小さなお守り
第三話「ピンクレディーがやって来た!」
いま、日本中で、老若男女、誰でもが知っていて誰もがその歌声を日に一度は必ず聴いたことがあるといっても言いすぎではないアイドルがいた。誰もが夢中で、愛し、あこがれた。伝説のアイドル・ペア「ピンクレディー」
「やっぱ、ミーちゃんが一番だよ」
「いや、なんと言ってもケイだ」
「ミーだ」
「ケイだ」
暖かな日差しの差し込む教室の中で、大声を張り上げて言い合う二人の男の子がいた。男子のクラスメート達はその周りをあきれながらも、言い合いを続ける二人をはやし立てた。そんな男子達を横目で見ながら女子は、昨日見た歌番組にでていたアイドルの話で盛り上がっていた。
「秀樹がね」
「そうそう、そこで、ゴローが」
「いえ、やっぱりヒロミよ」
そんな話に夢中になり、だれも始業のベルがなったことに気付いてはいなかった。教室が、わいわいがやがやとざわめいていると、突然教室のドアが開いた。
「もう始業のベルはなったぞ。さあ、席に着け!」
ざわついていた教室の中は大混乱になった。あわてて前を向く者、自分の席に戻る者、鞄から教科書を取り出す者たちで、5分ほど教室内はごたごたしたが、すぐに静かになった。ただ、あの二人を除いては・・・
「ミーのほうがかわいい」
「いや、ケイのほうが美人だ」
「ミーのほうが、スタイルがいい」
「ケイのほうがセクシーだ」
「今は、どっとでもいい!」
いつの間にか二人のそばに立っていた教師が、出席簿の角で二人の頭を小突いた。
「いて〜なぁ」
「ひどいよ先生。バカになったらどうするんだよ」
「これ以上バカになるか!さあ授業だ。前を向け」
教師にそういわれて、二人は今まで続けていた争論をやめて、静かに黒板のほうを向いた。
「それでは、授業を始める。教科書の65ページを開いて・・・」
こうして、3時間目の授業が始まった。
一日の授業もすべて終わり。教室内では帰り支度する生徒や、クラブへと急ぐ生徒の姿があった。その中に、あの騒ぎを起こしていた二人の姿もあった。
「敬一。帰りにリズムに寄っていくかい」
「ああ、この間のバイト代が入ったからLPを買わなくちゃ。やっと買えるよ『チャレンジコンサート』」
「俺は『ウォンテッド』」
「あ、それも買わなくちゃ。いくぞ!光彦」
「待てよ、敬一」
帰り支度の遅れていた光彦を待っていた敬一は、いつの間にか、光彦に先を越されていた。二人は、脱兎のごとく教室を飛び出していった。二人が下駄箱から靴を取り出し、履き替えるのももどかしそうに、上履きから靴に履き替えて、帰ろうとしたとき、その通り道を塞ぐ者がいた。
「篠崎。今日もクラブを休むつもりか」
それは、分厚い肉の壁だった。
「アラ、先輩達。もうすぐ地区大会でしょう?良いのですか、こんなところに居て?」
「地区大会だからお前を迎えに来たんだ。来るんだ。篠崎」
「でもボクはクラブをやめたんですよ。正式にね」
「うるさい、俺たちは認めてなどいない。いいから来い!」
「勝てますか先輩達で、このボクに」
敬一は、仕方ないなぁという顔をしながらもうれしそうな表情をして指を鳴らした。ゆうに百八十センチに九十キロはありそうな三人の男たちに、身長、体重は負けていないとはいえ、三人を相手というのは苦労しそうだった。だが、敬一の顔には、退屈しのぎを楽しむ子どものような表情をしていた。そんな敬一に小柄でメガネをかけたひ弱そうな光彦は言った。
「ケイ。先に行くから、あとからゆっくりと来いよ」
「ミィ。待っていろよ、すぐ終わらせるから」
「いやだよ。『ウォンテッド』売切れるかも知れないだろう?あそこは、予約は効かないんだから」
「やべ、そうだった。先輩達、明日じゃだめですか?」
「ふざけているのか、やっちまえ!」
その声を合図に三人の男が敬一に飛び掛った。だが、勝敗は一瞬で決まった。
「だから、無理だといったのに・・・それでは先輩。お先失礼します」
