妖魔奇譚 第4話(β版)


作:BAF

 

放課後、流哉達が妖の者の手がかりを求めて奔走していた頃、校門の前に怪しい人影が二つ。

「ふーん、ここが60年前の戦いの跡地なんやね。もっと気色悪いとこかと思っとったんやけど、こないな綺麗な建物建っとるなんて、なんや期待はずれやね」

 裾の短い活動的な着物に身を包み、まだ幼さの残る顔に不釣合いな不敵な笑みを浮かべた少女がそんな言葉を漏らした。

「嬢、油断は禁物でっせ。どないな者が潜んどるか判らしません。」

 長ドスを腰に挿した着流し、痩身の一見やくざ風の男が、その風貌に似合わぬほどの低姿勢で少女に声をかける。

少女は男の顔も見ず、

「ま、入ってみないとホントんとこは判らんか。ほな、行くで」

と軽い口調で言い放ち悠然と校門を通り抜けていった。男のほうも一瞬肩をすくめるような素振りをしたが、結局は少女の後を追い歩き出した。

 

森の中に一本の道がある。 校舎と寮を繋ぐために作られた少し広めの歩道である。その歩道は綺麗に敷き詰められた石畳がなんとも見事で、両脇に立ち並ぶ洒落た造りの外灯も、それを引き立てることに一役買っていた。

そして、その外灯自体も、茶色の柱の上に六角柱の灯部分が載り屋根の部分には細かな彫刻が施されているという西洋文化を取り入れたかなり豪華な造りのものだ。

輝かんばかりの森緑の中を延々と数百メートルに渡って伸びているこの異国情緒あふれる光景はなかなか絵になる美しさである。

さて、夕方いつもならこの道は寮に帰る者達がたくさん歩いている頃なのだが、今日はなぜか人通りが少ない。と言うより辺りを見回しても一人しかいない。 竹刀袋のような物を肩に掛け、外灯一本一本を確かめるように立ち止まり手で触りながら、何かを探すような素振りで歩く一人の少女がいるだけだった。

「ふう」

 何本目かの外灯を調べた後、その少女『上河内 茜』は、空を見上げながらため息をついた。

 外灯を何本確かめてみても全く綺麗なもので何の手がかりも無い。いや、綺麗なままここに存在していること自体が不審なことであるはずなのに、その痕跡が全く見当たらないというのが正しい。

 切り倒されたはずの外灯を一夜のうちに元に戻し、目撃者の記憶からもそのことを消し去ったほどの力の持ち主がこの学院のどこかに潜んでいるのだ。

「いったい何が起こっているの?」

 茜は言い知れぬ不安感を懐き、そんなことを呟いてみるが、それに答えるものは彼女の周りにはいない。切り裂いた張本人も昨日から何も語ろうとはせず、口を閉ざしたまま竹刀袋の中に収められている。

 ふいに春の風が大通りを吹き抜けていき、茜の袴やリボンを勢いよく揺らす。 その風が何故か生暖かく何か不吉なものを感じるが、それが如何なるものなのかまだ茜には判らなかった。

 ただその『何か』はこの近くで確実に起こっており、それが茜にも牙を剥き襲い掛かってくるものであることには間違いなかった。



 『医療室』この学校の生徒、主に親元を離れ生活する寮生の健康管理のために設けられた場所である。

 普段ならば、ここは安息をもたらす場所であるはずなのだが、今ここでは血の惨劇が始まろうとしていた。

ベッドの横に屈み込み、何かを調べていた流哉に、蛇沼が近づいていく。ただ近づいていくのではない、確実に悪意を持って近づいている。

その瞳には憎悪とか殺意とか言われるものをハッキリと浮きあがらせ、その妖艶な肢体を異形の者へと変貌させながら近づいている。体全体が一回り大きくなり顔や手には白い鱗状のものが浮かび上がり、足が長く伸び一体化していき蛇の尾のごとくなっていく。

