろと周りを伺っていると、不意に頭に鈍い衝撃が走る。そしてそのまま意識が遠のき…倒れこんだ。
言うまでも無くフェイが頭に強い衝撃を与えて倒したのだ。それも、一撃で。 「くそ…、貴様…強い…」
男は呻きながら言った。
「喧嘩はもうしちゃダメですよ?」
「うう…くそっ…」
そして男はその言葉を最期に大地へ頭を垂れた。しかし、死んだわけではなく、単に気絶させられただけだ。さすがに
そこまでの力はフェイには無い。喧嘩っ早い大男を倒したのはフェイに力があったわけではなく、それは経験という技の なせる結果だった。 「さて、ロックの方はどうかな?」
そしてフェイは座り込んでロックの方へ向く。
「う、わわっ!」
ロックは苦戦しているようだ。明らかに男に押されている。が、互いにクリーンヒットらしい攻撃は無いように見えた。
「ロック!しっかりしろよ!やられちゃうよ?」
フェイはニコニコと笑いながらロックに話しかける。
「なら助けて下さいよ〜!」
ロックはそう言って返したが、もともとフェイにそんな気は無かった。
(まぁ、そんな会話する余裕があるうちは大丈夫だろうな…)
ロックは意識を前に戻すと、右足で軽やかに、剣で斬り上げるような軌道の蹴りを放った。男はそれを受けようとして
手を出したが、予想外の勢いにその手は吹き飛ばされる。 その一挙動でロックと対峙していた男に隙が生じた。そこをついてロックは振り上げた足を少し下げて、腹に思いっき
りの蹴りを入れる。 「ぐ…うっ…」
周りの予想(フェイ以外、ロック自身でさえ)に反して、男はものすごい勢いで吹っ飛び、壁にたたきつけられた。男は
そのままその場から動く事は出来なかった。ロックの一撃と壁にたたきつけられたことで、男の意識は完全に途絶えてし まったのだ。 「やったな、ロック」
いつの間にかロックの後ろに立っていたフェイはロックの肩に手を置いて、たった今勝利をつかんだ小さな戦士に激励
の言葉を送った。 「ぼ、僕…」
ロックはまだ自分がしたことが信じられない様子でいる。それは周りのギャラリーも同じなようで驚きの歓声を上げてい
る。 「自分の実力が判ったろ?ほら、吹っ飛ばした奴連れて来いよ」
「え?は、はい…」
ロックはさっき吹っ飛ばした男に駆け寄っていった。男は完全にのびていて、ぴくりとも動かない。死んではいないよう
だが、相当痛そうだ。 フェイは男を担ぎ上げて酒場に入っていった。
「ありがとうございました…。喧嘩を止めていただいて…」
女性陣の中の一人(もしかしたら、悲鳴をあげた人かもしれない)が、フェイとロックを交互に見てお礼の意を述べた。
「いえ、俺たちの任務ですからね…。こいつらは警備隊に引き渡しておいてくれませんか?」
後半部分はカウンターの奥でほっと肩をなでおろしているこの酒場のマスター風の男(面長できちんと手入れされた立
派なひげをたくわえている)のほうを向き、そう告げた。 「はい。私が責任を持って対応させていただきます。王国の兵士様でいらっしゃるようですが、もしよろしければ、お名前
をお聞かせ願えませんか?」 ロックもさっきの男を抱えて店の中に入ってきた。集まった人たちが道をあけてロックを通す。静かに見守ると思いき
や、ロックがその中を通っている間、周りの人間はロックに激励の言葉を容赦なく投げかける。 「よくやった!」「かっこよかったよ!」「強いじゃねえかよ!」
ロックにしてはうれしい反面、少し恥ずかしい思いをしているに違いない。
「ああ、彼はロックで…俺は…、フェイです」
「判りました。では私がこの男達を警備隊に引き渡します。ありがとうございました」
「お願いします。では、これで失礼します。おい、ロック、いくぞー!」
「え?あ、はい!」
ロックは担いでいた男を適当な椅子に座らせて、マスターに軽くお辞儀をするとフェイに従って店の外へ歩いていく。
終始二人には周りからヤジが飛ばされていた。
二人は店を出て街の出口の方へ再び歩いていく。
「大変だったなロック。まぁ、いつもはこれほど騒がしいわけじゃないんだけどさ」
「いえ、良い経験値をもらいましたよ」
ロックは手をぎゅっと握って、表情を緩ませた。
「外はまだまだ広い…。少しでも俺が…。あー…いや、何でもない」
フェイは途中で言葉を濁したが、幸いロックにはよく聞こえていなかったようで、
「え?」
と一言。
「何でもないって!ほら、行くぞ!」
フェイはすたすたと出口に向かって歩を速めた。
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