簡単に伸ばされてしまった男たちの一人が、敬一に決められた技の痛みの下から苦しげな声を上げながら敬一に聞いた。
「なぜだ。超高校級といわれたお前ほどの空手の天才が、クラブをしないんだ。試合に出ればお前なら・・・」
「だって、クラブをしていたらミーちゃんが見れないでしょ?」
「ミー?」
「ピンクレディーです」
「そんなもののために、お前は自分の才能を・・・」
だが、その男は最後まで言うことは出来なかった。
「ピンクレディーをバカにするのは誰でも許さない。たとえ怪我人でもね」
敬一がそういって放った技で沈黙したからだ。敬一と光彦は、何事もなかったように校門を出て行った。
「やっぱり、ピンクレディーはいいなぁ」
光彦は、二階の自分の部屋で買ってきたばかりのピンクレディーの新曲を聴いていた。すると、ベランダに通じるサッシをノックする者がいた。見るとそれは、隣の敬一だった。
「やあ、どうしたんだい?」
光彦は、サッシを開けて敬一を部屋の中に招き入れた。敬一が入ってきた光彦の部屋の壁という壁には、ピンクレディーのポスターや切抜きが、壁が見えないほどに貼りまくられていた。それは、敬一も同じようなものだった。敬一と光彦の部屋は、ちょうど隣同士で、恵一の部屋は窓だけだが、光彦のほうにはベランダがあり、その手すりの高さがちょうど敬一の部屋の窓の高さと同じで、昔から、敬一は、自分の部屋の窓から、光彦の部屋に行き来していた。家を建てたのが同じ頃で、親の年も同じくらいだったので、彼らが生まれるときには、かなり親しく付き合っていたということもあって、敬一が窓から行き来しても何もいわれることはなかった。
「ミィ、お前知っているか?」
「なにを?」
「来るんだよ。彼女達が」
「彼女達?」
「もう、わかんないのかよ。俺が彼女って言うと決まっているだろうが・・・」
「ま、ま、まさか!」
「そう、そのまさかさ」
「な、なんで?どうして?」
光彦は興奮して、メガネがずり落ちた。
「ミィ、めがね、めがね」
「そんなこといいから、なんでだよ」
ずり落ちたメガネを押し上げながら光彦は、敬一に聞いた。
「水富湖市誕生十○年記念で、水月町にある市民会館でコンサートがあるそうなんだ」
「ピンクレディーがくるの?凄い!ぜひ行こうよ」
「それよりも、もっと凄いことがあるんだよ。これだ」
そういうと、敬一は、光彦に一枚のチラシを差し出した。
「ピンクレディーコンテスト?優勝者は、ピンクレディーのコンサートにご招待?それも特別席!」
「そうさ、出ない訳には行かないだろう」
「そうだね。ただし、女の子ならね」
「女の子?」
「よくご覧よ。この出場者の応募資格を」
「なになに?」
敬一は、出場資格をよく見た。それにはこう書かれていた。
『六~二十四歳までの女性のペアに限る』
「女性のペア?彼女達のファンは男もいるんだぞ。こんなのないよ」
「こっちのほうが華やかだからだろう?あきらめようよ」
「コンサートのほうは、ハガキによる応募だから書きまくって送らないと当たらないぞ」
「コンサートに行けるかどうかは運しだいか」
「ああ、ハガキ買いに行かなくちゃ」
「ボクも行くよ」
肩を落として光彦の部屋を出て行く敬一のあとを、光彦が追っていった。
そして、その夜、敬一は、一心不乱に机に向かって書き物をしていた。机には山のようにハガキが積んであった。それは、小遣いをすべて叩いて買ったハガキの山だった。
「ふう」
千九枚目の応募ハガキを書き終えた敬一は、ため息をついた。その日は、九月も終わりだというのに、まだ蒸し暑かった。窓を開けて風を誘い込もうとしたが、風は止まり、むっとするほど暑苦しい空気が流れ込んでくるだけだった。
「げえ、なんだこりゃ、暑さが増すだけだ」
