SRIシリーズ

新・怪奇大作戦

提供・よしおか薬局

 

第四話「転身の処刑台」

 

 「ここは、どこだ。どうして俺はここにいるのだ。」

 なにかの透明なガラスケースの中で、俺は目覚めた。ここがどこなのか、なぜここにいるのか、どうしても思い出せなかった。

「いったい俺はどうしたのだ?」

 なぜここにいるのか、俺が何者なのか。思い出せない。ガラス越しに見える光景は、見知らぬものだった。ただ、その光景を始めて見るようにはどうしても思えなかった。

 俺はいったい・・・

 だがその時、またあの痛みが始まった。いつの頃からかは、わからないが全身をくまなく走るあの痛み。殺してくれ。俺を楽にしてくれ。そう叫んでも誰も助けてはくれない。あの痛みの為に考える事さえできなかった。そして、俺は、激痛の湖の中に沈んでいった。

 コ・ロ・シ・テ・ク・レ・・・・

 

 「よ、元気かい。」

 「あら、徳田警部さん。いらっしゃいませ。今からみんなで3時のティー・タイムをするところでしたのよ。」

 「お、これはいい時に来たかな。ミンレイちゃん。わしはブルマンでブラック・・・て、ミンレイちゃんは?」

 「彼女は高君の看護に行ってもらっていますわ。警部わたくしが入れたコーヒーが飲めないとでもおしゃいますの。」

 久遠寺所長の鋭い視線が徳田警部をにらんでいた。

 「いや、所長の入れたコーヒーは絶品ですからな。ゆっくりと味あわせていただきます。」

 「あら、わたくしが、警部にお入れするのははじめてですわよ。」

 「いや、そう藤崎君たちに聞いたものだから。ねえ、藤崎君。」

 慌てて警部は藤崎にそう振った。だが、藤崎は無言のまま視線をそらした。

 「おかしなことをおっしゃいますわね。わたくしが、皆様にお入れすること事態、初めてですわよ。でもまあよろしいですわ。警部、たんと味わってくださいましな。」

 警部は、何とか所長のご機嫌が治ったと思いそのコーヒーを口に運んだ。だが、まだ、藤崎たちは何か目で告げているのを、警部はコーヒーを一口含んだときに理解した。

 「うぷっ、これはなんだ。」

 「本場のオリジナルアメリカンコーヒーですわ。」

 そう言いながら久遠寺はそのコーヒーを口に運び飲み干すと、奥のキッチンにコーヒーの残りを取りに行った。

 「コーヒーの豆の量を間違えたのです。でも、所長のあの性格だから失敗を認めようとはしないのですよ。」

 「だから、ぼくが、やめるように言ったのに・・・」

 虎野と藤崎の警告を小声で聞いた警部の顔から血の気が引いていった。

 藤崎と虎野は久遠寺が、コーヒーの入ったサイフォンを持って戻って来るのを見ると、やおら立ち上がり、二人で向かい合ってなにかささやきあい、二人同時に真剣な顔をして久遠寺の方を向いた。

 「高の具合が気になりますので、二人で高の見舞いに行ってきます。」

 「それではすみませんが、警部。お先に失礼いたします。」

 そう言うと、二人に助けを求めようとする警部を残して、事務所を出て行きかけた。

 高は、前回の事件で伸びた顔の筋肉が、またもや伸びてしまったのだ。原因は誰も知らないが、皆、大体の予測は立てていた。それは、ほとんど正しかった。

 「ところで警部。今日は、何か事件の事でお越しになったのではありませんの?」

 「事件といえるかどうか、わからないのだが、奇妙な事が起きてな。」

 事務所を出かけた二人の足が止まった。そして、警部の坐るソファに駆け戻ると警部の左右に坐って挟み込んだ。

 「あら、出かけるのではありませんでしたの。」

 「いえ、仕事のほうが大事です。」

 「警部、その事件というのはどういったものなのですか。」

 警部に掴み掛からんばかりの調子で虎野は聞いた。久遠寺は、静かに、藤崎と虎野の空になったカップにコーヒーをそそいでいた。その時、彼らは久遠寺の計略にはまった事に気がついたが、後の祭だった。

 こうして三人は、久遠寺所長の入れたコーヒーがすべてなくなるまで、付き合わされることになった。

 「警部。そのお話というのはどんな事件ですの。」

 「おお、そうだった。それがだな、ある家の前に夜な夜な若い娘が立っているというのだ。その家には老夫婦が二人っきりで住んでいるだけで、そんな若い娘には知り合いがいないというのだ。」

 「たとえば、その夫婦の子供とか?」

 「その夫婦には子供が恵まれず、50年近く、夫婦二人っきりだそうだ。」

 「それじゃあ、ご主人の浮気の相手とか。」

 「それではまるで、高君の発想ね。虎野君も高君に影響されてきたのかしら?」

 「やめてくださいよ所長。」

 「いやわからんぞ。高の生霊が祐さんに取り付いたのかもしれないしな。」

 「もう、先輩まで。」

 「それはともかく、この夫婦には覚えがないし、以前住んでいた人たちにも関係者はいないのだ。」

 「以前って、この家はこの夫婦がずっと住んでいたのではありませんの。」

 「ああ、この家は、ご主人が定年になったときに、知人の紹介で購入したものだが、購入して10年位にはなるそうだ。」

 「この以前の持ち主というのは?」

 「うむ、実は、行方がわからんのだ。ご主人が突然蒸発して、奥さんと二人の息子さんはこの家を売ってどこかに引っ越したらしいのだが・・・行き先がわからん。」

 「あら、借金でもあったのかしら。」

 そう言いながら、久遠寺は、3人の目を盗んで、自分のコーヒーをこっそりとサイフォンの中に戻していた。それに気づいた藤崎は、飲み比しかけたコーヒーを飲むのをやめて、テーブルの上に置いた。

