ダーティ・エンジェル シークレット・ファイル
さらば愛しき・・・

 
※「D.A.」シリーズの要項はこちら。
http://ts.novels.jp/novel/dirty/angel00.html

 


 うららかな春の日差しの中で、セパルカーは、ベランダのビーチ・チェアにその見事なプロポーションなからだを横たえて、まどろんでいた。ここの所続いた連続の仕事に疲れた体には、優しく暖かい春の日差しは、心地よく安らかな雰囲気にさせていた。
 「先生、そんな格好でいると風邪を引きますよ。はい、毛布。」
 涙ぐんだ目を真っ赤にさせ、鼻をグスングスンと言わせながら、憩が、毛布を持って立っていた。その情けない格好を見て、セパルカーは、苦笑するしかなかった。口には出さないが、憩のそのおせっかいなまでの優しさが、セパルカーにはうれしかった。だが、それを口にすると、のぼせ上がることはわかりきっていたので、彼女が憩に感謝の言葉を決して口にすることはなかった。
 「せっかくまどろんでいたのに、気分を害したぞ。毛布はそこにおいて、さっさと家の中に入っていろ。花粉症のクスリは調合して渡してあるだろう。」
 「は〜い、先生、風邪には気をつけてくださいね。」
 そういうと、憩は、部屋の中へと戻っていった。憩の姿が見えなくなったのを確認すると、セパルカーは、憩が持ってきてくれた毛布を身体にかけて、心地よい春の日差しをむさぼり始めた。やがて、彼女は、日ごろの行動とは裏腹なかわいい寝息を立て始めた。
 眠りは人を2度と戻れない過去へといざなうタイムマシーンの役目をすることがある。そして、この日の眠りも、セパルカーを忘れられぬ過去へといざなっていった・・・