といっても、クーラーは居間にしかなかった。時刻は、午前2時。敬一は、仕方なく窓から顔を出して頭を涼めた。けど、あまり役にはたたなかった。わかってはいたけれど、すこしでもましかなと思った自分に妙に腹が立ってきた。そして、隣の窓を見ると、もう暗くなっていた。光彦は、午後十一時三十分を過ぎるとなにがあろうと、眠ってしまう性格だった。唯一、子どもが夜更かしを許される大晦日でも、彼だけは、紅白の決着も、除夜の鐘の音もいまだに知らなかった。敬一が、寝させないようにしようとしても、十一時三十分を過ぎると、どんなことをしても目が覚めなかった。敬一は、そのことはよく知っていたが、自分はまだ起きて応募のハガキを書いているのに、さっさと眠ってしまっている光彦にも腹が立ってきた。敬一は、ムダだと知っていても、光彦を起こそうと、光彦の部屋のベランダに飛び移った。そして、光彦の部屋のサッシを開けようとして、足に何かが触った。ふと拾って月明りに照らしてみるとそれは、紫色の左下がすこし焦げた小汚いお守りだった。
「何だこれは?」
敬一は不思議そうにそれを月明りにかざしながら見たが、ただの小汚いお守りでしかなかった。
「光彦のかなぁ、明日にでも帰してやるか」
敬一は、さっきまでの意味のない怒りもウソのように消え、自分の部屋に戻ると、さっさとベッドの中にもぐりこみ、寝てしまった。お守りを大事に握ったままで・・・
そのころ、水富湖市市役所会議室では、助役や市役所の課長クラスが、会議を続けていた。
「どうするんだよ。市長の無責任なアイデアのために、我々はこんな遅くまで苦労をさせられているのだぞ」
「だが、アレを呼ぶのはどうしても無理なのか?」
「ええ、今、超人気者ですからスケジュールが2年先までいっぱいなのです。ですから、彼女達のスケジュールを抑えるのは、今頃からでは到底無理です」
「何でこんな企画を立てたのですか。それも市長の独断で・・・」
「お孫さんがファンなんだそうだ。それで、軽い気持ちで、お孫さんに彼女達を呼んでやるといったのが、お孫さんが友だちにしゃべって、それが、新聞社に知れて、どうしようもなくなったというわけなんだ」
「いまさらやめるわけには・・・」
「いくものか。それこそ水富湖市の恥だよ。中止するわけには行かない!」
「とにかく、このことは当日まで緘口令を敷く。決して外部には漏らさないようにわかったな!」
助役の言葉に会議室の全員力なく頷いた。
「あぁ〜〜」
会議室の中では、落胆のため息が響いた。そして会議室のボードにはこう書かれていた。
『第十○回水富湖市生誕記念ピンクレディーコンサート対策会議』と・・・
敬一と光彦は、そんなことは知らずに静かに眠っていた。
その日の朝、いつになく敬一は、元気がなかった。それは、あと2日で待望のピンク・レディーのコンサートがあるというのにだ。いつもならうるさいぐらい元気な敬一の元気のなさに光彦は気になった。ひょっとすると、コンサートへの入場整理券が当たらなかったのかもしれない。光彦は、そう思うと敬一に声をかけることが出来なくなった。なによりも欲しいコンサートの入場整理券。まさか、自分は当たったとは言い難かった。どうしても、『ケイちゃん』に会いたい。でも、敬一を残して自分だけが会うなんてそんなことは出来ない。幼いころからずっといっしょで、どちらかというと敬一にひきずられるような付き合いだったけど、敬一は、光彦にとっては大事な友達だった。だから、彼を残して自分だけというのは考えられなかった。
「なあ光彦。今度の日曜日だけど・・・」
「いい天気だなぁ、敬一。今日も暑くなるよ」
「あのなぁ、そんなことじゃなくて。ま、いいか」
今度の日曜日。ピンク・レディーがこの町に来る日だ。光彦は、敬一の言葉を何とかごまかした。光彦にとって、辛い二日間だった。
その日の夜。敬一は、机に向かって、ニヤ付いていた。彼の机の上の手の中には二枚のハガキがあった。それは、ピンク・レディーの入場整理券だった。二人分の整理券が、敬一には当たったのだった。
