最近では、男性でも、理髪店ではなくて、ビューティ・サロンに行くようですね。ところで、そのビューティ・サロン。本当にヘア・カットだけですか?

 

ビューティ・サロン 綾香

 

その日、わたしは、友達との約束の時間を間違えて、2時間ほど早く約束の場所に来てしまった。

「おい、マジかよ。こんなところに、『あと2時間も待っていろ』って言うのかよ。ああ、ああ、判ったよ。できるだけ早く来いよ。」

そういうと、わたしは、ケイタイを切ると、辺りを見回しました。ごく普通の駅前の光景です。わたしは、ゲーセンでも見つけて、そこで時間をつぶすことにしました。本来なら、待ってなどいないのですが、友達の持ってくることになっているものが、どうしてもわたしには必要だったので、仕方なく待つことにしたのです。

わたしが、その場を離れようとしたとき、なぜか、背中に視線を感じたのです。懇願するような悲哀のこもった視線を・・・視線を感じるほうを見ると、そこには、あふれるほどのアンパンの入った紙袋を左腕でしっかりと抱え、右手には、チラシを持った女の子が立っていました。目をうるうると潤ませて、口にはアンパンを咥えていました。その姿は、まるで、助けを求めるために見知らぬ大人に声をかけようとして戸惑う、人見知りの激しい幼い子供のようでした。ですが、その女の子は、幼子というよりも、女の子というのにも、ちょっと、無理があるかなぁというくらいの年のようでした。そのおびえたような、ねだるような視線に、わたしは、妙にイラつきを覚えました。

「なんのようだ。」

その子は、なおさら怯えたような顔をしました。わたしは、それを見るとなおさらイラついてきて、その場を立ち去ろうとしたのですが、その子が、服の端をしっかりとつかんで、動けませんでした。わたしが、その手を振り払おうとした時、その子は恐る恐る一枚のチラシを、わたしに差し出したのです。

「なに、『ビューティ・サロン 綾香』本日開店。特別サービス中。客引きか。俺には関係ないな。あばよ。」

わたしが、また立ち去ろうとすると、目を潤ませ、手を震わせながら、あふれんばかりの紙袋の中のアンパンから、一個とると、わたしに差し出しました。わたしは、なにがなんだかわからず、その行動をただ黙って見ているだけでした。すると、その子は、なきそうな顔になって、もう一個アンパンを取ると、わたしに差し出しました。そのときも、まだわたしは、その子がなにがしたいのかわかりませんでした。

今度は、左腕でしっかり抱えていたアンパンの入った袋を、身体を震わせて、目には涙を一杯に溜めて、身体を悲しみにぶるぶると震わせながら差し出しました。そのときになってやっと、うっすらとですが、この子の行動の意味がわかった気がしました。

「俺に来てほしいのか。」

そう聞くと、その子は、泣きそうな顔を、ほころばせて頷きました。なんだか、その子を見ていると哀れに思えてきて、わたしは、その子について行くことにしました。もちろん、アンパンは、その子に返しました。その子は、アンパンが戻ると、こぼれんばかりの笑顔をして、わたしに微笑みました。

 

わたしが、この子に連れて行かれた先は、真新しいビューティ・サロンでした。花輪が飾られ、店の中も壁や、機材の匂いも、真新しい匂いがしました。店の中は、けっこう込んでいて、スタッフらしき女性たちが、忙しそうに立ち回っていました。

「あんたなにやっていたの。お客様が、立て込んでいて大変なのよ。こちら様は?」

この子の前に、立ちはだかった若い女性は、角を生やさんばかりにこの子を睨んでいましたが、わたしに気づくと、声のトーンを落として、この子に聞きました。

「なに?おきゃくさま?客引きはしなくてもいいって、あれほど言ったのに。何かしてないと落ち着かなかった。もうあなたらしいわね。」

泣きそうな顔で言う女の子に、彼女は、苦笑しました。

「マ、そういうところが、かわいいのだけどね。綾香。」

そういいながら、その女性は、しっかりと女の子を抱きしめると、おでこにキスをしました。わたしは、ひとり別世界に取り残された感じで、ふたりをただ呆然と見つめていました。

