ミーセリア風雲録
第一話「気付けば異世界」
あれ…
ふわっとした感覚に水島雅彦は目を覚ました。うっすらと開いた目に飛び込んできたのは明るい部屋。窓のレースのカーテンは風に揺られて涼しげに舞っている。
おれはどうしたんだろう…
雅彦は横たわっていたのは大きなベットで柔らかい寝具が彼を優しく包み込んでいる。
部屋自体は二十畳程度だろうか、広い部屋には品の良い家具が並び掃除も行き届いているんだろう清潔感を受ける。
雅彦は上体を起こすと大きく息を吸い込んだ。窓から入り込んだのだろう、緑の心地よい香りが鼻腔をくすぐる。
そこで急に頭が覚醒した。自分は近所の神社の石段で見事にすっころんだのだ。さらに体をおこそうとした瞬間鈍い痛みが背中や腕を襲った。
「いてっ」
思わず左手で疼いた右腕を押さえる。
…?…
雅彦は左腕にのし掛かってくる重みに首をひねった。そして左手をゆるめてもう一度、両腕で体を包み込むように抱きしめてみる。やはり何か重みを感じ、今度は両手で胸を包み込んでみた。ちょうど茶碗を二つかぶせたようなふくらみがあり、左右に動かしてみると押されたような感覚がある。
「あふぅ…」
口をついて出たのは今まで自分が出したことのない様な高い声である。
…て、何だよ、これは?あ、もしかして夢?臨死体験とか言う奴か?あ、でも、この両手のフィット感はなんとも自分の思考がどんどん脱線していくのに気づき、頭を振る。
…ぢゃなくて!もしかしてこれが臨死体験という奴か?夢って事か?でもわずか3段の石段で転けて意識不明ってのは目が覚めても…
「うわぁあああああっ」
雅彦の目の前にはいつの間にか同年代の少女が立っていた。
黒髪を肩で切りそろえ、頭にはエプロンと同じ白のヘッドレストを乗せた小柄の少女がポットからタライにお湯をうつしながらこちらを見ていたのだ。
「あ、あの…いつから…」
「え?あー、百面相しながら胸を揉んでらっしゃる辺りから」
二人ともばつの悪さから同時に乾いた笑い声を上げる。
「それにしても目が覚められたんですね。もう二日も眠ったままでしたから…失礼しますね」
「二日も?あ、良いですよ。体自分で拭きます」
少女はタオルを絞ると雅彦の首筋にそっとあてがった。
「いいえ、じっとしててくださいな。まだ体中が痛むのでしょう?」
「ごめんなさい」
少女は手際よく雅彦の体を拭いてゆく。
「これが終わりましたら、お医者様を呼んで参りますね」
「あの、僕はどうしてここに?」
「二日前、お嬢様がお城から帰宅される際に川縁で倒れているのを見つけられたのですよ」
「川縁…」
たしかに自分は神社の石段を降りようとして、意識が遠のいて、転けたのは覚えている。ただ、自分の生活圏にはこんな豪奢な家は記憶がないし、城と言って思い当たるのは自分が転げた神社。通学の際に近道として使っていた場所が、中世の山城の跡であるのだが今となっては社のほとりに由来を記された看板が建っているのと、その下にわずかに石垣が残っている程度である。
「前、失礼しますね」
「え?あ、ちょっと」
少女は手際よく雅彦の夜着の前の結び目をほどくと、首元が大きく広がり胸があらわになる。雅彦ははじめて見る自分の胸に思わず目をそらしてしまうが、少女は気にするでも無く肩から胸へと拭いていく。
「うわっちょっ…いやぁん」
「おかしな方ですね。胸の下はちゃんと拭かないとかぶれますから」
もだえる雅彦を優しく見ながら少女は手を動かしていた。
その時、ノックの音が扉から聞こえてきた。
「はい」
少女は手を止めると、手早く雅彦の胸の前の紐を結んで整えると、扉を少し開いて驚いた表情を浮かべた。
「姫様」
「いや、すまん。楽しそうな笑い声が聞こえていたからな」
そう言いながら入ってきたのは黒の服を身にまとった女性で、長身で流れるような黒髪が背中へと光の波を描いている。切れ長の瞳のせいか冷たい美人という印象を受けた。
「目が覚めたようだな」
「えと、はい」
「こちらはこのボルフィフス伯爵家当主、リーゼル・フィン・ボルフィフスさまです」
少女は入ってきた女性を雅彦に紹介した。
「では、助けて頂いた方ですか。どうもありがとうございます」
「気にするな。どうやら非はこちらにあったようなのでな」
「非?」
「入ってこい。シェシア」
リーゼルは目を細めると、扉の方をにらみ付けた。そこからおずおずと黒のワンピースをまとった少女が入ってくる。
黒髪で年齢は雅彦と同じくらいだろうか。大きなめがねをつけている。
「どうやら、これが魔法を失敗したのが壁に影響を及ぼしたらしいのだ」
「はぁ…」
雅彦はいまいち言葉を把握できずにきょとんとしていた。
「元々、ボルフィフス家はミーセリア王国に仕える武官の家なのだが、シェシア…我が妹は何故だか魔法に興味を持ってな」
リーゼルは近くの椅子に腰をかけて、額に手を当てて呆れたように話す横で、シェシアはむくれてそっぽを向いている。
「もともと武の家。剣術、槍術の才はあるのだが、なにぶん魔法の才は皆無でな」
「皆無って何よ。ちゃんと成功したわよ。ちょっと公式をミスっただけじゃない」
「ふうっ…とにかくあなたが巻き込まれたのは全てこちらの責任だ。帰れるように手をまわしている。その間、我が家でくつろいでくれないか」
「つまり、すぐには帰れないんですね」
「…すまん。いつになるかとは言えないのだが」
リーゼルは申し訳なさそうに言うと、椅子から立ち上がり部屋を出ようとする。
「彼女、メリを君専属とするから、何かあれば彼女に言うと良い」
そう言い残してリーゼルはシェシアを引きずるように部屋を跡にした。
「あ、まだ自己紹介してませんでしたね。私はメリと申します。ここで見習いのお手伝いさせて貰ってます。いたらない点もありますがよろしくお願いしますね」
メリは頭を下げるが、雅彦は自分の置かれている状況がかなり絶望的なことであることだけ理解したものの、解決策を見いだせぬままリーゼルの出て行った扉を呆然と見ていた。