「誰と行くかな?真知子、ゆうこ、淳子、昌子、百恵・・・誰にしよう?」
敬一が、朝元気がなかったのは誰といくか決まらなかったからだった。彼の頭の中には、光彦のことなどなかった。いや、自分が二枚当たったのだから、光彦も当然当たるものと思っていたのだ。そういう、楽天的なところがある敬一だった。
「まだ時間があるのだから、ゆっくり考えよう。もう寝るか」
そういうと、敬一は大事な入場整理券を読み古した雑誌の中に隠すと布団の中にもぐりこんだ。そして、瞬く間に寝息を立てながら眠ってしまった。
翌日も敬一は、浮かない顔をしていた。そんな敬一を見て、光彦は、整理券のことを言い出せなくて黙ったまま、敬一といっしょに学校へといった。光彦は、ガマンした。あと一日の辛抱だと自分に言い聞かせながら。
誰と一緒に行くか決まらないまま、敬一は学校から戻ると自分の部屋に入った。そして、鞄を机に放り投げて大事な入場整理券を取り出そうと、そこらに放り出していた読み古した雑誌を探した。と・・・・何処を探してもなかった。
「な、ない!なんでだ。どこにいった」
彼は血相を変えて探し回った。散らかった部屋がより一層散らかった。だが、探し物は見つからなかった。
「か~ちゃん、か~ちゃん。俺の部屋に入っただろう!あれだけ入るなといったのに」
「なに言っているのよ。部屋の中をあんなに汚しといて。臭かったわよ」
「もう、俺の部屋にあった雑誌どうしたんだよ」
「捨てたよ。今日ちょうどくず屋さんがきてよかったよ。あれだけのものを捨てるのは大変だったわよ。でも、結構ちり紙もらえたわ」
「なに〜〜、じゃあ、あの本は・・・」
「今は、どこかねぇ?あのひとこのあたりでは見かけないねぇ」
「それはいつ頃だよ」
「あんたが学校行ってからすぐだから・・・結構立つね」
「え〜〜〜」
もうだいぶたってしまっている。それにはじめてのくず屋だとしたら、もう見つけるのは不可能だった。絶望感で敬一の頭の中は真っ白になった。あまりのショックで、力なく部屋に戻った敬一は、光彦に返そうと持ったままになっていたお守りを取り出した。
「きたねぇお守りだが古いものだからきくかなぁ」
ぼんやりとした意識の中で、敬一は、お守りを握り締めてあることを願った。
「ミーちゃんに会いたい。ピンクレディーに会いたい。いつまでもミーちゃんのそばにいたい。いや、俺だけじゃなくて、光彦といっしょに、いつまでもピンクレディーのそばに・・・」
お守りを握り締めたまま、敬一は、引きっぱなしの布団の上に倒れた。そして、泣いた。いままで流さないでいた涙をすべて流しだしてしまうかのように。涙が枯れたころには、敬一は眠ってしまっていた。安らかな寝息を立てて。掴んでいたお守りが輝きだしたことも知らずに・・・
「どうしよう?コンサートは明日だし・・・敬一は、当たらなかったみたいだし」
光彦は、机に座り、明日のコンサートの入場整理券を見つめながら悩んでいた。
「どうしよう?」
ここでも、明日のことで悩み苦しむ人たちがいた。
「どうするんですか?コンサートは明日ですよ」
「やはりだめだったか」
「無理です。明日は沖縄でコンサートだそうで、当地に来るのは不可能です。それに、たとえ来てくれるとしても予算が出ませんよ」
「そんなに凄いのか?」
「それは超売れっ子ですから・・・どっちみち無理ですね」
「そうか・・・」
ピンクレディーへの出演交渉を続けていた観光課長の報告を聞いて、助役は、頭を抱え込んでしまった。
「どうするんですか!コンサートの入場整理券まで配ってしまって・・・もう撤回は出来ませんよ」
市の雑用係みたいな扱いを受けていた「すぐやれ課」の課長は、ここぞとばかりに助役を攻めた。だが、もうどうにもすることは出来なかった。水富湖市最大の危機へのタイムリミットは、音をたたて刻み始めた。そのころ爆弾の仕掛け役である市長は、のんきに孫娘相手に遊んでいた。
