「ただいまー」 フェイが作戦室のドアを開けると数人がすでに帰ってきていて、まだ帰ってきていない面々もいた。もちろんロメオはすでに帰ってきていて、顔が少々赤らんでいる。仕事の内容は想像せずともわかりきっていた。 「皆さん、お疲れ様です」 (違うぞレイチェル…) レイチェルはぺこりとお辞儀をして、部屋の中へ戻っていった。フェイも隊長席へとすわり、大きなため息をつく。肉体的な疲れ以上に、精神的な疲労が少し溜っていた。手を組んで、頭を下げた姿勢で椅子に座りながらフェイはもう一度深く息を吐く。 「で、皆…どうだった?」 帰ってきていたのは三人。クリューガー、ロメオ、ロックの三人であった。 「俺から言うぜ」 一番に手を上げたのはロメオだった。おそらく最初に帰ってきたのだろう。時間が一番短くて、業務をサボっていたと見て取れるが…果たして。 「…酔ってませんか?」 一応聞いてみた。返ってくる答えは容易に想像できたが…、一応隊長として聞かなければならない。中間管理職も大変である。フェイは体の底から来る重圧に押しつぶされそうになりながらも表情を変えずにロメオのほうを見た。 「馬鹿野郎、誰に向かって言ってんだ?」 返答は予想通りだった。フェイは深く頭を下げ、 「すいませんでした」 と言い返す。どう見ても酒を飲むほうが悪いのに、なぜだろう…などと思うやつはこの城にはいない。文句が言えるものなら言って見せて欲しいものである。 「俺のところは異常無しだったぜ。それらしいやつも見かけなかった…中にも入ってみたが、そこにもだ」 (そりゃ中には入ったでしょうが…わざわざ…) 「わかりました、ありがとうございます」 言いながらフェイは城下の簡単な見取り図を隊長席の机の引き出しから取り出してきちんと整頓された(何もないといったほうが正しい)机の上に広げて、フェイは傍にあった羽ペンでマークを入れた。フェイ御用達の小さな地図ではなく細かく記載された昔に(おそらく)前隊長が作ったものである。 それにしても、部屋内の明かりはどうも薄暗くて見取り図に記入するのがちょっと難しい。長方形の部屋、短い方の辺の中心二つにそれぞれ一つ明かりとなるたいまつが設置されている。 加えてこの部屋に入ってくるドア側のところの本棚と本棚の間に一つ。それと逆側の開閉可能なな窓の所にも一つ。この二者は自費である。 「俺のところも異常なかったですよ。ったく、つまんねえ…」 「コラコラ。不謹慎だってば」 クリューガーの担当した地区にもフェイは印を入れる。こうしてみてみると以外に一人の受け持つ範囲は広範囲に及び、よく出来たものだとフェイは思った。クリューガーは本当に不服そうにいすをぎしぎし言わせて体をゆすらせていた。 もしかして見つけたら本気でやりあうつもりだったのだろうか。クリューガーに任せたら犯人もおそらく普通に痛めつけられる程度ではすまないだろう…そう考えると犯人側は運がよかったのかもしれない。 「ロックは?」 「僕のところもです。異常なしでした。あ、いや酔って寝ていた人を介抱しました」 「うーん、そうかあ…」 フェイはロックの担当地域にもチェックを入れた。 「一人であの範囲を…やるねえロック」 「そ、そんなあ…」 フェイのほめ言葉にロックは素直に照れて喜んだ。ロックの範囲は一応ほかの人に比べれば確かに狭く設定したはしたがよく一人であの範囲を回ったものである。やはりロックには誰かつけたほうがいいかと思ったがその心配はどうもなかったようだ。 「おいロックゥ、てめえんとこには不信な奴はいなかったのかよ?」 「え?疑ってるんですかあクリューガーさん…。ちゃんと見回りましたよう」 が、クリューガーの表情はほかのことしか考えていないという表情だった。それは誰にでもわかったことだ…いやレイチェル以外ならわかったことだろう。 当のレイチェルはニコニコしてロックを見つめていた。 「なんかあると思っていったら何もなくてイライラしてんだよ…」 やっぱりなあ…フェイは口に出さずにそう言った。 