フェイはマスターに軽く礼を言って外へでた。中にいた男達はフェイの背中をドアの陰に隠れるまで追い、その気配が消えるまで見送っていた。 しっかりと盗賊団の居場所は聞き出したし、留守中の街のこともちゃんと頼んで置いた。戦力の方はわからないと言うことだったが、後は行動するのみである。その結果がどうであれ、これでひとまずは安心と言ったところか。 暗い階段を上っていく。入り口の近くに人の気配があった。フェイはとっさに少し身構えるが、剣を抜くことまではしなかった。殺気を全く感じなかったためである。 しかしその人の気配はその場から動く事はしていない。ということは、おそらく…。 「フェイさん…」 聞き覚えのある透き通った声がフェイを呼ぶ。入り口の木のドアを開けたとき、冷たい空気と共に乗ってきたその言葉の主はレイチェルだった。 「!…レイ…、ついてきたのか…」 見ると、かなり外で待ちぼうけをくった様子に見える。この肌寒い中、フェイを待って小一時間も外で待っていたのだろうか。来ているものはいつもどおりの黒いシャツとオレンジの前掛けだけだった。おへそも出ているままで、見るからに寒そうである。 フェイはそれ以上の言葉をかける前に自分の着ている上着を脱いでレイチェルに着せた。もちろんおなかをそれでは隠せなかったが、ないよりはましだろう。 「…すいません…」 レイチェルは方に自分の手を当ててフェイのかけてくれた白い制服のジャケットを抑えながら少し引いて前を閉じた。 「いや、待たせちゃったみたいだし…謝るのはこっちのほうさ。ごめんね、こんな寒い中…さ。でも、勝手に城を抜け出して、一人じゃ危ないじゃないか」 「で、でも、…心配だったから…」 少しうつむき加減だった顔を上げ、レイチェルはフェイの顔を正面に捉えた。何を言おうとこうされると一瞬思考が止まる。情けないが免疫のないフェイにとってこれはどうしようもない。 「大丈夫だよ。さっきロメオさんにきつくお説教されたからさ…」 フェイはさっきロメオに言われた事を思い出していた。さっきあれほど言われたのだ。もう命を無駄に捨てるような事は考えない。 「そうですか…。あの…」 レイチェルは上げていた顔を再度うつむかせ、肩にかかっている服を指で巻き取ったり逆にぐりぐりしてみたりし始める。要するにもじもじし始めた。 「ん?」 「死なないで下さいね…」 フェイはきょとんとしたが、レイチェルが真面目に言っていることに気が付くと、優しく笑ってレイチェルの頭に手を置き、髪を優しくなぜた。レイチェルは静かに体をフェイの手に預け、顔にはうっすらと微笑みが浮かんでいるように見える。 フェイの心は落ち着いていた。レイチェルに言われたからではない。先ほどから刺すような緊張感があるがそれによって動揺するという事はないようで、緊張感を感じているからこそ逆に落ち着いていた。不安はない。かといって満足しているわけでもない、不思議だった。 「そんなに難しく考えないで大丈夫さ。俺達はかなわないと見たらしっぽを巻いて逃げ出せるような勇気をしっかり持ってるから。全員やられちゃったら復讐にならないだろ?…まぁ、一人で行こうとしてた奴の言う事じゃないかな」 レイチェルはいきなり顔を上げた。フェイはびっくりしてとっさにレイチェルの頭に置いた手を引いた。レイチェルがあまりにも強い目をしていたのでフェイは気圧されて一瞬動きが完全にストップするが、すぐに取り直して姿勢を正したもののまだ少し心臓の鼓動が早くなったままであった。 完全に落ち着き払っていた精神が緊張感ごと別なものに(いとも簡単に)書き換えられてしまう。まるで天敵の出現のようである。 「ど、どうした……の?」 (情けない…) 「でも、約束して下さい!…絶対に、死なない…って。私…」 「へ?」 フェイの思考は停止寸前まで追いやられている。間抜けに漏れた声は夜にとけ込んでレイチェルには聞こえなかったようだが、それ以上言葉を続けることが出来ない。何とかしゃべろうとして取り繕うとするが、何しろパニックの状態で今しばらくは落ち着こうとすることで手一杯だ。普段はそんな事有り得ないのに、などと余計な思考だけが頭を支配する。 「な、何を…かな?」 と声を出したが、それは少し震えていた。しかも見当違いのことを口走っている。もちろん動揺中の人間にそれを訂正する余裕があるわけもない。 「私に、死なないって、誰も殺させないって…約束して下さい…」 レイの強い目を見つめていると、何故かフェイの心は少しずつ静まっていった。綺麗な緑色の瞳にうるうると涙が溜り始めている。 「わ、わかった…約束するよ。レイに誓って、こちらには何の被害も出させないさ。