 「藤崎君。コーヒーのお代わりはいかが。」

 「いえ、けっこうです。まだありますし、継ぎ足すと味が変わりますから。」

 この二人のやり取りに気づきもせずに警部はコーヒーを飲み干して、久遠寺にお代わりを継がれてしまった。藤崎は心の中で、炒れた久遠寺さえも飲もうとはしないコーヒーを飲まされる警部を哀れんだ。

 「それで、その女性を保護したのですか。」

 「保護しているのなら警部はこんな話をしないよ。祐さん。最近では姿も現さないのではありませんか。」

 「さすが藤崎君鋭いね。そうなのだ。なぜか彼女は最近では姿を現さないのだ。」

 「どうしたのかしら。その子は・・・」

 久遠寺は、首をかしげながらもコーヒーを口に運んだ。だが、そのコーヒーカップの中身が少しも減っていないのに藤崎は気づいていた。彼女の方も藤崎が気づいているらしいことには薄々気づいていた。こんなふたりの攻防戦に気づきもしない虎野と警部は、まずいコーヒーを飲みながら消えた女性のことを考えていた。

 

 「おい、あの実験室が誰かに荒らされているぞ。」

 「なに寝ぼけた事を言っているのだ。あそこのカギは外からは簡単に開けられないし、中にはあの親父しかいないのだぞ。そんなことがあるわけないだろうが。」

 「でも、この間見に行ったら、確かに誰かが動かした跡があったのだ。もしかして、あの親父が・・・」

 「それはないって、あの親父は10年前に死んだのだから。あの実験の失敗でな。」

 「でも、本当に死んだのだろうか。」

 「動けると思うか。肉体もなくどうやって動くのだよ。脳だけで・・・」

 「それもそうだが・・・しかし。」

 「よそうそんな話は、もう少ししたらあそこはなくなるのだからな。」

 「それもそうだな。」

 何処かの医学研究室の一室でそんな会話か交わされていた。ある程度の地位にある二人の研究員は、自分達の妄想を振り払うかのように首を振り笑いあった。そして、肩をたたき遭うと左右に別れて行った。

 

 わたしの家族は何処だ。金は支払われたはずなのに・・・誰だ、わたしの家にいるのは。妻ではない。見知らぬ老婆だ。ここは私の家だぞ・・・

 

 夜、表につないであった犬を散歩に連れて行こうと表に出てきていた老婆を見知らぬ若い女性が襲いかかった。ちょうど、散歩用の綱に付け替えようとしていた時だったので、犬は、その怪しき女性に飛び掛った。そしてその左腕に噛み付いたが弾き飛ばされてしまった。あまりの出来事に腰を抜かしてしまった老婆を残し、その女性は走り去ってしまった。

 後に残された老婆は、家の中の夫に助けを求めた。そして、妻の異常に驚いて表に出てきた夫が見たものは、倒れている老妻と、動かなくなった愛犬の姿だった・・・

 

 「よう、ついに大変な事になったよ。」

 その日、徳田警部は、いつになく早い時間にやって来た。ソファに横になって新聞を読んでいた藤崎が、その新聞を二つ折りにして顔を出した。

 「どうしたのですか。警部。」

 「どうしたもこうしたもない。この間、話した家だが、襲われた。」

 「襲われた。それは、ただ事ではないですね。」

 藤崎は、起き上がり、ソファの上に坐りなおした。

 「で、誰が襲われたのです。」

 「うん、あの家の奥さんなのだが、大変な事になったんだ。」

 「大変というのは?」

 「実はな。あの奥さん若返ってしまったんだ。」

 「若返った?それはただ事ではありません事よ。警部もっと詳しく話してくださいませんこと。」

 さっきまで、誰も坐っていなかったはずの所長席にいつの間にか、久遠寺所長が坐っていた。そして、目を輝かせて、警部の話に乗り出してきた。

 「ミンレイちゃん。警部にスペシャルコーヒーをおだしして。」

 久遠寺は、インターフォンで、いつもなら台所で3時の準備をしているはずのミンレイに言った。いつもなら、それですむのだが、彼女は、今日は退院する高の手伝いに、虎野について行っており、それに答えるものはキッチンには誰もいなかった。

 「おねがいね。さて、コーヒーが来るまで、その話詳しくお聞きしたいわ。」

 警部は、来るはずもないコーヒーに釣られて事件の全貌を話す事になった。

 「若返ったとどうして判ったのですか。」

 「さすが、Mr.SRI。いいところをついてくるね。実はすぐにはわからなかったのだが、運び込まれた病院で、事情徴収をしているうちに、彼女の様子が変わって行ったんだ。」