「かなえ姉さん。おきゃくさま。忘れていますよ。」

すこしぽっちゃりとした若い女性スタッフが、わたしに詫びながら、綾香と呼ばれた女の子を抱きしめたままの女性に言いました。

「ん?なに、あきえ?あ、あなた、まだ居たんだ。ごめん、ごめん。え〜と、こちらにどうぞ。さ、綾香。おきゃくさまを案内して。」

わたしは、綾香さんに案内されて、空いていたシートに座ろました。そのとき、わたしは、彼女たちの顔と名前をどこかで聞いたことがあるような気がしました。すぐには思い出せませんでした。やがて綾香さんが、かなえさんに叱られながら、名残惜しそうに、アンパンを奥のスタッフルームに置きに行きました。その帰りに、綾香さんは分厚いカタログを持って、わたしのところに戻ってきました。その時に、わたしは、彼女たちの正体?を思い出しました。

カリスマ・ビューティシャン。かなえ、あきえ、そして・・・綾香。彼女たちに、カットしてもらうのに、予約しても7ヶ月は、待たされるという人達だったのです。だが、彼女たちの手にかかると、どんな人でも、誰もが振り返るほどの美女になれると聞いたことがありました。そして、他のスタッフたちも、よく見るとかなり高名な人たちばかりでした。

「エリコに、ゆかりに、頼子?あの、千佳が、何でこんなところに?うっそ〜伝説の美容師。由実までいるよ。なんて店なんだ。ここは?」

わたしは、驚愕してしまいました。なぜなら、そのネームバリューだけで、日本はおろか、世界中に、超一流として名の知られた人たちが、一般スタッフに混じって働いているからです。そんな彼女たちの中を、ど突かれ、邪魔にされながら、清掃しているさえない中年男性のスタッフが一人いましたが、さながら、髪結い床の亭主といったところでしょうか。

「あの、どんな感じにしましょう?」

綾香さんが、おずおずと、カタログを差し出しました。それは、女性モデルたちによるヘヤー・カタログでした。

「こりゃ、女性用だろうが。男子用は?」

「しゅ、しゅみません。ここにはこれしかなくて・・・」

子ウサギのように怯える綾香さんを見ていると、これが、有名なカリスマ・ビューティシャンとは、信じられませんでした。

「まあ、いいよ。それじゃあねぇ、どんな感じにしてもらおうかなぁ。」

わたしは、おどおどした彼女に、ちょっとイジワルがしたくなって、今のわたしの髪型では到底無理なモデルを選び、指差しました。

「じゃあ、これにしてくれ。」

「は、はい。わかりました。」

彼女は、元気よく答えると、小躍りしながら道具の乗ったキャスターを取りにいきまいた。わたしは、できなかったときの彼女の顔を想像しながら内心ほくそえんでいました。

「それでは、はじめさせていただきます。」

そう言いながら、綾香さんは、わたしの前にあるミラーに、さっき、わたしが、リクエストした髪型のモデル写真を、貼り付けると、手早くわたしの頭にタオルを巻きました。それは、さっきまでの彼女からは、想像できないほどの、手際のよさでした。

「よかったら、おやすみください。」

彼女は、なぜか、顔のマッサージからし始めた。だけど、あまりの気持ちよさに、わたしは、何も言わず、されるままにしていました。そして、いつの間にか寝入ってしまいました。

 

どのくらい寝ていたのでしょう。近くで、大声で怒鳴る声に目が覚めました。

「どうするのよ。この客は、一見さんでしょう。あなたは、腕は、超一流だけど、どこか抜けているのだから・・・」

「まあまあ、かなえねえさん。そう怒鳴らなくても、綾香ちゃん。バックアップはとってあるんでしょう?」

「それが・・・・」

「あなた、とらずにやっちゃったの。あ〜あ、もうだめだわ。」

「しゅみません。」

綾香さんの返答に、かなえさんは、絶句してしまいました。それをとりなそうとしていた、あきえさんも言葉を失ってしまいました。

「あ、そんな大声を出していたらお客様が、起きてしまいますよ。」

「だって、エリカ・・・・」

なんだかすごいことになっているようでした。わたしは、不安に襲われました。髪の毛が、全部抜けたのだろうか?それとも、もっとひどいことに・・・

わたしは、起き上がって鏡を見た・・。といいたいところだけど、目の前は、真っ暗でした。

「どうしたんだ。停電か。誰か電気を・・・」

と叫ぼうとしたのですが、口が開きませんでした。

「さ、早く、取ってあげなさい。お客さまが、不安がるでしょうが。」

その言葉の後で、わたしの目の前が、急に明るくなりました。わたしは、恐る恐る目の前の鏡を見ました。そこには、鏡はありませんでした。

「なんだコリャ?」

わたしの目の前には、他の客が、座っていたのです。まったく手抜きのレイアウトです。さっきまでは、確かに鏡があったのですから。わたしが寝ている間に、綾香さんがドジって割ってしまったのでしょう。