 その尾は音を立てずに移動する能力があるようだ、全く気付かれること無く流哉の背後までやってきた。もう手が届く範囲である。おもむろに鱗で覆われた腕を振り上げると血のように紅い爪が鋭く伸びる。蛇沼は一瞬笑みを浮かべた後その腕を勢いよく振り下ろした。

『がきん!』金属同士がぶつかり合うような鋭い音とともにベッドのパイプに爪が突き刺さる。

狙っていたはずの流哉の姿は、いつのまにか消えている。蛇沼は驚きに目を見張るが、それも一瞬の事で、すぐさま突き刺さった爪を引き戻そうとする。

しかし、その一瞬が、明暗を分けた。いつのまにか腕を取り巻いていた糸が煌めき腕に向かい収束していく。

糸が苦もなくピンッと一直線に伸び腕を切断した。

「ぎゃしゃー」

 悲鳴とも鳴き声ともつかない声をあげ蛇沼が仰け反る。腕の切断面からはその身の白さからは想像つかないような紅い鮮血が噴き出している。

 痛みを堪えるように血の噴き出る腕を抑えながら、蛇沼が後ろを振り向くと、そこには糸巻きを手に持ち戦闘体制をとった流哉が立っていた。

「なぜ? なぜ気付いたの!」

 髪を振り乱し、鋭い形相で睨み付けながら蛇沼が叫ぶ。

「貴女のお陰ですよ。貴女の鱗は鏡のように背後の様子を教えてくれましたから」

 流哉は蛇沼の高圧的な態度に何ら臆する事無く、さっき拾ったばかりの鱗を指で弄びながら坦々と答えた。

「そういうことっ!」

 蛇沼は、言葉と同時に残った方の腕を流哉に突き出してきた。

 鋭い爪が流哉の迫る。

 しかし、流哉はそれを見越していたのか、身を屈めながらその横を難なくすり抜け蛇沼に詰め寄る。

 糸を引き出し、蛇沼に向かい放とうとする流哉。

 しかし蛇沼は、それより早く切断された方の腕を流哉に向けた。

 傷口から流哉に向かい血が迸る。

とっさに流哉は手で顔を手で覆うが、『じゅう!』という音とともに着物の袖が焼け爛れる。

血の中に酸でも含まれているのだろうか。

このような武器を持つものに近接戦闘を挑むのは危険だと判断した流哉は、背後まで一気に走り抜け仕切りなおそうとしたが、その進行方向から巨大な尾が襲ってきた。

思い切り腹部に衝撃が走る。身体が宙に浮き吹き飛ばされる。気を失いそうになり、壁に叩き付けられかけた流哉であったが、とっさに柱に糸を巻きつけ、ぎりぎりのところで踏みとどまった。

