村に帰ってきたとき、あたりはすでに日が暮れて薄暗くなっていた。空は赤と青が混在し、星が一つ二つ瞬き始めている。昼ごろには着く予定だったのだが、いろいろあって少し遅くなってしまった。 「…ずいぶん時間かかっちゃったね」 フェイは馬を止めながら背を向けたままの姿勢で首を横に向けて言った。レイチェルは先に馬から下りて、フェイが馬を止めるのを静かに待っている。 「そうですね。いろいろあったから…」 フェイはうっすらと笑った。乾いた笑いであった。なんとも複雑な気持ちがフェイの心の中をよぎる。 「あ…すいません…」 レイチェルはフェイの変化に気付き、素直に謝罪した。 変化。フェイの様子を見れば、それがどのようなものか判る。明らかに楽しそうな雰囲気ではない。普段、と言ってもレイから見るフェイの日常から、の視点だが、それは普段では起こり得ない変化だった。 落胆…と言えばそうなのかもしれない。しかし、言葉では表せないような部分もあるだろう。とにかく、フェイは城を出てから、様子が普段とは違って見えた。それでもフェイはレイチェルには優しく接するのだ。それがレイチェルにとっては痛く思えて仕方がない。しかし、フェイを助けてあげることが出来ない自分がいることに、レイチェル自身も、けっこう参っていた。 「あ、そうだ…。先に家に帰っててくれるかな?俺はちょっと…ね」 フェイはレイチェルの方を向き、そして肩を軽くぽんと叩いた。レイチェルは何も言わずにただコクリとうなずいて、肩に置かれたフェイの手に軽く自分の手を重ね合わせた。 しばらくして、はっとして手を離したフェイは、慌てて取り繕うようにして言葉を発した。 「ほ、ほら、いつもみたいにさ、ご飯作る材料はライツさんの所へ行ってもらってきて…さ…ははは」 さっきの乾いた笑いとは違って、今度のは活きたものだった。それを見てレイチェルは微笑んだ。私でも出来ることはあるんだと、そう理解できたからだ。 「なんだよ…笑うこと無いじゃん…」 「あ、すいませぇん!じゃあ、行きますね?」 レイチェルは元気を取り戻した様子だった。フェイにとってもまた、レイチェルに元気がないのは判っていた。原因が分からないので普段通りを心がけて接していたのだが、また何が引き金になったのかはフェイには理解できなかったが、とりあえず元気を取り戻したようで安心。と言ったところか。 やがてレイチェルは見えなくなってしまった。 「さて…と」 フェイは見送った後、一人で森の方へ歩いていく。足取りは、緩やかだ。 薄暗さがどんどん増してきた。もう少しすれば月が出てきて少しは視界が開けると思うが、森の中に入ればそこには真の闇が待ちかまえている。つまり、月が出ようと出まいと、フェイにとってはどうでもいい。むしろ暗い方が都合がいいとも言える。フェイの心の中もまた、暗闇に包まれていた。 「本当に真っ暗だな…」 森の中は真の闇。他には何もない。頼れるのは視覚ではなく聴覚と、感覚。慣れ親しんだ森は昼とはまったく違う顔を見せていた。 時折聞こえるのは、虫の鳴き声か。そのほかはフェイの足音しか聞こえない。誰も、木以外の何も無い。 (音を立てるな…。気配を消して、風のように動く!) フェイは闇の中で何も見えないというのに足を大地から離し、音もなく飛び上がった。そして体に受ける空気と感覚で枝を掴み、経験と勘でそれからまた次の枝へと飛び移る。 フェイが今やっているのは動きの訓練…要は、特訓だ。 (こんなんじゃだめだ…!俺に皆を護ることなんか……!) 先の事件…フェイの隊の二人が殺された事件で、フェイは自分の力のいたらなさを痛感した。兵士である以上死は覚悟の上であろうし、どう考えてもフェイのせいとは誰もが思っていない。が、フェイは自分を責めた。ロメオに諭されて、レイチェルに慰められながらも、責めて、責めて、責め続けた。 自分の力が足らないと、そういう結果にたどり着いた。今こうして特訓に励むのは、今の自分に出来ることはそれしかないと、思うより他無かったのだ。気を紛らわす程度のものにすぎないが、やらないよりはましだし、実力不足なのは事実だ。 普段に自分に戻るって、こんなに難しかったのか。 「はっ!」 フェイは縦横無尽に木々を飛び回っている。暗いから、いや、これは明るくても姿をとらえるには一苦労だろう。フェイの並外れた跳躍力はここから来ているのかも知れない。まるで猿のようである…いや、猿以上か。 しかし、これはフェイにとってはまだまだ納得のいくものではなかった。常に見えない敵を想定しているフェイに、満足などはない。しかし今日はいつにも増して納得がいかなかった。 「…くそっ…」 フェイは樹上で動きを止める。どのくらいの時間が経ったのかは判らない。が、月がいつの間にか空に出ていた。木の上からならば見えるような位置に輝いている。 「………」 その輝く月を見て、多少フェイの心は落ち着いていった。黒い空にぼんやりと浮かぶ白い月がひどく幻想的で、美しい。今のフェイの心には何故が印象的に感じられる。息を静かに吐くたびに、心の中の闇が同時に出て行くようだった。 「まぁいいや…帰るか」 月に魅せられたのかも知れないが、フェイは自分でそう考え、木の上から飛び降りて、ふわりと着地する。何も見えなくても、この森は慣れたものだ。 フェイの村は田舎なので、夜になると光がほとんどない。一応かがり火は焚かれているが、それは所々だけなのであまり意味はないといえる。しかし、ほとんど外の人間が来ない村なのでそれでもかまわない。 よく考えてみると、レイチェルは外来の人間である。無事にフェイの家にたどり着いたのであろうか…。 (そんな簡単なことにも気が付かないなんて…。しまった…) そう思って、フェイは足早に自分の家へ向かった。 「おっ…明かりがついてるじゃないか…無事に家についたんだな…よかった」 家には明かりがしっかりとついていた。思えば、一人で暮らして何年にもなる――が、家に誰かが待っているなんて事は今まで一度もなかったとフェイは記憶している。兵士達のほとんどはそう言う状況なのだがそれでも、誰かが帰りを待ってくれている生活にあこがれてみたりする年頃なのだ。そう考えると、ロックは年が年なだけに不憫だとフェイは常に思っていた。 今のロックは昔ほどそういう素振りを見せなくなってきている。それはひとえに、レイチェルのおかげであろう。それに関しては一安心だった。 「ただいまぁ〜」 フェイは勢いよく家のドアを開け放した。この言葉を言うのも、実は夢だったりする。今までは誰もいない部屋に向かって言っていたが、今日はその限りではない。 「あ、お帰りなさい、フェイさん」 (おお、これこそが…) 家の中からはいい匂いが漂って来ている。食材をしっかり取ってきているところを見ると、全く迷った様子はない。一種の才能なのか、それとも運がいいのか。 その夜は何事もなく、レイチェルがいると言うだけでいつもよりも幾分か満足して過ぎた。フェイが元のいつものフェイに戻っていたと本人に気付かせずに。 |
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