退 職

 

「今日か・・・」

私は、長い間使っていたオフィスのデスクの片づけをしながら、言い知れぬ思いに満たされていた。

teinen

今日がその日なのだ。

私の名は、ジャック・ステファン。アメリカでも有数の優良企業の営業部門のチーフだった。

アメリカでは、終身雇用制などは無く、『明日から来なくてもいい』と言われれば、それで終わりだった。逆に、実力さえあれば、企業を渡り歩き、高額の報酬を手に入れる事も可能だった。

この会社では、70年代に急成長を果たしていた日本の企業を視察して、アメリカでは、ほとんど行われていなかった終身雇用制を取り入れた。その為か、アメリカ経済の低迷化の中でも、成長を続けていた。他にも、日本のこのシステムを真似た企業はあったが、成功したのは、この会社しかなかった。

今低迷化している経済環境の中で、生活を保障されている終身雇用制は、うれしいのだが、それにも【teinen】という終焉がある。この時代、一定収入が無くなり、新たな職を見つけるのも、難しいこの環境では、再就職は困難だった。

「やはり、あれを受けるべきか。でもそれは・・」

それは、一ヶ月前に、社長に呼ばれたときのことだった。

「やぁ、ジャック。元気かい?」

「元気・・・です」

私はどうもこの社長が苦手だ。見た目は30代の軽くウェーブしたブルネットの髪の美女なのだが、私の入社した時からその若々しい容貌は変わらず、たしか今年で70を越すはずだ。そして、役職、年齢、性別に関係なく誰とでも親しく付き合ってくれる人なのだが、すぐに人を抱きしめるクセだけは慣れなかった。

社長は、部屋に入ってきた私を強く抱きしめた。そのふくよかな胸が、私の胸板で押しつぶされ、いつもながら、そのふくよかさにたじろいだ。

「ジャック、ジャック、ジャック。私は君を失いたくない。でも、ユニオンとの契約があるので・・・」

「わかっています。この会社の創立の頃からお世話になっておりますから。今まで有り難うございました」

そう、私には解っていた。ユニオンとの関係で、私がいくら会社に残りたいと言ってもムダである事を・・・

若い人たちの能力を生かすためのチャンスを作るために、退職した者の再雇用はしないという契約を会社は、ユニオンと結んでいるのだ。アメリカのユニオンは、雇い主よりも強い力を持っているのだ。ユニオンは、日本とは違い、会社ごとではなくて、業種ごとなので、その力はアメリカ全土に広がるほどの絶大のものに成るのだ。

「ところで、次の職場は決まったのかい?」

「いえ、なかなか。サムプライムローンで、蓄えも無くなったので、どうしようかと思っているところです」

「でも、君ほどの実力だと、他の会社からの誘いもあるのだろう?」

「いえ、今の時代、ロートルには、お誘いはありませんよ」

私は、そう言うと寂しく笑った。

「私はどうしても君を失いたくないんだが・・・君はこの会社に残る気はあるかい?」

「何を言っているんですボス。そんなことをすればユニオンとの契約不履行になってしまいますよ」

「うん、そうなんだが、君さえ了解してくれたらその契約に触れることなく、君と再契約する事ができるんだ。いや正確には君の能力とだが」

「はぁ?」

「それは・・・ナイショ」

社長は、その魅力的な唇を私の耳元に寄せ、甘く優しい声で囁いた。

「え?ええっ!!!」

私は、思わず振り向き、社長を見つめた。社長は、驚き戸惑う私にいじわるく優しい微笑みを浮かべた。

私はその場で即答できずに今日まで返答を延ばしてもらった。

そして、今日がその返答の期限だった。

デスクの上に並べていた家族の写真を入れたフォトスタンドやネームプレートを、準備していた段ボール箱に放り込みながら、私は考えた。

『社長の提案を受ければ、私は、またこの会社にかかわることができる。人生の2/3を費やし、育ててきたこの会社を去るのは身を切られるよりも辛い。コレは、この会社が終身雇用を就業システムにしている関係なのかもしれないが、私はこの会社にまだまだ愛着がある。ドライといわれるアメリカ人には考えられないことだ。だが、あれを受け入れるのは・・・』

