フェイは全くいつもの状態へ戻っていた。一応は一小隊の隊長であるフェイはその自覚を持っている。だから、いつまでも一つの失敗に悩んでいるわけにもいかない。…と、これはロメオから賜ったありがたいお言葉の引用だが。 とにかく、ロメオの一言もあり、フェイはとりあえずもとの状態に戻っていた。しかし、忘れたわけではなく、しっかりと心に留めて置いた上でのことだ。貸し借りのせこい奴だからな…と親友は語る。あえて名前は出すまい。 「さぁて…帰ろうか、レイ…て、あれ?」 三日間の城勤務を終え、フェイは城を出ようと準備していた。それでレイチェルにも声をかけようと思い立ったのは良いが、肝心の本人がいない。二十七番小隊作戦室にはいないのだろうか。 フェイが心で思っていた疑問に、ロックが答えた。 「レイお姉さんはエリザ姉さんとどっか行っちゃいましたよ?」 ロックが姉さんというのは、本物の姉弟というわけではなく、年上の女性に対する親しみを込めた呼び方だ。この呼び方をするのは結構ロックに慕われていなければならない。なかなか高いハードルである。 「本当か?参ったな…、今日帰る予定だって、わかってるはずなんだけどなぁ…。まぁいいか、探しに行こう…」 今作戦室にはロックとフェイしかいない。それなのに何故フェイがレイチェルの不在に気付かなかったかはここではあえて語らないでおこう。というか、普通に仕事熱心だっただけである。やましい理由などはない。 詳細で言えば、ロメオは行きつけの酒場へ(本人は情報収集と言っている。もちろん嘘)、他の面々はおそらくは訓練場へ行っているのだと思う。街の警備は隊長であるフェイに任せて、皆良い身分だ。と…これはフェイの持論である。隊長が不在の時もあるのでそれはいいっこ無しだが。村にいるときは休暇と言って差し支えは無いのだし。 フェイは仕方なくレイチェルを探しに行くことにした。物憂げに隊長席を立ち上がり、椅子を几帳面に元の位置へ戻すと、ロックの方へ向かってわざとらしく「やれやれ」と言う感じのポーズを取ってみせる。 「一応さ、何もないと思うけど誰もいないっつーのはまずいからさ、留守番頼むよ」 「今度稽古つけて下さいね」 (交渉がうまくなったなロック!) 「言えばいつでもやってやるよ!じゃあ行って来る」 フェイは途中からは背中越しに話していた。そして手をひらひらさせて部屋から出ていく。後ろで「忘れないで下さいよ!」とロックが叫んでいたようだが、それは聞こえないふりをした。別に稽古をつけるのがいやと言うわけではない。 部屋を出ると、そこには小さな影があった。もじもじしている姿はとてもかわいらしさが目立つが、そこにも気品がにじみ出ている…と言えば出ている。フェイは言い知れぬ不安を感じた。もちろん相手に勘ぐられない程度にだ。これを悟られてはまずい。非常にまずい。 少しくせ毛気味の金髪が目立つが、瞳をのぞけばくりくりとした瞳が緑色に輝いていてそちらも眼を引く。服装は一般のそれとは違い、いろいろふりふりした物や、無意味としか思えない装飾がなされている。完全に制服でも私服でもましてや防具でもない。 「…何しに来たんですか、姫様…」 フェイは吐き出す息のように言った。ああ、忙しいのにな…とフェイはそういう意味を込めても言う。 姫様と呼ばれた少女は頬をぷくーっと膨らませ、顔を軽く上気させて力一杯反論した。 「何よぉ!せっかく来てやったのにー!」 「別に頼んでないですよ」 「何か言いました?」 「わざわざそんなありがたいことを言いにいらっしゃったのであれば、お忙しいお姫様がわざわざこんなところまで来ていただかなくても!って言ったんですよ。今度は聞こえましたか?」 「んなにその態度ぉ!フェイの馬鹿!」 少女は飛び上がったと錯覚するくらいに感情をあらわにしていた。フェイの方は軽くあしらっている、といった感じが一番当てはまるだろうか。もちろんフェイに限って本気で冷たい態度をとっているわけではないと言うのは書かないでもわかってもらえるだろうか。だがさすがに肝が据わっている。普通の兵士なら縮み上がってしまうような発言だと言うのに、フェイの表情は笑っていて一片の悪気も後悔もない。 「呼び捨てですか姫様…」 少女は軽く目を閉じて腰に手を当てて誇らしげなポーズを取って見せた。 「私は姫様よ?あなたは一兵士でしょ?立場が違うの!た・ち・ば・が!」 「立場?立場だって!」 