柱に巻きついた糸を断ち切り体制を立て直す流哉。

気を抜くと倒れてしまいそうな痛みに、歯を食いしばり耐える流哉。

蛇沼は流哉の挙動を注意深く見ながら、するすると後ずさり、視線は流哉に向けたまま背後に手を伸ばし、ベッドのパイプから切断された腕を引き抜く。

引き抜いた腕をそのまま切断面に押し付けると、あっという間に傷が消えていき繋がってしまった。

流哉を見すえ、にやりと笑う蛇沼。 次の瞬間その身を沈めると巨体をものともせず、目にも止まらぬ速さで流哉を押しつぶさんと迫る。

巨躯が壁にぶち当たり、壁や窓枠を粉砕する。ガラガラと音を立て壁が崩れ落ち、粉塵が当たり一面に立ち込めていく。

蛇沼は押しつぶされたはずの流哉の姿を探すが四散する瓦礫の中にも医療室の中にもその姿は見つからない。

一体どこに消えたのか?あたりを見回す蛇沼であったが、その答えは粉塵の中から飛び出してきた。無数の針のごとき糸が、機関銃のように蛇沼の体を貫いていく。

声をあげる間も無く、踊るように跳ね上がり針鼠のような姿で硬直する蛇沼。

流哉は、蛇沼が壁に当たる以前に背後にあったガラス窓を自ら突き破り、いち早く廊下に飛び出し、身をかわすと、反撃のチャンスを狙っていたのだ。

「退魔糸術奥義の一 襲縛糸」

 石化し崩れていく蛇沼に目も向けず、流哉はゆらりと立ち上がると、誰に聞かせるとでもなくそう呟いた。



茜が、すべての柱を調べ終えても何の手がかりも得る事はできなかった。

もう、目の前に外灯は無く、大きな寮の建物の姿があるだけだった。

ふと、寮を見上げる茜、何か言い知れぬ寒さのようなものが体を走る。別に外観が変わっているとか、そういうことでは無いのだが、何か不吉な違和感がある。

寮全体が黒いもやのようなものに囲まれているような、そんな気がした。

「なにかしら。 この感覚?」

 茜は呟きながら、はっとした。知らず知らずのうちに自分が後ずさりし続けていることに気付いたのだ。

茜はその時、方向転換して走り出したい衝動に駆られたが、別の感覚が寮から目を離してはいけないと訴えかけていた。

 葛藤の中、立ち止まった茜に焦れたかのように、ものすごい勢いで寮の正面扉が開き、黒い影が茜に向かい飛び出してきた。

 茜は殺気を感じ、ギリギリの所で身をかわした。瞬間、茜の目の前でキラリと何かが光り、五本の光の糸が目の前をよぎった。

 茜の着物の胸元が引き裂かれる。紙一重、辛うじて体に傷を負うことは無かったがその衝撃で後ろに弾かれそうになる。

 何とか倒れる事を堪え、飛んできた物の正体を見極めようと影を目で追う。 すると茜の横を通り過ぎた影がそのまま跳躍し、外灯に一本飛び乗ったところが見えた。茜は外灯を見上げるが、逆光にさえぎられ影の正体は良く判らなかった。

 いきなり影が外灯の上で立ち上がった。顔は判別できないが髪は長く頭の上に猫の耳のようなものが見える、視線を下に降ろしていくと何も着ていないのか体のラインがそのまま出ている。どうやら女性のようだ。腰の辺りで尻尾のようなものが動いているのも見える。

「何者!」

 茜は問い掛けるが、影にそれを答える様子は無い。代わりにジグザグに外灯を飛び移りながら、校舎のほうに軽快に移動していく。

 胸元を押さえながら、その影を追う茜。

 歩道を中程まで戻った時、茜は自分を取り巻いている無数の視線に気付いた。

歩みを止める茜、辺りを窺うと森の中に無数の目が光っている。

『しまった!』

茜の顔に後悔の色が表れる。

どうやら、伏兵の真っ只中に飛び込んでしまったらしい。森の中から幾つもの影がゆらりゆらりと茜に向かい迫ってきた。

近づくにつれ、黒い影だった者たちの姿があらわになる。それは、さきほど茜を襲った影と同じく猫の耳と尻尾をつけた、少女達であった。 その少女達の体は銀色の毛に覆われ、まさに化け猫のような姿をしていた。あまりに数に思わずたじろぐ茜であったが、その少女達の中に見知った顔を幾つも見つけ、その表情が驚きに変わる。

「この方達は!」

思わず叫びを上げる茜。

茜が驚くのも無理はない、そこに居た少女たちは、化け猫のような姿をしているものの、その顔はこの学院の寮生たちのものだったのだ。

「これは一体?」

 あまりの事に、棒立ちになってしまっている茜に更なる衝撃が襲う。頭上から、聞き覚えのある声が放たれたのだ。

「あはは、驚いた?でも、それだけじゃないんだなぁ」

 それは、茜が一番信用を置く人物の声。口調に違和感があるものの、それは確かに彼女の声であった。そう、恵の声だったのだ。

 慌てて、顔をあげる茜。 視線が恵の声を追い外灯の一本の上で止まる。そこには、先ほど茜を襲った影が、すらりと立ち、腕を組みながら茜を見下ろしていた。

「そんなまさか!」

 茜の瞳がまたも大きく見開かれる。

先ほど逆光で見えなかった影の全身が今ははっきりと見える。金と黒の虎縞の毛に全身を覆われ、猫の耳と尻尾を持っていたが、長い髪を風に揺らし鋭い目つきで見下ろすその顔は確かに恵のものであった。

