将  棋

 

 ある晴れた祭日の午後、めずらしい訪問者がありました。

 「よお、いるか?」

 同期の迫田が、わたしの下宿を訪れるのは、久しぶりでした。

 「相変わらず片付いているな。こんなのだから、彼女が出来ないんだぞ。」

 相変わらず迫田は、ズバズバと言いにくいことを言い放ちました。

 「まあ、それより今日は何だ。お前がここに来るなんて珍しいな。」

 「友達のところに遊びに来ちゃいけないのか。」

 「お前がそういってくれると、僕はうれしいよ。」

 わたしは、心からそう言いました。あの出来事から、仲のよかった彼と気まずくなっていたからです。二人とも、同じ研究室にいました。そして、ある時、どちらか一人が、教授の紹介で、有名な大学の講師に成れることになり、教授は悩んで、その決着を、わたしたち二人に任せました。わたしは、どうでもよかったのですが、彼は、講師の座を望んでいました。だから、わたしは、彼にその座を譲ろうとしたのですが、そのことがプライドの高い彼には、どうしても我慢できず、二人の仲は、おかしくなり、今日に至ったのです。

 「それより、お前、将棋できたよな。どうだ、一番しないか。」

 「いいけど、どうしたんだい。前は、お前みたいなへタッピィとは、いやだといっていたのに。」

 「珍しい駒が手に入ったので、お前にも見せてやろうとおもってさ。それに、この間のことがあったから、いい加減、仲直りしようと思ってね。」

 そういうと、彼は下げていたショルダーバックを、足元に下ろすと、その場に座り込みました。そして、下ろしたバックの中から漆を塗った小さな小箱を取り出し、テーブルの上におきました。

 「おい、豪勢な将棋盤もっていただろう。それを出せよ。これは、それに引けを取らないほどの一品だぞ。いや、それ以上かな。なんせ、足利将軍家から、時の権力者に、受け継がれてきたものだからな。」

 そういいながら、彼は、私に将棋盤を早く出すように促しました。確かにわたしは、高価な将棋盤を持っています。やっと駒を動かすだけのわたしには、猫の大判ぐらいに、もったいないものなのですが、亡くなった祖父の形見では仕方ありません。

 部屋の隅で埃をかぶっていた将棋盤の、埃を払いながら彼の前に置きました。彼は、漆塗りの小箱を開けると、将棋盤の上にその中のものを放り出しました。それは、乳白色の象牙で作られた将棋の駒でした。そして、黙ったまま、彼はその駒を並べだしました。わたしも、彼の前に座り、駒を並べました。達筆な文字の駒だったのですが、今の将棋の駒とほぼ同じだし、彼の並べるのを見ながら、わたしも何とか並べることが出来ました。

 「さあ、はじめようか。勝負は一番限り。いいな。」

 「ちょっと待てよ。迫田、駒落ちじゃないのか。」

 「当たり前だ。真剣勝負をしようというのだ。駒落ちじゃ失礼だろう。」

 「失礼って、君と僕の差じゃ、結果は見えてるじゃないか。」

 「だから、『待った』は、してやるよ。限度はあるけどな。先手でいいよ。」

 そう言うと、彼は、わたしに始めるように促しました。わたしは、しぶしぶ、駒を動かしました。

 「お前、将棋って、なんで、『王将』と『玉将』があると思う。」

 指し始めて中盤ぐらいになった時、迫田が突然そう言い出しました。

 「天下に二王なしで、そうなったんじゃないか?」

 「確かに、それもひとつの説だが、俺はこう思う。『玉将』は、天皇家なんだよ。『玉』は、『天皇』もあらわしている。だから、将棋は本来天下取りのゲームじゃないかとね。」