 「それどういうことですの?」

 不思議そうな顔をして先を促す久遠寺の顔を見て、徳田警部は、困ったように頭を掻いた。

 「一から説明をせんと判り難いか。」

 「そうですね。だいたいは予想がつきますが、詳しく聞いた方が、後々助かりますね。」

 「そう藤崎君に言われたのでは仕方がないか。それじゃあ最初から・・・」

 「あら、藤崎君に言われたから話しますの。そうですの、いいですわ。ミンレイちゃん。警部さんのコーヒーは・・・」

 久遠寺はいじわるく、誰もいない給湯室にインターホーンをかけた。

 「ま、待った、そう言うわけではなくて・・・」

 「どういうわけですの。」

 「まあまあ、所長。警部も困ってしまってますよ。さあ、話を聞きましょう。警部、お願いします。」

 久遠寺はまだ、何か言いたそうだったが、しぶしぶ藤崎の言葉にしたがった。

 「藤崎君、ありがとう。さて、何処から話をすればいいのか。3日前、またあの夫婦の家にあの少女が現れたのだ。奥さんは犬の散歩に出かけようとしたときに、少女に襲われたのだ。『この家を返せ。』とか、『妻は何処だ。妻に合わせろ。』とか叫んだそうだ。犬はなぜか、その少女に怯え、吼える事も出来なかったそうだ。だが、少女が、奥さんを乱暴に扱うので、その犬は、少女に飛び掛り、腕に噛み付いたらしいんだが、弾き飛ばされて、気絶してしまった。奥さんは怖くなってなんとか大声を出した。それを聞きつけたご主人が表に出てくると、あの少女はいず、奥さんが倒れていたそうだ。異常に気づいて出てきた近所の人に奥さんの看護を頼むと、ご主人は、近所の男性達とあの少女を捜したそうだが、見つからなかったそうだ。」

 「それで、奥さんは?」

 「うむ。病院に運んでいる間に若返りが始まっていったようで、病院に着いた時には四十代前半に見えたそうだ。」

 「じゃあ、かなりのスピードですね。」

 「ああ。そうらしい。でも、誰も信じなかったようだ。」

 「まあ、うらやましい。・・・いえ、たいへんなことですわ。」

 久遠寺は、藤崎と徳田警部に睨まれて、あわてて口を告ぐんだ。

 「いいじゃありませんの。本当にうらやましかったんだから・・・」

 藤崎は、まだ、何か言いたそうな久遠寺を軽く睨むと、言葉を続けた。

 「それで、その後の奥さんの様態は?」

 「それが・・・」

徳田警部は言いよどんでしまった。久遠寺と藤崎は、その警部の態度に言い知れぬものを感じた。

「まだ何かあったのですね。」

「うむ。」

警部は考え込んでいたが、頷くと、決心したらしく、歩ツリポツリと話し出した。

「実はなあ。襲われた奥さんだが、明け方なくなったんだ。」

「でも、若返っているだけで、別状はなかったのでしょう。どうしてですの。」

「若返りすぎたとかですか。」

「藤崎君。それはどういう訳?」

「はい、急激に若返りすぎて、前回の事件のように細胞が崩壊したか。若返りすぎて胎児に戻ったりしたか。」

「ああ、マンガとかでよくあるパターンね。」

警部は、久遠寺所長と藤崎を見つめて、首を振った。

「奥さんは、殺されたんだよ。」

「まあ、誰にですの。犯人に?」

「所長。それは考え難いです。奥さんの運ばれた病院は、警護の警官がいたでしょうから。そうすると,実行可能なのはご主人。」

「まあ、なぜですの。奥様が若返られたことへの嫉妬?」

警部は、悲しそうな顔をしながら首を横に振った。

「違うんだ。そんな動機だったらまだ救われたかも知れないが、違うんだ。」

あの、鬼のような警部の瞳に涙が浮かんでいた。

「藤崎君が、言ったように犯人はご主人だ。だが、動機は違う。奥さんを救うためだったんだ。」

警部は苦しそうに泣くのを抑えながら話し出した。

「さっきも言ったように、奥さんは病院に運び込まれても、その若返りは進行していた。それと同時に、彼女の身体の中では、あることが起こりつづけていたんだ。」

「それはなんですか?」

「彼女の身体は、再生しつづけていたんだ。休むことなくずっと。」

「再生?それがこの殺人とどういう係わり合いがあるの?」

久遠寺所長は、不思議そうに尋ねた。藤崎にも理解できないようだった。

「再生は、完璧に行われ、破損したところの修復も行われていた。そして、彼女が数年前に切除した胃の再生や事故で無くした指なども再生しだしたのだ。」

「よかったじゃありませんの。失ったものが再生してくれるなんて。ねえ、藤崎君。」

藤崎は、黙って何かを考え込んでいた。それは、所長の言うように素直に喜べない何かに気づいたようだった。

「警部。まさか、傷ついたままのDNAで、再生されたりとかは・・・」

「藤崎君。それはどういうこと?」

「はい、もし、傷ついたり、破損したりしたままのDNAで再生されたとしたら、奥さんは正確には再生されないだろうからです。狂った設計図は、狂ったものしか生み出しませんから・・・」