茜の頭上で恵がニヤリと笑う。その笑みにはいつもの恵の快活さはなく、何か禍々しさを感じさせた。

一瞬の間を置き外灯の上から恵の姿が掻き消される様に消えた。

ヌッと茜の目の前に恵の顔が飛び込んでくる。そしてそのまま恵が目を閉じ唇を寄せてくる。

茜は混乱しその身を硬直させていたが、その甘美な幻想よりも己が潔癖が勝ったのであろう。唇が触れる直前、無意識のうちに刀を引き抜いた。

幾本かの黒髪が宙に舞い踊るが、恵本人は滑る様に後退し難なくその切っ先をかわす。

「貴方は誰?恵さんではありませんね!」

 声を荒げ問いただす茜。だが恵はそれに動じることなくクスクスと笑いながら答える。

「フフッ、半分だけ正解。身体は恵さんだけど、心は違うんだなぁ」

「何ですって!」

「あまりに寝顔が可愛かったから、ついつい自分のものにしたくなっちゃった」

「ふざけないで!」

 言葉とともに、茜の放った刃が恵の頬を掠める。

すうっと赤い線が浮かび、血が滲んでいく。

だが、恵はその血をさして気にしていないように、茜を見つめている。

 茜にしても当たるとは思ってもいなくて、その血をただ呆然と見つめ続けている。

「だめだよ。お友達の体を傷つけるなんて。もっとも、この体はただの抜け殻だけど」

「どういうこと?」

「もう恵さんの魂はこの世には無いって事。ボクが消滅させたんだから」

「そ、そんな」

 声を震わせ力なく、崩れ落ちる茜。

「さあ、この子も仲間にしてあげて」

 恵の声が森に潜む者達に命令を与えた。

 化け猫と化した少女たちが座り込む茜を取り囲んでいった。

 自分に危機が迫っていることは判っていた。

しかし動く気力はもう無い。

 恵を失ってしまったという絶望のため、まだほとんど無い恵との思い出を反芻することしかできなかった。

 

