青蛙堂シリーズ

Kwaidan

 ラフカディオ・ハーン(日本名 小泉八雲)。明治維新前の日本に魅入られ日本人に帰化した英国人。幼いころより不思議な事に興味があり、日本の怖い昔話に強く引かれる。わたしも幼いころから怖い話には興味があったので、彼は、いつしかわたしの大好きな作家の一人になっていた。そのなんともいえない語り口調がわたしを魅了していた。だが、原作は英語なので、訳者のよってかなり感じも違ってはいたが・・・

 わたしは、紅茶のはいったポットと、口汚しにビスケット、それとお気に入りのティーカップを近くに用意すると、おもむろに、不思議な世界への扉を開いた・・・

 

第弐話 Rokurokubi

ほう、人を探して、旅をのう。じゃが、お主。拙僧の若いころにそっくりじゃて。今宵は、この寺で、御ゆるりとなされよ。なに、この老僧の話が聞きたい。ふむう、拙僧も若いころは、修行の旅をしておったでのう。かなりあちらこちらに行ったものじゃ。

ふむ?いろんな国を旅しておったら不思議なことにも出会うたじゃろうと。そうじゃなあ、それほどではないが、何度かは出会ったことはあるな。

おや、聴きたそうな顔をしておるのう。まあ、酒も馳走になったことじゃから、話して進ぜようかのう。

お主は、ろくろっ首という物の怪をご存知かな。拙僧は旅先で、その物の怪に出おうたことがあるのじゃ。

 

あれは、そう、拙僧がまだ修業中の若い僧だったころのことじゃった。拙僧は、この国の行く末を案じながら、修行の旅をしておった。ナンじゃ、なぜそこで笑う。節操が旅をしていては、おかしいか。いや、この国の行く末を憂いての旅というのがおかしいじゃと、若いころは誰でもそうじゃ。じゃが、旅は、修行ゆえに決して楽なものではなかったが、見知らぬ土地で受ける心づくしは、疲れた体を癒してくれた。だから、あの苦しい旅を続けられたのじゃろうな。

美濃崎の国から籐慈の国に至る峠に差し掛かったときのことじゃ、拙僧は道に迷い、人知れぬ山の中へと迷い込んでしまった。山の陽はすぐに暮れ、あたりは、うっそうと生えた樹木ばかりで、空に出た月の明かりは、枝にさえぎられ闇の中を手探りで歩まねばならぬほどだった。拙僧は、先に進むのをあきらめ、一夜の宿を得ようと、丈夫そうな太い枝を生やした木に登った。下で眠っておったら、いつ獣に襲われるか判らぬからのう。拙僧は、何とか身体を横たれられるほど太い枝に登りつくと、木を背に休む事にした。

さて、休もうとした時、かなたのほうに明かりが見えた。それは、月明かりや、それに反射して輝く湖などではなく、間違いなく火の光だった。こんなところより、人里のほうが安息できる。拙僧はせっかく登った木ではあったが下に降りると光が見えた方へと歩いていった。

その明かりの元は、こんな山奥になにゆえと思うほどの大きな屋敷だった。拙僧は、裏木戸を入ると勝手口から中を覗いてみたが、そこには誰もおらんかった。皆、寝てしまったのか、お屋敷の中には人の気配がなかった。それにしても、あの明かりはなんなのじゃろう。常夜灯にしては、明るすぎるような気がするが・・・

そんなことを考えながらも、拙僧は、屋敷の中に声をかけたのじゃが、何の返事も返ってはこんじゃった。わしは、仕方なく、勝手に納屋にでも休ませてもらおうと、振り向いたそのとき。

「何か御用でございますか。」

いつの間に現れたのか、初老の男が、わしのうしろに立っておったのじゃ。わしはこれでも、武道の心得があり、気配を感じるのは、自信があった。なければ、森などで、休むことなどかなわぬのでの。そのわしが、気づくこともなく、後ろを取られるとは、世の中には、上がいるものじゃ。

「拙僧は、旅の修行僧。今宵は森の中で休むつもりでしたが、明かりが見えましたので、一晩の宿をお願いできればと思い、こちらに参りました。」

「それはそれは、難儀なことで、どうぞおあがりくださいませ。今宵は、近くの村の祭りで、家内の者は、すべて、暇を出しており、十分なおもてなしはできませんが、娘に、おもてなしの準備をさせましょう。山中ゆえにそれほどのことはできませぬが、さ、どうぞ。どうぞ。」