久遠寺は、藤崎の言葉に異常再生される肉体の姿を想像してしまった。それは、言葉では言い表せない恐怖があった。異形への変身。それは、人が古代から持ちつづけている恐怖であり屈辱でもあった。

「いや、それはなかった。それよりも、もっと悲惨なことになったんだ。」

「もっと悲惨な事?」

「そう、いつ果てるともない苦痛。それが続くんだ。不連続的に休み休みな。それに、鎮痛剤も効かなかったそうだ。」

藤崎はその警部の言葉に驚愕した。いつ果てるともなく不連続的に休み休み続く苦痛。これが連続したものならまだましだろう。でも、休み休み続く苦痛とは・・・

「藤崎君。どうしたの、顔色が悪いわよ。」

「いえ、いまの警部の話を聞いて、奥さんの苦しみが少しわかったので・・・」

「そうね。でも、絶え間なく続く苦痛よりも、安らぐ事があるのは救いね。」

「いや、所長。それは逆です。絶え間なくあるほうがまだましなのです。」

藤崎は、真剣なまなざしで、久遠寺を見つめた。久遠寺は、藤崎の言った意味が理解できなかった。

「普通、絶え間ない苦痛よりも、休み休みの苦痛のほうが、耐えやすいと思いがちです。でも人間は、続けざまのものは、なれることが出来ます。脳が、生活パターンの一部に組み込んでしまうからです。でも、不連続的に休み休みだと、組み込むパターンが判らないので、いつまでも新しい刺激としてしか感知できない。つまり・・・」

「なれないって事?それじゃ、あの奥さんは。」

「いつまでも、苦しむ事になったんだ。そして、平穏時に、夫に自分をこの苦しみから救ってくれるように頼んだ。夫は、始めは断っていたが、妻の苦しみを見てられなくなって、ついには・・・・」

「殺してしまったのね。悲劇ね。」

さらりと言った久遠寺の目に涙が浮かんでいるのを藤崎は気づいていた。キャラ的に重々しい事が嫌いな久遠寺としてはこれが精一杯の言葉だった。

「それで、警部。その謎の女性の素性はまだわからないのですか。」

「ああ、その女性を見ているのが、この老夫婦しかいないからな。」

「その家の警備を増やせばよろしいのではありませんの。」

「やっとその許可がおりたんだよ。この事件のおかげでな。」

「もっとはやく警察がそうしてくだされば、このような事件は起こらなかったのではありませんの。」

「面目ない。」

久遠寺の言葉に徳田警部はただ、頭を下げるだけだった。単なる変質者と軽く考えていた警察の、失点ともいえる事件だったからだ。だが、それは仕方のないことだとは、久遠寺にもわかっていた。久遠寺は、もって行きようのない、言い知れぬ怒りを、久遠寺は感じていた。そして、まだ警察もSRIも、この事件を甘く考えていた。だが、そのために新たな犠牲者を生むことになってしまった。

 

外は、いつの間にか陽が落ち、冬の夜はすっかり暗くなっていた。だが、主をなくした家の明かりは灯ることはなかった。

「ふう、寒いなあ。中で張っているわけにはいかないのかな。」

あの女性の拘束のために、エンジンも掛けずに車の中で張り込みをしていた佐伯刑事はついこぼしてしまった。来月には結婚の予定の彼には、早く仕事を終わらせて、彼女との時間を過ごしたかったのだ。

「待つのも仕事だ。いつでも飛び出せるようにしておけよ。」

早く帰りたいのは、都刑事も同様だった。先月生まれたばかりの子供との時間を作りたかったのだが、刑事という仕事の関係上そうも言っておれなかった。だが、彼は、2ヵ月後に移動が決まっていた。長年の願いだった事務職への移動が決まっていたのだ。これが、うまくいけば刑事としての最後の仕事だった。

二人がエンジンも掛けられずに凍えていたとき、白い影が問題の家の玄関に現れた。

「みやさん。現れましたよ。」

「おう、佐伯、連行するぞ。」

二人は車のドアを開けるとそとへ飛び出した。

「お嬢さん、ちょっと署まで来て貰いましょう。」

 「みやさん、言葉がきついですよ。すみません。ちょっとお話を伺いたいので、こちらのほうに・・・」

 「お嬢さん?」

 彼女は不思議そうな顔をして、二人の刑事を見た。

 「そうだ。お前は女じゃないとでも言うのか。え、殺し屋さんよ。」

 「殺し屋?おんな?」

 彼女は、さらに困惑した顔になっていった。

 「みやさん。アレは、彼女の責任じゃないんですから、責めてはかわいそうですよ。とにかく、事情をお聞きしたいので、署までご同行願えますか。」

 「署?・・・あなたたちは、警官か。それじゃあ、妻はどこいるんだ。子供たちは?朝出てきたときには、確かにいたのに、帰ってくると見知らぬ老夫婦が・・・なあ、妻は、子供たちは・・・」

 「なにを訳のわからないことを言ってるんだ。女のお前に女房がいるはずがないだろうが。ふざけるのも、いい加減にしろ。」

 都刑事は、少女の右腕をつかみ、手錠をかけようとした。強引な都刑事を、止めようとして、佐伯刑事の動きが止まった。それは、少女の腕をつかんだ都刑事の様子が変ったからだ。