 「『玉将』が、天皇家をねぇ。」

 「ああ、徳川時代前までは、まだ、天皇家から下された官位には価値があった。だから、将棋で、天皇家を手中にする算段をした。」

 「じゃあ、将棋は、戦略を練るためのシュミレーションゲームかい。」

 「そうだ。」

 「この駒にも何かの意味があるのかい?」

 「ああ、『王将』側の『歩兵』は、『兵』。つまり、兵力。『香車』は、飛び道具。『桂馬』は、騎兵。『飛車』は、主力戦隊。『角行』は、別働隊。『銀将』は、親衛隊。」

 「じゃあ、『金将』は?」

 「側近の武将。」

 「それじゃあ、『玉将』側は?」

 「『歩兵』は、近郷の小豪族。『香車』は、遠方の豪族。『桂馬』は、京に向かう途中の豪族。『飛車』と『角行』は、遠方の大豪族。『銀将』は、京近くの豪族。」

 「じゃあ、『金将』は?」

 「『金将』は、天皇側近の武力。」

 「そして、将棋をして、天下を取る作戦を練ったというのか。」

 「そうだ。それが、将棋の本来の意味だと思う。」

 「ふ〜ん。」

 わたしは、わかったような振りをして、頷きました。そうでもしないと、彼の話は永遠と続くからです。彼は、私の返事に気を良くしたのかにこやかになり、誰とはなしにこう言いました。

 「それにな。この将棋の駒には、ある大事な秘密があるんだ。それは・・・」

 

 そのころ、わたしの大学の民俗学の遠野教授の研究室では、大変なことが起こっていました。

 「だれだ。あの将棋の駒を持ち出したのは!」

 日頃、温和で知られている教授が、その薄くなった頭を真っ赤にして叫びながら、すごい剣幕で、部屋の中を引っ掻き回し抱いたのです。

 「教授。どうなされたのですか。」

 最年長の助手が、いつもとかなり様子が違う教授の態度に、恐る恐る聞いてみました。

 「どうなされたのですか。」

 「ないんじゃよ。あれが。」

 「あれとは?」

 「あれじゃよ。あれ。あの、徳川記念館から鑑定を依頼されていた、あの将棋の駒がないんじゃ。」

 「え、あの先生が、本物なら大変なことになるとおっしゃっていた。」

 「そうじゃ、それに、あれは、90%本物じゃ。だから、もし、あの駒の本当の意味を知らぬものが使ったとしたら・・・」

 「それは、大変だ。君たちもぼ〜っとしてないで探すんだ。漆の小箱に入った将棋の駒だ。これは、見つからないと大変なことになるぞ。」

 部屋にいた者たちは、大騒ぎして、その小箱を探し始めました。ですすが、それは見つかりませんでした。みんなが探しつかれてきたころ、用を言い付かって、外出していた若いゼミの学生が帰って着ました。

 「どうしたんですか。」

 「探してるんだよ。漆塗りの小箱を。」

 「それって、将棋の駒が入っているやつですよね。それなら、さっき、工学部の迫田さんが持って行きましたよ。」

 「なに、迫田が、なぜだ。どうして、勝手に持って行かせた。」

 「でも、教授の許可はもらったっておっしゃるもので・・・」

 問い詰められた学生は、教授のほうを見て言った。

 「わしの許可を・・・奴め、あの駒の秘密を知っておったな。こうしちゃおれん。彼はどこだ。」

 「彼は、ここ一週間休んでいるそうです。行方は分かりません。」

 助手は、彼の居場所を探すべく、電話をかけまくったが、行方は分からなかった。

 「とにかく、彼の行方を探し出し、あの駒を回収するのだ。」

 「はい。」

部屋の中にいたものが全員外に出掛かったとき、先ほど迫田のことを言った学生が、間の抜けた声で言った。

「あの?なぜ、そんなにあわてているのですか。」

「お前ことの重要性がわからないのか。」

助手の一人が、血走った目で、学生をにらんだ。

「まあ、待ちたまえ。わしが、秘密にしておいたから、こんなことが起こったのだ。彼にも知っておいてもらおう。この際、みなにも、詳しいことを知っておいてもらおう。

そう言うと、教授は、皆を部屋に戻すと、適当に座らせて、語り始めた。

「ふむ、これは、徳川家に伝わる秘伝書の中に書かれたものなのだが、次期将軍を決めるとき、位、品性、家柄が同等のときは、お家騒動が起こらないように、この将棋にて、跡目を決めるように書かれておるのだ。これで、決着をつければ、騒動が起こることなく跡目が決まると。」

「先生、それはなぜですか。」

「ふむ。それが、あまりにも信じられぬ話なのだが、この方法での世継ぎの決定は、徳川だけではなく、豊臣でも、織田でも、足利にさえも残されていたらしい。」

「たかが、将棋で決めるのですか。」

「この将棋の駒には、信じられぬ力があるからだ。それは・・・」

 