 俺は、部屋の白い壁を見つめながら、最後のときを迎えようとしていた。安楽医師として、白い死の女神、死神医師(Dr.デス)、と言われてきた俺が、自分を安楽死させることになろうとは、皮肉なものだ。ちょうどいいタイミングに憩の奴も、出かけているし、この隙に薬を飲むことにしよう。
 俺は、寝ていたベッドから置きだすと、薬房に行き、薬品棚の鍵を開け中から、ひとつのクスリ瓶を取り出すと、フタをあけ、数錠取り出すと、口の中に放り込んだ。それは口の中で溶けていった。昔懐かしいラムネ菓子のような味がした。
 「結構おいしいものだったんだな。このクスリ。」
 そんな場違いなことを考えながら、俺は、薬房を出ると、部屋に戻り再びベッドに横になった。もうすぐ安らかな眠りを迎えると思うと、心が静かになった。
 「あいつも、あの時はこんな気持ちだったのかな?」
 ふと俺は、半年前のことを思い出していた。
 それは、親父が再婚した相手が連れていた男の子(俺にとっては義理の弟だが)のことだった。
 母になった人は、日本人で、前の夫も日本人で、病死し、幼子を連れて親父の病院で働いていたのを、親父が見初めて、再婚したのだった。母になった人はやさしい人で、父を奪った形になり、俺に気兼ねしていたが、もう成人になっていた俺はそんなことは気にしていなかったし、弟になった母の連れ子は、俺に妙になついていた。足元にじゃれ付く子犬のように俺に近寄ってきたが、一人っ子として育ってきた俺にはどう接していいかわからず、つい邪険に扱ってしまった。
 そんな自分の息子を母は、叱ったが、彼はそれを気にもせずに俺に近寄ってきた。そのうち、彼の姿が見えないと、俺は探すようになっていた。いつの間にか、彼は俺の生活の一部になっていたのだ。
 それから、俺たちは仲のいい兄弟になった。だが、はたからみると兄弟には見えないようだった。輝くばかりの金髪で、クールで無口な白人の俺と、黒髪でまだ幼さが残り、女の子のようにかわいく明るくはしゃぎまわる弟では、どう見ても兄弟には見えないだろう。だが、俺たちは正真正銘の兄弟だった。そして、血のつながりがどうのこうのという形式ばかりを気にする奴らのいうことなど気にも留めてはいなかった。
 だが、突然の不幸が俺たちに降りかかった。それは、俺の家族を奪う形で現れた。その日。買い物に出かけていた両親と弟は、斜線をはみ出して走ってきたトラックに追突され、現場を通りかかっていた人の通報で、彼らは、俺がインターンとして勤めていた病院に運ばれてきた。だが、母は即死、親父は重症、弟は意識不明になった。
 俺は、親父と弟の担当をはずされた。肉親を見るにはあまりにも過酷な状況だからだ。親父の身体には生命維持装置のコードやチューブが張り巡らされ、弟は、ただ眠ったままだった。
 だが、俺は反応がほとんどない弟や、悲惨な姿の親父のところへは時間を作っては顔を出すようにしていた。だが、二人の状況には変化がなかった。そんなある日、事故による激痛にさいなまされている親父が、苦しい息の下から俺に言った。
 「Whitedよ。頼みがある。」
 「なんだ。おやじ。」
 「私の身体に取り付けられた生命維持装置のスイッチを切ってくれ。」
 俺は驚いた。どんな患者にも命を大切にするように言ってきた親父が、自分の命を粗末にしようとしているのだ。
 「親父あんたは今まで・・・」
 「そうだ。私は誰にでも命を大切にするように言ってきた。だが、私はこの苦しさを本当に理解していなかったのだ。生きる希望もない命を永らえさせる苦悩を・・・」
 妻を失い。息子も傷ついた今、彼には生きる希望がないのだろう。だが、それならば俺はどうなるのだ。俺もあんたの息子だろう。俺はそう叫びたかった。
 「お前には悪いと思っている。だが、お前には私がいなくても生きていけるが、老い先短い私には、妻を亡くしてはもう生きる希望がない。それに、私を見る医師たちの表情から、私は、もう元には戻れないことはわかっている。これでも、私は医者だからな。藪だがな。」
 親父は苦しい息の中から、笑えないジョークを飛ばした。
 「こんなことを頼めるのは息子のお前しかいない。生きる希望を失い、苦しみだけの患者に安楽な眠りを与えるのも医師の仕事だ。Whitedよ。神でもない他人が人の、いや、生き物の意思を無視して命をもてあそぶのはおこがましいとは思わないか。」
 俺は、黙ってその場を去った。そして、その日から、親父の言葉が重く俺の医師としての心にのしかかってきた。相手の意思を無視して生き長らえさせる事。それが、果たして本当に人に許された行為なのだろうか。
 答えが出せぬまま、あのときが来た。親父の様態が急変し、意識不明になった。そして、回復は望み薄になった。薄目を開けて焦点の合わない目で何かをじっと見つめる親父。その姿は俺に、この間の約束を果たすように言っているようでもあった。俺はいったいどうすればいいのだろうか。
 数日後、俺の当直ではない日の夜。俺は病院に忍び込んだ。そして、親父の病室へこっそりと忍び込むと、生命維持装置の電源を切った。不思議と涙も後悔の念にも駆られなかった。こうして、俺は、死神医師としての道を歩み始めることとなった。
 それから3年、俺の名は黄金の死神として知れ渡り、かなりの人間に安楽な眠りを与えてきた。そのことについて、一度も後悔をしたことはなかった。なぜなら、眠りに就く前に、意識のあるものは皆、俺に感謝するからだ。生きる希望のないものに死の眠りを与えることに俺は何の疑問も感じていなかった。あのときまでは・・・