フェイは姫を一喝する。ネリスと呼ばれた姫、少女はびくっと体をふるわせ、そして少しうつむいた。 「ご、ごめんなさい…」 それを聞いてフェイはにっこりと満面の笑みでネリスに笑いかけた。そして頭を軽く二回たたいた。ネリスはそれで満面の笑みになった。まるで水が弾けるかのごとく。 フォールネリス・バイン。バイン王国国王であるヴァルガン王の長女にして、だた一子のみの娘だ。姫と言ってもまだ年は八で、ロックよりも年少だ。フェイの隊が子守隊とも呼ばれることがあるのはネリスがちょくちょく隊の遊びに来るのが原因だったりする。年が近いこともあってロックとも仲がよい。が、やはりフェイに良くなついているので、フェイ目的で遊びに来ることが多いのだ。 フェイにとっては貴重な『良い心』を持った人間である。そういう理由もあってフェイはそれをのばそうと、姫の相手を進んでかって出ているのだ。さっきのもそれで、フェイは常に「立場にとらわれるな」と言って教えていたのである。もうもはや教育係に近い。別に高い金を出して雇っていると言うのに。 「で、今日は何用ですか?」 (ま、用なんて無いんだろうけど…) そうフェイは軽くみていたが、今日に限ってはそうではなかった。最初に感じた不安は最高の形で肯定されるということになるとは、思いたくない。思いたくはないが、ネリスは顔を背けてうつむいた。 「指輪をなくしちゃったの…」 「なんだ、指輪…え、指輪?」 フェイの表情は一瞬で青ざめた。それほどの物なのだろうと、フェイの態度がそれを物語っている。焦っていた。 「指輪って言うと…、あの…『サン・ジュエル』の…太陽の輪…ですよね」 まるで自分自身にも確認しているかのような口調だ。外見だけで見れば、完全に精彩を欠いている。事実であって欲しいとは思っていないが、確認しなければならない。 「うん…」 (やっぱり…ね) 「と、とりあえず中へ…」 フェイは作戦室のドアを開け、ネリスの背に手を回して先に中へ入らせた。フェイはその後に続いて中に入る。もうネリスも慣れたもので、この汚い部屋にすんなりと抵抗することなく入った。 中にはさっきと変わること無い姿勢のままでロックが持て余したように座っていた。一人で孤独だったのか、座る位置は少し端によっていたが。 「やっぱりネリス…」 「あ!ロック!まぁたネリスって!姫とお呼びなさいよ!」 「姫がなんだよ!お前こそさんくらいつけろよなー!」 フェイは一瞬ロック一人が部屋に残っていて騒ぎが大きくならないと安心したことを後悔した。頭に手を当てて大きくため息をつく。しかし、それはもう二人だけの世界に入ってしまっているロックとネリスの目には入らない。 はぁ…。フェイはもう一度深くため息をついた。 ロックとネリスは確かに仲がとてもいい。…いいのだが、少しでも意見などが食い違うと徹底的に言い争いをする。双方ともにまだ子供と言ってしまえばそれで良いのだが、城に置いて子供の喧嘩が起こるのがまずありえていい話ではない。もしかしたら、子守隊の名前をとどろかせているのはこれなのではないか。とフェイは思った。 だが喧嘩するほど仲がいいと言うのは事実で、フェイは止めはするが起こるのを未然に防ぎきろうとは思っていなかった。たまにはこういうのもいいだろう。しかし今は、その場合ではない。何しろ、国を揺るがしかねない事件が起きようとしているのだ。 「ロック、ほらやめろ。今日は重大任務があるんだ」 「に、任務ですか?」 「そうだよ!指輪がなくなっちゃったの…」 (ん?) 「無くしたんでしょ?どうせ」 変わらぬ姿勢と減らず口。ロックは攻撃の手を休めようとしない。 「何よ、その言い方はないでしょ!」 (なるほどなあ…) 「ロック、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。太陽の輪は無くなるとやばいんだからさ」 「そ、そうですね…。すいませんでした」 ロックはネリスに詰め寄っていた足を一歩引いて謝罪した。子供のような面もあるが、フェイが言えば素直に謝罪する、ロックはそんな少年だった。 「国宝が無くなったとなると…やばいですよね、姫様?」 「あ、やぁねぇ!そんな堅苦しく姫様とお呼びしなくてもよいのですよ?ネリス姫と呼んでいただければ!」 「(変わってないですよ…)まぁとにかく、アレが無くなったとなると一大事だ…、事が大きくなる前に一応俺達で探してみようと思う…どうかな?」 