食後、少しお腹を休めてからフェイは私服からいつもの制服に着替える。レイチェルが洗濯してくれたおかげで袖を通すときに気持ちがいい。 「そろそろ行こうか?支度してね」 フェイは広い居間の奥の部屋でお掃除しているレイチェルとそれに従事しているクリエスとに呼びかけると、奥から二人の返事が時間をずらして聞こえてきた。 「わかったよ、今行く!」…とクリエス。「少し待っててくださいね」と少し遅れてレイチェル。 それを聞いたフェイは壁に掛けてあった共に激戦を繰り広げた盟友である剣を取り、それを肩にかけて背中に背負った。 『人を斬る事に抵抗を感じている…違うか?』 そこで、昨日のクリエスの言葉が思い出される。あの、フェイの心に深く突き刺さった件の台詞。 (くそ…俺は、まだ……!部下を二人も失っても、まだ…?) フェイは頭を抱える。たった一言で、そこまで。 『だが、人を慈しむ心はあるようだ…』 (違う…そうじゃない…俺は、あの時…) フェイの頭の中に大量の記憶のモニターが表示され、それがフェイの頭を支配する。数々の忌まわしい記憶、今はそれしか浮かんでこない。 『剣は、誰かを守るために振れ…仇なす者には、容赦してはいけない…。それは、命取りだ。わかったね、フェイ…』 (し、師匠…俺は…もう…) 「どうしたんですか?」 そこでフェイははっとして顔を上げた。レイチェルとクリエスが目の前に立ち、クリエスは眉間にしわを寄せて、レイチェルも同じく、フェイを心配するような顔でフェイを見ていた。 その心配する顔があまりにもだったので、フェイは自分がどれだけ辛そうな表情をしていたか自分で悟った。涙を流すほどではなかったのだが、それでも顔に張り付いた表情はそれに近いものがあったに違いない。 「傷か…?」 今度はクリエスが言った。 「いや、まあそんなもんかな…でも、もう大丈夫さ!行こうか?」 フェイは両手を広げて二人に笑いかけた。レイチェルのほうはそれにつられて微笑んだが、クリエスの方は変わらない表情だった。どうにも納得はいっていないようだ。 「俺の馬に三人は乗らないなあ…どうしよう」 フェイは自身の馬の前で呻いた。さすがにこいつに三人乗せたら長い時間走るのは無理な話だろう。フラップ達を運んだときと距離が違いすぎる。馬にそんな無理をさせるわけにもいかない。 「いや、私は…」 クリエスは口を開こうとしたが、その先はフェイが続ける。何を言うかをフェイは持ち前の勘のよさで瞬時に察したからだ。 「と、飛んでいくとかはなしだぞ?」 クリエスはいぶかしげな顔をする。やはり、この子には天然のものがあるようだ。 「どうしてだ?いつもは…」 「さすがにそれだと人間じゃないってのは一目瞭然だからね…」 フェイは苦笑いしてそう言った。確かにクリエスが一人で飛んで行ってくれると助かりはするのだが、さすがにそれは他人に見られるとあまりよろしくない。というか困るのはフェイではないだろう。 フェイもそうであったのだが、おそらくこの存在は広くは知られていないはずだ。それに、なぜかこの二人のことを周りに洩らしてはならないような気がしてならなかった。 「た、確かにそうだな…」 そしてそれはクリエス達にとっても同じことであったようだ。レイチェルがクリエスのほほを小突いている。あまり好ましくないといったほうが近いかもしれない。 「馬か……そうだ!」 思いついたようにフェイは言うと、そのまま二人に微笑みかけて一人歩き出した。二人は互いに顔を見合わせたが、フェイの背中が少しずつ遠ざかっていくのを見て、慌てて歩き出した。 「アービィン!!いるかぁーーーっ!!」 そこはただ広い草原が広がる地…牧草地。ズキン…これはおなかの痛み。 (大声出したくないのに…) そして数秒。 「うーるせー!馬がびっくりするだろーがー!」 出てきた男はぼさぼさ頭に細い目…牧場主、アービン・ゲト二十歳独身。 「悪い悪い。