「まずはレイを探しに行きたいんだけど」 部屋を出てすぐに、フェイは思い出したように言った。本当に思い出したのだが、そういえば帰ろうとしていたのだ、そうなると一応レイチェルの耳にこのことを入れておかねばならない。大きなショックを受けて完全に失念していた。 「今探しに行こうと思ったとこでしょー!てゆーか誰?」 「そっか。ネリス知らないんだっけ。最近僕たちの隊に入ってきた人でさ、レイチェルって言うんだ。年はわからないけど、優しい女の人だよ」 ロックは穏やかに笑いながらネリスに言った。レイチェルに相当お世話になっているロックとしてはこの程度の説明でも不服だったが、ネリスにいらぬ事を言われるのも癪なのでこの程度でとどめておいた。 「またフェイが連れてきたんでしょ?飽きない人ねぇ…」 やむを得ない事情が少し絡んでいることはとりあえずここでは伏せておく。ここでフェイまで話に乗っては前に進めない。だからここでは言わない。 「ほら、行くぞ!多分エリザさんと一緒にいるだろうから二十六番小隊作戦室だと思う。そこへ向かうよ!」 「了解!」 「りょーかい!」 ネリスのこの返事に対する一抹の不安はこの場に置いていくことにした。 二十六番小隊。王国軍直属の大隊や近衛部隊とは違い、戦士長が指揮する小隊の、二十六番目にある小隊だ。元々あった大隊の補佐として作られた小隊は二十五で、追加として作られた小隊が伝令隊である二十七小隊、そして魔導部隊として結成された二十六番小隊である。 先に起こった数々の隣国との大戦に於いて、両国の決定的な違いは魔法の有無による物だった。それを考慮した上で、国がやっと重い腰を上げた、というのが設立の原因だ。といってもまだ試験的なものである。戦争にこの力を利用しようと言う王国の考えだが、隊長はそんな事を考えずに純粋に魔法の力を研究して修行している人だ。フェイにとっても好感の持てる人物である。 魔法は大別して火、水、大地、風、雷の五つの属性と、どれにも属さない黒と白があり、それについて研究を日夜しているのがこの小隊だ。魔法についてのこれ以上詳しい話はここでは語らないことにする。とりあえず、二十六番小隊は隊長、ヴラーグ・ラッセル率いる魔法のプロフェッショナル部隊だと言うことはわかってもらえただろうか。 二十六番小隊の作戦室は三階の端に位置している。階段からは遠いのはフェイの作戦室と同じだ。だが、造りは第二十七番小隊のやはり比ではない…というより一般の小隊とも一線を画すほどに造りこまれている。壁は魔法に強い鉱物で出来ていて、部屋も広く、その中にさらに小さな部屋が(瞑想するために使うらしい)いくつもあるのだ。 「ヴラーグさん!フェイです。入りますよー」 フェイはノックを一応してから声をかけ、返事を聞くのを待たずして中へ踏み込んだ。瞑想中であるかもしれないのでいつも勝手に入りますよとフェイはここの隊長、ヴラーグに許可は取ってあるので、問題はない。 中は独特の雰囲気を醸し出していた。と言っても部屋全体が黒いカーテンで光が入らないようにしてあって、さらに怪しい薬品が泡を出している、などという訳ではない。ただ、少し強い魔力を感じる程度のことだ。どうやら隊長と数人で強力な結界を張っているらしい。フェイ程度にも感じられる魔力、決して低いなどと言う事はない。 ちなみにフェイも魔法は基本的に使え無くはないが、いかんせん魔力がそれほど高い方ではないので高度な魔法は使うことが出来ない。高い方…いや、むしろ低い。 「おっ、フェイ!何の用だ?」 部屋を入ってすぐ、近くに座っていた男がフェイに向かって話しかける。小部屋に入ることなく瞑想中だったようだが、フェイが入るとすぐに気がついて瞑想をといた。部屋に漂っていた魔法の力が弱まったような気がした。 「ヴラーグさん。うちのエリザがお邪魔してませんか?」 男の名はヴラーグ。先にも述べたとおり、この魔導部隊の隊長だ。魔力の高さは誰もが認めるところだが、このヴラーグという男、魔法使いとは思えないほどに体格がよい。