「おじいちゃま、あした、ミ~ちゃんとケイちゃんに会えるの?」
「アア、会えるとも、おじいちゃんがあわせてあげるよ」
「ありがとう。おじいちゃま大好き!チュッ」
幼い孫娘のかわいいキッスに市長は、いつもは険しい目じりをだらりと下げた。市長の怒りを恐れる助役よりなんの報告も受けていない市長は、他愛もない孫娘との約束が大問題になっているとは、知る事もなく・・・
コンサート当日。光彦は、頭が痛かった。昨夜、今日のコンサートをどうするかで悩んでなかなか寝られずに、一時過ぎまでおきていたからだ。初めての夜更かしのために光彦は寝不足になっていた。
「ウウ・・頭が痛い。ガンガンする」
そう呻きながら光彦は階段を下りて、洗面所へと向かった。風邪を引いたらしく声もおかしくなっていた。洗面所にいくと父親が先に使っていた。
「おはよう、おとうさん」
「ああ、光彦か。今起きたのか、わたしより遅いなんて珍しいな」
「うん、ちょっと考え事をしていて寝そこなったんだ」
「そうか。しっかり顔を洗えよ」
顔を洗い終えた父親が、洗面所を離れ光彦と入れ替わり、壁に掛けてあったタオルを手に取ると、彼の後ろで、顔を拭いていた。そして、顔を洗い終えた光彦にタオルを差し出した。
「ちゃんと拭けよ」
「うん」
光彦は、父親からタオルを受け取った。と、その瞬間、父親の様子がおかしくなった。
「み、み、光彦か?」
「そうだよ。おかしなお父さんだな、息子の顔を忘れたの?」
「む、息子?う〜ん、息子だよなぁ、おまえは」
「そうだよ」
「うん、うん、わたしの子どもは息子だ・・・か、か、かぁさ〜〜〜ん!」
光彦の顔をまじまじと見つめていた父親は、そうつぶやきながら振るかえると、ニ三歩、歩き出した後、突然叫び声を上げると台所のほうに駆け出していった。
「どうしたんだろう?へんなおとうさん」
不思議がりながら光彦は、洗面台のほうに顔を向けると、拭き残しがないか、鏡に自分の顔を映した。そして、そこに意外な顔を見つけた。
「あれ、ミーちゃんが映っている。誰だこんな悪戯をするのは。敬一が来たのかな?どうせならケイちゃんの写真を貼っておいて欲しかったのに・・・こんにちはミーちゃん」
光彦は、何気なく鏡に貼るピンクレディーのミーの写真に朝の挨拶をした。すると、写真のミーが挨拶を返した。
「え?」
光彦は、不思議な感じがした。鏡の中のミーも不思議そうな顔をしていた。さっきまでは微笑んでいたはずなのに。光彦は、鏡の中のミーに笑いかけた。鏡の中のミーも微笑んでくれた。
「こうやってみるとミーちゃんも結構いいかも・・・ん?微笑んだ」
光彦は、しかめっ面をしてみた。すると、ミーもしかめっ面をした。右目の目じりを下げて、舌を出して、あっかんべ~をしてみた。すると、鏡の中のミーもあっかんべ~をした。光彦は、その格好のままに固まってしまった。
「こ、あ、え、う、お!ミーちゃんの、ミーちゃんが、ミーちゃんになっちゃった!!」
光彦は、思わず叫んでしまった。そして、洗面所を飛び出すと自分の部屋へと駆け上がっていった。
「光彦なにを騒いでいるの?早くご飯を食べなさい!コンサートに行くんでしょ。おとうさん、ご飯を食べる時に新聞を読まないでくださいて、いつも言っているでしょ」
だが、父親は、顔の前の新聞を放そうとはしなかった。さっき見た息子の姿に呆然となっている自分の顔を誰にも見られたくなかったからだ。
「あれは、たしか。ピンクレディーだったよな。なんで、彼女が家にいるんだ」
その時の父親の顔は、まるで狸に化かされた間抜けな村人にそっくりだった。
自分の部屋に駆け戻った光彦は、ベランダへの戸をあけて、敬一の部屋の窓を開けた。敬一は、冬でも窓の鍵をかけることはなかった。いつでも好きなときにすぐに光彦のところに遊びにいけるように。敬一の部屋の窓を開けると光彦は部屋の中に入った。光彦のほうから彼の部屋に行くのは初めてだった。それに、今までは足が短くてベランダを乗り越えるのに苦労をしていたのだが、ミーの姿になった今は、簡単に乗り越えることが出来た。