「りゅ、う、やーーー」

 背後から聞こえた声に振り返ると、いきなり流哉の胸に少女が飛び込んできた。

 戦いの疲労もあり、支えきれず倒れこむ流哉。

 何事かと顔をあげると、自分にしがみついたままの少女の姿が見えた。

 流哉にはその姿には見覚えがあった。非合法な闇の退魔組織の一員で、組織の長老の孫である少女。

 前に一度、二人で妖の物と戦ったことがあった。

『名は確か清水(きよみ)と言ったか』

 最後にそう名乗って去って行った事を思い出した。

「清水。なんでこんなところに?」

「つれないこと言いなや」

 流哉の問いを受け、はっと顔をあげると潤んだ瞳でそう言った。

「逢いたかったで、ほんまにもう探したんやで」

 甘えたように流哉の胸板に顔を擦り付けてくる。

「やっぱ、うちあんたのこと好きや。どない考えてみてもそれしか結論出えへんかった」

 いきなりの告白にどうしたらいいのか戸惑う流哉。

 少女のほうは期待に満ちた瞳で流哉を見つめている。

 流哉と清水が出会ったのは一年程前のこと。恋人同士が眠る枕もとに立ちその身体を入れ替える『身体返し』と呼ばれる妖の物と流哉が戦っていたときのことである。

 流哉が身体返しを追い詰め、まさにとどめを刺そうとした瞬間目の前に一人の少女が飛び出してきた。

流哉は少女の登場に虚を突かれ攻撃の手が一歩出遅れた。

 そのため身体返しにとどめを刺せず、逆に妖術を掛けられ、互いの身体を入れ替えられてしまうことになった。

そのまま何処かへ逃走した身体返し。

 入れ替えられ己が姿に混乱する少女を説き伏せ、飛び出してきた事情を聞けば、その少女も身体返しを追う退魔士だという。

二人は協力し合うことを約束し身体返しを追った。

その後、色々ありながらも二人が同じような退魔術を習得していたことが幸いし、何とか身体返しを見つけ出し倒すことが出来た。

身体返しを倒した瞬間、妖術が解け元の体に戻ることができたが、元の体に戻る瞬間、互いの記憶が交差しあい相手の記憶を覗いてしまうことになった。

戦闘用の道具として育てられてきた同じような境遇を背負った二人。

仲間達と一緒に育てられた流哉にとっては見慣れた光景だった。

 しかし、裏退魔士の名門の家に生まれ同世代の友も居ず、ただ退魔の術のみを叩き込まれてきた少女にとっては衝撃的な体験となった。

少女はそれまで自分の境遇を呪い続けてきた。呪うことでしか痛みや悲しみを癒すことができないでいた。

なのに、今目の前に立つ流哉と言う男は違う、同じ境遇を持ちながら、強く優しく生きる流哉に心惹かれるものを感じた。

気が付いたら本来ならば名乗るはずも無い名を告げていた。

『清水』と・・・。

 

 茜が恵と知り合ったのは二週間程前の事。

 その頃の茜は生きる気力のようなものを無くし、ただ漠然と学校生活を続けていた。

 剣術家の家で育った茜は、幼少のころより剣の修行を積み十を数える頃には大人を負かすほどの腕になっていた。

 その腕はいつのまにか三人いる兄をも上回り、父親も「お前が男であったなら」と口にするほどであった。

 もちろん茜も家を継ぐことはできない事を承知していたが、兄たちの茜の強さに対する妬みの表情に耐え切れなくなり、茜は剣を習うのを止めた。

 茜にも兄達にも不幸だったのは、兄達がわざと負けようとしたことがわからないほど弱くは無かったことであっただろうか。

 女子高に入ったのも、ただ剣術は捨てましたという意思表示でしかなかった。

 実の兄達に妬みの視線を向けられたことで深い悲しみの淵にいた茜は、学校に入ってからも、誰ともしゃべることも無く、友達も作らず、人とのかかわりを避けるように過ごした。

 孤独な、しかしそれでも平穏な日々が続くはずだった。だが予想外のことが起きた、学院に剣道部を作ろうという話が持ち上がったのである。

上河内家が名家であった事もあり茜の名を知るものも少なからずいたため、何度も誘いを受ける事となった。

そのつど茜は丁寧に、それでも頑なに断り続けていた。

しかしまた、典型的なお嬢様学校であったために保守的なところもあり女性が剣を持つなど野蛮だと剣道部発足に反対する者達も多く、賛成は反対派に別れ対立が起きてしまった。

最初茜は無言で中立の立場を崩さなかったが、対立が深まり険悪になっていくにつれ、生来の優しさのせいか放って置くことができなくなり、仲裁に奔走することになった。

 そんな中、突然現れたのが恵であった。

 どこからとも無く現れて、理事長の孫を名乗った彼女は、校内が険悪になった事情を聞くや否や、茜を連れて学校中を飛び回り生徒たちを次々と論破して味方を増やし剣道部発足の許可を取り付けてしまった。