逃げ足も俺の得意技でね」 フェイはにこりと笑ってそう言い、レイチェルがそれに笑って返してくれるのを見るとレイチェルの肩に手をかけて城に帰るように促した。レイチェルはそれに従って、城に向かって歩き出す。フェイの暖かい手に少し、気付かれない程度に体を預けて。 城の作戦室には、城の居残り組が雁首をそろえて待ちかまえていた。普段通りにすると言っても、やはりフェイのことが気にかかっていたのだろう、皆の表情がそれを物語っている。いつもと違う特殊な空気がその場に立ち込めていた。 フェイが帰ってきた今、その表情は「早く結果が知りたい」と言いたげなものに変わっていた。重苦しい空気の中、皆は息一つせず(そんな感じに見える)、フェイの言葉を待っている。いい結果朗報以外は期待していない。 「みんな、聞いてくれ…。アジトの位置は判った。個々に支度をしてくれ」 短い言葉であったが、この部屋の皆にはどれだけのものに聞こえただろう。しかし、一つの重荷は取り去られたと言うことだけは確かであろう。それでも、彼らは緊張を心に留めておいたままで個々の支度を始めていた。そこらあたりはやはりプロ。…なのだろうか。 失敗できないなどという追い詰められた緊張感はない。仕事という足枷もない。不謹慎だが、生き生きとしていた。 「あっ、もう一つ。出立する時間だけど、場所はここから近いし…、盗賊相手に夜襲は意味がないと思うんだ。だから、朝方に行こうと思うんだけど…どうかな?」 フェイの問いに最初に答えたのはロメオだった。ロメオの口が開く時は少し緊張する。けちをつけられるとなると自分の未熟さが浮き彫りになってしまうからだ。 ありがたいことなのだが、緊張は抑えられない。 「俺はそれで賛成だ…。だが、それは相手もまぁ油断はしてるかも知れないが、ほとんどがアジトに戻っているだろう…。夜行ったところで壊滅は望めないがな…そういうことだろ?仕事中だよ、皆さんは」 (そこまで考えてませんでしたよ…確かにいなければ意味がないな) 「さすが隊長!」 クリューガーは半ばわざとらしく大声で叫んだ。恐らくフェイの心の内を悟っての事だろう。余計な事をしやがって!…と思ったが、既に後には引けなかった。 「なるほど…だから昼ですか…」 それにのせられて納得する年下1、ロック。 (お、お前ら…後に引けなく…) 「単細胞な俺達じゃ夜襲しか思いつかなかったですよ!」 優等生ゆえに理由があれば納得できる年下2、ティンガース。 (なっちゃうじゃないか!…クリューガーめ) 「やめてよ…単細胞はあんただけでしょ?」 (そうだ!やめてくれ…) そうしていつもの喧噪が作戦室に戻ってきた。下手をすれば人数の多いほかの小隊の作戦室並みにうるさい。 (今は夜なんですけど…それも深夜…) 「隊長!」 不意に声をかけられて、フェイは少し驚きながら顔を上げる。周りの騒音はまだ消えていない。むしろ一人抜けても高まっている。空気が熱い。 「何だよティンガース…どうした?」 「いつも思うんですけど、隊長はどこでこんな事調べているんですか?」 (なんだ…そんなことか) フェイはからからと笑いながらティンガースの肩を二度たたいた。 「ははは!それはまわりの事とかにちゃんと目を配ればいずれわかるさ…」 ティンガースは口をとがらせて露骨なポーズを取ってみせる。フェイはもう一度少し笑ってから、ティンガースに真面目な口調で答える。 「お前には教えることは教えただろ?後は自分で考えること。…いや、俺は何もためになるようなことは教えてないな…」 ティンガースは射抜かれたような顔つきでフェイを見た。フェイはさっきとは逆に真面目な表情だ…ったがそれも一瞬の事ですぐにいつもの柔らかい笑顔に戻る。 ティンガースはまた驚いた。 「たまには良いこと言うだろ?でも言ったことは嘘じゃない…。あ、そんなことより、お前明日死ぬなよ?俺が戦い方を教えた人間なんだからな!俺が恥をかくならいいけどね、俺の師匠が黙っちゃいないよ。だから、死ぬなよ?」 遠い目をしながらティンガースに気持ちを込めて語りかけた。ティンガースはフェイにとって初めて素質を見込んだ(NO.1以外の、つまり一般人)人間である。フェイにとってそれはもちろん大切な存在であったり、一応稽古をつけたりもしているわけで。 「隊長…。わかりました!俺、絶対に死にません!そして、みんなも守り通して見せます!」 「頼もしいよ…。お前はさ」 決戦は明日の朝。そんなことを感じさせない雰囲気な作戦室だった。 (臆病なのは俺だけか…先生……) |
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