「敬一、敬一大変なんだよ」
「うるさいなぁ、なんだよ」
「大変なんだよ。僕、ミーちゃんに・・・あ!」
「なに、ミーちゃん?」
いつの間にかそのまま眠ってしまっていた敬一は、「ミー」という名を聞くとガバッと起き出した。
「どこどこ、ミーちゃんは・・・あ!ミ、ミ、ミーちゃん。あの、お、いえ、僕は篠崎敬一といいまして」
「ケイちゃん」
「はい?だから、僕は篠崎敬一と・・・」
「敬一がケイちゃんになっている」
「なにをバカなことを・・・」
「敬一。深呼吸して」
「何で?憧れのミーちゃんを前にして興奮はしているけど決して怪しい事はしませんよ」
「いいから、深呼吸」
「は、はい」
敬一は、ミーの姿をした光彦に言われるままに深呼吸をした。敬一が深呼吸をしている間に、光彦は、敬一がおしゃれ用に置いている単行本ほどの大きさのスタンド式の鏡を手に取った。そして、深呼吸をした敬一の前に差し出した。
「見て!」
「自分の顔よりもミーちゃんを見ていたほうがいいよ」
「いいから見て!」
「わかったよ」
敬一は、言われるままに鏡の中を覗きこんだ。そこには髪の長いすこし釣り目のケイの顔が映っていた。
「もう、ケイちゃんの写真なんかはさんだりして、ミーちゃんて結構お茶目だなぁ」
「いいから、よく見て」
「え?」
言われるままによく見ると、それは写真ではなかった。鏡にケイの顔が映っているのだ。だが、どこから見ても敬一の顔は映っていなかった。
「あれ?俺はどこだ」
敬一は、光彦のほうに顔を向けて聞いた。光彦は、黙ったまま敬一の顔を指差した。鏡の中には、ミーに指差されて、唖然とするケイの顔が映っていた。
「え?え?!え!」
鏡の中のケイが目を驚きで目いっぱい開いていた。
「何で、俺がケイちゃんに?」
「わからないよ。でも、僕たちはピンクレディーになってしまったんだ」
「ふ〜ん」
敬一は、光彦の言葉を聞きながらも、自分の胸を触っていた。
「ふえ〜、ケイちゃんて意外と胸があるなぁ。ふみゅふみゅ」
「ボカッ! ケイちゃんの胸を弄ぶな!」
「いて〜なぁ、いいじゃねえか、今は俺の胸なんだから」
「だめ!」
光彦は机のそばにあったノートを丸めて敬一の頭を叩いた。だが、傍から見ていると、それは、ピンクレディーのミーがケイの頭をはたいているとしか見えなかった。
「ケイちゃんの身体をこれ以上触るなら、ミーちゃんの身体を・・・」
「わ、わるかった。やめてくれ!もうしないから頼むよ」
敬一は、光彦の足にすがった。鏡には、ミーの足にすがるケイの姿が映っていた。
「敬ちゃん。市民会館に行くぞ!」
「なにしに・・・今の俺たちはピンクレディーなんだぞ。二組もいたら大騒動だぞ」
「だけど、もしかしたら、僕たちは入れ替わったのかもしれないじゃないか。そうだったらもっと大変だよ」
「それは・・・そうだな。なにぼんやりしているんだ。さぁ行くぞ!」
敬一は、あわてて立ち上がると部屋を飛び出した。
「お、おい。待てよ!」
光彦は、その後を追って行った。
光彦が敬一の後を追って外に飛び出すとそこには、自転車に乗った敬一が待っていた。
「さっさと乗れよ。行くぞ!」
「あ、ああ」
光彦が後ろに飛び乗ると、敬一は、ペダルを思いっきり漕ぎ出した。二人の乗った自転車は、猛スピードで走り出した。
「あれ、ピンクレディー?」
「なにを言っているのよ。こんなところにいるはずがないじゃない」
「でも・・・」
グループで歩いていた女の子の一人が、敬一たちを見てそう言ったが、誰も信じなかった。だが、市民会館に近づいていくうちに、彼らを見て騒ぎ出す人たちが増えていった。
「やばいな、どこかに隠れなければ」
「敬ちゃん、市民会館の中に逃げ込もう」
「ああ」