 論破され、恵を疎ましく思っていた者達もいつのまにか、恵の立ち振る舞いに魅了されていき、気が付けば人の輪の中心には必ず恵がいるようになっていった。

 もちろん、それを一番近くで見つめ続ける事となった茜も例外ではない。

 快活に笑い、何者をも恐れず、己が信念と正義によってのみ行動する少女。

それは茜が見た恵の姿であり、剣の腕を磨きつつも決して持ち得なかった強さを持った憧れるべき少女の姿であったのである。

 茜はずっと恵のそばに居たいと思った。

 恵のそばに居ることは、人の輪の中心に居ること。それは人間不信になり人を遠ざけていた以前の茜ならば苦痛でしかなかったであろう。

 しかし、恵とその周りに集まる者達の作る輪は嫉妬も偽りも無い純粋な優しさの輪。 茜はその輪を心から愛し守っていこうと心に誓った。

『それなのに・・・』

 空ろな瞳から涙がこぼれ落ちてゆく。

 

『茜、逃げるんじゃー!』

 ふいに、恵の声がしたような気がした。

 まさかと思い顔をあげるが、やはりそこに居るのはニヤニヤと笑い続ける恵一人。

 失望に顔を伏せそうになるが、その時、恵の瞳から涙が一筋こぼれるのが見えた。

 その涙を逆にたどると恵の瞳の中に、助けを求めるもう一人の恵の姿が映ったような気がした。

 幻影?それでも良かった。確かに茜には恵の姿が見えたのだから。

『生きてる! 恵様。 今助けます!』

 茜の瞳に生気が戻り、今にも落としてしまいそうだった刀を持つ手にも力がこもる。 

それに呼応するかのように刀が、カタカタと振動を始める。

 赤い風が茜を包み、少女達を吹き飛ばす。

 赤い風が、収束し形を成していく。それは赤い鎧となり茜を包んでいく。

 茜が恵を睨み付ける。

「へえ、意外にいい目をするじゃない。でもどうあがいても無駄だよ。」

 恵はその視線にたじろぎもせず言い放つ。

「いいえ、まだ希望はあります。貴方を倒して恵様を助け出しますから」

「何をいってるのさ。 言ったよね、恵さんはもうこの世に居ないんだよ。あまりの悲しみでおかしくなっちゃったのかな?」

 恵は薄ら笑いを浮かべたまま、手で化け猫たちに合図を送った。

 化け猫たちが恵の前に集まり、壁を作る。

 恵が指を鳴らすと、化け猫たちの最前列が動き茜に襲い掛かる。

 茜は刀を構えると苦も無く化け猫達の間を蛇行するようにすり抜けた。

 ばたばたと倒れる化け猫達。

「あれ!?殺しちゃったの?」

「まさか、正気に戻ってもらうだけです」

 茜は恵を睨み付けたままそう言うと、刀を振った。すると刀身に纏わり付いていた黒いもやのようなものが飛び散り消滅していく。

「へえ、すごいね。ボクの植え付けた邪念だけを切れるのか」

「貴方もすぐにその身体から追い出させていただきます」

「できないよ、そんなこと!」

 少女達が全員一斉に動く。光が舞い爪や牙が茜に襲い掛かる。

茜はそれをほとんど無駄の無い紙一重の動作でかわしつつ刀を振るう。

呪縛を断たれた少女が、一人また一人と倒れていく。

最後の一人を倒し、恵の前に立つ。

「さあ、後は貴方だけです。覚悟なさい」

「ボクは倒せないって言ったろ!」

 そう言うと恵は、両手の間に生まれた黒い玉を茜に向けて放った。

 肩当てが動き茜の前に出る。だが、黒い玉は肩当に当たる前に拡散し倒れていた少女達に吸い込まれていった。

 立ち上がってくる少女達、その姿がまた化け猫の姿に変わっていく。

ちょうど茜の真横に倒れていた少女に足を掴まれてしまう。

「しまった!」

 足に気をとられた瞬間、恵が茜の前に走りこんできた。

 茜の反応は遅れてしまったが肩当は防御体制に移行する。

 二枚の肩当が茜の前で重なる。

 ガリガリ!と嫌な音がして二枚の肩当が裂ける。

