饅頭奇譚
ある中華料理店は、一組のカップルに貸し切られていた。男のほうは、日本有数の政済界の大立者の息子で、女のほうは、その婚約者だった。
「乾杯。じゃあおかしいわね。あなたのお父様の精進明けなのに」
「いいのだ、父といっても義理の父だから。それよりも食べてくれよ」
「もう、おなか一杯。中華料理って、どうして、こんなに量が多いのかしら」
二人のテーブルの前には、盛りだくさんのおいしそうな料理が盛られた皿が溢れんばかりにのっていた。
「お父様には、わたしたちの結婚式には、出ていただきたかったわ」
「しかたないさ。84歳だからな。大往生さ」
「そうね。あらまだ何か来るわ」
「今日のメインさ。ここの名物の饅頭だ」
「饅頭?え、ここ『桃園』の、肉まん?食べたいけどおなかが・・・」
「大丈夫。肉まんは、別腹だよ」
「ふふふ、そうね」
その魅力的な身体を、あでやかなチャイナに身を包んだ妖艶な中国美女が、肉まんの乗ったトレイを運んできた。
「いらっしゃいませ。当『桃園』のオーナーシェフの杜氏(とし)と申します。どうぞ、暖かいうちにお召し上がりください」
そう言うと、彼女は、テーブルに5個の湯気が上がるおいしそうな肉まんを置いていった。
「さあ、召し上がれ」
「それでは、遠慮なく。エヘっ」
彼女は、うれしそうに顔をほころばすと、まだ、湯気の立っている肉まんを手に取った。
「あつあつあつ、あれ、この中の具は、ミンチじゃないわ。何かしら、この白いぷよぷよのものは?」
彼女の割った肉まんの中には、白い豆腐のようなものが入っていた。
「それは、ここ『桃園』でも、最高級の肉まん『頭饅頭(トウマントウ)』だよ」
「とうまんとう?」
「そう、饅頭の起源て、知っているかい?」
「どこそかのお菓子屋さんが作ったって奴?」
「う〜ん、ちょっと違うな。饅頭は、中国で作られたのだよ」
「え?中国で。日本でできたものかと思っていたわ」
「そうだろうね。奈良時代に入ってきたらしいから、もう、日本独自のものになっているからね」
「それで、お饅頭て、中国に昔からあったの?」
彼女は、熱い熱いといいながら、幸せそうな顔をして、『頭饅頭』をぱくついていた。
「諸葛孔明って知っている?」
「ええ、三国志の劉備元徳の軍師ね。これでも、ゲームは詳しいのよ」
「あはは、ゲームね。でも、それだけ知っていれば、話は早いや。その孔明が、饅頭を作ったのだ」
「孔明が?そんな戦略あったかしら」
「いや、戦略じゃないのだよ。ある川の氾濫を沈めるために、川の神に人間を生贄にささげようとしていたのだ。それをやめさせるために、人の頭に似せた饅頭に、肉などの具を詰めて作ったのが饅頭の始まりって言われている」
「え〜、生贄の代わりだったの。それで、頭って字がついているのか。でも、日本には、餡子が入ったお饅頭が多いけど?」
「それは、お坊さんが、饅頭を伝えたからだよ。日本では、仏教の影響で、肉を食べなかったからね。でも、本当は、日本人が、海洋民族で、魚をよく食べていたからだと、僕は思うのだ」
「どうして?」
「だって、魚は、肉ほど肉汁が出ないだろう。魚を饅頭に入れて蒸しても、饅頭が、魚の肉汁を吸って、具がパサつくだけだよ」
「そういえばそうね。あれ、高明(たかあき)さんは、食べないの」
「それは、君用に特別に作ったものだから、全部平らげていいよ。僕は、この古酒で、他の料理を楽しむよ」
「こんなには食べられない・・・て、もう、あと一個になっちゃった。本当に、これは別腹ね。ねえ、この具、何なの?」
そういいながら、彼女は、最後の一個を平らげた。
「もうだめ。何も食べられないわ」
「それは脳みそさ。中華料理の中でも最高の食材の。君はもう何も食べる必要はないよ。これからは、あの方が、面倒を見てくれるからね」
「脳みそ。サルの?高明さん、へんよ。あれ、なんだか眠くなってきたわ」
「フフフ・・・そろそろ、あの方がお目覚めだ。お目覚めですか。玄徳様」
「玄徳って、なに?わたしは、かず・・・孔明か。今度は、お前が、主人か」
(なに、いまの。わたしの口が勝手に違うことを・・・玄徳?孔明?いったい何のこと)
「いまだ、完全ではないようですな。しばらくは、この女と同居になるかと思われます」
「仕方がない。この女が消えるまで・・・何を言っているの?消えるとか、同居とか。いったい何のことなの高明さん」
高明は、黙ったまま彼女を見つめた。
「消えていくあなたにお話しするのは、無駄かもしれないが、知らないままに消え去るのも、哀れですね。あなたが、食された饅頭の中身は、我が主人の劉備玄徳の脳なのです。そして、それを食したものの身に蘇るのです。我が主人、劉備玄徳様は、あなたの身体に蘇るのです」
彼女は、驚愕した目で、高明を見つめた。
「わたしが消える?劉備玄徳?諸葛孔明?何のことを言っているの」
「さっき、お話したでしょう。饅頭の起源を。わたしが饅頭を作ったときに、わたしの作った饅頭を食べたものが、おかしくなった。今までの者と違う別のものに・・・それで、わたしは、知ったのです。饅頭の秘められた力を」
「そんな、それじゃあ、わたしは、人の・・・う、うえっ!」
「もう遅いですよ。今までのデータによると、後すこしで、あなたの脳は、我が主人のものになるのです。わたしたちは、こうして、何億の月と何十億の陽を見てきましたのですよ」
「わたしが、わたしじゃなくなる?そんなの・・・そうだな。後すこしで、わたしは蘇る。今度は、ワシが、お前の妻となるのだな。」
(また、わたしの口で誰かが、勝手にしゃべった。どうしてなの。高明さんが言ったことは本当なの)
「どんな女なのだ。今度は?女になるなど60年ぶりかのう」
「はい、玄徳様のお好みかと思います」
「うむ」
彼女は、横の椅子においていたポーチを取ると、中からコンパクトを取り出して、顔の前で開けると、自分の顔を、めずらしげに見回した。そして、それをたたむと、ポーチになおした。そして、重さでも確かめるかのように、胸を手で持ち上げたりした。
「確かに好みじゃ。これからは、60年ぶりに女の快感を味わうかのう。のう、孔明」
「はい、玄徳様」
「フフフフフ・・・・・」
「ホホホホホ・・・・」
「玄徳様。お祝いの杯です。桃仙酒でございます」
ここの店のオーナーの杜氏が、なみなみと酒を注いだグラスを三つ、トレイにのせてやって来た。
「おお、関羽か。相変わらずきれいじゃのう」
「いえ、今の玄徳様の足元にも及びません。もう少しいたしますと、張飛も参ります」
「張飛か。今は何をしておる」
「はい。今は、アメリカ合衆国の大統領令嬢をしております。金髪のなかなかの美人ですよ」
「そうか、それは、あうのが楽しみだなぁ」
そして、杜氏は、空いた席に座ると、三人は、互いにグラスを持つと高々に持ち上げて、叫んだ。
「われら、永遠に生き、この世を支配せん」
乾杯の後、店の中には、三人の高笑いが響き渡った。
『こんな幽霊どもに、わたしの身体をとられてなるものですか。返しなさいよ・・・』