「そうそう何かあっても俺たちが困るだろ…ゆっくり酒が飲めなくなる」 「それはロメオさんだけですよ…」 フェイの言葉にロメオはからからと笑った。やはりどうもほろ酔いの状態らしい。とりあえず近くにいたクリューガーの肩を遠慮なくばしばしと叩き、「まあ頑張れ」などとわけのわからないことを口走っている。さすがのクリューガーもロメオに抵抗する気は無いようで不服そうな顔をしながらも何も言わずに黙りこんだ。 「楽しそうですねー」 その光景を正面のいすに座っていたレイチェルがそう称したが、 「いや、楽しいのは本人だけですよ…」 ロックが正確にそう分析した。その通りだ、とフェイはなぜか深く思い、クリューガーに情けをかけるような視線を送る。 と、そうしてるうちに次々と残りのメンバーが作戦室も戻ってきた。 「エリザ、戻りましたー」 「バイパー、同じく!」 最初にその二人組が戻って来る。エリザはどうやらバイパーと組んだようであった。 「どうだった?」 すかさずフェイは地図に向き直って報告を待つ。二人で行く範囲は広くしておいたはずなので結構時間がかかったのだろう。エリザはその範囲に不服なようだったが、何とかやってくれてフェイとしては大助かりだ。緊急事態とはいえエリザの機嫌の保証はどこにも無いのだから。 「異常なし。私のところは何も無かったです」 フェイはチェックを書く。 「お疲れ様でした。不信な人とかもいなかったの?」 「いなかったようだけど」 エリザがまた答え、思い出したようにバイパーの方を向いた。 「ってアンタ!何で私が報告してんのよ!アンタがやりなさいよ!」 取るに足りないような事象でもエリザの機嫌を損ねる恐れがある、というのはこの作戦室のすべての人間が理解していることだ。バイパーの過失だからして、助け舟を出すものはいない。 「だ、だって…勝手に言ったのエリザだろ…」 だがバイパーも言い返すのだった。 (湖で水の魔法を使うとどうなるか知ってるよなバイパー?) 「あらあ?そういう事いうの、いけない子ねえ…!」 「あああ、エリザさん!ご報告感謝しますっ!!今日はもう終わりで結構だから!」 フェイは見るに耐えかねてエリザにそういった。エリザは動きをぴたりと止め、フェイのほうを向いてにこりと笑う。背中にひやりとした感覚が走った。 「じゃあお先に失礼しますねー!」 エリザはバイパーを押しのけて作戦室から出て行った。フェイはほっと息を吐き、ふう…と息を整えた。心臓の鼓動がまだ少し高くなっているように感じる。 「災難だったなァバイパー?」 もちろん最初にちょっかいを出すのはクリューガーである。バイパーのほうを見てニヤニヤと笑っていた。 「災難ですよ…僕、だって悪いことしました?」 バイパーも息をふうとはいて席についた。 「あそこで言い返すのだめですよー…エリザ姉さんそれで無くてもぴりぴりしてたし」 「その通りだ。俺たちまで汗かかせるんじゃねえよ」 「ろ、ロメオさんまで…わかりましたよ。僕が悪いんですよね…すいません」 バイパーはいつもこうだ。机を見つめながらバイパーは謝罪の意を表明し、クリューガーは「それでいんだよ」と隣に座ったバイパーの肩に手を置いた。 「大丈夫ですよー。エリザさんいい人じゃないですかー」 「えっ…」 レイチェルの言葉に、周囲の反応は冷たかった。フェイですら苦笑いをせざるを得ない。確かにいい人…だけど、とみんなの心はひとつだった。 「まったく…お前らは仲がいいことだな…どうも入りにくいんだが」 いつの間にか帰ってきていたクリエスは、おそらく何度も叩いたであろう作戦室のドアをドアが開いた状態でフェイの見ている前でわざともう一度叩いて見せた。 フェイはあわてて立ち上がったが、別に上司でもないのでその必要は無いとわかって、ふう、とまた息を吐く。本当に気苦労の耐えないポジションである。 「クリエス…ご苦労様」 取り繕うように言葉を吐いた。 