 物質化する力を失い霧散する肩当。

 茜は力を受け流しきれずに、後ろへと吹き飛ばされる。

 背後にあった大木にしたたか背中を打ち付けてしまった茜。鎧を身につけていなかったら背骨は砕かれていたであろう。

 茜が膝をつく、あまりの衝撃に息ができない。

 しかし、化け猫達も茜の回復を待ってくれる筈も無く、その身を茜に向かい躍らせていく。

 まだ肩当は物質化する力を取り戻してはいない。茜は気力を振り絞り刀を振るい、化け猫達を操る邪念に必殺の一撃を与えていく。

 三人ほど倒したところで化け猫達に混ざり恵が襲い掛かってきた。

他の者よりも圧倒的に早い恵の一撃が茜に迫る。鋭い爪が茜の首筋を狙い突き出される。

『殺される!!』

 茜はよける術も無くただ立ち尽くした。しかし、恵の爪が一寸手前で止まった。

 驚く茜をよそに、恵が頭を抑えながら後退る。

「ぐっ、がっ、おのれ!おのれ!!!」

 叫びのともつかぬ、うめきを上げ暴れ回る恵。

 ふいに、恵の動きが止まる。その後かすかに震えると、腕を大きく広げていく。

「今じゃ、茜!貫け!!!」

 その声に茜の顔が跳ね上がる。図らずも見詰め合う形となったその瞳には、いつもの光が戻っていた。

「恵様!」

 茜の顔が明るくなる。妖斬角を持ち直し、恵めがけて駆け出す。

 ここで、あと一振りすればいい。そうすれば恵は妖の者から開放される。

 しかしその願いはかなえられなかった。刃が妖の者に達する瞬間に、恵が動いた。

 ボスッ!

恵の膝が、茜の鳩尾に入る。

「ど、どうして・・・?」

 茜が地面に倒れこむ。それと同時に覆っていた鎧も霧散するように消えていく。

「ふう、あぶないあぶない。まさか恵さんが生きていたなんてね。油断したよ。先に恵さんを始末しないとね」

 そう言うと恵は、目を閉じ、仁王立ちになった。

 

恵はすべてを見ていた。

暗い何も無い空間にぽつんと浮かぶ鳥かご、そんな中に恵は閉じ込められていた。

 美音子の部屋で気を失い、気が付いたらここに居た。

 何もない空間、それでも何故か茜の苦しんでいる姿が、頭の中に鮮明に浮かんでくる。

『茜!あかね!!!』

 叫び続けるがその声は茜には届かない。

 長い戦いの中、何とか一瞬の隙をついて体の自由を回復するが、あと一歩のところでまたもや身体の自由を奪われこの場所に逆戻りしていた。

「恵さんひどいなぁ。あともう少しであの娘を、ボクの下僕にできたのに」

 いきなり頭上から声を掛けられた。

 恵が顔をあげると、美猫が腕を組みゆっくりと目の前に降りてきた。

「まさか、貴方の意志がこんなに強いなんて思いもしなかったよ」

 美猫は怪しい笑みを浮かべながら恵を見据えた。

「美根子!おぬしは何故こんなことをする!」

 恵が叫ぶ。

「決まってるだろ。この地を妖の物たちの楽園にするのさ」

 美猫が事も無げに言う。

「もうすぐ妖魔王様が活動を開始する。その時のために下僕を増やすのさ」

「なんじゃと。そんな事をさせるわけにはいかん」

 恵が美猫に向かい拳を突き出す。

 難なくかわす美猫。次の動作で恵の脇腹に鋭い蹴りが入る。

「グッ!」

四、五メートル横薙ぎに吹き飛ばされ、倒れこむ恵。

間髪いれず美猫が飛び掛かり、鋭い爪で切り裂こうとした。

しかし、恵はその動きを読んでいた。頭上で両足を交差させ美猫の手首を受け止め全身をばねにしながら、美猫を投げ飛ばした。

手首を固められ受身も取れない美猫。したたか、背中を打ち付けた。

だが次の瞬間には立ち上がり、戦闘態勢に戻る。

「なに!?」

 険しい顔になる美猫。

 それもそのはず、先ほど自分を投げ飛ばしたはずの恵の姿が視界から忽然と消えたのだから。

「一体どこへ?」

 その答えは鋭い痛みと共にやってきた。

 ドゴッ!