 「う、うわぁ〜〜〜。」

 耳を劈く大声を上げると、都刑事は、両腕で胸を押さえ、身体中を小刻みに震えさせて、しゃがみこんでしまった。そして、その場にうずくまり、ぴくぴくと痙攣を起こしていた。

 「み、みやさん、どうしたんですか。みやさん。お前みやさんに、なにをした。」

 少女は突然の異常状況に戸惑い、その場に立ち尽くしていた。同僚の突然に異常、佐伯は、拳銃を抜いて、少女に向けた。その目は、恐ろしい化け物を見るような恐れを帯びていた。

 「なにがいったい。わたしはどうなったんだ。妻は、子供たちは、わたしのうちは、まだ、3年しか住んでないのに何でこんなに古ぼけてしまったんだ。」

 佐伯は、苦しむ都に気を使いながらも、少女の言動のおかしさが気になりだしていた。

 「古ぼけた?三年しか住んでいない?君はいつ頃、ここに住んでいたんだ。」

 「いつごろって、昨日までだ。」

 「平成何年の、何月何日?」

「平成?それはなんだ?わたしは、昭和62年の9月13日にこの家から、会社に出社したんだ。妻の美佐江に送られて、それなのに・・・」

 「昭和?もう十数年前のことだぞ。まてよ、僕が新米のころ、この先の交番に配属されたとき、班長に聞いたことがあるぞ。このうちのご主人はある日突然、蒸発したって、家のローンが残っていて、そのために、このうちを売却したって。確かその後主人の名は・・・岡崎。岡崎信一郎。」

 「あなたは、わたしを知っているのか。妻は、子供たちはどこなんだ。教えてくれ。」

 少女は、さっきまでとは打って変わって、佐伯の襟首をつかむと揺さぶった。その力は少女のものとは到底思えなかった。

 「あなたが、岡崎さんだというのか?あなたは女性ではないですか。蒸発した岡崎さんは、男性ですよ。それに彼は、あなたよりかなり年上ですよ。」

 「君もそう言うのか。わたしは男だ。岡崎信一郎だ。家族は、わたしの家族はどこなんだ。」

 「岡崎さん一家は、行方不明です。ご主人が蒸発してから、この家のローンの支払いが出来ずに手放されて、それ以来、行方不明です。」

 「ローンの支払いがされなかった?金は振り込まれたのではないのか。あいつらは、わたしをだましたのか。あいつらは・・・わたしの家族を、わたしの家庭を・・・壊したのか。」

 少女は、まるで夢遊病者のように、ふらふらとその場を離れていった。何かつぶやいていたが、それは、押し殺した声だったので、聞き取れなかった。

 「待ちなさい。あなたには聴きたいことがある。止まりなさい。」

 そんな声は聞こえないのか、少女は、どことはなくふらふらと歩いていた。

 「止まりなさい。止まらないと、撃つぞ。」

 威嚇のつもりで、佐伯は言った。だが、少女は、止まる気配はなかった。佐伯は、威嚇射撃をした。この行為は、過剰行為といわれても仕方がないだろう。しかし、彼が、少女をここで止めないと、今、彼の足元で苦しんでいる都と同じ犠牲者が出る可能性は、高かった。だが、威嚇のつもりで撃った銃弾は、狙った足元ではなくて、少女の心臓を打ち抜いた。少女の胸に真紅の巨大な薔薇の花が咲いた。

 佐伯は、自分の行為が引き起こしたことを目のあたりにして、呆然となった。まだ、(公的には)容疑者とも断定できていない人物を、抵抗もしていない少女を、撃ち殺してしまったのだ。彼は自分の行為に、呆然となった。そして、これから起こるであろうことが、頭の中を駆け巡りだした。後悔とこれから起こるであろうことへの恐れ、それらが彼の心を攻め立てた。

 そして、佐伯は、内ポケットからケイタイを取り出すと、静かに署にいる上司へと、電話をかけた。これからのことをすべて受ける決心をすた佐伯の心は、いつになく穏やかになっていた。

 「課長ですか。佐伯です。いま、例の少女を発見しました。停止勧告を無視して、立ち去ろうとしたので、威嚇射撃をしましたが、目標を誤り、少女を殺害してしまいました。都刑事は、負傷して、わたしのそばにいます。救急車と、わたしの身柄の拘束をお願いします。」

 彼の報告を、すぐに理解できないでいる課長のあわてた声を聞きながら、いつもは、冷静な課長のあわてぶりを創造して、佐伯は微笑んだ。そして、打たれた状態で、まだ、立ちすくんでいる少女に近づこうとした瞬間、佐伯は、信じられない光景を見た。

 即死状態のはずの少女が、歩き出したのだ。それも、崩れる前に、前のめりになって歩くといった様子ではなくて、しっかりとした足取りで・・・

 佐伯は、自分の目を疑った。弾は、彼女を反れたのか。いや、確かにあの広がる血の中心は、間違いなく‘心臓’。ということは、彼女は・・・

 彼は、恐怖心から、彼女に再び発砲しようとした。だが、彼は撃てなかった。いや、撃つ寸前、彼を正気に戻したのは、うめき声を上げながら佐伯にしがみつく都だった。佐伯は、もがき苦しみ、震える都を力強く抱きしめた。あの女の姿は、闇の中へと消えて言った

 