本人曰く、魔法の基本は体力…だそうだ。どこからどう見ても体育会系の人物だが、れっきとした魔導士なのである。それも、セルガの魔導部隊に引けは取らないだろう。 「邪魔って訳じゃないけど、来てるぜ!今日はもう一人かわいこちゃん連れてたな」 肉付きのいい頬に手を当ててヴラーグは奥に見える黒く壁が塗られている小部屋の一つを指した。伸びる腕についた筋肉が暑苦しい。 (うらやましいなあ) とたまに思う。 「ちょっと用があるんですよ。連れて帰るって訳じゃないんで気にしないで下さい」 そう言って彼が指さした小部屋に向かう。と、そこでヴラーグはフェイの後ろにくっつく二人のうちの女子の方を見て驚きの声を上げる。焦りの色が一瞬で彼の顔を覆い尽くした。 「フォ、フォールネリス姫様ではありませんか!し、視察でございますか!」 ヴラーグは汗をかくくらいに焦りながら、直立不動の姿勢で声を絞り出した。姫とは、通常の兵士達にとってはこれほどの存在なのである。フェイが身の程知らずなだけなのだ。ネリスのためと言い訳しているが、それで通るわけも実はない。 ネリスは微笑みを交えながら、その問いに答える。こういうときは驚くほど気品に満ちあふれていると思うのはフェイだけなのだろうか。しかし、そう思わせるほどに可憐さがネリスにはあった。いつもとはえらい違いであるが、兵士達の中では人気が結構高い。 「違いますわ。ご心配なさらずに」 「って事は、フェイの所に遊びに来ただけですか…。ふぅ、焦らせないで下さいよ…」 フェイは足を止めて振り返り、ヴラーグの耳元で小さく、とても小さくささやいた。 「(何かまずいことでもしてんですか?)」 「(なわけねえだろ!俺だって緊張くらいするんだよ!お前とちがってな!)」 「フェイ!さっさとお行きなさい!」 しびれをきらしたお姫様はその仮面を脱ぎ捨ててフェイに向かって言い放った。もちろんだがそこには気品など何一つ感じられない。 「わかりましたよ…。だったらお前もさっさと部屋から出ろ!迷惑だってこのおじさんが言ってるからな!」 ヴラーグは何かを言いかけたが、もう遅いと言うことを悟ってか、何も言わずにその場に立ちつくしていた。ネリスは「よぉく覚えておきますわ」と言って部屋から出る。ロックが「ごめんなさい」と言って部屋を出たが、もうすでに何も考えられない状態にあるヴラーグには届かなかった。もちろんフェイの姫に対する口調にも心底驚いていたが。 フェイは小部屋のドアをノックする。すると中から返事が返ってきた。一応、魔法の研究や練習をしているときの入室は禁止である。 「誰ですかー?」 「フェイだけど、エリザさん、そこにレイはいるかな?」 少し間が空いて、レイチェルが部屋の中から出てきた。女子専用の制服を着ている。立ち止まるとき、その制服の首に位置するスカーフがふわりと舞った。エリザは笑ってフェイに手を振っている。フェイは反射的に手を挙げて答えた。 レイチェルの制服姿に少し見とれそうだったが、ぐっとこらえる。 「ああレイ、今日帰る予定だったんだけど…」 レイチェルは最期まで聞ききる前に、いきなり前振りもなくフェイに向かって勢い良く頭を下げる。相変わらずフェイを驚かせるのがうまい。フェイは一歩下がり、驚いていた。 「ごめんなさいっ!」 「へ?」 フェイは下げた足を気付かれないように戻しながら、何も言わずにレイの言い分を聞く姿勢に移行する。レイは頭を垂れた姿勢のままで顔だけを上げてフェイを見る。顔はほんのりと赤くなっていた。 「今日帰るの忘れてました!わざわざ迎えに来ていただいて…!」 「いや、違うんだけど…。ほら、顔あげて」 「はい…」 そう言ってゆっくりとレイチェルは顔を上げた。しかし、まだ目は伏せ気味になっている。フェイは慎重に言葉を選んで頭の中で言うことを整理する。 「実はフォールネリス姫から特命を受けて、今からその任に就くんだけど、そのせいで帰るのが遅くなるよ。と伝えに来たんだ」 (完璧だ…) 「わざわざすいません…。