「鏡はどこだ。鏡は?」

わたしの問いかけに、かなえさんは、何か言いかけて、戸惑ってしまいました。

「あの、お客様、実は・・・」

その声は、わたしの耳には、入ってきませんでした。なぜなら、目の前に座る客に、気を奪われていたからです。そこには、あのヘアモデルの女の子が座っていたからです。髪型よりも、好みの女の子だったから選んだその子が、目の前に・・・・

わたしは、その子に笑いかけました。すると、彼女も微笑み返してくれました。

「はぁ〜い。」

右手を上げて、声をかけると、彼女も、左手を上げて答えてくれました。これは、いいぞ。わたしは、ますます、その子にのめりこんでいきました。

「どうだい。ここを出て、サテンで、お茶でも・・・」

と、そのとき、わたしは、おかしなことに気がつきました。わたしがしゃべると、彼女もしゃべるのですが、彼女の声が聞こえないのです。そして、よく見ると、彼女のそばには、かなえさんと、綾香さんが、立っています。ですが彼女たちは、わたしの横に立っています。そして、その後ろには、他のスタッフと、他のお客さんたちがいました。でも、彼女たちは、わたしの後ろに居ます。ということは・・・・え?

わたしが、首をかしげていると、あきえさんが、目の前の彼女のそばに来ると、深々と頭を下げました。

「お客様。このたびは、誠に申し訳ございませんでした。当店の総力を挙げて、サポートさせていただきますので、お許しください。」

そう言いながら、わたしが、座ったチェアを回転させました。そして、後ろを向かせると、わたしの顔の前に、手鏡を差し出しました。そこには、相変わらず、あの女の子が映っていました。わたしが、笑うと、彼女も微笑み。わたしが、顔をしかめると、彼女の顔もかわいくゆがみました。そして、わたしが、ウインクすると彼女もウインクするのです。ここに映る彼女は、実は・・・・わたし?

「・・・・・・」

わたしは、言葉を失い、横に立つあきえさんに、鏡の中の自分を指差しました。すると彼女は、哀れむような顔をして頷きました。そして、今度は、かなえさんや、綾香さんのほうを向くと、彼女たちも、申し訳なさそうな顔をして頷きました。わたしは、正面を向き、一呼吸置いて、声を出しました。あらん限りの大きな声を・・・

「え〜〜〜〜〜〜!」

 

あきえさんの説明によると、ここは、あるビューティ・サロンの姉妹店で、そこでは、お客様のご要望に応じて、お客様の顔を変えてくれるそうなのです。新店舗の店長になった綾香さんが、張り切りすぎて、チラシ配りをして(朝から、ずっと、駅前で声をかけていたのですが、だれも、受け取ってくれず、ただ一人、彼女の相手をしてくれたのは、わたしだけだったのです)、暇そうだったわたしに、声をかけたのです。相手をしてくれた御礼に、特別サービス(?)にそれをしてくれたらしいのですが、このサービスをするときには、必ず、お客のもとの顔のバックアップをとっておく決まりなのですが、店長抜擢に舞い上がっていた彼女は、それをとり忘れて、顔を変えてしまったのです。つまり、わたしは、もう、もとの顔には戻れないのです。

体格のいいマッチョな身体に、かわいい女顔。わたしは、途方にくれました。

 

あれから、3ヶ月。あいも変らず、わたしは、鏡に見入っています。この顔を見ているうちに、粗暴だった性格は、温和になり、心も穏やかになってきました。そして心なしか、体つきも変ってきたような気がします。この顔でよかったけど。もし、ひどい顔にされていたら・・・・

 

あなたも、あのビューティ・サロンに行くときには、気をつけてくださいね。特にハローウィンの時には・・・