 「困った問題が発生したよ。」

 徳田警部は、SRIの事務所に入るなり、そうつぶやいた。

 「張り込みをしていた刑事の発砲事件ですね。」

 「そうだ。いくらなんでもやりすぎだよ。それに、撃たれた人間が、そのまま立ちさっとと証言しては、どうしようもない。わしゃどうすればいいんだ。」

 ソファーに座っていた藤崎は、返事の仕様がなかった。

 「あら、警部。その警察官を、有無を言わさずに処分するおつもり。そんなことは、なさいませんわよね。」

 事務所の入り口にいつの間にか、所長の久遠寺が立っていた。今日もいつものようにシルバーホワイトのスーツを着こなしていた。

 「だが、まだ、容疑も確定していない人間に発砲したのは問題だよ。わしゃ、頭が痛いよ。」

 「ところで、その刑事は、少女の名前を聞いたのでしょう?」

 「ああ、だが、それがあまりにもお粗末な偽名でな。」

 「あら、どんなのですの。」

 「それが・・・」

 「さ、あきらめておっしゃいませな。笑いませんから。」

 「う、うむ。」

 久遠寺に、促されて、徳田は話し始めた。

 「その少女が名乗った名前というのが、岡崎信一郎というのだ。」

 「岡崎信一郎?それは、確かに奇妙ですね。」

 「その女の子。男の子じゃなかったの?」

 「本人もそういったそうだ。自分は男だと、だが、どう見ても、女にしか見えなかったようだ。」

 「う〜ん、自分が男だと主張する撃たれても死なない少女。今回は、被害者は出なかったのですか。」

 「いや〜それが・・・」

 「出ましたのね。どうなさってますの。その方は。」

 「うん、その少女を強制連行しようとした刑事が、その少女を触ったらしいのだが、そのあと、痛みを訴えて・・・今でも病院のベッドで苦しんでいるよ。鎮静剤がまったく効かないんだ。」

 「鎮静剤は、毒ですからね。あの少女のおかげで、拒否してしまう。彼は一生苦しむことになるのでしょうね。」

 冷静に告げる藤崎に、徳田警部は言い知れぬ怒りを感じた。だが、その事実を直視している藤崎が、心の中では、少女を、そして、被害者となった老婆や刑事をこのような目に合わせた元凶に対して、抑えきれぬ怒りを覚えていることを、久遠寺は、気づいていた。

 

 「加瀬。お前、俺に昨日電話したか?」

 「いや、してないが、どうしたんだ。」

 「それならばいいんだが。」

 島村は、何か気になるのか。まだ納得がいかないような顔色をしていた。最近の島崎は、落ち着きがなかった。まるで、隠していたいたずらが、ばれそうになる寸前の気の弱い子供のようでもあった。加瀬は、島崎を始末することも含めて、これからのことを考えている自分に恐怖を感じた。だが、そのことは顔には出さず、落ち着いた声で、島崎に言った。

 「奴は死んだんだ。俺たちに、貴重な研究資料と資金を残してな。そんなに気になるのなら、あの研究室にいってみるか。お前一人で。」

 「それは・・・」

 困ったような声を出して、島崎は戸惑っていた。そんな島崎を見ながら、加瀬は、ねずみをいたぶる猫のように、ほくそえんだ。

 

 「藤崎くん。新たな事実がわかったよ。岡崎信一郎は、死亡している。それも、失踪後、3年たってからだ。死因は、脳腫瘍だ。」

 「そうですか。他には、おかしい点はないのですか。」

 「それがだなぁ・・・」

 言いよどむ警部に、今日は、事務所にいた虎野が聞いた。

 「どうしたんですか。」

 「うむ、ひとつおかしなことがあるんだ。岡崎は、生命保険にかかっていて、その保険金の受取人が、彼の担当医をしていた医師なんだ。」

 「それはおかしいですね。で、そのことに対して、不振なところは・・・」

 「見つからなかった。だが、わしは、どうも引っかかるんだ。」

 「警部。その医師を調べてみては?」

 「それは無理だよ。」

 「祐さん、もう十年以上も昔のことだから、調べる理由がないよ。それに調べたとしても、容易には尻尾をつかませないだろうな。」

 藤崎の言葉に、虎野は、黙ってしまった。だが、このことが、彼らを深い後悔の念に陥れることとなってしまった。

 

 久しく人が訪れることがないのか、そこは、蜘蛛と見知らぬ姿の虫たちの住処となっていた。埃にまみれ、壊れるままになった機材は、撃ち捨てられたことを恨むかのように、静かに闇の中に鎮座していた。