 一人残された俺の肉親の弟が、入院先の病院で院内感染をした。そして、それは、昏睡状態の彼の身体を蝕み、危篤状態に陥れた。苦しみも痛みさえも表すことの出来ない弟の苦しみに、俺は苦悩した。その連絡を受けたのは、弟のいる病院からかなり離れた外国の、ある野戦病院でだった。俺はとるものもとりあえず、弟のもとに向かった。そして、弟の病室に入ったとき、奴を見た。真ん中から分けた髪を肩まで伸ばし、冷たいまでの美しい顔立ちをした看護婦。鏡桐香を・・・
 「あなたがお兄さんですか。弟さんは助かります。ただ、病状の進行が思った以上に早かったためにかなり強い薬を投与しました。そのために副作用が出るかもしれませんが、命には別状はありません。」
 その、感情のない冷たい声に、さすがの俺も、たじろいでしまった。それだけを告げると、その看護婦は部屋を出て行った。
 その女の呪縛から解放された俺は、弟のそばによると、診察を始めた。あの女が言ったように、弟の病状どころか、あの事故の怪我さえも回復していた。だが、弟の身体には信じられない変化が起こっていた。間違いなく男だった弟の陰嚢は、体の中にしぼんでいき、胸は思春期の女の子のように膨らみかけていた。そして、1週間後、弟は、医学的にも完全に女性へと変わってしまった。そのうえ、俺は、これがあの女の言った副作用ではなくて、もっと辛いものであることを知ることとなった。それは、弟が目覚めたときにわかった。
 「ここはどこ?あの・・・先生ですか?私はどうしてここにいるのでしょう?」
 弟が目を覚まし、俺を見たときの第一声がこれだった。弟の記憶から、俺の存在は消えていた。俺は、天涯孤独の存在になってしまった。
 俺は、この病院の医師たちと相談して、弟に新しい戸籍と記憶を与えることにした。そのときにつけた名前は、桃山憩(ももやま いこい)。母の旧姓と、元の名前の憩二(けいじ)からつけた。本人も気に入り、弟は、女の子として退院した。行くところのない弟は、なぜか俺に付きまとった。
 「先生。先生。」
 昔の記憶が意識下にあるのだろうか、俺のそばを離れようとしないので、俺は、弟を看護助手として使うことにした。だが、弟には見せたくない今の俺の姿だったが、そうも言ってはおれない。それから1年、俺たちは共に世界中を回った。
 ある国で、俺は、伝染病予防研究所の事故で治療方法のない伝染病に感染し、余命いくばくもない所員たちの安楽死を依頼された。彼らはすでに、覚悟を決め、俺の処置に素直に従った。だが、彼らは死ぬ間際に、俺に一枚のディスクのありかを伝えていった。彼らの死後、そのディスクをパソコンにかけてみると、この事故の本当の真相がわかった。それは、この研究所は、本当は裏では細菌兵器の研究をしていて、このことを公にしようとした彼らを研究中の細菌で、死に至らしめたのだ。そして、このディスクには研究資料がすべて入っていた。
 そして、そのことを知った俺も、彼らの罠にかかり、死の床についた。幸いなことは、この細菌は実験段階なので伝染力が弱く、憩に感染する恐れがなかったことだ。だが、俺が死んだらこの子は、今度こそ、本当に天涯孤独になってしまう。俺は今まで、信じてもいなかった神に祈った。
 「俺を生きながらえさせてください。どんな罰も受けますから・・・」
 だが、都合のいいときばかりに祈っても叶うはずがなかった。俺の病状は日に日にひどくなっていった。そんな俺を、憩は、懸命に介護した。伝染力が弱いと言っても殺傷力はかなりなものだ。俺は憩を怒鳴りつけ、俺のそばから離れさせようとしたが、好きな相手にはどんなことをされても擦り寄ってくる子犬のように、憩は、俺のそばから離れなかった。
 だが、いよいよ俺の命も消えかかったとき、憩は、いつの間にかいなくなっていた。あれだけ怒鳴られ、いやみを言われ、物を投げつけられたのだから居なくなっても仕方ないだろう。これで、憩に感染することはないだろう。俺は、ほっと一安心すると、俺の死後、身体を焼き尽くす準備をした。この細菌は、熱には弱かった。だから、俺を焼き尽くせば、細菌は死に絶えるだろう。
 俺は、この罠を仕掛けた奴らへの復習の準備も整えると、憩が去る前に残して行ったスープを飲んだ。それが最後の食事になるのだろうが、塩辛い味噌スープだけは、最後までなれなかった。そして、俺は最後のときを迎えるべく、眠りについた。

