姉 弟

姉が死んだ。あっけない最後だった。

飛び出した子供を救おうとして、道路に飛び出し、子供は助かったのだが、勢いあまって、反対側のガードレールに頭をぶつけ脳内出血で、救急車で運ばれている途中で死んだ。

飛び出してきた子供と姉をよけようとして、走っていた車は反対車線の対向車と衝突して、ドライバーは双方とも即死。飛び出した子供は、母親らしき人が連れ去り、警察は目撃者の証言から、姉の行動を理解してくれた。

もしも、が言えるなら・・・その子供が飛び出さなければ。姉がその子を救おうとしなければ、これだけの事故にはならなかったかもしれないそうだ。ただ、それは仮定の話で、相手の遺族も姉を責めようにも責められずにいる。

5年前に両親を無くし、姉と二人だけの家族だった僕にとって姉のいない生活は、虚無でしかなかった。

棺の中に横たわる姉の顔は、寝ているようで、今にも起き出しそうだった。これが、息もせず、永遠に寝続ける者の顔なのだろうか。揺り動かしたら起き出しそうな気さえしてくる死に顔だった。

「姉さん。」

僕は、白装束の姉の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。だれよりも美しかった姉。優しく僕の頭を撫でてくれた姉。ふくよかな姉の胸に顔を埋めながら、あたりの事など忘れて、大声で泣き叫んだ。

「ねえさ〜〜〜〜ん。」

「うるせえなあ。もうすこし、ト〜ンを落としてくれよ。おちおち死んでもいられ寝えや。」

姉はぶつくさとぼやきながらその体を起して、軽く僕の頭を殴った。

「カ〜〜〜ット。」

僕の後ろのほうで大きな声がした。

「誰が起きろといった。死んでろ。大事なシーンなんだぞ。」

「でも監督。こいつの声がうるさくて死んでられませんよ。」

「うるさいのはお前だ。せっかくの雰囲気が台無しだ。10分間休憩に入る。メイク。奴に耳栓でもしろ。」

ここは、Rスタジオ。連続ドラマ「姉弟」の最終回のクライマックスシーンの撮影現場だった。僕は、涙でぐちゃぐちゃになった顔をメイクさんに直してもらいながら、台本を読み直していた。

「姉さん」は、まだブツブツ言いながらも、僕の隣に座ってメイクを直していた。

「すまなかったな。お前の名演技を台無しにしてよ。」

「いいんですよ。声の感じがつかめていなかった僕が悪いんですから。」

「今度は我慢するから、よろしくな。」

「こちらこそ。代役大変ですが、頑張ってください。」

「おう、任せて置けよ。代役専門5年の技を見せてやらあ。といっても死体の役だがな。」

「姉さん」は、豪快に笑った。気持ちのいい男優さんだ。そう、「姉さん」役の人は男性なのだ。この作品は確かに、「姉さん」役の女優さんがいたのだが、最終回のこの撮影とほかのスケジュールがブッキングして、別の仕事のほうに行ってしまったのだった。そこで、この男優さんが代役になったのだが、女性の代役は初めてなのだそうだが、そのプロポーションや、顔は、「姉さん」役の女優さんにそっくりだった。さすが、代役専門というべきなのだろう。

それから、無事撮影も終え、撮影終了の打ち上げになった。別室に準備された打ち上げ会場に出演者、スタッフ全員で繰り出すと、あっという間にどんちゃん騒ぎが始まった。

準主役だった僕はあちらこちらからお呼びがかかって引っ張りだこだった。

「おいこっちこいよ。これ喰いな。」

「かわいいわね。これを飲みなさいよ。」

大人ばかりの中で、小柄でまだ髭も、声変わりもしていない可愛い顔をした15歳の僕はみんなに可愛がられた。だけど、断る事ができずにみんなからすすめられるままに食べたり飲んだりして、僕の胃は限界に来ていた。

「いいかげんにしろよ。さ、こっちに来な。」

「姉さん」は、その扮装のまま打ち上げに参加していた。「姉さん」は、僕の手を取ると会場から引っ張って行った。そして、廊下へ出るとそのまま、控室へと引っ張って行った。