 と、その静寂の闇の中に明かりが、蠢いた。

 「確か、このあたりだったが、あいつの脳を入れたカプセルが合ったのは・・・う。」

 明かりが照らし出したところには、ガラス・カバーが壊れ、空になったカプセルがあった。

 「そんな、あいつの跡さえない。あの実験は失敗だったはずだ。奴の脳はここに腐っているはずなのに・・・」

 「そんなに不思議か。わたしは生きている。お前たちに騙され、家族は崩壊した。わたしに金を払うといったのに・・・よくもだましたな。島崎。」

 島崎は、後ろから聞こえて来た声に振り返ると、そこには、見知らぬ少女が立っていた。

 「君は・・・ここは、君のような子が来るところではない。帰りなさい。」

 「お前もわからないのか。お前たちが、わたしをこんな姿にしたのに。島崎。お前と、加瀬に変えられたのに・・・」

 「わたしの名を知っているお前は誰なんだ。お前は・・・」

 「まだわからないか。お前たちにだまされた男のことを。わたしは、岡崎信一郎だ。お前たちにだまされて、十数年間も痛みのベッドで眠らされていた。」

 「おかざき?まさか、彼は、脳だけのはずだ。われわれの失敗作の再生液の中で死んだはずだ。」

 島崎は、後ろに立つ少女の姿から滲み出す憎しみに、恐れるあまり後ろにあとず去り、壁に背を貼り付けた。

「わたしは生きている。死ぬほどの痛みを耐え、生き返ったのだ。わたしの家族を返せ。わたしのからだを返せ〜〜。」

少女の気配に島崎は、壁に張り付いたまま身動きが出来なくなった。

「やめろ、やめろ。やめてくれ。たすけてくれ〜。」

少女は、島崎の首に手をかけた。そして、絞め始めた。ぎりぎりぎりと・・・

「死ね。死ね。死ね〜〜。」

「ぐ、ぐぁあ〜〜〜〜〜。」

島崎のからだに激痛が走った。それは、耐えられるものではなかった。島崎は、恐怖と激痛の中に・・・・死んだ。

少女の手が、島崎の首を離れるとともに、その場に崩れ落ちた。少女は、それを見つめていたが、きびすを返すと立ち去っていった。

 

「たいへんだ。また殺人が起こった。今度は、T大医学部の助教授だ。死因は、あの少女。」

ドアを開けるなり、徳田警部は、叫んだ。その声に、久しぶりに、ミンレイの淹れたコーヒーを楽しんでいたSRIの面々は、警部のほうを見た。

 「やはり気になって、保険金の受取人になった医師に貼り付けさせていたんだが・・・一瞬遅く、殺されてしまった。」

 「はい、警部、コーヒー。」

 ミンレイは、そういうと警部の前に、なみなみとコーヒーの入ったコーヒーカップを置いた。

 「お、ありがとう。やっぱり、ミンレイちゃんが入れたコーヒーが一番おいしいよ。」

 「あら、この間は、わたくしだと、おっしゃいませんでしたか?」

 「う、それは・・・」

 久遠寺の問い詰めに、徳田警部は飲みかけたコーヒーを噴出しかけた。

 「警部、彼女はまた行方不明になったのですか。」

 「ああ、またどこかに消えてしまった。だが、その代わりに、そこにあった研究資料を持ってきたので、藤崎くん、すまんが、調べてくれんか。」

 警部が差し出す書類ケースを藤崎は、受け取ると中から取り出し、少し読んでいたが、突然立ち上がると研究室へと去っていった。彼の去り行く姿を皆ただ黙って見送った。

 二時間後、真っ青な顔をして、藤崎が出てきた。その様子を見て、その場にいた久遠寺、虎野、ミンレイ、徳田は、ただ黙って藤崎が、語りだすのをまった。だが、藤崎は、いつになっても、語りだそうとはしなかった。その沈黙を破ったのは、徳田だった。

 「ミンレイちゃん、コーヒーのおかわりを・・・」

 久遠寺は、徳田をにらんだ。睨まれて身を縮めた徳田を見て、ミンレイは、思わず笑い出してしまった。

 「きゃははははは・・・・」

 その笑い声に、黙ったまま、無表情に座っていた藤崎は我に返った。

 「ん?ア、すみません。考え事をしていて。この事件を終わらせなければなりません。でも、それは、あまりにも悲惨な結果を招くことになりますが・・・」

 「それは、まさか・・・」

 虎野は、悲壮な表情の藤崎を見て、あることを察したのだ。

 「彼女は、岡崎さんは、すでに死んでいるのです。この資料から察すると、脳だけの存在からの細胞再生の実験をしていたようですが、失敗したみたいです。ですが、完全な失敗ではなく、ブレーキのきかない車のようなもので、セーブが効かない状態で、彼女の細胞は再生を続けています。そして、性染色体の情報に誤りがあったのか、女性に再生した。そして、再生した身体は、この再生溶液で満ち溢れてしまった。彼女は生きた再生溶液となった。だが、この再生もいずれかは・・・」

 「それなら、このまま放置していてもいいんじゃないのかなぁ。」

 「ミンレイちゃん。それはできん。いついかなる危険が起こるかわからないからな。」

 「そう。警部が言うように、いついかなる出来事が起こるか、わからないし。彼女に触られると、細胞再生が始まり、激痛に苦しむことになるんだ。」

 「でも、どうして、そんなことに。悪いところが再生したら、終わりなんでしょ。」 

 「そう、理論上はね。だが、ミンレイ。この空間には、細菌などが漂っている。それらに侵されたものも再生しようとするんだよ。彼女が浸かっていたものには、殺菌効果はない。だから、最近に冒されたものを、再生し続けるんだ。つまり、まったくの無菌状態でない限り、そして、老化がなくならない限り、再生は、永遠に続くことになる。」

