青蛙堂シリーズ

 

 それは、ある日の事、会社帰りにいつも通る道の脇に、人がやっと一人だけ通れそうな路地を見つけたわたしは、何気なくその路地に入った。別に、これ、と言ってかわった路地ではなかったが、限りなく続いているかのように、容易には裏通りには出なかった。

 しばらく行くと、見慣れぬ道に出た。そこは、なんとなくモノクロを感じさせる商店街だった。八百屋も魚屋も、洋服店、食堂、花屋、パン屋、時計屋なども、人はいず、なぜか、色彩を書いた感じがしていた。

 そして、何件か店を眺めながら歩いていると、一軒の本屋が目に留まった。わたしは、何気なくその本屋の中に入った。

 

第一話「画皮」

聊斎志異より)

 

 そこの本屋の中には、誰もいず、ただ若い男が、どこから持ってきたのか、携帯タイプの椅子とテーブルを広げて、優雅に紅茶を飲みながら本を読んでいた。こう言う説明だけではわかりにくいだろう。男は、本棚と本棚の間にテーブルを置き、両サイドの本棚から本を取っては、読んでいるのだ。

 この本屋には1冊として同じ本はなかった。といっても古本ではなくて、真新しい本なのだが、何かが違っていた。

 わたしは、本棚をぐるりと見て回った。そして、あることに気がついた。手塚治虫の「大都会(メトロポリス)」が、不二書房版で真新しいままに置いてあるのだ。それは、この作品を50年前に最初に出版したところだ。そんなことは考えられないのだが、他の棚も良く見ると信じられないものがごろごろとしていた。そのなかで、わたしは、『聊斎志異』を手にとった。

 それは、古代中国の怪異譚で、狐や鬼に纏わる怪異譚を集めていた人だが、『科挙試験』(今でいうなら国家公務員上級試験)を受けようとした時、今まで、集めた話の主人公の狐や鬼たちに邪魔されて試験を落としてしまったという話がある。そこで、狐や鬼ばかりではなく広く怪異を集めて編集したのがこの本なのだ。

 わたしの好きな本の一つでもあるこれを手にとると、ペラペラペラとページを捲って見た。そこでわたしは驚いた。そこには、この本を編んだ経緯として、地方の知事として赴任した彼が、そのあたりや仕事柄であった人たちから聞いた話や、体験した話を記録したものだと書いてあるのだ。わたしが、知っている話と違うのだ。気にはなったが、わたしは、一番好きな話を読むことにした。それは、『画皮』という話で、王という男が、道で美しいうら若い女性と知り合いになり、愛し合うようになる。ある日、町で仙人に鬼に憑かれているといわれるが、気にしないでいると、その女性は、鬼で、不思議な布に美しい女の姿を描いて化けていたのだった。王は、それを知り逃げようとしたが、捕まり食べられてしまう。それを知った弟が、その仙人を探し、助けを請う。その仙人の力で王は生き返り、鬼は退治されるというお話なのだが、この本に載っていたのは、この話の後日談だった。書かれていたのは、漢文だったので、かなり解り辛かったが、何とか読み下す事ができた。それを、要約するとこのような話だった。

 

 王の弟が街で道士に会っているところを見ていたものがいました。彼の名は、陳。頭はいいのだが、大変な女好きでいつもそれで失敗していました。陳は、王が綺麗な娘を連れているのが面白くなかったのですが、二人の話からとんでもない化け物だった事がわかったのですが、あれだけの娘、化け物でも・・・と思ってしまうのが陳なのです。陳は、後をつけ、一部始終を影からこっそりと見ていました。そして、あることを思いつきました。

 鬼をふくべ(水入れなどに使うひょうたん)に封じ込め、住処へ帰ろうとしていた仙人を呼び止めるものがいました。それは、影から、見ていた陳でした。

「仙人さま、大変なご活躍でございました。」

「なにのことかな。」

「いえ、お隠しにならずとも、ふくべの中になにがいるかも存じております。御疲れでしょう。ささこちらに、酒でもいかがですか。」

 そういいながら、陳は、仙人を酒屋の中に引きずり込んでいきました。もともとこの仙人、無類の酒好きで、それでしくじった話は、数限りなくあったのですが、ここのところ酒を断っていたのです。ですが匂いをかいだらたまらない。陳の進めるままに飲み出しました。