ちょっと用があってさ」 フェイは悪びれる様子もなく用件を切り出す。 「馬貸してくれ、一頭でいいから」 アービンは話を聞いているのかいないのか、細い目をさらに細めて頭をぼりぼりとかいた。右手には三叉矛…ではなて強大な熊手。…おそらく朝の作業でもしていたのだろう。不思議なことだがいつも朝は早く、いつも同じ時間に起きているらしい。だが他の時間は大体寝ている。 「だ、誰だあいつ…?」 クリエスはレイチェルに耳打ちをした。 「あ、あの人?彼はここの牧場を管理してる人で、アービンって人。自然に近い人で、とってもいいひとだよ?」 レイチェルは迷いもせずに言った。だが、クリエスにはそうは見えなかったらしい。 「そ、そうかな…」 (人間って言うのもいろいろいるもんだな…私なんか特に…) 「クリエスちゃん?」 「いや、なんでもない。…馬か、まさかそんなものに乗ることになるとはね。これじゃ奴らと…」 「こら!そんなこといわないの!また言われるよ?」 クリエスは「あはは…」と微笑んでまたフェイのほうへ視線を戻した。 「いいよー、一頭ならどれでも持ってきなー?」 それを聞いたフェイはアービンの肩をばしばしとたたく。アービンはその一撃一撃でふらふらとよろけたが、ニコニコと笑っている。先ほどの怒りなどとうに忘れてしまっているようだ。 「いつも悪いね、じゃ、借りてくよ」 「王国の兵士さんじゃねぇ〜、当然でしょー。ちゃんと管理してくれよ〜?」 アービンはそれだけ言うとまた建物の中へと消えていった。クリエスとレイチェルはその光景を呆けるように見つめていた…。 「なかなかうまいじゃないか!…クリエス、なんか訓練でもしてたのか!?」 馬を走らせて小一時間。フェイはクリエスの見事な馬捌きに感心していた。 「私をなめるなよ!このくらいで引けはとらないさ!」 クリエスは一人で馬を華麗に走らせている。もちろんアービンの馬は一流であるが、乗りこなす人もそれは一流のように見えた。鎧でも着ていたら将軍級の騎士に見まごうほど、といっても過言とはいえない。 「クリエスちゃんって何でも出来ちゃうんですよ。うらやましいな…」 「そうだね…兵士の俺より強いし」 レイチェルは前の二の舞にならないようにしっかりとフェイの前で両足を横に投げ出して乗っている。急勾配、ひどい砂利道などはフェイにしがみつくのだが、もちろんいまだにフェイはそれに慣れない。そんなことでレイチェルを危険にさらす事などできない、という意志だけがフェイの意識を集中させていた。 「私とは違って、一人で何でもやっちゃうから…憧れちゃいます」 レイチェルは前を見つめてぽつりと言った。前を見つめているため、というよりフェイ自身が前を見ていなければならない状況なのでレイチェルの表情を見ることは出来ない。ただその言葉には重い感じがした。 「そんな事言うなよ。少なくとも、俺は助かってるしさ…レイは人のことまでやってるじゃないか。だからさ…」 そこまで言うと、急にレイチェルはくるりと後ろを振り向いて、馬の首に回されていた手をフェイの背に、そうしてしがみついた。 「ありがとうございます…っ!」 そう言って一層強くしがみついてくる。 「うわわっ!び、びっくりさせないでよレイ〜!」 だがフェイにとってはうれしいというよりか、びっくりというほうが強かったようだ。手綱を握る手がふっとあらぬ方向に向き、馬がそれに従って道を少しそれる。従順、といえば聞こえはいいが、融通が利かない、といったほうがぴったりといえる。 やはりレイチェルの行動でフェイの意志など軽く砕けてしまうようだ。 「ごっ、ごめんなさい!そんなつもりは…!私、うれしくって…すいませんでした…」 レイチェルはパッと手を離してフェイから遠ざかった。…が。 「は、離しちゃだめだって!」 多少は慣らされた土の地面を離れて暴走した馬を引き戻す際、急旋回を強いられる。つまり、しっかりとつかまっていないと振り落とされる、というわけだ。 