「うぅう〜…」 あまり広くない廊下に人影が四つ。二つは大きく、後の二つは小さい。小さい人影の内の一つがうめき声に似た声を上げていた。廊下に四人広がっているが、人通りが無いので今のところ安心である。 実のところさっきからあまり捜査は進んではいなかった。当初の計画では、ネリスが昨日の記憶をたどって朝からの行動を再現するというもの…だったのだが…… 「ほんとに覚えてないの?」 そう言うのはフェイ。提案者のフェイとしては思い出してくれないと顔が立たないので結構困るところだが、フェイはそんなことを深く考える性格の人間ではないので、その声は言及の質ではなく、まぁ無理も無いよな、と言うニュアンスが含まれている。表情は穏やかで優しくネリスの事を見つめていた。 逆にロックはニヤニヤとネリスの顔を見て笑っている。 「バッカだな〜。昨日のことも覚えて無いのか〜?」 だがそんなロックのその軽口も、今人生で最大に悩んでいるネリスの耳には届いていないので、それに反論するネリスの声も無論、ない。反論は別の場所からだった。 「ロック君、頑張ってるんだからそういうこと言っちゃだめだよ」 レイチェルはにっこりと笑いながらロックの事を制す。ロックは目を開いてレイチェルの事を一瞥してフェイの顔を見、そしてまたレイチェルに視線を戻した。フェイは変わらず穏やかな笑みでネリスを見つめている。 「…ごめんなさい」 ロックは軽く頭を下げて詫びた。もちろんこれもネリスには聞こえていないと言う算段だったのだが。 「ウフフ!レイ『お姉さん』には素直なのね、ロックくん!」 今度はなんとしっかりとネリスはその言葉を捉えていたようで、即座に返事をしてみせた。困った事にネリスの顔は諦めの色を幾分か漂わせているうえに、何故か勝ち誇っている。 フェイはロックの顔に事が起こる前に手を置いて制止した。あまりドタバタに巻き込まれると自分自身の帰る時間も遅くなってしまう。つまりそれはフェイの休暇の減少を意味する。まぁ厳密に言えば村への警戒任務なのだが、前にも言ったとおり、形だけの物で、ほとんど休暇と変わらない。それでも一応休暇は用意されていて、いつでも使うことが出来るのだが…今その話はどうでも良いことだ。 「それで、思い出せたの?」 仕切りなおしに、フェイはネリスにわかってはいたもののさっきの試行錯誤の結果を聞いてみた。ネリスもそのことは理解しているようで視線を泳がせて壁についているランプのあたりでそれは止まる。 「むぅ〜…。ダメだぁ…」 「う〜ん…なら仕方ないなぁ。なら、聞き込みしかないか…」 フェイは仕方なさげに言った。仕方ないと言ったのは結構本心である。時間外労働もいいところだ。 「なんか本格的っぽいですね」 心なしか興奮しているようにも見えるロックが、それはまた興奮しているようにも感じられる声で言った。フェイは虚空を見上げて、頬をかく。こちらは全く興奮などしていない様子である。 「じゃ、どっから行こうか…」 「全く行動が思い出せないんじゃあ…見当もつかないですよねぇ…」 レイチェルはそう言って首を傾げた。ロックとネリスも同様に首を傾げたり、様々なポーズを取って考えをめぐらせている。だが正直真面目に考えているのはロックくらいのもので、ネリスはたまににやりと笑ったりして、レイチェルはレイチェルで何も考えていないようにしか見えない。いやもちろん真面目に考えてはいるのだろうが… 「まぁいいか…最初は小隊の部屋から順に聞き込みをしてみるか?」 このまま考えていて時間が無駄に過ぎるのは避けたいと思い、フェイはそう提案した。動いている時に新たな案が出ればそれはそれでいい。出なければそのまま聞き込みをすればいいだけだ。 しかし、どちらにしろかなり時間がかかるだろう。もしかしたら村にいる期間を一日ずらす事になるかもしれない。 「草の根ですけれど、それしかないですね…」 とりあえず、そう決めたフェイ達は二十六番小隊室を後にした。まずは小隊室を片っ端から聞いてまわるために、三階の端に向かう。早めの解決を祈って。 「…で、昨日姫を見ませんでした?」 「さぁ…、見てないね。悪いなフェイ」 「あ、いいえ。僕達と違ってお忙しいところ、失礼しました」 「俺達だって指令が無きゃ暇さ…」 フェイ達はさっきから同じ質問を繰り返していた。同じ答えが返ってくるのも、これで何回目だろうか、小隊室はもうほとんどまわった後だった。