「仙人さま、あの鬼はどうなったのでしょうか。」

「あれか、あれはこの中じゃ。」

 そう言うと、仙人は、腰からふくべを取り外すと、それを、食台の上に置きました。

「あの、また鬼とかが出てくるということは・・・」

「あるじゃろう。この布を奪い返し、人を喰らうためにな。」

 あの不思議な布を出して、広げて見せました。それは、袋状の布に描かれた精巧な美女の裸体画でした。

「これが、あの美女ですか。なんだか色あせているような。」

 精細な色ではなく心なしか、墨の色が落ちているような気がしました。

「それはそうじゃろう。墨で描いたものじゃから時が経てば色も薄れていく。」

「それに、なぜ裸体なのですか。」

「それは、描いたものじゃから、服を着たままじゃと脱ぐ事ができぬからじゃ。」

「そうなのですか。」

 陳は、感心しながら仙人に酒をすすめました。

「男同士で差し向かいに飲んでもつまらんのう。」

「そうだ。仙人さま。これをお貸しください。わたしがこれを着て美女になりましょう。」

「そうさのう。そうするかのう。」

「はい。でも、あの鬼は大丈夫でしょうか。」

「あいつか、あいつならこうすれば大丈夫だ。」

 そう言うと、仙人は食台の上に置いていたふくべの栓を開け、口に持っていきかけていた酒がなみなみと注がれた杯を、ふくべの口に当てると中に酒を注ぎこみました。

「これで奴は、400年は酔って眠っておるわ。」

「たったそれだけの酒でですか。」

「わしが法力をかけた酒じゃ。これだけでも3000人の人を酔わせる力はあるわい。」

 陳はさらに感心し、そして、仙人からその布を借りると着替えてくるからと言い残し、店の奥へと姿を消しました。

それから、待てども一向に戻ってくる気配はありませんでした。そのとき初めて、仙人は騙された事に気がつきましたが、そのときはすでに遅く、陳の姿はどこにも見つかりませんでした。

 

 いま都では、今度新たに後宮に入る娘の事で持ちきりでした。それはそれは美しい娘で、都一の美人画絵師が描く美女が生を受けて現れたようだと誰もが噂していました。噂の美女を誰もが一目見ようと後宮への入宮の行列を見物していました。といっても、彼女が乗るみこしは、すだれがかかり中の美女は見えないのですが、何かの拍子に見えることを期待して、宮殿への道は、人だかりがしていました。

 行列は、なにの突発事故もなくつつがなく宮殿の中へと入っていきました。

 後宮へと案内された美女は、入り口で、全裸にされ、女は男と違って隠す場所が一つ多い事から、念入りに身体中をくまなく調べられ後宮の中へと消えていきました。

 それからしばらくして、後宮内で不思議な噂が流れ始めました。公務や視察で後宮に起こしになってないはずの天子様のお姿が、あちらこちらの部屋で見かけられだしたからです。最初はなにかの見間違いだろうといわれていたのですが、後宮を世話している宦官たちの中にもそのお姿を見た者たちが現れてくると、天子様としてもほって置く訳にも行かず、高僧を招いてその訳を占わせました。

「それは、天子様の生霊が彷徨っておるのでしょう。こころやすらかにされる事です。」

 そう言われて、天子様は気をつけられたのですが、まだ、噂は消えず、500人とも1000人とも言われる後宮の女たちの中から、まだお手を出されていないものが、お子をやどされるに至っては見過ごしこともできず、急遽、宦官の中でも腕の立つ者達で警備隊を組織され、生霊を見つけたら、有無を言わさず切りかかるように御達しされました。

 天子様の生霊かもしれませんが、狐や鬼の類かもしれません。そのためにこう命ぜられたのでした。

 後宮の一室、あの、美人画のような美女の部屋から、高笑いが聞こえてきました。

「あはははは、ここは美女達の宝物倉だ。それも、男に飢えた美女達のな。」

 寝台の上に座るその姿は・・・紛れもない男。それも、あの仙人から鬼の不思議な布を奪った陳でした。

「この布のお陰で後宮には難なく入れたし、女たちには怪しまれずに近づけ、交わるのも、し放題だしな。布さまさまだな。」

 そういいながら、陳は寝台にかけてあった布を手に取りました。その布には、あの、美女の姿があそこの場所はおろか、小さな産毛の一本に至るまで、精巧に描かれていました。

「それに、裏返せばこれだしな。」

 そう言いながら、裏返した布の裏側には、天子様のお姿が、これも精巧に描かれていました。陳は、あの布を使って美女に化け、後宮に侵入していたのです。そして、恐れ多い事に天子様に変化して後宮の女たちを方端から餌食にしていたのです。

