二人はフェイの馬に乗り、勢いよく王都を飛び出した。出てくるときに門番が何か言っていた気もするが、今は何も考えないことにする。そんなことは気にしていられない。 「なんで嫌な予感がするんですか?」 背中でしがみついているレイチェルがフェイの背中に向かって問いかける。 「そ、そうか…、言ってなかったっけ…」 (落ち着け。落ち着くんだよ、俺!) その暗示で少しは精細を取り戻したフェイは、静かに語り始めた。 「これは俺の推測にすぎないけどな…。俺達はおそらく同じ文書を二つの街へ届けたんだと思う。俺達の所は火山の街のサイカスだ。彼らは俺達よりは幾分か近い大きな街であるキュークって所だ。普通に帰ってくれば俺達より遅く帰ってくることはないはずだ。まぁ、今回彼らにしてみれば距離の短い任務だったはずさ。いつもは二日三日かかる任務に行ってるからね。そう、それにクールディクトとフラップの乗ってる馬は俺達の乗ってるやつより上等でさ、要するに早いんだよ。それで時間がかかるのはおかしいだろ?」 「そうだったんですか…。私、そんなの全然知らなくて…」 レイチェルは素直にフェイの背中でそう言った。 「いいんだよ。入ったばかりだしね。それは俺がゆっくり聞いてくれるなら教えてあげるよ。続けるよ?」 レイチェルはなにも言わずコクリとうなずいたが、すぐに「は、はい」と返事をした。 「サイカスの警備隊長は俺もよく行くから仲がいいんだ。あの人は慎重で思慮深い人で、無駄なことはあんまりしない人なんだよ。はっきり言って警備隊長のままにして置くには惜しい…って、これは関係ないか。で、その人が帰り際に『気を付けろ』って言ったんだ。おそらく伝令のあの文書に関することだと思う。それで、あまりに出来過ぎた話だけど、俺達は帰りに盗賊団に襲われたんだ」 「えっ!」と、レイチェルは小さく叫んだ。言っても心配させるだけだと判っていたのでフェイは言うつもりなどはなかった(運よく怪我も追っていなかったし)のだが、今は説明の便宜上言うほかなかった。 「大丈夫だったんですか?怪我とか…」 思った通りレイチェルはまずフェイの体を心配してきた。手で背中を軽くさすっている。 「数がそれほどでもなかったしね。で、見ればわかるだろうけど俺達は無事だった。ロックの奴、俺と違って相当な戦闘力があったしな…。俺はこう思った。あの伝令の文書はこのことを各地に警告する為のものと、ってね。キュークは大きい街だから送るのは当然さ。多分他へは他の隊が担当しているんだろう。…俺たちは大体余りだしな。つまりだ、彼らももしかしたら盗賊団に襲われてしまったんじゃないか、と思うんだよ。…そうであって欲しくは無いけどね」 本当に、心からそう思っていた。だが、可能性としては十分ありうる。信じたくはなかった。それは心の底から、である。 「た、大変!急ぎましょう!」 「わかってる…。いくら掃き溜め隊でも、そんなに簡単にやられるとは思えない…」 しばらく走っていくと、道の途中に黒い固まりが見えた。フェイはそれが何であるか臭いで瞬時に悟っていた…いや、悟ってしまった。 (…なんてことだ) 「フェイさん…どうしたんですか?馬を止めて…」 フェイは馬を止め、一人馬を下りてその固まりの方へ向かって歩き出した。 「ひゃっ!フェ、フェイさん…!」 それはフラップだった。あたりにしみこんでいるのは言うまでもなく彼の血である。赤く、黒く。まるで雨の後の水溜りのように。しかも、その場にたまっているのではなく、長々遠くの方へ続いている。 人間の体の中には驚くほどの血が含まれている。それを理解したくなくてもこれを見てしまえば頭の中に直接入ってくるだろう。それも、振りほどけないほどに強烈に。 本人は後三、四メートル先といったところだが、フェイは急にふと足を止める。体が小刻みに揺れているのはおそらく本人にしかわからなかったであろう。いや、本人ですら気付いていなかったかもしれない。 (血…だ、だめだ!血は…血は!) フェイは奥歯をきつく噛み締めた。頭の中に口では言い表せない不安、恐怖、後悔…キリがないほどの負の感情が溢れ出している。原因はわかっている。昔からの、昔からの事…。だが、簡単に忘れる事はできない事。 (…判ってるッ!落ち着け…落ち着け!今はそんな場合じゃないんだ…くそ、くそっ!) そうは言っても感情は止まらなかった。自分の弱さに嘆きながらも、その弱さにフェイの精神は立ち向かって行く。そして… 「ああああっ!!」 フェイは空に向かって大きな声を上げた。両手を頭に強く押し付けて手首をひねり回す。頭の中に横行する思考を一時的にも振り払うために。古典的といえばそうだが、今はそれ以外にこの状況を打開する方法が思いつかなかった。 「フェイさん!大丈夫ですかっ!」 レイチェルは叫んだがフェイ本人には届いていないようだった。それでも、レイチェルはフェイのそばに歩み寄って、額や頬にとめどなくにじみ出てきている汗を拭き取り続ける。それがどれだけフェイの精神の助けになっているかなど、本人は気付きもせずに。 「はあっ、はあっ…」 そして刹那の(フェイ自身にとってはかなりの長い間)後、フェイはとりあえず平静を取り戻した。息は多少上がっていたが、もう大丈夫だ…と思う。 「た、隊長…ですか…?」 フェイが足を止めていた間に、フラップはもうほとんど残っていない力を振り絞ってフェイの元まで這ってきていた。レイチェルはフェイがその光景に気が付く前に既にフラップの体を支えて楽な姿勢にさせている。 (そうだ、今は…目の前の事だけに集中しろ…昔の事だ。