そういうと、初老の男は、家の中に入って行った。わしも(固苦るしくなるので、わしと言わせてもらうぞ)仕方なく、その後を付いて行った。男は、わしに、土間で待つように言うと、上に上がり、奥へと入っていった。姿が見えなくなり、しばらくすると、手に明かりと、水の入った桶を持った若い娘が、やって来た。そして、土間に下りると、わしを、床に座らせて、泥や誇りで汚れた、わしの足を丁寧に洗い出した。

「娘御。そのようなお気遣いは無用に。自分のことは自分でいたしますゆえに・・・」

「いえ、父より申し付かっておりますゆえに・・・」

そのやさしく白い手は、歩き疲れていたわしの足をやさしくいたわってくれた。わしも、僧とはいえ、若い男じゃ。娘のえもいわれぬ香りにおかしくなりかけるのを抑えるのに苦労した。

わしの足を洗い終えると、娘は、わしを風呂へと案内した。わしの前を歩く娘は、この山中には、もったいないほどの器量よしじゃった。この娘なら、都に出ても、その美しさは評判になるじゃろうのう。そんな、不謹慎な事を、わしは、おもいながら、その後を付いていった。

 

久しぶりの風呂ほどのご馳走はなかった。わしは、湯船に身を沈めると、身体の疲れが、湯の中に染み出していくようじゃった。

「お背中。お流しいたします。」

あの娘の声に、わしは、あわてて湯船の中におぼれてしまった。

 「いや、そこまでのお気遣いは・・・」

 「いえ、父の命ですので・・・」

 そう言われては断ることもできず、わしは、娘に身体を洗ってもらった。娘は、気品もあり、どこぞの姫君といっても通じるほどであった。

「お背中、流します。」

その涼やかな声は、天の音曲のようだった。

風呂をいただき、久しぶりのまともな食事を、腹に満たすと、わしは、眠くなってしまった。また、娘に案内されて、わしは、奥の座敷に用意された床の中に、身体を横たえた。そして、そのまま、死者のごとく眠ってしまった。

どれくらい、眠っておったじゃろう。尿意を覚え、わしは、目を覚ました。そして、とこを抜け出すと、わしは、厠を探して屋敷の中をうろついた。ふと、明かりの漏れる部屋を見つけると、わしは、そこに向かった。中の者に厠を聞こうと思い、近づいて、わすは、はたっと、動きを止めた。

なぜなら、部屋の中から、異様な音が聞こえてきたからじゃ。それは、砥石で、刃物を研ぐ音じゃった。賄い場であれば不思議はないが、そこは、奥の主人の間らしきところじゃったからじゃ。わしは、そっと忍び寄り、中の音を聞いた。それは間違いなく、刃物を研ぐ音じゃった。

「くくく、今宵のあの坊主。長年わしが、求めておったものじゃ。これで、わが思いに一歩近づく。」

その声は、間違いなくあの娘の声じゃった。じゃが、その口調は、まるで男じゃった。

「そうなると、この姿ともお別れじゃのう。惜しい気はするが、それもこれも、あの方のため。」

わしは、身を伏せて、そっと、戸の隙間から中をのぞいた。そこには、着ていた物をはだけて、はだけた胸をいとおしむように揉みだした。顔を赤らめ、悶えるその淫妖な姿に、あの清楚な娘の面影はなかった。何が、あの娘をこう変えたのだ。いったい何が・・・

「この仕事には、この身体では・・・」

娘は、胸を揉んでいた手を外すし、首に手を掛けると頭ごと引き上げた。

『すぽん』

娘の首が、引っ込ぬけた。

「く、くびが・・・」

わしは、腰が抜けた。だが、もっと驚くことが起こった。抜いた首を横に置くと、どこから取り出したのか、あの男の首を取り出してきた。そして、抜けた首の跡にその男の首を据えつけた。すると、さっきまでふくよかに膨らんだ胸がしぼみ、細く折れそうな腕は、丸太のように太くたくましくなっていった。娘は、たくましい男に変わったのじゃ。わしは、自分の目を疑った。そのときじゃ、後ずさりをしてしまい、物音を立ててしまったのじゃ。

「だれだ。そこにおるのは。」

初老の男になった娘が、わしが逃げる体形を取り終えないうちに、戸をあけて、わしを見つけた。

「みたな〜〜〜。」

あの声は、いまだに耳に残っておるわ。あの時は、心底恐ろしかった。

「こっちへ来い。」

まるで、猫に魅入られたねずみじゃ。わしは、言われるままに、部屋の中に入っていった。そこには、鋭く研ぎ澄まされた刃物と、大きな木の板。それと、娘の生首が、ちょこんと置いてあった。