私は、オフィスの片づけを終えると、静かに出て行った。

オフィスの外には、社長を初め、このフロアで仕事をしていた人たちが、手を休め、私を見送るために左右に立ち並び、ロードを作っていた。

「お元気で」

「また遊びに来てくださいよ」

「お疲れ様でした」

お世辞と社交辞令なのだが、その言葉が私はうれしかった。そして、フロアの出口に立っていた新人の女性社員が、私に抱きつき、耳元で囁いた。

「ジャッジ、戻ってくるのを待ってるよ」

そして、私の頬に優しくKissをすると、静かに離れた。

『ジャッジ(審判)』。それは、私よりも先に【teinen】になり、会社を去った友人・マリオンが、真面目だけが取り柄の私をからかって呼んでいた愛称だった。私は、驚いて彼女を見た。彼女は何も言わず、ただ私を見て微笑んだ。

私は振り返ることもなくフロアを出ると、ちょうどドアの開いたエレベーターに乗り込んだ。一階のボタンを押すと、エレベーターのドアは静かに閉じていった。閉じる瞬間、さっき、私にKissをした女の子と、同じ年頃の数名の女の子が、私に微笑んでいた。彼女たちを見て、社長の提案を思い出した。そして、私は決断した。

 

私が定年に成って一週間後の早朝、社長に言われたとおり、誰にも見つからないように会社のエレベーターに乗り、各階の表示ボタンがあるパネルの緊急用のボックスを社長から送られてきたカギで開けると、そこには、カードの差込口があった。同じく送られてきたカードを差し込んだ。と、静かにエレベーターは動き出した。

地上六階、地下二階のはずなのに、エレベーターは、地下二階を過ぎても降下を続けた。そして、地下五階にまで下りると止まり、ドアが開いた。

そこは、ごく普通のロッカールームだった。

「こんなところになぜ?」

「あら、ジャッジ。やはり来たのね。必ず来ると思っていたわ」

私を出迎えてくれたのは、会社を去るときに、私の頬にKissをした女性社員・マリアンだった。

「君は・・・ここは一体なんなんだ」

「ここは、あなたみたいに【teinen】に成った社員が、リニューアルするための部屋よ。さあ、あなたも生まれ変わりましょう」

彼女は、私の手をとるとロッカールームの奥へと引っ張っていった。連れて行かれた先は、まるでブテックのように、さまざまなドレスやランジェリーが飾られていた。

「ここは?」

「生まれ変わるための部屋よ」

いつの間にか、最近入ったロリーという名の女性社員が立っていた。

「素敵なドレスやランジェリーがいっぱいでしょう?毎日、服を選ぶのは楽しいわよ」

男の私がドレスを着るわけでもないので、楽しいと言われても・・・・

「うふふ、今に解るわよ。この楽しさがね」

彼女は謎の笑みを浮かべて、私を見た。その微笑に戸惑う私の前に、マリアンがケースを置いた。

「コレがあなたのユニフォームよ。着てみて」

私は言われるままに、ケースの蓋を開けた。そこに入っていたのは・・・・え?!

「こ、これは!」

「そう、コレが新しいあなたよ」

ケースの中に入っていたのは、長いブロンドの髪をした美女の皮だった。

「さあ、あなたもコレを着て、私たちの仲間になりましょうよ。ジャッジ。別人になれば、ユニオンとの契約は関係ないわ。それに、女としての生活も新鮮で楽しいわよ」

「そうだな」

私は、美女の皮を手に取り、その顔をしみじみと眺めた。

「フフフ、私がこんな美人になるのか。新しい女性としての人生も楽しいかもしれないな」

 

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【イラスト・◎◎◎さん】

 

その日、この会社の営業部門に新しいスタッフが加わった。

「ジョディ・ストレッチです。よろしくお願いします」

輝くブロンドの髪を手のひらで、セクシーに掻き揚げる美女に、営業部門の男性スタッフは、こみ上がる性的興奮を抑制するのに四苦八苦した。

「ふふふ、楽しいセカンドライフを過ごせそうだわ」

ジュディのふくよかな唇に笑みが浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

◎◎◎さんに頂いたイラストに触発されて書きましたが・・・へたれですね。^^;