この場合はフェイが全面的に悪い。 「ひ…やっ!」 レイチェルはバランスを崩して馬からずり落ちそうになる。 「多少手荒くなるけど…っ!」 フェイは左手を離し、右手だけで手綱を握る。馬にはゆっくり走れと手綱で命令し、左手はレイチェルの胸辺りにがっしりと回された。この際四の五の言っていられる状況ではない。 「非力な俺には!くう…体力も戻ってないのに……!だあああああ!!!」 どんな状況でも気合を入れて叫べば何とかなるものだ。レイチェルの体は一度は馬から外れたものの、フェイの気合によって再び馬の上に引き戻された。代償は大きく、フェイの肉体をさいなむ。 (うああ!お、おなかが痛い!) 「ひゃああ…。あ、ありがとうございますぅ〜…!」 レイチェルは涙すら流してフェイに礼を言った。が、どう考えてもフェイのせいであるのでこれはおかしいのだが。さらに… ゴン! 「痛。痛いよクリエス…」 いつの間に横に回っていたクリエスは目を細めて、またしても突然取り出した鎌の柄の部分の先っぽでフェイの頭を強く叩いた。 「コラコラ、いつまで触ってんの。…手を離せよ、フェイ」 「あっ、ゴメン!はは…いや、夢中で」 それでようやっとフェイはレイチェルの胸に回していた腕を引っ込めた。本当に気付かぬ行動であって、下心があったわけではない。 「いえ…ごめんなさい」 レイチェルは何に謝ったのかはわからないがもう一度謝った。フェイは平静を装うので手一杯だったが、内心はものすごく焦っていて、心臓は高鳴るばかり。…本当に他人に見せられたものではない。ロメオならば「若いねぇ、隊長さんよ」とか言って野次るのだろうなと考えると、さらに恥ずかしさが増した。 「ったく…油断も隙もあったものじゃないね、人間の男ってのは…」 言い終わってクリエスの表情が変化する。たぶん、焦りの表情だろう。言葉と表情がまるっきり合致してない。 「いや、まあ…ほかの奴らと違ってその…誠実そうでは、あるけど……ね」 レイチェルの無言の気合だというのは言わずともわかるだろう。先ほどのフェイの気合など遠く足にも及ばないほどだというのも、同じく。むけられていないフェイですら寒気を覚える。 「そういえば…クリエスちゃんのことはどうするんですか?」 レイチェルは馬につかまりながらフェイに顔を向けずに聞いた。先ほどとは違いすぎる態度に戸惑うフェイ。だが、答えは至って簡単。 「クリエスは兵士で決まりでしょ…問題は本人が仮にでも城の人間と対等に付き合えるか…かな……ははは…何とかお願いできないかな?」 多少苦笑い気味にフェイはクリエスの方を向いた。クリエスの性格をフェイが見たところ、人間ではないということを加味して…「人間のことを多少軽く見ている節がある」。人間の下でいくら仮にとはいえ、あのクリエスが働こうとするはずもない…正直な話、だめで元々な頼みだとフェイ自身少しわかっていたが… 「そんなことはないですよ、隊長」 クリエスはあまり間も入れずに…とても満面の笑みを添えて…そう答えた。 「ご、合格…です。いや、しかしもっとざっくばらんで良いよ。みんなを鍛えてやってよ…その強さでさ」 「皮肉を言うなよ…私だって人間そのものを嫌っているわけではないのだから」 今度は作らない笑顔。満面ではないにしろ、それはとても魅力的だった。 (人間そのものが嫌いというわけではないのか。それなら大丈夫かもなあ…) 「クリエスちゃんって厳しいところもある分とっても優しいんですよ」 ぽつりとレイチェルが言う。言い終わってクリエスの表情を見て、レイチェルはやっと気がつく。そうなんじゃないかなとフェイは思っていた…どうやらこれで確信に至った。 (いい事聞いたよレイ…) 「それは…言わないでよ…レイチェル」 聞かれてしまった本人は馬を走らせて、顔を背けたまま一歩先を行く。 「ごめんね〜…」 レイチェルは謝ったが、馬の走る音に容赦なくかき消されて永遠に本人に届くことはなかった。 |
|
|