僕を中へと連れ込むと中へ入り、ドアを閉めた。

「お前は、バカか。役者は体が資本なんだぞ。進められるままに食べたり飲んだりしていたら体を壊すだろうが、それに、お前はまだ育ち盛りなのだぞ。」

そいいいながら、「姉さん」は、来ていた上着を脱いだ。そこには、大きなふくよかで形のいいバストが揺れていた。上半身裸になったその姿は男性には見えなかった。

おへそのあたりに爪を立てた。ぐさっ。と、指がおなかにめり込んだ。そして、そこから皮をめくりだした。バリバリバリという音とともに、「姉さん」は皮を頭の上まで剥ぎ取り、放った。その皮の下から現れたのは、痩せ型の若い男性だった。

「ふう、こいつは一日きていることができるが、着心地が悪いからな。ところで、お前は役者になりたいのだろう。だったら、自分をはっきりとさせろ。そうしないと、この世界では生きていけないぞ。」

「姉さん」だった人は、真剣に僕を怒ってくれた。僕はただ彼の言葉に頷くだけだった。

「さて、ここからどうやって抜け出すかだな。帰るには、あの部屋の前を通らなくてはいけないが、奴らに見つかると元の木阿弥だからな。どうするかだな・・・・ん?」

彼の視線が、僕の目がちらちらといく方向に気づいた。見てはいけないと思いながらも、「姉さん」が着ていたボディマスクのほうに視線が行ってしまうからだ。彼はその事に気づいた。僕は顔を赤らめて、下を向いてしまった。女の人の、それもボディマスクに興味があるなんて、変態と思われたくなかったからだ。

「ふ〜〜ん。それもおもしろいかもな。」

そう言うと、「姉さん」は、薄笑いを浮かべた。

 

新人らしい女の子とその連れのマネージャーらしい若い男性が、放送局の通用門のガードマンに挨拶をしながら出てきた。そして、放送局の近くの公園まで来ると二人は空いているベンチに仲良く坐った。陽もすっかりかげり、ほかのベンチにもちらほらと恋人達の姿が見受けられた。

女の子は恥ずかしそうに顔を下に向けたまま、スカートの裾を引っ張ったかたちでベンチに坐っていた。

「ラッキーだったな。あの控室のとなりが衣裳部屋で。どんな衣装も使い放題だからな。」

マネージャーらしき男は、そう言いながら、胸のポケットからタバコを取り出すと1本咥えると、ライターを取り出し、ふかし始めた。

「どうだい。女の子になった気分は?」

「恥ずかしいです。」

消え入りそうな声で答えた。まさかこんな事になるなんて、僕はあまりの恥ずかしさに、死にたい気分だった。

「そう言うなよ。似合ってるぞ。ほんとうの女の子なら付き合いたいくらいだ。」

冗談とも、ほんとうともつかない返事を、男はした。

そう、彼は、あの「姉さん」をしていた代役の役者さんなのだ。

あのとき彼はこう言ったのだった。

「このままではどうしようもないから、変装して逃げ出すぞ。いいな。」

その言葉に僕は頷いた。まさかこんな事になるなんて・・・

「じゃあ、着ている服を脱いで、素っ裸になりな。」

そう言いながら、彼は、自分のカバンを取ってくると中から何か取り出していた。そう言われても僕は服を脱げずにいると、彼は怒鳴った。

「さっさとしろ。何事も素早くやるのも、役者の必要条件だぞ。」

僕は満開にぜんまいを巻かれた人形のようにきびきびと動き、すっかり下着まで着ているものを脱いでしまった。

「さて、脱ぎ終わったようだな。それでは、始めるか。」

「姉さん」は、カバンの中から肌色のプルプルとしたものを取り出すと、僕に近づいてきた。

「さあ、始めるぞ。そこに仰向けになってくれ。」

僕は控室の備え付けのソファーに仰向けに横たわった。そして、彼は、僕の胸中に何かクリームのような物を塗ると、そのプルプルのものをのせると僕の胸の上で、あっちこっちに動かしながら形を整えた。そしてクリームが乾いたのをチェックすると僕に起き上がるように言った。起き上がると胸が重く、自然と前かがみになってしまった。

「さて、今度は顔を触るからな。すぐすむからちょっと目をつぶって、動かないで我慢していろよ。」

今度は顔にクリームを塗ると、肌色のぴらぴらした薄い紙のようなものを、僕の顔に貼り付けた。彼の指が鳥の羽を顔の上に滑らせているかのように優しくマッサージをした。だがすぐにそれは終わり、僕はまるで天国の扉の前で引き戻された魂だった。