フェイはとりあえず隊長らしい事を言ってみた。そんな重要な任務をこんな端くれが担当していいのかはわからなかったが、まあ姫様を相手にすることもあるからいいかな、とフェイは無責任な結論を導き出した。 「僕…もですよね…。わかりました」 「さっすがフェイ!」 ロックは露骨な態度こそとらなかったが、納得がいかないような表情をしていた。しかしロックも、これは仕事だと割り切って考えるようにはしているはずだ。普段あまり仕事がないのだから、喜んでもいいとは思う。 「でも国宝ってそんなに重要な物なんですか?」 「当たり前だろ?何たって国宝だしな…。何より」 そこでネリスがフェイの言葉を遮って続ける。フェイは片手をあげてこれからというところであったのに、遮られてまるでおもちゃを取り上げられた子供のように不機嫌そうな顔をしていた。ここで若い奴(といってもフェイより若い奴はそうはいないが)ならば小言の一つでも口の中でこねるのだが、地獄耳であるネリスに聞かれると、文句は言われるは話が中断するはで良いことは何一つ無いだろう。ここはぐっとこらえることにした。何しろ、場合が場合である。そんなに時間もかけられない。 「あたしの親…だけじゃないけど、何代も続いてきた物だから…」 「なるほど…それで…」 さすがのロックも事の重大さに気がついてきたようである。ネリスの滅多に見ない真面目な表情に、説得力を感じたのだろう。 「何にせよ、俺達はこれから国宝の一、《太陽の輪》の捜索に当たる!」 (でも、帰る予定だったのになぁ…レイになんて言おうかな…) 「国宝って他にもあったんだ…」 「ロック!ちゃんと返事しなさいよー!」 「り、了解です!」 ロックはふてくされたように言う。ネリスはそれに気が付いた。 「ロ…!」 フェイはネリスの行動をいち早く察知してネリスの口元に手を当てる事でそれに続く言葉をシャットアウトする。…何を言うかは判りきっていたし、結果、どうなるかも予想できた。さすがにこれ以上はやめてほしい。 「太陽の輪は何事もない限りネリスが所持していたはず…。まずは、姫の行動を思い返してみようか」 とりあえずネリスとロックを適当な場所へ座らせて、フェイ自身も適当な場所へ腰を下ろす。こうして姫を接待(?)しているときに部屋を改めて見てみると、結構姫を接待するにしては殺風景であるかも知れない。今度花でも買ってみるかな…、とフェイは座ってからの間でそんなこと思った。 「で、ネリス…、無くなったと気付いたのはいつなのかな?」 「今朝…」 ネリスは下を向いている。ロックはネリスの方を見て険しい顔つきをしていた。いろいろと頭の中で考えを巡らせているに違いない。フェイはその思考を支援するべく次の質問をネリスに浴びせる。 「では、いつまでは確実にありましたか?」 ネリスは左手で右手の肘を押さえて、右手の指を顎に当てて己の記憶をたどっている。やがて、その記憶にたどり着いたのか、そのポーズがとかれた。この張りつめた間の緊張がさらに何とも言えない緊張感を生んでいる。 「昨日の朝!毎日朝つけるときにあるかないかは確認するんだよ!」 「なるほど…。さぁて、これをどう見る?ロック…」 ロックはあわてふためいた仕草を見せたが、フェイが目配せをして、露骨、と言う最悪の結果は避けられた。大丈夫、ネリスは気付いていない。 (さあ、見せてみろよロック!ネリスの前でいいカッコ見せてやれ!) 「可能性としては、二つあります。ネリス…姫が移動中に落とすなどして無くしたか、可能性は薄いですけど、盗まれたか…見落としたってのはないでしょう。さすがにそんな大事なもの、見落とすわけありませんから」 (まぁ、合格点か) フェイは席を何も言わずに立ち上がる。ロックは息をのんだ。ネリスも同じく。 「よし、ならばどうするロック!」 そして指を指してノリノリでフェイはロックに言った。するとロックも、 「姫の記憶をたどりながら一日を振り返ってみるべきだと思います!」 ガタンと立ち上がってガッツポーズのように握りこぶしを作って見せた。 「よし!上出来だロック!さぁ、行こうか」 「はい!」 「はぁい」 こうして、彼らの悩ましい一日が始まった。およそ国宝の探索とは到底思えないような…。 |
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