二人は、市民会館の前に乗っていた自転車を放り出すと、会館の中に飛びこんだ。そのころには、彼らを見て、ピンクレディーだと騒ぎ出した人たちが彼らを追いかけてきていた。
「どっちだ」
「こっちこっち」
「いや、むこうよ」
いろんな男女の声が市民会館の中に響いた。その声をホールの通路の角影から見ていた敬一が光彦に言った。
「どうするんだ。逃げ道なくなったぞ」
「う〜んどうしよう」
「どうしようじゃないぞ。どうするんだよ」
二人はピンクレディーを探し回る集団の動きを追った。探し回っても見つからないピンクレディーにあきらめて、減っていくかと思ったが、逆にその数は増えていった。それもそのはずで、コンサートの開幕時間が近づいていて入場者がゾクゾクと会館に入ってきて、会館の中を動き回っている人々に、ピンクレディーを見たことを聞いて、探すのに参加して行っているのだから増えていくのは当たり前だった。
「どうしよう?」
二人が増えていく捜索隊に困惑していると、後ろから声がした。
「あの、ピンクレディーのミー様とケイ様で?」
「え?」
その声に二人が振り向くとそこには、ビシッと正装した年配の男性が、直立して三人立っていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらに。観光課長、彼女達の呼び寄せに成功したんじゃないか。なんでだまっていたんだ」
「さあ、なぜでしょう?あとで確認しておきます」
真ん中の男が、左の男にそういって聞いていた。
「どうする?」
「どうするったって、この状況じゃあ逃げられないだろう。ついて行くしかないじゃないか」
敬一と光彦は、彼らを探す人々の声を聞きながら、もう逃げられないとあきらめた。そして、おとなしく彼らについて行くことにした。
彼らは、三人に案内されて会館の応接室に通された。そこには、恰幅のいい老人と、そのひざの上ですこしもジッとしていない女の子がいた。二人が、案内されて部屋に入ってくると、その女の子が老人のひざから飛び降りると、二人の前に駆け出して、二人に飛びついた。
「わあ、ピンクレディーだ。ミーちゃん、ケイちゃんだ」
さっきまでのこましゃくれた態度から一変して、親に甘える子猫のように二人にじゃれついてきた。
「マキ、お二人が困っておられるだろう。おじいちゃんのところにおいで」
だが女の子は、諭すように、やさしい老人の言葉に従おうとはしなかった。
「マキ」
老人の強い言い方に女の子はしずしずと二人からはなれていった。老人は、にこやかな顔を二人に向けると、自分の前のソファーに座るように手招いた。二人はその指図に従って、老人の前のソファーに座った。
「孫がお騒がせしました。わたくしは、当・水富湖市市長の岡 武吉(おかぶきち)です。そして、ここに居りますのが、わたしの孫娘の雪です。雪やご挨拶しなさい」
「おかゆきです」
幼い少女は、恥ずかしそうに、二人にペコンと頭を下げた。
「ア、 あの、僕たちは・・・」
「わたしは、ミーで、こっちは、ケイよ、ゆきちゃん、こんにちは」
光彦は、横で光彦の行動を呆然とし見ている敬一の横腹を、肘で軽く小突いた。
「え?え?え?」
敬一は事の成り行きが理解できないようだった。
「ごあいさつ、ごあいさつ」
「え?あ、なんて?」
「アナタは、ピンクレディーのケイちゃんでしょう」
「そうだっけ?」
「そうなの!さ、ご挨拶なさい」
光彦は、目の前の二人に聞こえないように、小声で敬一に言った。
「ぴんくれでぃーのけいよ。よろしくね」
すこし棒読みぽかったが、それがまた、本物のケイのようでもあった。
「こ、こんにちは」
雪は、憧れの二人を前にして緊張していた。
「それはともかく、お二人には今日のコンサート、がんばってくださいね」
「は、はい」
立ち上がり握手を求める市長に二人は緊張気味に、応えた。そして、和やかに挨拶が終わろうとしたとき、突然、敬一が、叫んだ!