「さあ、終わった。ちょっと衣装を調達してくるから待っていろよ。」

そう言うと彼は部屋を出ていた。残された僕は、恐る恐る重い胸を持上げてみたり、触ってみたりした。それはまるで僕のもののようにしっかりと胸にくっついていた。それに、いくら目を凝らしても境目がわからず、本当に僕の胸にあるおっぱいのようだった。ただそれが僕のものではない証拠に、いくら触っても何も感じなかった。

僕は、ソファーから立ち上がると、控室の鏡の前に立って、鏡を覗き込んだ。そこには見知らぬ可愛いショートカットの女の子が上半身裸で映っていた。

「こ、こ、これが・・・ぼく?」

思わずそんな言葉が口から漏れた。声は確かに僕なのに、鏡には別の女の子が不思議そうな顔をして映っている。僕は頭が混乱してきた。と、そのとき突然ドアが開いた。そこには、さっきのドラマのスタッフが立っていた。

「お。君可愛いね。どうだい、俺といいことしないかい。」

いつもは、物静かで優しい彼なのに、お酒の匂いをぷんぷんさせて、僕に抱きついてきた。

「止めてください。そんな、僕はそんなことしたくありません。止めてください。」

「なに言ってやがるんだ。ディレクターとだったら、ほいほいと寝るんだろう。ぺいぺいのサブだからって馬鹿にするなよな。そんな格好で男を誘いやがっているくせによ。この淫○が・・・」

サブの男は、僕を殴ろうと右手を上げた。殴られる。そう僕が覚悟した時、その手は下りてくることはなかった。なぜなら、服を調達に行っていた彼が、サブの右手を捕まえて、ひねりあげると首筋に何かすると、サブは崩れるように倒れてしまったからだ。

「酒さえ入らないといい奴なんだがなあ。才能もあるが気が小さい事が弱点なんだ。許してやってくれよ。」

僕はさっきの恐怖に身を震わせていたが、小さく頷いた。

「そうか、ありがとう。さ、これに着替えて、ここを出るぞ。」

彼が僕のほうに投げて寄越したのは、ブラジャーとパンティ。それに、フリルのついた純白のドレスだった。

彼はいつの間にか、スーツ姿に変わり、誠実な銀行マンのようだった。僕が着替えている間に、彼は部屋の中を片付け、サブの男を、さっきまで僕が坐っていたソファーに寝かせると、僕達は、控室を出て行った。

こうして、僕達は放送局を抜け出した。

 

「さて、お前はこのまま帰れ。今日の事は大丈夫だ。奴らは明日になったら憶えちゃいないさ。ドンちゃん騒ぎのネタが欲しかっただけだから。」

「でも、僕は抜け出してしまいました。」

「だから、大丈夫だって、会さえ始められたらメインなんていらないんだから。だから、お前が残っていたら、奴らのおもちゃにされるだけなのさ。」

「でも・・・」

僕はこのまま彼と別れる気にはなれなかった。そして、この変装した時のいい知れぬ感覚を失いたくなかった。

僕は、いつの間にか頭の中に巣くった言葉を口に出した。

「僕をあなたの弟子にしてください。なんでもしますから、お願いです。」

彼は僕の言葉に驚いたようだった。

「弟子?俺の?止めとけよ。メインスクリーンには出れないし、決して人に知られてはならないから、賞賛を受けることはないのだぞ。お前には才能がある。きっとビッグになれる。だから、止めておけ。」

「いやです。絶対あなたの弟子になります。弟子にしてください。」

僕は、彼に抱きついて大声で泣きながら頼んだ。周りにいたカップル達は何事かとこちらを見ていた。彼は回りの視線に困ってしまった。そして、彼が何か言いかけた時に、僕の身体にショックが走り、身体中の力が抜けてきた。

「お前は表舞台を歩け。また会うことがあってもお前には俺がわからないだろうが、影から俺は、お前を応援してるぞ。」

その彼の声を聞きながら、僕は気を失っていった。

 

それから、僕達は彼が言ったように会うことはなかった。でも、僕はあきらめない。きっと彼の弟子になってみせる。

演技力と、変装技術を磨いて。だって、彼は僕を部屋まで運んでくれたけど、あの変装はそのままだったもの。

また彼と会える日を思い描きながら、僕は今日も頑張ってます。

 

 

あとがき

いや〜、さいふぁ〜さんの『姉』と、いわきのぞみ中先生(大先生というと怒るんだもの)の『姉とお葬式』からかなりかけ離れた作品になってしまいましたが、こんなものもありと言う事で、御赦しください。

それでは、また。どこかでお会いしましょう。