時間にすると約一時間ちょっと経過したくらい。実はそこまで深く聞き込みをしていたわけではない。 正体の作戦室に入ってフェイが大声で皆に聞いて反応を見て、それから反応が無ければそこの隊長に直接話を聞く。フェイ以外は適当に見繕って人に話しかけてみるという、そういう流れでいっていた。 さすがにネリスを見ればみんな静まり返ると言うものだった。その中でもフェイの事情を知る人物はそうでもなかったようだが。 「…ん〜。十五番小隊も見てないかぁ…。後は二隊だな」 フェイはもう一度そこの十五番小隊に向かって頭を下げ、そして部屋を後にしようとする。 「おい、フェイ!」 そう言ってフェイに手招きをする人物がいた。フェイはロック達に手で先に行け、という合図を送って、そしてその声の主の所へ向かう。一応その三人が外に出るのを目で見送り、もう一度その人物の方に向き直った。 「なんだよ、ナード…」 声の主はフェイの同期の親友であるナードのものだった。ナードがしきりに口に手を当てて静かにしろと言うので、フェイはなるたけ声を小さくして文句を言う。ナードはさらに声のトーンを落として話し出した。作戦室の騒音にとけ込んでしまうような、そんな声で。 招待内は今までネリスの存在で静まり返っていたので反動のように騒がしい。だから正直普通に話していても他にもれる事は無いのだが、ナードは結構万全を期す性格だった。悪く言えば細かい。 「あのおてんばの世話も大変だな…。子守隊もよ…」 「それは仕方ないだろ。あっちから勝手に来るんだよ…」 フェイは肩をすくめておどけてみせる。 「口と態度がかみ合ってないな」 ナードも肩をすくめて眉目を吊り上げた。 「…たしかに。悪い気はしないよ」 フェイは表情と態度を戻し、本人がいないのを見てそう本心を述べた。 「俺に口で勝てるわけないさ…。それより、昨日姫を見たぜ」 「ほっ、本当か?」 フェイははっとして口を押さえた。本人も予想していなかったことで、つい声の音量が大きくなってしまったのである。 「すまん。で、どこで?」 ナードにとがめるような様子は見受けられない。フェイは少し安心した。 「訓練場だよ」 「訓練場?なんだってあんなとこに…まぁいいか。貴重な情報ありがとう!」 フェイはそのまま作戦室を駆けて出ていく。あまり外にいる人物を待たせると後が面倒な事になるので、そこまで時間はかけられない。フェイとしては少し間の抜けた行動だったが、これも早期解決を目指すためだ。 「まだ時間言ってないんだが…まぁ、いいかな……」 ロック達三人は、ドアの前で静かに待っていた。ドアを開けて三人の様子を見ると、部屋の中の様子を伺っていたのか全員がごまかすように笑っていた。 フェイはレイチェルの顔を目を細めて一瞥すると、先ほど聞いた極上の情報を皆に伝達すべく、声を張り上げた。レイチェルはしゅんとして申し訳なさそうにしている。ちょっといじめすぎたかな、とフェイは思った。 「やっと目撃者を発見したぞ。昨日、訓練場で姫を見たそうだ」 フェイは右からレイチェル、ネリス、ロックと並ぶ真ん中より少しロック側に視線を置いてにこやかに笑いながら先ほど聞いた情報を開示した。先ほどと比べると幾分かフェイの態度が変化している事を、レイチェルは薄くではあるが感じ取った。 (フェイさん、何かいいことあったのかな…) レイチェルはひそかにそう思い、一人でうれしそうに笑う。それには誰も気がつかなかった。 「やりましたね、隊長!」 ロックはぴょんと跳んでガッツポーズを取ってみせる。レイチェルもそれにつられて両手でガッツポーズを取った。いつの間にかレイチェルの顔には笑顔が戻っている。以外と深く物事を考える性格ではないらしい。 「じゃ、行きますか…姫?」 フェイは手首をぐいと押し曲げて手のひらをネリスに見せながら言った。ネリスはにやりと悪戯っぽく笑って見せて、息を一回吐き出す。 「…言われなくても参りますわ?」 そう言い終わった後にネリスはロックの方を睨む。また何かロックが小言を言ったのだろうが、フェイには何も聞こえなかったのでそれは放っておくことにする。さすがにもうそろそろ止めるのも面倒になってきたというのものだ。 そんな事は知りもせず、レイチェルはフェイとネリスを見てニコニコといまだに笑い続けていた。 |
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