「あ、大変だ!衣装がない」
そう、彼(?)の言うとおり。なりたてのピンクレディーの彼らには衣装がなかった。
「ほむ?スタッフの方がお持ちではないのかな?」
市長は、落ち着いた声で言った。
「いえ、スタッフが間違えて衣装とかステージセットを次のコンサート会場に送ってしまったので、衣装とかがないのです」
光彦は、残念そうに言ったが、心の中では敬一の一言に感謝していた。これで、この場から何とか逃げられると思ったからだ。だが、その考えが甘いことを思い知らされることになった。
「それは大変ですなぁ・だが、それは大丈夫。ステージのほうは、当方の記念コンサートですから、当方で準備させていただいておりますし、衣装ですが、孫がお二人のファンですので、お二人の新曲が出るたびにせがまれまして。お二人の衣装のレプリカを持っておるのです」
「それは・・・雪ちゃんのサイズのものではないのですか?」
「いや、この子のものもありますが、お二人のものもあります」
自分の膝にちょこんと座る孫の頭をいとおしそうになでながら、市長は二人に答えた。光彦は、もう逃げられない運命を感じた。
「わかりました。今日のコンサートはがんばります」
そう、力強く答える光彦に、敬一はおろおろと不安そうな顔をして見つめていた。コンサートまで、後一時間になっていた。
「ど、どうすればいいんだ?これ」
ラメが、めいっぱい入った衣装を持って敬一は鏡の前で、おろおろしていた。
「着れば?僕たちはピンクレディーなのだから」
「でも、俺たちはピンクレディーじゃないんだぞ」
「そうかい?ケイちゃん」
控え室で、すでに衣装に着替えていた光彦が、鏡の前に立ちすくむ敬一の後ろから手を回して、寄り掛かってきた。
「肝を決めてやりましょう?ケイちゃん」
いつもは、敬一の後からおどおどとして付いてくるだけの光彦が、ここではリーダーシップを取っていた。敬一は、そんな光彦が頼もしく思えてきた。
「うん」
敬一は、小さく頷いた。そして、光彦に手伝ってもらいながら、衣装に着替えた。
「ピンクレディーさん準備はいいですか?」
「はい」
二人は声をそろえて、ドア越しにコンサートの開始を知らせにきた声に答えた。
「行くわよ。ケイ」
「わかったわ。ミー」
最高のアイドルコンビは、元気よく控え室を飛び出していった。
「おつかれさま」
「お疲れ様でした!」
「良かったですよ、コンサート。ありがとうございました」
助役を始め、今回のコンサート開催で苦労していた各課の課長達が、二人の前に現れて、深々と頭を下げた。
「いえ、とんでもない。わたしたちも愉しかったです」
「また呼んでくださいね」
「はい、ぜひに・・・これは少ないですが、お礼です。おお二人のギャラのほうは事務所のほうに振込みさせていただきますので、これはお二人のお食事代にでもしてください」
「ありがとうございます」
二人は、助役が差し出す封筒をありがたく頂いた。
「次のコンサートはどちらで?」
「たしか・・・沖縄です」
昨日、彼女達のスケジュールを調べていた光彦が答えた。「沖縄へはどのようにして、行かれるのですか」
「はい、空港のある冨美庫(ふみこ)市まで列車で行って、そこから飛行機に乗るつもりです」
「それならば、こちらで切符を手配させていただきます」
「そこまでしてもらうのは、悪いですよ」
「いいえ、無理を言って来ていただいたので、かまいませんよ。ちょっとお待ちください」
助役はそういうと、そばの者に何かを告げた。助役の命を受けた彼は、韋駄天のようにその場から走り去った。
一時間後、敬一と光彦は、冨美庫市に向かう列車の中にいた。特急列車のグリーン車内には、敬一と光彦の二人だけだった。
「これからどうする?このままの姿じゃ何も出来ないぞ」
「そうだなぁ。どうしよう」
光彦は、思案に疲れたような顔をして、敬一を見た。
「このままじゃなぁ」
二人はお互いに顔を見合わせた。
「なんで、光彦が、ミーちゃんなんだ?」
「それを言うなら、敬一はケイちゃんじゃないか。何で、敬一はミーちゃんにならなかったんだろう。敬一は、ミーちゃんファンなのに」
「それはそうだけど。俺は、ミーちゃんのそばに痛かっただけだから、これでいいんだけど」
「それは、僕もそうだよ。僕もケイちゃんのそばに痛いだけだから」
「二人の願いは叶った訳か」
二人は、顔を見合わせてため息をついた。これが本物だったらどんなにいいだろう。そんな思いが二人の頭によぎったのだ。
列車は、水富湖市と、隣の里礼(りれい)市との境の川に差し掛かった。列車は、轟音を立てながら川の上にかかる鉄橋を走り過ぎようとしていた。
「え?敬一、そのすがたは?」
「どうしたんだよ光彦・・・お?お前は・・・」
二人はお互いの顔を指差して、固まってしまった。列車が里礼市に入ると共に、二人の姿は元に戻ってしまった。
「やった~これで帰れるぞ」
「よかった。でも、もうピンクレディーになるのはこりごりだ」
「ファン辞めるかい?」
「何をおっしゃる光彦さん。ミーちゃんと結婚して見せるわ!」
「じゃあ、僕はケイちゃんと」
そんな冗談を交わしながら、二人は、里礼市の駅に降り立った。お互いの姿を、頭のてっぺんからつま先まで確認しあうと、お互いの顔を見て頷いた。
そして、向いのプラットホームへと、軽やかな足取りで歩き出した。
自分達の町へと戻るために・・・・