「いいや、…こちらは特に異常はなかったぞ」 「わかった、ありがとう」 フェイはもう一度座りなおし、また地図に記入した。これで後はティンガースの場所だけでメインの通り周辺以外はほとんど埋まる。 「不審な人物は?いたかい?」 「そういえば一人声を掛けてきた奴がいたな…ちょっと振り払ったら叫んで逃げていったよ。派手に吹き飛んでいたようだが…」 クリエスは表情一つ変えずに言っている…あきれたような表情で。 (相手もかわいそうだな…声を掛ける相手を間違ったよ…) 「だめだよクリエスちゃん、ちゃんと話聞いてあげないと!」 「そうか、それは申し訳ないことをしたな」 クリエスはまた表情を変えることも無しにそう言い放ち、レイチェル以外の全員の心の中では彼女に対する突っ込みがこだました。「おいおい」、と…。 「まあ酔っ払っていただけで獲物も持っていなかったようだし、今回の奴とは関係なさそうだな」 「そっか。わかった…」 フェイは力なく言い、また机の上に視線を戻す。そしてひとつため息、そしてその体の動きに応じてフェイの座っている椅子がギギィーと長く音を出した。 クリエスはそのフェイの姿を見て、口元をほころばせてフェイの横に歩み寄ってその肩に手をかける。驚いたフェイはくいと顔を上げてクリエスの顔を見た。 「他のところも異常はなかったようだな?」 「そのようでさ…ま、一日で見つかるものでもないのかな」 落ち込む様子も無く、クリエスは「ふっ」と息を吐くと手をかけていたフェイの肩から手を放して作戦室の空いている席に向かって腰を下ろした。するとすぐにクリューガーが身を乗り出してクリエスの方へと顔を向ける。 「手を振り払ったくらいで人が飛ぶってのは聞き捨てならねえなぁ!魔法でも使いやがったのか?」 クリエスはフェイのほうへ向けていた視線をクリューガーへと向けた。足を組み、いすの背もたれにひじを掛けるその姿は決まってはいるが態度は相当悪い。 「いや、私だって最初のころは口でちゃんと制したさ。けど何度も何度もしつこいのでね?魔法は使ってないけど痛い目は見せた方がいいかな、と」 「それでかよ。さすがだな?」 クリューガーは珍しく驚いた様子で頬杖をついていた体制を崩して言った。 「?…なにがだ?」 「おいおい…普通の力じゃそんな芸当は出来ねえって言ってんだよ」 するとクリエスのほうの表情が変わった。 「そ、そうか…。力に任せて放り投げたってわけじゃないんだけどね」 「へえ?そりゃ面白ェ」 クリューガーはまたクリエスに興味を持ったらしく、先ほどのイライラした表情とはまったく逆の、わくわくしてしょうがないといった表情になっている。それほどに欲求不満なのか闘争本能が旺盛なのか…フェイは判断に困った。 …と、そこで最後の一人が帰ってきた。ティンガースである。 「隊長、ただいま戻りました」 「お帰り。どうだった?」 ティンガースは腰に挿していた剣をベルトからはずして右手に持ってからフェイに近づいてきた。その表情から察するに…おそらく。 「異常はありませんでしたね。酒場だけでなく、すべてにおいてです。近頃の事件もあって人通りが少なくなっているかもしれませんね。今日は人もそれほど多くなく、見回りはしやすかったですが…」 「お前は真面目だな…俺なんかとっとと切り上げて帰ってきちまったってのに…」 ロメオが野次を飛ばす。ティンガースの言葉を遮ってまで野次を飛ばすとは、そこまで言いたかったことなのだろうか、それとも若い者いじめだろうか。 「ロメオさんは酒飲んできてもティンガースより早かったですからね」 「…お前、生意気な口を利くようになったな」 フェイは背筋に寒気を感じて、 「す、すいませんでした…」 と間髪を入れず謝った。ロメオは深くため息をつき、また腕を組みながらいすをぎしぎし言わせ始める。ひとまず息をつき、フェイは小隊内の面々を見やり、思考をめぐらせてみた。 (今日は特に以上はなかったようだし…コレで解散ってことにしても大丈夫かな…。エリザさんもさっさと兵舎に帰ってしまったようだし、まあ…いいか) 「みんな!」 フェイは隊長席に手をついて声をあげる。小隊内の面々は談笑中であったようだが一時切り上げてこっちを見た。レイチェル、ロック、ティンガースの顔には疲労の色が見て取れる。バイパーの顔色が悪いように見えるのは肌が元々白いからだろうか。たいまつの炎の色に負けている…ようにフェイには見えた。 「方針は決まったのか?隊長さんよ」 「茶々入れないで下さいよ…。みんな、今日はご苦労様!各々兵舎に帰っていいよ」 「隊長はどうするんですか?」 ティンガースがその一番にその言葉を口にした。ロックも言おうとしていたのか、席を立ち上がろうと椅子の背に手をかけたまま腰を少し上げるというなんとも中途半端な姿勢のままで固まっていて、そのままうんうんとうなずく。 フェイはにこりと笑って机に手をつきそれを軸にして机の周りを一、二歩歩いてからロックとティンガースの顔を交互に見た。他のメンバーも続きの言葉が気になるようで少しだけ動きを止めていた。 「俺はここに残るよ。みんな疲れてるだろ…休んでいいからさ」 隊員のなかの空気が一瞬止まる。ティンガースも、ロックも他の面々も動きを完全に止め…フェイの言葉に素直に驚いた様子である。 しばらく漂っていたその沈黙を破ったのはロメオだった。 「俺は兵舎に戻るぜ。隊長がそう言うんならな」 そう言い放ったロメオはフェイにアイコンタクトたるウィンクなるものを送りながら微笑み、フェイの肩にふわりと優しくタッチしてから軽い千鳥足を演じつつ、部屋を静かに出て行った。ロメオの手はいつも、どんぴしゃのタイミングでフェイの肩に置かれる。そのおかげでどれだけ救われたかわからない。 「じゃあ俺も帰りますよ…行くぞバイパー!」 「あ、はい…それでは隊長、失礼します」 そう言ってクリューガーとバイパーの二人が、 「ロック、俺達も寝ようか」 「でも、ティンガースさん…」 「いいんだ、行こう」 続いてロックとティンガースの二人が小隊の部屋から出て行った。残ったのはクリエスとレイチェルの二人だった。 「レイチェル…私達も行こう」 「でも…フェイさん…」 レイチェルの心配そうな視線を、フェイはにこやかな表情で返した。レイチェルにとってそれは安心できるものであるが…彼女の直感は、今はそうではないと告げている。複雑な心境が、レイチェルを包んでいた。 「レイチェル…。いや、そうか。私は外で待つよ…」 そう言ってレイチェルの気持ちを察したクリエスは、フェイの顔を一瞥してから小隊の部屋から出て行き、空きっぱなしになっていたボロボロのドアを静かに閉めた。 「責任を感じてるんですか…?」 レイチェルは一歩、フェイに近づいていった。見上げるフェイの顔はまだニコニコ顔であるものの、すぐに顔をそらしてしまう。それがレイチェルの心をさらに蝕んだ。 「…ちょっとね。俺がいない間だし、形式とは言え城下の警備の指揮は俺達に任されてる。俺は隊長だしね。まあ、何かあれば頑張らなきゃいけないよ」 フェイはそらした顔をレイチェルにまた戻した。レイチェルの心配そうな顔はいまだに消えていない。フェイの首筋にひやりと汗が通った。 「まあ、普段暇すぎるし…たまにはいいんじゃないかな?明日の朝からは君達に頼む、とりあえず今日は休んで欲しいな」 フェイは言い終わって、レイチェルの返答を待つ間はものすごく長い時間がたっているように感じる。フェイはこれ以上の言葉は逆効果と思い、押し黙ってレイチェルの反応を待っていた。 「…わかりました。じゃあ、私クリエスちゃんと休む事にします」 今回はレイチェルのほうが折れてくれた。フェイはふう、気が付かれない程度に息を吐いて、それからまた優しく微笑んだ。 「助かるよ」 「いいんです。おやすみなさい」 そういうと、名残は惜しかったようだがレイチェルは素直に部屋から出て行った。 |
|
|