それなのに私…」 「いや、いいんだよ。それを伝えられれば、さ」 フェイはレイチェルの頭に手を置いて、そしてにこっと笑うと、その手を離してきびすを返す。 「ちょっと待って下さい!」 後ろから声がする。レイチェルの声だ。 「私にも手伝わせて下さい!その、任務…を…」 言っていて、自信が無くなったのか、途中から言葉が切れ切れになる。フェイは後ろを向いた。レイは直立した姿勢でフェイを真っ直ぐ見据えていた。その目に迷いの色は見受けられない。 (この瞳に弱いんだよなぁ…ん〜、まあ仕方ないか…) 「良し!では、これより姫の特命を受けたチームに、レイチェル!君を入れる」 「了解です、隊長!」 びし。と擬音が出てもおかしくないほどにレイチェルのポーズは決まっていた。もしかしたら正規の兵よりもよっぽど基本のそれに近いかも知れない。 「ずいぶんサマになってるねぇ〜。私の教え方?」 いつどうしてこうなったのかフェイには全くわからなかったが、エリザが部屋の中から出てきていて、そう言った。目の前に集中しすぎて他のことに注意が散漫だったのだろうか。いけないなあそういうの。フェイは自分をそう戒めた。 「エリザさんが?それなら納得かな」 フェイは冷静を装って答えた。 「じゃ、悪いけどレイは借りてくので、すいません」 「了解。頑張ってね」 ネリスに向かって敬語を使わないのはフェイの特権のような物だが、隊長に向かってただの兵士が敬語を使わないのはエリザの特権かも知れない。しかし、元をただせばエリザの所属は大隊だったのでフェイの方が格下である。実は。 さっきと依然変わらぬ姿勢で立ちつくしているヴラーグを横目に、フェイ達は二十六番小隊作戦室から外へ出た。外ではロックとネリスが楽しそうに会話をしていたが、フェイ達が出てきたのを見ると、それを一時中断し、フェイの方に注目する。内心フェイは二人が些細なことでまた言い争いでもするのではないかと心配していたが、そんなに心配するほどのことではなかったようだ。 前にも記したとおり、普段は仲がとてもいい。 「アレ?レイお姉さんも?」 ロックはフェイの後ろにいるレイチェルに向かって言った。 「お邪魔ですか?」 「そう言う意味じゃないですよ!多い方がいいです」 そうロックに言われてレイチェルはにこりと笑ってロックに返す。その仕草がたまらなく愛らしい。 ![]() 「た、確かに綺麗な人じゃない…」 感嘆の声を上げたのはネリスだ。自分が一番と思っているわけではないようだが、それでも少し驚いたようだ。期待していてもあまりある容姿。それをレイチェルに感じたようだ。 自尊心は高いが、認めた相手には素直な性格なのだ、とフェイはネリスのことを思っている。 「あれ?そちらの方がお姫様ですか?」 フェイはわざとらしく手をネリスに向けて、胸を張る。 「こちらの麗しい方こそフォールネリスバイン姫であります!ちなみに、国王の実子だよ」 「(麗しいだって…そりゃ無いよな!くくく…)」 「こら!ロック、聞こえてんのよ!」 ネリスはロックの方を向いて一応不平を言う。が、今はそれでおしまいだ。一応最初に出会った人間にそこまで全開の自分を見せようとはしない。 「私がフォールネリスです。親しみを込めてネリスとお呼びになって下さいな」 「わかりました。では、ネリスさんとお呼びさせていただきますね」 レイチェルはぺこりとお辞儀をした。その姿勢もこれでもかというくらいに模範的だ。 「やっぱり…」 「どっかの誰かとは…」 フェイとロックは二人で示し合わせたようにぽろりと口からこぼす。ネリスには聞こえていただろうが、彼女には何の反応もなく、レイチェルにつられてお辞儀をしていた。そちらは初々しくてかわいらしい。 「う…」 が、その瞳はものすごい憎しみの念を込めてフェイに向けられていたことを、視線を向けられていた本人だけが理解していた。 |
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