 鳩尾に拳がめり込んだ。見下ろせば、身を屈めた恵が、滑り込むように懐に飛び込んでいた。

「ああ、あっ・あっ・あ・・・」

 声もろくに出せない美猫。

 しかし恵の攻撃はまだ終わらなかった。気を爆発させた連打が美猫を襲う。

「ガ・ガ・・ガ・・・ガッ!」

 もはや声にさえならないうめきがこぼれる。

「いくらここが精神世界だといっても、気を込めた拳ならば、おぬしを疲弊させることができるんじゃ!」

 最大級の気を、美猫に叩き込む恵。

宙に舞う美猫。辛うじて、受身を取り立ち上がるがその姿は背後がかすかに透けて見えるようになっている。

どうやら、気の攻撃が、存在そのものを脅かしているらしかった。

「ま、まって!ボクの負けだよ。恵さんの中から出て行く。だから許して」

 その言葉を聞き戦闘体制を解く恵。

美猫がニヤリと怪しい笑みをもらした。

目にも止まらぬ速さで恵の後ろに回りこみ、恵を羽交い絞めにする。

「このまま、尻尾を巻いて帰ったら間違いなく妖魔王様に殺されてしまう。それならいっそ、貴方を道連れにさせてもらうよ!」

 そう言うと、美猫の気が異様なほど高まっていく。どうやら自爆する気らしい。

 ぐんぐんと気が高まり、今にも爆発しそうになる。

 しかし、恵はと言えば、先ほどから目をつぶり微動だにしない。

「どうしたの?もうあきらめちゃったの?どっちにしてももう手遅れだけどね。恵さん一緒に死のう!」

 美猫の気が、さらに高まる。

 次の瞬間、何かを感じたように恵が目を見開く。

「茜!今じゃ!!」

「えっ?」

 美猫が驚きの声をあげる。

前方から突然現れた光の奔流が美猫の身体だけをさらっていく。

 恵の身体から弾き出され、大爆発を起こす美猫。

美猫が最期に見た光景は、恵と茜が同時に倒れこむ所だった。

 

 どれくらい経ったであろう。

「くちゅん」

 可愛いくしゃみと共に恵が意識を取り戻した。

 未だ、ぼんやりしている頭で辺りを見回すと一糸まとわぬ少女達の寝姿が飛び込んできた。気がつけば自分も何も着ていなかった。

「うわわー!」

 思わず叫びをあげる恵。

 その叫びが、引き金になったのか倒れていた少女達が次々に目を覚ます。

寝ぼけたまま辺りを見回す者、自分の姿に混乱する者、よほど恐ろしい目にあっていたのか放心している者とさまざまであった。

そのうち、一人が恵の姿を見つける。

「恵様!」

 その言葉に、一斉に恵のほうを向く少女達。

「「恵様―!」」

 皆泣きじゃくりながら恵に駆け寄ってくる。

「わわわ、来るな!目に毒じゃ!」

 腕を振り回し遠ざけようとする恵であったが、十数人の少女達に囲まれては身動きが取れない。

 それどころか、肌と肌が触れ合い、そのやわらかい感触に気絶しそうになる。

 そんな中、少し離れた所に、いつのまにか茜が背を向けて立っていた。恵が目を凝らすと茜の肩が少し震えていた。

「こら茜!そんなところで笑っていないで早く助けんか!」

 その言葉に振り向く茜。その勢いで涙の雫が宙を舞いきらきらと光る。その顔に笑みがこぼれ夕日の中、美しく輝いていた。