「さて、今宵は誰にするかな。」

 そう言うと、布をはためかせ裾からすっぽりと頭からかぶりました。すると、布は縮みだして、陳の姿を天子様へと変えてしまいました。

「それでは、まいるか。」

 その声は、陳のままでした。

 それから、御目当ての美女の部屋へ行き事を済ませると、陳は、自分の部屋へと急ぎました。

「今宵はちょっと精を使いすぎたわい。このまま帰ってやすむとしよう。」

 廊下の角を曲がったとき、警備中の宦官たちのばったりと会ってしまいました。

「これは、天子様。今宵はたしか執務室で御泊りとかお聞きしておりましたのですが?」

「いや、思いのほかはやく用が済んだので、芙蓉に会いにまいったのじゃ。」

「さようですか、ですが、御部屋はあちらでございますが?」

「いた、ちょっと不浄にまいるところじゃ。それよりも、おまえたちは何か?」

「警備を命じられましたので、その職をはたしておるのでございますが・・・」

 宦官の一人が、天子様の様子に不信を感じ、あることを聞いてみました。

「天子様。我らにご命じになりました賊の探索ですが、賊は天子様が申されましたように女子のようでございます。」

「そうか。しっかり警護を頼むぞ。」

 そう言うと、陳は宦官たちの間を通り抜けました。そのとき、宦官たちは目配せて突然、陳に切りかかりました。陳の肩に痛みが走りました。

「なにをする。血迷ったか。」

「なにをほざく。天子様を騙る不届き者め。われらの命ぜられたのは、天子様の偽者を探す事だ。ついに見つけたぞ。この騙りめ。」

 陳は自分の行為がばれているのがわかりました。宦官とはいえかなりの手だれの者です。蓬蓬の体でその場を逃げ出し、物陰に隠れました。このままの姿では、また見つかってしまいます。陳は美女の姿になると、自分の部屋に帰り、傷の手当てをしました。やはり、天子様の姿のものを切りつける事に戸惑いがあったのでしょう。傷はたいしたことはありませんでしたが、かなりの血が布についてしまいました。

 陳が傷の手当てを終えたとき、さっきの警備隊が、部屋の中を検めている様子が聞こえてきました。布の中はさっきの血で濡れていましたが、陳はかまわず美女のほうを上にして着込みました。

陳の部屋にも検めにやってきましたが、陳は、美女の姿になっており、部屋の中にもだれもいず、少し気になる事はあるようでしたが、部屋を出て行きました。

 何とか、この難を乗り越え陳は、気が緩み気を失ってしまいました。

 翌日、目を覚まして、この布を脱ごうとしたのですが、昨日の血が糊の役目をして脱ぐ事ができませんでした。風呂に入って脱ぐ事も考えましたが、そうすれば、この美女の姿が消えてしまうかもしれません。

 陳は仕方なくその日から女の姿で過ごす事にしました。いままではそんなに気にかからなかったことが気になりだしました。

「なんだこの胸は、やわらかく、よく蒸かした万頭のようだ。そして、このしたのあそこの気持ちのよいことは、女はこんなに気持よい思いをしていたのか。」

 それから寝食を忘れて、自慰を覚えた猿のように女の快感を味わいだしました。女を食べる事しか考えていなかったので、女の自分を味わうのは、このときが初めてだったのです。

 それからしばらくして、天子様が、陳のところにこられる事になりました。あの日以来、風呂にも入らず自慰を続けていた陳は、かなりの異臭を放っていました。いくら、姿が美しくても異臭を放っていてはたまりません。後宮の女官たちが嫌がる陳を無理矢理に風呂に入れて垢にまみれた身体を洗い出しました。

 するとどうでしょう。垢とともに黒い水が流れ、その美しい顔立ちが消えているではありませんか。その流れるような黒髪も、弓のような細く曲がった眉も、黒曜石のように輝く瞳も。美女の身体は、胸はおろか、目鼻や眉、髪のない白い塊になってしまいました。女官たちは、その化け物に驚き、慌てふためきました。

 その声を聞きつけた警備隊は、その異形のものに驚きましたが、難なくとらえる事ができました。なぜなら、その物は目が見えないようで、腕らしき指のない塊であちらこちらを手探りをしていたからです。

 その後、その異形のものがどうなったかは誰も知りません。

 

 

 わたしは、それを読み終えると、本を閉じてもとの場所に戻した。

 それからどうやってその店を出たのか覚えていないのだが、いつもの通りに立っている自分に気がついた。時間は、あの路地に入った時間だった。あれから少しも経っていないのだ。

 あの路地を探したが見つからなかった。だが、また、あの本屋に言えるような気がした。なぜなら、いつの間にか手にはあの『聊斎異志』(ごく普通のもので、あの本とは違っていたが)とレシートをもっていたからだ。

 それの最後のほうにはこう書かれていた。『またのお越しをお待ちしております。青蛙堂。』と・・・

 

 

 

あとがき

 「青蛙堂」とは、捕り物帖物の元祖といわれている『半七捕物帖』の作者・岡本綺堂の怪異談「青蛙堂」シリーズから採りました。興味がある方は読んでみてください。面白い話がたくさん載っていますよ。

 このシリーズ(続けるつもりです)いろんな本を、いろんな読み方をしてみようと思いはじめました。また面白い話を見つけたらご紹介しますのでおたのしみに。

(たかしんにさん、わたしは、セピアの民さんとは別人ですよ。(^^)