「負けたほうは、女になるのさ。それも、勝った相手に絶対服従の美女にな。」

あと、3手で、詰んで、わたしの負けという状態になったとき。彼は、勝ち誇ったように言いました。確かにこのままでは。彼の勝ちは間違いなでしょう。

「でも、なぜ、こんなことをするんだ。」

「決まっているだろう。講師の件に決着をつけるためさ。」

「だから、その件なら。」

「俺に譲るか。それが許せないんだよ。なぜ、俺と争わない。俺より優秀だからか。お前なんかには負けてないぞ。」

「そんなことは思ってないよ。友達じゃないか。」

「友達?違うね。ライバルだ。のほほ〜んとしているから安心していたが、とんでもない奴だよ。おまえは・・・」

彼は、今までに見せたことのないようなキツイ目つきで、わたしを睨みました。憎しみがあふれたその視線に、わたしは、耐えられなくなってきました。

「お前はいい子ぶって教授に気に入られている。だが、そのお前が、俺の前から完全に消えれば、俺の未来は安泰なんだよ。そのためには、お前を側においとかなくちゃな。俺の言いなりになるお前をな。」

彼の精神は、完全にまともではなくなってしまったようでした。彼は、わたしに、次の一手を打つように催促しました。わたしをいたぶるつもりなのでしょう。猫が捕まえたねずみをおもちゃにするように・・・

「さて、これで、お前の負けは決まったな。王手だ。」

「それでいいの?」

「なにを言ってるんだ。王手なんだぞ。そんなのんびり構えてていいのかよ。王手だ。」

「でも・・・」

「でもも、悪魔もない。お前だ。」

「わかったよ。それじゃあ、君の王将頂くね。」

「なに?」

彼は、わたしを追い詰めるのに一生懸命で、自分の陣を完全に見落としていました。いつもの彼ならありえないことですが、自分の将棋に絶対の自信を持っていたためでしょう。勝ち誇った自分の思いを語るのに気を取られて、わたしの『王手』の声に気づいていなかったのでした。祖父から真剣な勝負をするとき以外は、本気を出すなといわれていたので、勝った事がなかったのです。ちなみに、祖父は、将棋界の重鎮からは、棋神と呼ばれていました。

わたしは、静かに駒を動かして、彼の王将を手に取りました。あまりのことに唖然となった彼でしたが、わたしが、彼の王将を取った瞬間、彼の身体に変化が現れました。彼の身体全体がぼんやりしてきたかと思うと、彼の輪郭は縮みだし、一回り縮んでしまいました。それに伴い、がっしりとしていた体つきは、細くしんなりとなり、キツク男らしかった顔つきも、丸みを帯びて、優しくかわいくなり、髪も伸びだし、厚い胸板は、薄くなり、丸みを帯びた半球形のものが現れました。お尻も丸みを帯び、輪郭がはっきりしだしたとき、そこには、彼の服を着た、わたし好みの女性が座っていました。

 「あら、ご主人様。これから末永くよろしくお願いいたします。」

 三つ指を突いて、その女性は、たおやかに、頭を下げました。

 

 わたしは、講師の件を受けることにしました。一口食い扶持が増えたのですから仕方がありません。それから、わたしは、本格的に将棋の勉強を始めました。もともと筋がよかったのか、あれから、関係者と5番勝負をして、連勝しているのですから。

 

迫田ですか。ここ、数年、会っていませんね。民俗学の遠野教授ですか。知りませんね。わたしと最後に将棋をさした後から行方不明。さあ、どこに行かれたのでしょうね。おや、その将棋の駒、気づかれました。いいものでしょう。年代物で最高級品の象牙ですよ。それに、この漆塗りの入れ物もいいでしょう。おい、お前たち、刑事さんにお茶をお持ちしろ。若くて美人の助手が、沢山いてうらやましい?こいつらは、助手ではありませんよ。わたしの奴隷たちです。

ところでどうです。刑事さん。わたしと一番勝負しませんか。わたしに勝てたら、お知りになりたいことをお話しますよ。

ククククク・・・・