 ふと、物音に目覚めると、俺の横たわるベッドのそばにあの女がいた。いや、よく見ると別人だったが、あの女にどことなく似た雰囲気をしていた。
 「お前は誰だ?」
 「私は、ダーティ・エンジェル。あなたの助手の依頼で、あなたを助けに来たの。でも、患者が、死神医師のセパルカーだったとはね。」
 「うるさい。さっさと帰れ。俺は静かに死を迎えるのだ。」
 「あら、元気はあるみたいね。でも、私もダーティ・エンジェルよ。そう簡単には帰れないわ。私を見つけるのは不可能なはずなのに、あなたの助手は、そんなあなたのために、私を探し出したのですからね。」
 そういいながら、奴は一本の点滴をぶら下げたスタンドを俺のベッドの横に立てた。
 「この点滴を打ち終わったら、あなたは全快するわ。でも、あくまでも死を選ぶなら、止めなさい。それはあなたの自由だから。」
 そういうと奴は、手早く俺の静脈に針を刺し、点滴をはじめた。その薬液が血管に入ってくると、俺の身体は熱くなり、激しい痛みが、全身に走り出した。
 「そんなところに隠れていないでこっちに来なさい。」
 おずおずと、部屋の入り口から顔を出したのは、おびえた顔をした憩だった。
 「せ、せんせい。」
 今にも泣き出しそうに震える憩をみて、俺は激痛に耐えながらも手招きをした。憩は、おびえながらも俺のそばに来た。
 「先生ごめんなさい。どうしても、先生を、せんせいを・・・・うえ〜〜〜ん。」
 今までこらえていたのだろう。憩は、俺のそばに来ると泣き出してしまった。俺は、そんな憩の頭をやせ細った手で、優しくなでた。
 「治ったら、お仕置きだからな。覚悟してろよ。」
 「せんせい。」
 曇っていた憩の顔が、晴れやかになり、泣きながらも、俺に満面の笑顔を見せてくれた。俺の身体を作り変える激しい痛みに、思わず俺は声を上げてしまった。そんな俺の手を憩はしっかりと握り、俺をやさしく見つめていた。
 「か、かあさん。」
 その笑顔は、亡くなった憩の、そして、俺の義理の母にそっくりだった。それから、三日三晩、俺は激しい痛みにさい悩まされた。その間、憩は、俺のそばから離れようとはせずに、ずっと手を握っていてくれた。そして、四日目の朝、痛みと熱は下がり、俺は起き上がれるようになった。俺は汗まみれになった身体を洗おうと起き上がった。3日間の介護で疲れたのだろう、憩は、眠っていた。俺は、起こさないようにベッドを出ると、バスルームに向かった。そしてそこで、感じてはいたが、俺は、俺が今までの俺ではなくなったことを知った・・・

 そのとき以来、俺の髪は銀髪になった。そして、身体は・・・ご存知のとおりだ。あれ以来、他に治す方法があったのではないかと思い、ダーティ・エンジェルを恨んでいる。感謝など出来るか。人をこんな体にした奴を・・・・
 さて、そろそろ部屋に戻るとするか。憩が、昼飯に母親譲りの味噌スープを作って、俺の来るのを待っているはずだから。どうも、あれだけはいまだになれないが、塩辛い味を感じられるのも生きている証だ。
 「先生。まだ寝てるんですか。せんせい。」
 さて、行くとするか。
 
 春の日差しの中、どこからともなく風に乗って、桜の花びらが、楽しそうに舞いながら、どこかの空へと運ばれていった。そんな春の日の午後のことだった。


あとがき

 セパルカーは、なぜ女になったのか。という疑問をBBSに書いたら、原田さんが興味を持ってくれて、この話を書くことを許可してくれました。出来はどうでしょう。ちょっと、あわないかな?セパルカーと憩には?あはは・・・・