「お、お前は、何者だ。」

「わしか、わしは、ろくろ首じゃ。」

「ろくろ首?あれは、首が伸びるものぞ。お前は、抜けるのではないか。」

「ははは・・・、少しは、存じておるようだな。ろくろ首には、首が抜け、飛び回るものもおるのだ。わしは、首が抜けるのだよ。」

「よ、物の怪か。」

「そうだ。だが、昔は、お前と同じ人よ。」

「なに、人?」

その物の怪は、寂しそうな顔をして、語りだした。

「そうよ。わしは、これでも、元は人よ。ある国の侍だった。だが、ある日、隣国から攻められ城は落ちた。そのとき、姫は、自害なされ、その首に辱めを与えぬために持ち出したのよ。」

男は、そばに置いた娘の首をいとおしそうに、見つめた。

 

「姫、姫〜〜。」

燃え盛る城の中で、胸を付いて自害した姫のむくろを抱いて、若い侍は、泣き叫んでいた。だが、このままでは、あまりにも惨めな気がした。若い侍は、姫の首を根元から切り落とすと、胸にしっかりと抱き、燃え盛る城から抜け出した。だが、何とか城から抜け出したところで、敵の兵に見つかり、首を取られてしまった。姫の首は、侍がしっかりと抱え込んでいたので、奪わうことができず、兵たちはその場を去っていった。

それからどれくらいの時が過ぎたのだろう。首を失った骸が、身を起こし、立ち上がると歩き出した。その歩みは、目の見えぬもののように、ふらふらと辺りのものに当たりながらのものだった。

そして、大木に身体をぶつけたとき、しっかりと抱いていた姫の首を落としてしまった。首のない身体は、あわてふためいて、しゃがみ込み、手探りで、落とした首を探し、それを見つけると、やさしく両手で抱え、持ち上げた。まるで、今はない目で、無事を確かめるかのように。

首を胸に抱くと、また立ち上がろうとして、ふと、止まった。胸に抱いた首を、首のなくなった肩の上に静かに置いた。するとどうだろう。硬く閉じられていた姫の目が、静かに開いた。

「み、みえる。あ、声が・・・姫の声だ。姫様。必ずお体を見つけますゆえに、それまで、姫様のこの首を、わたくしめにお貸しください。」

姫の首を肩に乗せた侍は、いずこへか去っていった。

 

 「それから、わしは、姫の新しい身体を捜した。だが、見つからなかった。そのうえ、姫の首を乗せておると、身体が、女子に変わってしまうのだ。女の一人旅は、辛いものだぞ。そして、一夜の宿を借りたこやつに、手篭めにされそうになるしな。だが、逆にこいつの首をいただいたがな。」

 男は、うれしそうに笑った。

 「それに、今宵は、昔のわしに似た首も見つかったしな。姫、また、昔のように暮らせますよ。」

 男は、いとおしそうに娘の首を見つめてそう言った。

 「昔のお主とは、拙僧のことか。」

 「そうだ。お前の首をいただき、昔の姿で、姫にお仕えするのだ。さあ、その首をよこせ。」

 そのころになると、わしへの呪縛も解けておった。隙を見て逃げ出さないと、わしは首無になってしまう。わしは、どうするか考えた。そのとき、尻の辺りに、異様な感触を感じた。わしは、恐ろしさのあまり、脱糞をしておったのだ。だが、男に睨まれて、そのことすら気づいておらなんだ。

 文字通り、やけくそになっておったわしは、尻から糞をつかみ出すと、男に投げつけた。そして、男がひるんだ隙に、娘の首をつかむと、その屋敷を飛び出した。

 それからは、よくは覚えておらん。気が付いたら、見知らぬ寺の前に倒れておった。そこの住職に事情を話し、匿ってもらったのじゃ。そのまま、その寺に居ついてしまい、今のわしがあるというものだ。どうじゃ、不思議な話じゃろう。

 なに、その娘の首が見たい?う〜ん、この寺に来て以来、供養のために封印しておったのじゃが、お主のような、見目麗しい男に、見てもらうのも、若い娘への供養になるかもしれんのぅ。ちょっと、待っておられよ。おもちするからのぅ。

 

 さあ、これじゃ。見てくだされ。まるで生きておるようじゃろう。わしが、始めて見たときと一部も変わっておらん。不思議なことじゃ。

 

 あ、なにをする。その首どこに持っていくのじゃ。まさか、お前は、あのときの、物の怪では・・・まて〜〜〜!

 

 

 まるで眠っているような美しい娘の首を抱いた若者は、本堂の戸を開け放ち、いつの間にか月明かりもなく暗く冷たい闇の中に、その姿を消した。

 一陣の風が吹き、本堂の明かりをすべて消した。