昔の…) ふうっ、とフェイは一回強く息を吐いた。 「フラップ、どうしたんだ一体…」 フラップを出来るだけ安心させるように、フェイは気をつけながら話す。 「お、れたち……は、すい…ません…」 もう手遅れなほどに致命傷であるのは見てわかった。今この場に大魔導士がいようと、この傷は治せないだろう。フェイはしゃがみ込み、レイチェルに代わってフラップを抱きかかえ頭を手で支えて楽な姿勢にする。 「きを…つけて、下さい…」 ひゅう、ひゅうと息が漏れる音がしている。おそらく肺に深い傷を負っているためだろう…これを見ても助かる見込みはゼロだと言える。むしろ今話をしているのも不思議なくらいの傷と言ってもいい。それほどに何か伝えたい事があるのだろう。今出来ることは、その話をもらすことなく聞き取る事だ。 「フラップ…」 「奴ら…エックス……オプティクス…」 フェイの手にはフラップの体から少しずつ力が抜けていくのが判った。もう話していられるのは、この世に留まっていられるのは数秒程度だろう。レイチェルも、見ているだけでそれを悟っていた。溢れる感傷を何とか抑えてはいるが、 「それがお前らを襲った奴なんだな!」 つい少し声を張り上げてしまう。だが、そうしなければならないほどに…時間はなかった。 「そう…です…っ…」 その言葉を最後に、フラップの体から力がふっと抜けた。フェイはただの肉塊に成り果てた仲間をきつく抱きしめ、空に向かって叫んだ。それは、鳴き声のような、又は遠吠えのような、悲痛な叫びだった。レイチェルも側で声もなく泣いている。 「俺に…言うために…。長い距離を這ってきたって…そう言うことなのか…!」 フェイは口の奥で歯を噛み締めながらフラップを馬に乗せる。レイチェルに馬を頼むと血をたどって歩き出した。 行き着いた先にはもう一人が眠っているはずだ。フラップが命をかけて守ろうとして、それでも守りきれなかった…その相手が。 「クールディクト…。俺だよ…さぁ王都へ帰ろう…」 優しくフェイは言うと彼を抱きかかえ、また馬の所へ戻るとそれも乗せた。馬には少し厳しいだろうが、今回は勘弁してもらうしかない。レイチェルの肩にそっと手を乗せて、フェイは馬を引いて歩き出した。 その表情はなんとも言えない…そう、複雑な表情だった…。 次の日の朝、兵士長であるウィリアムと共に、フェイは王へ会いに行った。事の顛末を報告するために。戦争以外で兵士が死ぬと言う事態は尋常ではないため、である。 しかしそんな事よりもフェイは王にその事を伝えたかったのだ。 王の部屋は最上階に位置している。とても広く、下を見れば赤い絨毯が、上を見れば美しく飾り付けられたシャンデリアが、周りを見渡せば黄金で塗り固められた柱がどれも威厳を感じさせる。作戦室とはずいぶん違う造りだ。もちろん、かけられている費用が比べ物にならないのは言うまでもないことだ。 だがフェイにはどの装飾も色あせて見えた。それほどまでに気持ちが不安定になっているのだ。…というより、仲間が死んでまでそんな物を楽しむ気になどなれなかっただけの事。何も不思議ではない。 「…と言うわけです。うちの兵士がやられてしまった以上、奴らをこのまま野放しにする訳には…」 ウィリアムは王を必死に説得している。というのも、王はこの件に関して兵士をわざわざ派遣することもないと考えているからである。報復などにかける兵士の余裕はないらしい。 「我が国はセルガと戦争をしているのだぞ!そんなくだらん事に兵を割く隙など無いわ!」 立派に伸びたひげ、少し太り気味の体格、身なり、性格…どれを取ってもいかにも王、と言った感じの人物である。フェイにとってはあまり好ましい人物ではないが、王である以上そんな事が言えるわけも無い。 「部下がやられてこのまま黙っているわけには…!」 フェイも負けじと反論する。そこのあたりはさすがに上役との対面を経験しているだけあって、緊張の色は見えず、それでいて感情的でもなかった。しかし、小隊長と王では位が違いすぎた。 「お前のような奴の意見など聞かぬわ!お前はただ私に報告だけすればよい。…そう言えばお前過去にも…、もしや、またお前の仕業なのか?」 王、ヴァルガン二世は思い出したようにフェイに向かって言った。 「ですがあれは…」 兵士長もその事情を察して反論する。 「…わかりました。兵を派遣していただけないのであれば、これで私は失礼します」 その話題はフェイにとって決して面白い話題ではなかった。そう思ったフェイはそう言ってさっさと退室してしまう。その光景を見てフェイの気持ちを一端を察したウィリアムもまた、「では私も」と言ってフェイの後を追った。 出てすぐにウィリアムはフェイの肩をたたき、そして言う。 「すまない。俺の力が足りなかったようだ」 「いいえ。兵士長は立場上仕方ないですよ。俺達のためにわざわざすいませんでした。ありがとうございます」 フェイの言葉からは感謝の気持ちが伝わってきた。ウィリアムが返答に困っていると一息おいて、フェイは吐き出すように言う。 「奴らの対処は俺が何とかしますから」 フェイの目には決意の色が見て取れた。ウィリアムはその気迫に押されて何も言い返すことが出来ない。本来ならばそんな無茶なことはさせるはずもないが、その気迫に気圧されてしまって、制止の言葉が口をついて出てこない。 呆然と立ちつくすウィリアムを背に、フェイは何もそれ以上は言わずに立ち去っていった。 |
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