 「つまり、彼女は、生と死をさまよい続けることになる。ということね。藤崎くん。」

 「そうです。所長。それを終わらせないことには、この事件は解決しないのです。」

 「それから先は、われわれ、警察の仕事だ。藤崎くん。ありがとう。これで失礼するよ。」

 そう言って、立ち上がろうとした警部を、藤崎は止めた。

 「警部。これはそんなにやさしくないのです。彼女を止めるには、彼女の細胞を完全に消滅させるしかありません。それが出来るのは、SRIだけでしょう。」

 藤崎のこの言葉に、誰もが黙り込んでしまった。恐ろしき存在とはいっても彼女は、狂った実験の犠牲者なのだ。だが、その彼女を救う唯一の方法というのが、彼女の死しかないとは。

 

 深夜、人通りが途絶えるのを待っていたように、少女として再生した岡崎は、再び、元の我が家へと戻ってきた。それは帰省本能なのか、呪われた身体を忘れられる場所として、昔の自分の思いが残る場所へとひきつけられるのか。それは、彼女にもわからなかった。元の我が家の前に立ち止まった彼女は、家の中から聞こえてくる声に耳を疑った。それは、忘れもしない妻や、子供たちの話し声だったからだ。彼女は、その声に誘われるように、家の中へと入っていった。

 「いまだ。スイッチON。」

 その声に、物陰に隠れていた藤崎が、手に持っていたリモコンのスイッチを入れた。その瞬間、爆音とともに業火が家の中から噴出して、彼女の入っていった家を炎で包み込んだ。

 「ぎゅあ〜〜〜。」

 家の中から聞こえてきた断末魔は、業火の音に消され、崩れ落ちる家とともに、聞こえなくなった。さいわいにも、事前の防火処置のおかげで、近所に飛び火することはなかった。こうして、この事件は、幕を引いた。

 

 「でも、警部。死んだ島崎の相棒は見つかったのでしょう。逮捕はしないのですか。」

 淹れてきたコーヒーを各人の前に置きながら、ミンレイが聞いた。

 「うむ。残念なことに証拠がないんだ。あの実験室で見つけた資料だけでは、決め手にかけてね。」

 「彼は、彼らの犠牲者になっただけで終わるのね。」

 「それに、岡崎に接触して、死んでいった人たちもです。」

 「それって、おかしいですよ。原因を作った一番悪い奴が、のほほんとしているなんて・・・」

 ミンレイのその言葉に、その場にいた皆は賛成だったが、どうしようもなかった。

 「そんな、そんな、家族を奪われ、からだも失くしたのに・・・」

 泣きだしたミンレイを、久遠寺は、やさしく抱きしめた。ミンレイは、久遠寺の胸で、泣き続けた。

 今回の事件は、いつも以上に皆の心に重く暗いベールをかけた。

 と、そのとき、事務所の入り口のドアが勢いよく開いた。

 「ご心配かけました。高 慎二。ただいま戻りました。あ、ミンレイ、いいな。所長の胸をさわって。僕に半分貸して・・・」

 「ばか。」

 ばし〜〜ん。高は、ミンレイにビンタを食らってしまった。

 「あた〜〜〜。」

 そのニュアンスがあまりにもおかしかったので、ミンレイは、泣いていたことを忘れて、笑い出してしまった。

 「きゃははははは・・・高君。コーヒー入れるわね。」

 そういうと、ミンレイは、給湯室へと消えていった。他のメンバーも二人のやり取りに微笑んで、重苦しい呪縛から開放された。

 「さ、それでは、今日は、高君の退院祝いに行きましょうか。高君、なにがいい。」

 「はい、所長のおごりなら何でも・・・」

 「高、めったにないことだから、いい物を頼めよ。」

 「まあ、藤崎君、そんなことを言うの。覚えてらっしゃいね。今日のお勘定は、藤崎君のお給料から引いてあげますからね。」

 「所長、ちょっと待ってくださいよ。」

 「だめよ。さ、みんな行きましょう。藤崎君のおごりよ。」

 あわてて久遠寺にすがる日ごろからは考えられない藤崎のあわてぶりに笑いをこらえながら、皆、事務所を出て行った。

 

 「ふん、これで、すべてが終わった。まさか、奴の遺体が、俺のところに運ばれてくるとはなぁ。」

 加瀬は、笑いをこらえながら、解剖台の上の原形をとどめない黒い塊の岡崎を見下ろしていた。

 「くくくく、わはははははは・・・・」

 だが、その笑いも長くは続かなかった。

 「どれ、失敗作の最後でも見せてもらおうかな。」

 そう言って、加瀬が、右手に持ったメスをその、塊に当てようとしたとき、塊にひびが入り、そこから、白い手が伸びてきて、彼のメスを持つ手をつかんだ。

 「ぎ、ぎゃ〜〜〜〜。」

 彼は突然襲ってきた恐怖と、激痛に、思わず叫んだ。だが、その叫び声は、誰もいない深夜の大学構内にわびしく響いた・・・・

 

 

次回予告 連続して起こる性転換事件。それは、あまりにも中途半端な転換だった。その事件の裏に見え隠れする美女の姿。

次回の「美女とTS」をおたのしみに

 

 

あとがき

今回は、長くかかりました。それにゲストの方はいません。前回の予告とは違った話になってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。書いてて辛い作品でした。出口の見えないそんな感じです。

それでは、また次回お会いしましょう。