論 外 伝

姫神生誕


 

 昔々、まだ、神と人が共に暮らしていた頃の事です稲穂の国の隅々を天照しておられたアマテラスの力をもってしても、照らし出すことのかなわぬところがありました。そこで、父たるイザナギは、わが身をハ百万(やおよろず=限りなくおおくという意味。)に分けられ、多くの神々を御産みになりました。その中で、一番最後にお産みになったのはイザナギの心の臓からお生まれになった女神でした。その女神は、見目麗しく清らかで、アマテラスは、この一番末の妹神を事のほか愛でられ、供の者の中から、愛らしき穢れ無き乙女達を選び、妹神の巫女とし、静寂な森に囲まれた地に宮を造り、そこにこの妹神を住まわせられました。そこには結界を張り、時を止め、何人足りとも中へは入れなくしてしまわれました。

  妹神は、その宮で供の者達と幾年過ごされたでありましょう。供の者達と、何時も変わらず、咲き乱れ、枯れることのない花々を愛でている時間は、ただ何の変化もなく過ぎてゆきました。

 いつの頃でしょう。この結界が綻び外界より人がこの宮に入ってきたことがありました。山を彷徨い、獲物を得ることなく道に迷ったのでしょう。体格の良い猟師がこの宮に迷い込んでしまったのです。始めてみる男の姿に妹神は、興味を覚え、慈愛の思いから、この者に食事と休むための床を与えました。しかし、供の者たちは、その男が発する獣の匂いに恐れを感じていました。それは、ここにいる者達のほとんどが、あのスサノオの乱行振りを見てきていたからです。その、スサノオと同じ匂いのするこの男に畏怖を感じるのは、致し方ありませんでした。

 そして、彼女達の危惧は、正しいものでした。最初は、山の中をあてどもなく彷徨い、空腹に疲れて大人しくしていた猟師でしたが、腹が満ち、疲れが取れると巫女たちにちょっかいを出し始めました。あちらこちらで、巫女を襲い始めたのです。

 「姫神様、危のうございますから、決して出てきてはなりませぬぞ。」

 年かさの巫女の一人が、妹神を社の中に隠すとそう言って、外よりかぎを掛けてしまいました。妹神は、その愛らしさから巫女たちから『姫神様』と呼ばれておりました。

 何が起こっているのかもわからず、姫神(これからはこう呼ばさせていただきます。)は、社の中でただじっと待っていました。

 それからどれくらいの時が過ぎたでしょう。社の扉のかぎを開けようとする者がおります。姫神は、先ほどの巫女が戻ってきたのかと思いましたが、それなら、これほど乱暴にする事はありません。これは、だれか、他の者がここを破り中に入ろうとしているのでしょう。姫神は初めて恐ろしいと感じました。

「姫神様、ここを開けてください。」

 その声は巫女の中の者の声でした。姫神は、扉を開けようとしましたが、かぎは外から掛けられあけることができません。

 「姫神様。姫神様のお力で、おあけください。」

 姫神は、巫女たちにない力が自分にあることは知っていましたが、どうすればいいかはわかりませんでした。

 「姫神様、かぎを壊そうとお思いください。さすればかぎは壊れるでしょう。」

 姫神は言われるままにしてみました。すると、何かが弾け飛ぶ音がして扉が開きました。そして、差し込む光の中には見知った巫女の姿はなくあの猟師の血に濡れた姿があるだけでした。

 「姫神様、開けてくださりありがとうございます。どうだ、声色がうまいだろう。」

 男の毛まみれの口から流れ出たのは、あの巫女の声でした。それも、瞬時にあの雷鳴のような男の声に代わってしまいました。

 「獣を声色で誘出だすワシにとっては、女子の声色など容易い事だ。さて、姫神よ。おまえの初物を頂くとしようか。」

 「巫女たちはどうしたのですか。彼女達はどこにいるのですか。」

 「おんなどもか。そんなに会いたいなら会わせてやろう。」

 男は、表へ出て行くと、何かを引きずって戻ってきました。それは、血まみれになった巫女の亡骸でした。

 「おおこれは、どうしたの。さあおおきなさい。おきて何か話して。」

 姫神は亡骸を揺さぶって叫びました。時の止まったここでは、死と言うものは存在せず、姫神は初めて接する死という物にどう接したらいいのかわからないのでした。

 「こいつはもう死んでいる。」

 「死んでいる。どう言う事ですか。なぜ起きぬのです。」

 「おまえ、死をしらねえのか。死ぬってのはなあ。魂が抜け出てもう戻ってこねえことだよ。」

 「魂?魂魄の事か。なら呼び戻せばいい。黄泉の国へ行く前に、黄泉比良坂につく前に呼び戻せばいい。」

 「姫神よ。器のなくなった魂を呼び戻してどうする。呼び戻されたもの達は魂のまま彷徨う事になるぞ。」

 「それなら、この姫神とともにあればよい。この姫神の身体に囲おうぞ。」

 その言葉に黄泉比良坂に着きかけていた無数の魂魄が姫神の下に集まり、優しく広げた姫神の心の中に飛び込んでいきました。悲しみ、苦しみ、恐れ、嘆き、痛み、恨み。それらの思いを抱いて死んだ者達の魂魄が、姫神のからだの中に入っていきました。優しく無垢な姫神にとってこれらの思いは辛く悲しいものでした。これらのものを身の受けるには、姫神は純粋すぎました。やがて、姫神は、笑うことはなくなり、氷のような冷たい無表情な顔をされるようになりました。そして、かの男に向かいこう言われました。

 「おまえが、いままでに殺めたもの達の痛み、苦しみを味わうが良い。この苦しみを忘れぬように月一回、痛みとともに血を流すようにしよう。その痛みと血にておまえの行いしことを恥じるが良い。だが、苦しみだけでは、慣れてしまうので、快楽も与えよう。だが、その後におまえは命を宿すだろう。この命は、おまえが殺めたもの達の生まれ変わりだ。その命は、おまえの痛みのよって誕生するだろう。その痛みによって生命の尊さを知るがよい。」

 姫神がそう言うと、男に向かって人差指を差し出されました。姫神の人差指が、男を指したとたん、男は激痛に襲われました。それは、身体中の骨が砕けるような痛みでした。からだは縮み、毛は抜け去り、鎧のように黒く頑丈な胸板は白くまあるく膨れ上がり、腰はくびれ、尻は大きくなり、髪も伸び、男は美しい女の姿になりました。

 「その姿で他の者の慰み者になるが良い。」

 そう言うと、姫神は、その女になった猟師を宮から追い出しました。そして、宮中に横たわる巫女たちの屍を集めると、社の裏にあるサクラの木々の下に、その屍を休ませました。そのサクラの木々は毎年美しい花を咲かせるようになりました。

 それ以来、姫神は、表情をあらわす事はなくなり、そして、血をも恐れぬ、いや、血を求める荒ぶる神へと変わってしまいました。

 こうして人々に恐れられる『姫神様』が誕生したのです。

 

あとがき

 これは、わたしが、廃業する古本屋の堆く積み上げられた古雑誌の中に埋もれていた『真書・古事記 上巻』の『姫神誕生の巻』より、読みやすくするために物語風にアレンジしたものです。この本は虫食いが激しく解り辛い所は、わたしが、補った事を付け加えます。なお、『真書・古事記』には、まだ他の話も載っていたのですが、母にゴミと思われ捨てられたことを報告しておきます。もし、この本を見つけられた方がおられましたらご一報ください。よろしくお願いいたします。まだ、姫神の物語が載っていそうなので・・・・

                                         平成13年 6月 7日  よしおか